小さな国だった物語~

よち

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【72.叱咤】

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「だいぶ、片付きましたね」

白に輝いていた太陽が傾きを増し、赤みの入った色彩をその身に宿し始めた頃――

南側にある唯一の都市城門を抜け出して、凄惨な光景が広がっているであろう巨大な落とし穴を敢えて視界から外しながら西側へと馬を進めたトゥーラの国王は、平たくなった大地を眺めながら、満足そうに呟いた。

小さく深くと掘られた落とし穴は、僅かな凹みが認識できるほどには埋められて、トゥーラを囲むように設置された防護柵は殆どが破壊されていたので、柵を挟むようにして掘られた二つの壕の中に、次々と棄てられていったのだ。

しかしながら、それも単純な話では無かった。
二つの壕の中には無残な死体が転がっており、原形を残したままの柵を落としても、地面からそれらの一角が飛び出してしまうのだ。そのために、廃棄する防護柵は予め、斧や鎌で破壊する必要に迫られた――

幸運にも生き残った防護柵は、丁寧に荷車へと載せられて、都市城壁の外側に沿って保管をすることとなった。

「よいせっ…と」

再び、コイツを動かす事は、勘弁願いたい…

荷車に積んだ防護柵を三人がかりで下ろし終えると、一人の男は役割を終えた先端にふっと指先を添えてみて、一つをしみじみと願うのだった――


「北の方は、大丈夫そうですね」
「そうですな。荒らされた場所もあるようですが、水路も問題無いようです」

西側に次いで、グレン将軍を伴って城の北側へと移動したロイズが、トゥーラ城によって伸びる黒い陰影に包まれながら、馬上から確認の声を発した。

水路には常に水が流れている訳ではなく、水不足になった時に井戸へと水を足せるように、近くを流れるウパ川から非常用にと造られたものである。
幅は30センチにも満たないもので、決して大きなものではなく、普段は土や枯葉に埋もれてしまっている事も多々あった。水路の底には大小の石が敷き詰められていて、浸水を防ぐための工夫が為されていた。


「明日には、終わるでしょうか…」
「南側ですか?」

東側を視察して、一周する形で再び南側へと戻って来ると、ロイズの質問とも取れない呟きに、グレンが素早く反応を示した。

人の姿はまばらとなって、落とし穴を挟んだ向こう側では、林の中に姿を隠そうとする太陽が、尚も雄大な姿を顕わさんと、その身を焦がす光を赤裸々に放っていた――

「うん。そろそろね…」
「そうですな…」

二人の懸念は、腐臭である。
わらわらと人が行き来していた時には見掛けなかったカラスたちが、すうっと空からやってきて、屍たちが集う、落とし穴の底へと、黒い翼を滑らせる。
今日は数羽でも、明日になればその数は膨れ上がるに違いない。そうなる前に、なんとかしようという訳だ。
膨らんだ内臓が食い破られた際に放つ悪臭は、始末が悪い。

「明日はここを埋めたら終わりにしましょう。兵士は勿論、城で働く皆にも、休んでもらわないとね」
「お気遣い、ありがとうございます。アンジェも、そろそろしっかりと休ませてやりたいところです」
「そうですね…」

グレンの発言に、ロイズの胸がチクリと痛んだ――

どうやら女中頭のアンジェは、王妃の看病に努めていることを、夫のグレンにも告げていないらしい。
負傷した兵士や住民の手当ならば他の者に委ねても良いのだろうが、王妃の容体が噂となるのは、トゥーラの士気に関わる。
それ故に、女中を束ねるアンジェと、彼女の右腕のマルマが中心となって、看病に就いているのだ――
 
面識のある王妃が意識不明に陥ったと知ったなら、グレンは国王であるロイズに対しても、王妃様の側に居るようにと諭したことだろう。
そんな未来にまで考えが及んだ末に、話す必要は無いと判断したのかは分からなかったが、アンジェが採った選択は、ロイズとしては有り難いものであった。



「ふう…」

明るさの残る空に、一番星が見えた頃――
アンジェに看病の交代を告げられて休憩を貰ったマルマは、後ろで縛った茶褐色の細い髪の毛を両手で解くと、焼き菓子をヒョイと口に放り込みながら、トゥーラ城の南の城門に掛かる石橋へと足を伸ばした。

