上 下
9 / 43
本編

転身

しおりを挟む
神官を辞めるという判断を受け入れてくれた神官長殿に何度も頭を下げ、俺はライラと共に神殿を後にした。
ライラにはしばらく神殿に留まることを提案したのだが、自分の目で世界を見たいというライラ本人の希望により、共に旅を続けることにした。

「ねえねえ、神官を辞めたってことは、私を治してくれた力はもう使えなくなっちゃうの?」
癒やしの法術は神官特有の力であることは既に説明してあるので、当然の疑問だろう。
「いや、そういうわけじゃない。一度覚えた法術というのは、よほどのことがない限り使えなくなったりはしないさ」
「それじゃあ、神官を辞めたら何か変わることってあるの?」
ライラが続けて尋ねる。
「そうだな。はっきりしたことは俺たちにもよくわからないんだが、豊穣神様からの加護が遠くなる、とでも言うのかな」

神官がなぜ法術を使えるのかという理屈は、魔術師が魔術を使える理屈よりも未知である部分が多い。
信仰という、とても抽象的な概念が柱となっているので説明しようがない部分が多いのだ。
ひとつ明確なのは、神官であることを辞めた者は新たな法術を覚えることができなくなり、休養を挟まずに連続して使える回数も減るということだ。
その代わりに、神官ではない新たな力を獲得することに対する心理的な障壁は低くなる。
このように、一つの道を諦めることで新たな道を目指すことは、選んだ道に限界を感じた冒険者の間では珍しいことではない。

世の中には、神官でありながら魔術や剣術をも同時に極めようとする強靭な心身を持つものもいるのだが、いずれの技術も実践級に育つまでには非常に時間がかかるため、冒険者となるものは少数だ。
例外としては、何らかの神秘的な力で戦士と神官の力に同時に目覚めたアランのような特殊な事例だろう。
あるいはエルフのフォルンのように、長命かつ平和的な種族であれば、長い生涯で計画的に複数の道を極めることもできるのかも知れない。
しかし一般的には、魔術師から斥候に転身したイザがそうであるように、一つの道に見切りを付けてから別の道を目指したほうが、かえって多技能に通じる優れた冒険者になるものである。
そして、俺が目指すべき冒険者の姿もそこにあると考えているのだ。

*

「それで、ご主人さまはこれからどこに行くの?」
「冒険者ギルドの訓練所だ。戦士として再出発するために修行し直そうと思っている」
「でも、ご主人さまって武器での戦いもできるでしょ?それと戦士っていうのは何が違うの?」

俺は、ライラのために改めて説明をすることにした。
「確かに神官も武器を使って戦う。だがそれは仲間や自分自身を守ることが本質であって、相手を倒すこと自体が目的ではないんだ」

神殿での修行では、肉体と精神の鍛錬を兼ねてメイスと盾による戦闘術を学ぶ。
メイスとは祭事にも用いられ、また非常時においてはありふれた棒などでも代用できることから、神官にとっては最も身近で実用的な武器だとされているのだ。
その他の武器の習熟が禁止されているわけではないが、神官の本分である法術の修行と両立するのは並大抵の人間にできることではない。

「それに対して、戦士ってのは敵を倒すのが本分だ。だから普通はいろいろな武器を使う。もっとも本人が得意かどうかや、仲間との兼ね合いはもちろんあるけどな」

冒険者の戦士にとって、最も標準的な武器は片手剣である。
一般に魔物と呼ばれる存在は、凶暴化した小動物やゴブリンなどの小型の亜人種が圧倒的に多く、近い間合いで戦いやすい武器が重宝される。
また、藪を切り開いたり魔物の遺骸を解体する役にも立つことから、片手剣は冒険者にとっての象徴的な武器にもなっている。
もちろん、パーティ内の役割分担や、相手にする魔物の性質に応じて、様々な武器を扱えるのが理想的であるが、現実的には剣に加えてもう1種類の武器を使えれば優れた戦士として扱われる。
ゴルド卿であれば、並の人間が両手で持つような剣を片手で軽々と操り、さらに特別に鋳造させた非常に長い剣を両手で振るう。
冒険中はあまり出番がなかったものの馬上槍を持っても一流で、愛馬に騎乗した突進によって、街を襲撃した巨獣の心臓を一撃のもとに貫いたこともある。

