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本編
パスタで中華?!四川風汁なし担担麺
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「おはようございます!」
「おう、おはよう!」
今日も後輩がやってきた。さて、何を作ってやろうか。
「先輩、中華というか四川料理ってできますか?」
「四川料理か、俺も食べたかったところなんだよな」
「追悼のニュースを見てたら食べたくなっちゃったんですよね。私はあんまり知らない料理人だったんですけど、四川料理の神様みたいな人だったんですね」
かの料理人の訃報は俺もショックを受けた。氏のレシピにはお世話になっていたし、その功績や、何よりも料理に対する心構えは大いに尊敬していた。一度は本店に行って氏の料理を味わってみたいと思っていたのだが。
「四川料理か。それならとっておきの担担麺でどうだ?」
「担担麺!汁ありですか、無しですか?」
「汁なし、つまり原点だな。ありあわせで作るからかなりアレンジしたものになるけどな」
*
いつものように、お湯をわかすところから始めるのだが、今日は一味違う。
「今日はパスタにも一工夫するぞ」
俺は重曹を大さじ2杯、水の中に入れた。
「あれ、今日は塩を入れるんですか?」
「これは塩じゃなくて重曹だ」
「重曹?なんでまた」
このやり方を知った時は俺も驚いた。順番に説明してやることにする。
「ラーメンに使う鹸水って、聞いたことあるか?」
「かんすい?ああ、ラーメンの原材料に書いてあるやつですね」
「アルカリ性の水、っていう意味なんだ。本来は自然に産出されるもののようだが、今では精製した炭酸ナトリウム、つまり重曹を使うらしい」
「なるほど、重曹といえばアルカリ性の代名詞ですからね。リトマス紙が青くなるやつ!」
そういえば小学生の頃、リトマス実験をしたときはまだ重曹というものを知らなかったっけな。
「これを使うとどうなるかは少し後のお楽しみにして、今は肉味噌を作るぞ。ニンニク入れても平気か?」
「あ、今日はOKです」
フライパンに油を引き、みじん切りにした白ネギ半分ほど、チューブのニンニクとショウガ少々、刻んだ唐辛子を入れ、さらに冷凍の豚ひき肉100グラムを入れる。ひき肉は薄く伸ばして冷凍してあるので、凍ったままほぐして入れればすぐに溶ける。
「調味料は味噌とみりん、大さじ1ずつだな」
「豆板醤とか甜麺醤は使わないんですか?」
「醤ってのは日本でいう味噌のことだからな。日本の味噌に辛味や甘味を足せば代用できる」
日本で麻婆豆腐などの四川料理が初めて紹介されたとき、豆板醤などの調味料は普及していなかったので味噌が使われたという。
現代においても、ミニマルな調味料圧縮という観点からは大いに参考にできる知識である。
「弱火にして、肉に焦げ目が付くくらいじっくり炒めるのがコツだ。仕上げに味の素を少々、っと」
「先輩、そろそろお湯が沸きますよ」
「おっと、そうだったな」
ゆだった鍋にパスタを入れる。今日はいつもどおりの細めのスパゲッティだ。
「うわ!なんかすごい泡が出てるんですけど!」
「これが重曹の効果だ。大きめの鍋でなければ吹きこぼれたかもな。ちょっとかき回しておいてくれないか」
「はーい。……なんかすっごく黄色くないですか?」
「そう、これが化学変化ってやつだ」
中華麺が黄色くなるのは、アルカリ性によって小麦粉が変質するからという話だ。それによって強いコシが生まれる。
*
「肉味噌はこれでよし、と。麺のほうはどうかな。普通に茹でるより火が通るのに時間がかかるからな」
「うーん、まだ芯が残ってますねぇ」
菜箸で1本つまみ上げて口に入れた彼女がそう言った。
「それにしても先輩、ちょっと縮れるんですね」
そう言って、菜箸で麺を持ち上げて見せる。