普段なら炊事、洗濯、掃除に水運び、食材の買い出しなどで動き回っている。
それが憧憬の王妃様、リアの看病という緊急事態とはいえ、一日中、狭い寝室で椅子に座っていたのだから、その解放感たるや格別なものであった。

「あら」

んーっと西の空を見上げながら両腕を伸ばしたところに、左の方から声がやってきて、マルマがふっと顔を戻した。

「アビリさん…」

視線の先には、南の救護所の片付けを終えて戻ってきた、先輩女中の姿があった。

「お疲れさま」
「お疲れ様…です」

先輩の声に比べると、いくらか覇気の無い返事をマルマが返した。
戦闘の二日目。南の救護所付近で叱られた事に対して、未だ納得しておらず、根に持っているのだ。

「なに? 珍しく、元気ないわね」
「いえ…」
「王妃様、状態はどう?」

普段のままで、アビリが真っ先に尋ねた。
女中の間では、好奇心旺盛な可愛らしい王妃様は、人気者なのだ。

「お昼は、かなり暑くて苦しそうでしたけど…スープもお飲みになりましたし、だいぶ、良くなっていると思います」
「そう。良かった…」

すうっと風が通ると、長く伸ばしたマルマの茶褐色の細い髪の毛がふわっと揺れた。
同じくらいの背丈の二人は、橋の脇へと静かに移動して、背中を石造りの欄干へと預けた。

「アビリさんは、ずっと東門に?」

先輩であるアビリに対して、マルマが気遣うように話題を振った。

「それがさあ、昼前に、交代させられちゃったのよ」
「え?」
「なんでだろ…」

明るい声を発したアビリが、最後は残念そうに疑問を吐いた。

朝方の大広間。マルマの前でアンジェから直々に指名を受けた後、東の門で物資の搬出入の案内、受付、整理を担当していた。
上手く立ち回っていると自負したところに交代を告げられて、都市城壁の外側で戦後処理をしている人たちに、水と食料の差し入れをするようにと命じられたのである。

「そうなんですか…」

沈んだ表情を覗かせる先輩に視線を寄せて、マルマが同情するように声を発した。

「そう言えば、私は叱られました…」

続いて視線をすっと正面に戻すと、同じような境遇があったのだと、思い出したように呟いた。

「いつ?」

顔を上げたアビリは、沈んだ心の中和を求めるように関心を寄せてみた。

「昨日です。アビリさんに叱られた後に、アンジェさんにも、叱られました…」
「ああ…」

真顔に戻ったアビリが、そんな事もあったわね、と声を返した。

「私…動けなくなった人を、助けようとしたんです。結局、助けられなかったけど…」

屋上にいたラッセルからの連絡を、グレン将軍へと届けに走った帰り道。
南の救護所での一件である――

目の前で横たわる、止まってしまった命…

無残な姿を思い浮かべて、マルマは下を向き、自責の念を口にした。


「そうだったの…」

慰めのような言葉を吐き出すと、アビリは続けて口を開いた。

「だとしても、叱られるのは当然ね」
「なんでですか!?」

命を救おうと動いたのだ――
呆れたような発言に、マルマの視線が咄嗟に先輩の顔を捉えた。

「それは、あなたの仕事ではないからよ。最初から誰かに声を掛けて、あなたは城に戻るべきだったの」
「……」

思いも寄らなかった発言が、マルマの未熟をえぐり出す。

負傷兵を前にした若い女性に駆け寄って、真っ先にナイフを取りに行かせた――
それが既に、間違いであったのだ――

人を呼ぶ。
他人を頼るという、別の選択肢が浮かばなかったのだ――

「私が怒ったのも、それが理由。悔しいけど、アンジェさんが一番頼りにしてるのは、アンタなんだからね」
「…そうなんですかね」
「自覚は無いのね」

アビリは冷淡な目つきになって、問い掛けるように言い放った。

「きっと、大人になるって、そういう事なのよ」
「……」
「やるべき優先順位って言うのかな。分別が付いて、判断できるのが、大人」
「……」
「国王様だって、本当は王妃様の側に居たいのよ。それでも今日は、殆ど外にいらしたわ」
「そうですね…」

