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本編

襲撃

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それは昼夜を問わない警戒態勢が敷かれてから5度目の夜明けだった。ギルド宿のベッドで浅い眠りに付いていた俺のまぶたを、けたたましい半鐘はんしょうの音がこじ開けた。ついに時が来たのだ。

視覚に強く依存していると見られている飛竜が都市を襲撃するのは夜間ではなく日中、それも人間の活動が始まる前の明け方であろうという見込みが当初から強かった。しかし、あからさまな厳戒態勢を敷いてしまえば飛竜はかえって襲撃を躊躇ちゅうちょする。そのため、外に配置する人員や、建物から漏れる灯りを最低限にした上で、静かな警戒態勢を続けていたのである。

「トム、早く!」

動物的直感によってか、先に目を覚まして支度を整えていたライラに急かされて風のように階下に降りる。食堂では多くの冒険者が集い、出撃の準備が行われている最中だ。武器や薬、その他マジックアイテムの点検をしたり、あるいは濁った泡のエールを朝食代わりに飲んでいる。パンよりも消化が良いので、よほど酒に弱い者でない限りはこのような状況下において効果的な食事となる。

「僕の付与魔術を使わせてください!」
「焦るな。まだ敵の性質もわからないうちに無駄遣いするんじゃない」

はやるポールをマスターがたしなめている。例えば炎や冷気を操る飛竜であれば、同じ性質の魔法は効果がないとするのが一般的な見方である。まずは、手はず通りに魔術師による迎撃によって弱点を見極めるのだ。

***

『彼』は見た。都市の門の外に鎮座する同族の姿を。
『彼』は吠えた。おのれが縄張りとなる地に陣取る同族を立ち退かせるために。
『彼』は炎を放った。この愚か者を力で排除するために。

爆音とともに火球が大地をえぐり、激しい土煙が上がる。しかし、煙が晴れ上がると愚か者は平然と居座っているではないか。業を煮やした『彼』は、再び、より巨大な火球を間近から浴びせかけた。しかし、えぐれて焼けただれた大地の上には、傷一つ無い姿が残されているではないか!

ようやくからくりに気づいた『彼』は、この忌々しき幻術を生み出した術師を皆殺しにせんと、火球ではなく燃え広がる炎を一帯に撒き散らそうと天を仰ぎ、大きく口を膨らませた。息を吸い込んだのではない。体内の気嚢に溜め込まれた可燃性のガスを口内に溜めているのだ。

……刹那、激しい稲妻が『彼』を一直線に貫いた。いつの間にかその頭上には黒い雷雲が漂っている。魔術学院の精鋭、雷電術師たちによる《召雷しょうらい》が炸裂したのだ。それによって口内に溜められていた可燃性のガスが爆発する。この程度で吹き飛ぶような軟弱な皮膚でこそないが、『彼』に激痛を与え、何より憤慨させた。

『彼』は即座に飛び上がると、その目に弱き者共の姿を見た。雷雲は既に眼下で《召雷》は届かない。当然、逃げる暇など与えない。そのまま急降下して押し潰し、さらに長い尻尾で薙ぎ払った。炎を吐くまでもない、愚か者共は肉片へと姿を変えているはずだ。

しかし、『彼』が薙ぎ払ったのはまたも幻であった。やはり魔術学院の精鋭である幻影術師たちは、偽物の飛竜が見破られた後は、同胞の姿をくらますことにその力を全て注いだのだ。

二度も騙された『彼』に対して、その怒りの矛先を見つけることもできないうちに右翼に鋭い冷気が刺さる。これもまた魔術学院の精鋭、雪氷せっぴょう術師による《氷槍ひょうそう》である。矢継ぎ早に氷の槍が突き刺さり、翼が凍結していく。『彼』は激しい羽ばたきで氷を打ち払うが、的確な狙いですぐに再び氷に包まれる。そのたびに氷を払うものの、繰り返すうちに『彼』の翼膜よくまくが確実に損傷していることが見て取れた。

この時『彼』は知る由もないが、同じく精鋭である火炎術師もそれに加わっていた。熱と冷気は表裏一体。炎を吐く飛竜には自らの術が通じないと即座に判断し、雪氷術師に魔力を融通しているのだ。

相反する力を持つという性質上、火炎術師と雪氷術師が同時に活躍できる機会は稀なので、対照的な役割を持つ同胞に力を貸す術を訓練しているのである。魔力の融通は容易に行えることではなく、大抵は二人一組のパートナー同士でのみ可能である。そのため、両者は兄弟などの強い絆で結ばれていることが多い。

***

「報告!第一次迎撃は成功!雪氷術の有効性を確認!敵は右翼損傷するも飛翔能力残存!味方の損害は破片による軽症のみにて治療は不要!」

伝令による報告が入る。予定通りに作戦が運んでいるのであれば、魔術師たちはその魔力を使い果たして引き上げてくるはずだ。ここからは俺たち冒険者の出番である。

「ポール、頼んだ!」
「はい!」

付与魔術の準備をしたポールに、真っ先に武器を差し出したのはオリバーである。そして、その場にいた全員がそれを当然のものだと思っていた。既にオリバーは一人前の剣士であり、その実力を疑う者はいない。かつての俺の仲間、聖騎士として目覚めたアランの領域にも到達しうる存在である。

ポールは目を閉じると意識を集中し、オリバーの剣に両手をかざす。青白い光が剣を包み込み、やがてそれが帯びた冷気によって霜が降りたのを確認すると、満足そうに鞘に収めた。戦士たちが後に続く。

オリバーの剣はありふれた量産品に過ぎなかったが、幾多の魔物の血を吸い、熱や冷気の付与を繰り返され、さらに刀身自体も希少鉱石によって鍛え直され続けてきた。実戦の中で磨き抜かれていった剣であり、オリバーの体の一部にして、仲間たちとの絆の証でもあった。もちろんそれは俺の剣にも、またこの場に集う歴戦の戦士の武器にも言えることである。

*

「もう限界だろう。それくらいにしておけ」
「はい……すみません。僕の出番はここまでです」

総勢11人の武器に冷気を付与したポールは、魔術師としての先輩に指摘を受けると緊張の糸が切れたのか、その場で座り込んだ。ここでは新参の部類の彼だが、実践的な付与魔術を使える者は他にいない。彼だけの特別な才能であるらしかった。ギルドの判断で、今回は付与魔術に専念させることにしたのだ。

「お疲れ様!あんたの分も戦ってくるからね!」
「……帰ってきてくださいね!」

オリバーの許嫁いいなずけにしてポールの親友でもあるメリナがねぎらいの言葉をかける。しかし彼女の得物である双剣には魔術はかかっていない。斥候せっこうとしての役割はあくまでも撹乱かくらんであるため、最初から申し合わせていたことであった。ポールにしてみればオリバーとともに一番の仲間である彼女にも付与させたかっただろうが、感情を優先している場合ではないのだ。

「野郎ども、準備は整ったな。……行くぞ!」

マスターの声で、ギルド宿の扉は開け放たれた。

***

【一般用語集】

半鐘はんしょう
火事などの災害を知らせるために打ち鳴らされる鐘。

『濁った泡のエール』
いわば原始的なビールであり、パンの代わりに食事扱いされたもの。世界にはビール(穀物酒)のみを主食とする民族もいるくらい、本来は栄養豊富な飲み物なのである。
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