「この縮れが中華麺のコシになるんだな。麺に練り込む本来の中華麺ほどではないが、多少は縮れるんだ」
「重曹を入れただけでただのパスタがこんなに変わるの、すごいですね」
料理は化学である。俺が料理に興味を持ったのも、元はと言えば理科の実験の延長線上のようなものだ。大学は文系に進んでしまったけれど。
***
「よし、そろそろいいだろう」
「こうやって見ると本当に黄色いですね。私、中華麺が黄色いのは卵の色だと思ってました」
湯切りした麺を見ながら彼女が言った。
「もちろん卵とかクチナシ色素入りの麺もあるんだけどな。そうでなくとも黄色くなるってわけだ。重曹が残ってるからお湯で洗って、と」
ポットから出したお湯をボウルで受けて、麺を軽く洗う。そして深皿に麺を盛り付け、肉味噌を乗せ、飾りに刻みネギを少々散らす。
「味付けの決め手はこれだ!」
「ラー油とレモン汁と……ごまドレッシング?」
「ああ。本当は芝麻醤というごまペーストを使うんだが、その代用ってわけだな」
担担麺にごまドレッシングというアイディアを見た時は目からウロコが落ちたものだ。これとラー油と、あとは最悪ニンニクさえあればそれらしいものが作れる。特に夏場は、そうめんにこの3つを和えただけのものに助けられた。
「レモン汁は重曹のアルカリの中和だ。あとは花椒だな。これは挽きたてが一番香りが立つ」
俺の部屋には2つのペッパーミルがある。一つは黒胡椒で、もう一つは花椒だ。以前麻婆豆腐をある店で食べた時の、客席のペッパーミルで花椒を挽くというやり方を真似たものである。香辛料は挽きたてが一番であり、多少の材料や手間を省いてもここだけは惜しむべきではないと思ったのだ。
「いい香りですね。私、花椒って粉しか見たことないかも」
「例によって味は薄めだからな。ごまドレッシングや醤油を適当に足しながら食ってくれ」
「わかりました。それじゃ、いただきます!」
*
「追悼番組を見ながら母と話してたんですけど、昔は担担麺といえば汁ありしかなかったみたいですね」
しばらく黙々と食べていた彼女が口を開いた。
「そう。本来は汁なしだけど、ラーメン好きの日本人向けにアレンジした汁ありが普及したという話だな」
「でも今では、汁あり担担麺の発祥のお店にも汁なしがあるんですよね。それも創業者の名前入りで」
「ああ。今でこそ麻婆豆腐の神様として知られるけれど、料理人としての第一歩は麺類の専門店だという話だからな。まして故郷四川の担担麺となれば思い入れもあっただろう」
先代の自伝は以前読んだことがある。想像の何倍も波乱万丈の人生だった。
「最近は本場の味そのままのガチ中華ってのも流行ってるみたいですね」
「そうだな。でも日本人向けにアレンジした町中華も健在だし、オリジナリティのある創作中華も増えているみたいだな」
「これだけ日本で中華料理が普及したのも、先人たちの努力のたまもの、ってわけですね」
俺が今回作った担担麺は、汁なしという点では原点に近いが、材料は日本のものばかりだし、特にごまドレッシングを使うあたりは創作中華という要素が大きい。オリジナルレシピであっても先人たちの影響は大いに受けているのだ。
*
「ごちそうさまでした!今日もおいしかったです。四川風担担麺ってこんなに普通の材料でも作れるんですね」
「だな。アレンジの幅も広いから、色々試してみるといいと思うぞ」
「わかりました!それじゃまた!」
*
彼女を見送った後、俺は紹興酒の瓶を開けた。たまたま安く売っていたので料理用に買ったのだが、その機会がなかったものだ。コップに少量を注ぐ。
「あなたの大切な彼女に作る気持ちで料理してください、かぁ」
かの料理人が先代から受け継いだという心得を思い出す。俺が人のために料理を作るときは常に頭に入れていた。例の後輩女子は今のところ、彼女(恋人)というほどではないと思っているのだが、それでも人を想って作るという気持ちは変わらない。
「献杯」
俺は一人、天に向かって捧げた酒を飲み干した。