マルマが寝室で看病をしている間、ロイズは姿を見せても、変わりは無いか? と尋ねては階下へと足を戻す…
そんな感じであった。

「……」

尚書のラッセルが負傷した小さな北の民家――
メイの状況を報告した時でさえも、アンジェは一人娘をライラに任せて、自らが動こうとはしなかった…


「あ、そうか…」

突然一つを思い起こして、アビリが高い声を発した。

「私も、ダメだったから交代させられた訳じゃないのよ」
「……」
「私の役目が終わって、次の仕事を任されたって事」
「……」
「交代にやってきたに言われたの。『引継ぎだけは、しっかりやるように言われました』 ってね。それって、私の仕事を認めてくれたって事よね」
「そうですね…」
「そうなのよ! なんか、スッキリした! ありがとうね」

マルマから小さな同意が得られると、アビリはそばかす混じりの顔の表皮に晴れやかな表情を浮かべてから、雲の筋がすうっと伸びている、黒を微かに帯びてきた南の空へと瞳を預けた――

「……」

西側に浮かぶ筋雲は、オレンジ色から赤に染まって、その輪郭を強く主張している――

「なに? 相変わらず、なんか暗いわね」

浮かない表情のマルマに対して、アビリがふっと視線を預けた。

「いえ…」
「怒られた事、まだ気にしてるの?」
「……」
「そんなもの、気にしないでいいわ。頼られてるから、叱られるのよ」
「……そうなんでしょうか」
「そうよ。勿論、私もね」
「え?」
「頼りにしてるわよ」

片目を瞑って右手を軽く掲げると、アビリは「じゃあね」 と一言を発して城の方へと足を進めた。

「……」

夕暮れに流れる涼やかな風の中、瞳の潤んだ後輩は黒髪のポニーテールを揺らす先輩の後ろ姿を眺めると、小さな尊敬の念を灯すのだった――



橋の欄干に両手を乗せて、マルマは一つの記憶を思い起こした――

それは10年以上も前の話。
幼かったマルマの、忘れられない記憶である――


「マルマ、走って!」
「どこいくの?」

伸ばした右手を母に掴まれて、喧噪の中を必死に走った――

見上げて浮かぶ栗色の背中の向こうには、薄い灰色に白が混じる、低い雲が遠くにまで広がっていた――


同じ方向へ、一目散に皆が走っている。大きな通りを、真っ直ぐに…

「外へ出るの?」

引かれる力の助けを借りて、跳ぶように走る。
息の上がる中、小さなマルマは、一つの疑問を母の背中に向かって口にした。

「……」

必死だったのだ。母は背中を見せたままで、答えが返って来る事はついに無かった。


もう、走れない…
そんな思いを起こしたところで、視界が開いて、透き通った風が頬を拭った。

「おばさん! こっち!」

どうやら城の外へと出たようだ。途端に母を呼ぶ、どこかで聞き覚えのある声が耳に届いた。

「マルマを、お願い…」
「うん」

続いた母の懇願に、悪い予感が胸の底から湧き上がる。

「ママは?」
「マルマ…遠くへ逃げるのよ…」
「え…やだ…」


母の顔は、思い出せない。

覚えているのは、両の肩を掴まれた、手の重み…
今の自分と同じような、茶褐色の髪の毛が、肩の向こうにすうっと伸びていた…

ふるふるっと、目の前で静かに顔が揺れる。

「後でね」
「やだ! ママも一緒に来て!」

必死に叫んだのに、その瞬間、ふっと肩が軽くなった…


掲げた右手の向こう側で、母は、優しく微笑んだような表情をしていた…

やがてくるっと背中を向けると、そのまま、人混みの中へと消えて行ったのだ――



どうして幼い私を置いて行ったのか?
消えない疑問が、ずっと胸に燻っていた。

慕われることの多い、母であった…
誰かを助ける為に、何かを為すために、引き返したのかもしれない…


南の救護所で、未熟な自分は自らが動き、他の選択肢を浮かべる事ができなかった…
即ち、自分の都合だけを見て、動いたのだ。


今なら、少し分かる…

あの時の母親は、親である以上に、大人だったのだ…

結果として、離れる事になったとしても――


「ママ…」

石橋の欄干に胸を預けて、ふっと下を向いてみた…

珠のようなマルマの涙が、過去をただすように、哀しみを結わえ、ひとつ、ふたつと、大地に零れ落ちていった――
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