「そっかあ、ご主人さまはどんな戦士になるの?」
「まずは剣の腕を磨く。できれば弓矢も使えるようにしたい」

先日のトロル戦では、斬撃や飛び道具を全て法術に依存していたので無駄な力を使ってしまった。
ライラや、あるいは街に残っている新米と組むことはあるかも知れないが、当面は俺ひとりだけでもそれなりに戦えるようにならなければ。

*

話しているうちにギルド宿の前までたどり着いた。
中央都市のギルド宿は発祥の地であることもあって最大の規模を誇り、この2年間で移転を繰り返している。
俺の記憶にある場所は既に一般の酒場になっており、店先を掃除をしていた若者に移転先を教えてもらって、ようやくたどり着いた。

「そうだライラ、俺のことを"ご主人さま"って呼ぶのはちょっとやめてくれないか?」
「えー、どうして?ご主人さまはご主人さまだよ」
「仲間に自分のことをそう呼ばせるのは冒険者の流儀じゃない」
本音を言えば体面が悪いからやめてほしいのだが、冒険者に似つかわしくないというのもまた事実である。
「でも、私は冒険者っていうのとは違うと思うんだけどなぁ」
「冒険者の俺と旅をするのならライラも冒険者として振る舞ってほしい。これは主人としての命令でもある」
我ながら、都合の良い場面だけ主人として振る舞うのはいかがなものかと思ったが、ライラを納得させるのにはこれが一番だと思った。
「二人きりなら構わないが、人がいるところでは俺のことをトムと呼んでくれ」
「ちぇー、わかったよご主人……じゃなかった、トム」
渋々ながらも納得した。素直なところが本当にかわいいやつだと思う。

「お、トムじゃねえか。そっちの子は……知らねえ顔だな。女と二人連れで戻って来るとはどういうわけだい?」
俺が宿の中に入ると、ちょうどロビーの集会所に座っていたマスターと目が合って話しかけられた。
「話すと長くなるんだがな、俺はパーティを離脱することを選んだんだ」
「な、なんだって?!」
元は一介の冒険者であったマスターとは気さくに話せる仲である。
俺は今までの経緯を話した。ただし、ライラの正体については伏せ、悪質な人買いから逃げた孤児だという点だけを伝えた。

「そうか……ゴルドの旦那と旅をする一流のパーティだからこその悩みってわけだな。しかしお前さんほどの神官が戦士に転身するなんて話は初めてだな」
神官から戦士になる者自体は珍しくはない。ただし神殿での修行に耐えられなくなった神官崩れならまだしも、俺のような高位の神官が道半ばにして転身する例は前代未聞だろう。

「それで、訓練所は開いてるのか?」
「ああ、ちょうど戦士志望の新米が何人かいるはずだ。ついでに稽古でも付けてやってくれよ。その代わり二人分の飯と宿はおごりにしてやるからさ」
「まったく、相変わらず調子がいいな」
とはいえ、金が浮くのはありがたい。さしあたっての収入源がない上、ライラのために出費したばかりなのでしばらくは節約しなければならない。

宿を出て、城門の外にある訓練所へと向かう。城壁内は使える土地が限られるし、いざという時には防衛拠点として運用するという理由もあり、訓練所は街の外にあるのだ。
「ライラも一緒に訓練してみるか?実際のところ、どのくらい戦えるのか確認しておかないとな」
俺がライラを中央都市に連れてきたもう一つの理由がこれである。魔物との実戦の前に実力を確認する必要があるのだ。
「訓練、って?」
「魔物と戦うための練習だな。ライラがどこまで動けるか、俺も見てみたい」
「ほんと?ご主人さまの前だからはりきっちゃうよ?」

彼女はいきいきと返事をして、両腕を持ち上げて全身を伸ばし、八重歯をちらつかせた笑みを浮かべた。
どうやらやる気は十分のようだ。新人たちにも良い刺激になるだろう。
しおりを挟む

処理中です...