***
R.I.P. 陳建一さん
「おう、おはよう!」
今日も後輩がやってきた。さて、何を作ってやろうか。
「先輩、中華というか四川料理ってできますか?」
「四川料理か、俺も食べたかったところなんだよな」
「追悼のニュースを見てたら食べたくなっちゃったんですよね。私はあんまり知らない料理人だったんですけど、四川料理の神様みたいな人だったんですね」
かの料理人の訃報は俺もショックを受けた。氏のレシピにはお世話になっていたし、その功績や、何よりも料理に対する心構えは大いに尊敬していた。一度は本店に行って氏の料理を味わってみたいと思っていたのだが。
「四川料理か。それならとっておきの担担麺でどうだ?」
「担担麺!汁ありですか、無しですか?」
「汁なし、つまり原点だな。ありあわせで作るからかなりアレンジしたものになるけどな」
*
いつものように、お湯をわかすところから始めるのだが、今日は一味違う。
「今日はパスタにも一工夫するぞ」
俺は重曹を大さじ2杯、水の中に入れた。
「あれ、今日は塩を入れるんですか?」
「これは塩じゃなくて重曹だ」
「重曹?なんでまた」
このやり方を知った時は俺も驚いた。順番に説明してやることにする。
「ラーメンに使う鹸水って、聞いたことあるか?」
「かんすい?ああ、ラーメンの原材料に書いてあるやつですね」
「アルカリ性の水、っていう意味なんだ。本来は自然に産出されるもののようだが、今では精製した炭酸ナトリウム、つまり重曹を使うらしい」
「なるほど、重曹といえばアルカリ性の代名詞ですからね。リトマス紙が青くなるやつ!」
そういえば小学生の頃、リトマス実験をしたときはまだ重曹というものを知らなかったっけな。
「これを使うとどうなるかは少し後のお楽しみにして、今は肉味噌を作るぞ。ニンニク入れても平気か?」
「あ、今日はOKです」
フライパンに油を引き、みじん切りにした白ネギ半分ほど、チューブのニンニクとショウガ少々、刻んだ唐辛子を入れ、さらに冷凍の豚ひき肉100グラムを入れる。ひき肉は薄く伸ばして冷凍してあるので、凍ったままほぐして入れればすぐに溶ける。
「調味料は味噌とみりん、大さじ1ずつだな」
「豆板醤とか甜麺醤は使わないんですか?」
「醤ってのは日本でいう味噌のことだからな。日本の味噌に辛味や甘味を足せば代用できる」
日本で麻婆豆腐などの四川料理が初めて紹介されたとき、豆板醤などの調味料は普及していなかったので味噌が使われたという。
現代においても、ミニマルな調味料圧縮という観点からは大いに参考にできる知識である。
「弱火にして、肉に焦げ目が付くくらいじっくり炒めるのがコツだ。仕上げに味の素を少々、っと」
「先輩、そろそろお湯が沸きますよ」
「おっと、そうだったな」
ゆだった鍋にパスタを入れる。今日はいつもどおりの細めのスパゲッティだ。
「うわ!なんかすごい泡が出てるんですけど!」
「これが重曹の効果だ。大きめの鍋でなければ吹きこぼれたかもな。ちょっとかき回しておいてくれないか」
「はーい。……なんかすっごく黄色くないですか?」
「そう、これが化学変化ってやつだ」
中華麺が黄色くなるのは、アルカリ性によって小麦粉が変質するからという話だ。それによって強いコシが生まれる。
*
「肉味噌はこれでよし、と。麺のほうはどうかな。普通に茹でるより火が通るのに時間がかかるからな」
「うーん、まだ芯が残ってますねぇ」
菜箸で1本つまみ上げて口に入れた彼女がそう言った。
「それにしても先輩、ちょっと縮れるんですね」
そう言って、菜箸で麺を持ち上げて見せる。
「この縮れが中華麺のコシになるんだな。麺に練り込む本来の中華麺ほどではないが、多少は縮れるんだ」
「重曹を入れただけでただのパスタがこんなに変わるの、すごいですね」
料理は化学である。俺が料理に興味を持ったのも、元はと言えば理科の実験の延長線上のようなものだ。大学は文系に進んでしまったけれど。
***
「よし、そろそろいいだろう」
「こうやって見ると本当に黄色いですね。私、中華麺が黄色いのは卵の色だと思ってました」
湯切りした麺を見ながら彼女が言った。
「もちろん卵とかクチナシ色素入りの麺もあるんだけどな。そうでなくとも黄色くなるってわけだ。重曹が残ってるからお湯で洗って、と」
ポットから出したお湯をボウルで受けて、麺を軽く洗う。そして深皿に麺を盛り付け、肉味噌を乗せ、飾りに刻みネギを少々散らす。
「味付けの決め手はこれだ!」
「ラー油とレモン汁と……ごまドレッシング?」
「ああ。本当は芝麻醤というごまペーストを使うんだが、その代用ってわけだな」
担担麺にごまドレッシングというアイディアを見た時は目からウロコが落ちたものだ。これとラー油と、あとは最悪ニンニクさえあればそれらしいものが作れる。特に夏場は、そうめんにこの3つを和えただけのものに助けられた。
「レモン汁は重曹のアルカリの中和だ。あとは花椒だな。これは挽きたてが一番香りが立つ」
俺の部屋には2つのペッパーミルがある。一つは黒胡椒で、もう一つは花椒だ。以前麻婆豆腐をある店で食べた時の、客席のペッパーミルで花椒を挽くというやり方を真似たものである。香辛料は挽きたてが一番であり、多少の材料や手間を省いてもここだけは惜しむべきではないと思ったのだ。
「いい香りですね。私、花椒って粉しか見たことないかも」
「例によって味は薄めだからな。ごまドレッシングや醤油を適当に足しながら食ってくれ」
「わかりました。それじゃ、いただきます!」
*
「追悼番組を見ながら母と話してたんですけど、昔は担担麺といえば汁ありしかなかったみたいですね」
しばらく黙々と食べていた彼女が口を開いた。
「そう。本来は汁なしだけど、ラーメン好きの日本人向けにアレンジした汁ありが普及したという話だな」
「でも今では、汁あり担担麺の発祥のお店にも汁なしがあるんですよね。それも創業者の名前入りで」
「ああ。今でこそ麻婆豆腐の神様として知られるけれど、料理人としての第一歩は麺類の専門店だという話だからな。まして故郷四川の担担麺となれば思い入れもあっただろう」
先代の自伝は以前読んだことがある。想像の何倍も波乱万丈の人生だった。
「最近は本場の味そのままのガチ中華ってのも流行ってるみたいですね」
「そうだな。でも日本人向けにアレンジした町中華も健在だし、オリジナリティのある創作中華も増えているみたいだな」
「これだけ日本で中華料理が普及したのも、先人たちの努力のたまもの、ってわけですね」
俺が今回作った担担麺は、汁なしという点では原点に近いが、材料は日本のものばかりだし、特にごまドレッシングを使うあたりは創作中華という要素が大きい。オリジナルレシピであっても先人たちの影響は大いに受けているのだ。
*
「ごちそうさまでした!今日もおいしかったです。四川風担担麺ってこんなに普通の材料でも作れるんですね」
「だな。アレンジの幅も広いから、色々試してみるといいと思うぞ」
「わかりました!それじゃまた!」
*
彼女を見送った後、俺は紹興酒の瓶を開けた。たまたま安く売っていたので料理用に買ったのだが、その機会がなかったものだ。コップに少量を注ぐ。
「あなたの大切な彼女に作る気持ちで料理してください、かぁ」
かの料理人が先代から受け継いだという心得を思い出す。俺が人のために料理を作るときは常に頭に入れていた。例の後輩女子は今のところ、彼女(恋人)というほどではないと思っているのだが、それでも人を想って作るという気持ちは変わらない。
「献杯」
俺は一人、天に向かって捧げた酒を飲み干した。
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R.I.P. 陳建一さん
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