小さな国だった物語~

よち

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【68.北の水路】

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絵筆で塗ったような青い空に、まばらな白い雲が流れゆく晴天。
風は穏やかで、短い夏を励むように、太陽からの日差しは厳しかった。

激闘の疲れを癒す為、自然と目が覚めるまで眠ることを許された一家の主たちも、暑さに耐え切れず、ようようと外気に漂う僅かな空気の波を求めて、這い出るように家屋の扉を開けるのだった。


「暑いけど、防具を付けてるより、マシだな」

偽らざる本音である。緊張感の漂う中、暑さも忘れて奮戦していた24時間前を思えば、穏やかな空気の中、身体一杯に陽射しを感じられる今の瞬間は、貴重なものに違いない。
一人の男が、強い太陽の光に右手を翳しながら、噛み締めるように生きている実感を吐き出した。


「ウォレンさん、ありがとうございます」

南側。トゥーラの都市城壁に備わる唯一の都市城門を挟んで左右に5名づつ、計10名の近衛兵が屹立する間を抜け、城外へと足を伸ばした若き美将軍ライエルが、短い金髪に浅黒い顔を覗かせる男に対して、感謝の声を発した。

「おう」
「いかがですか?」
「とりあえず、人手が要るな…この暑さだ。転がってる死体が腐ってくるぜ。そうなったら運べねえから、その場で穴掘って埋めるか、焼くしかねえ」

困惑した声に、左右から垂らした前髪の間から整った顔立ちを覗かせるライエルが、ざっと城外を見渡した。

僅か3メートル先からは、戦いの勝敗を分けた巨大な落とし穴が冷厳とその存在を主張していて、目を逸らしたいが、穴の底には黒く焼け爛れた敵兵の姿だったものたちが、惨たらしい姿を晒している…
視線の先、深さ5メートルの落とし穴の向こうには、前日までスモレンスク軍が本陣を構えていた緑の茂る林が在って、その手前には、約20名ほどの男達が点在し、横たわっている鎧姿の兵士達の亡骸を、黙々と荷車へと運ぶ作業をこなしていた――

「分かりました。ちょっと、確認に戻ります」
「おう。…あ、おい」

踵を返して城内へと戻ろうとした将軍ライエルに、平民のウォレンが声を発した。

「はい」
「監視ってのは、性に合わねえ。少しでも作業を進める為にも、動いていいか?」

振り向いたライエルに、柄じゃないような仕草を残して、ウォレンが尋ねる。

「勿論です。そこに居る衛兵の方にも、手伝ってもらいましょう」

陽射しを浴びて、ニコッと少年のような眩しい笑顔を浮かべたライエルは、ウォレンに明るく伝えると、小走りで城門の方へと足を進めるのだった――


亡骸の処理を行っていたのは、捕虜となったスモレンスクの兵隊たちである。
両の足首を、親指ほどに結った麻ひもで縛られてはいるが、それなりの歩幅は確保されていて、手や腕は自由に使えるようになっていた。

「……」

監視役を務める兵士の数はまばらで、常時捕虜達に視線を送っているふうでも無い。
監視というよりは、周辺の警戒任務に当たっているといった感じであった。

逃げようと思えば、逃げられる…

頭には浮かんでも、囚人たちが実行する気にはならなかった。
牢屋へ入れられたり、縛られたままで待機を命じられるよりはマシである。
各々に日差し避けの麻布が支給され、腰には自由に飲めるようにと水筒までぶら下がっている。捕虜の扱いとしては、好待遇だ。

「俺達も、手伝うぜ」

そこにやってきた笑顔の主は、囚人の棟梁よりも少し若そうな、浅黒い顔の表皮に短い金髪を載せた男だった。
朝方、ライエルと一緒に居た人物である。
特に威厳のようなものが窺える訳でもなく、そこらにいる市井の青年と、変わりがないように思えた。

「……」

ブランヒルの脳裏に、一人の男が浮かんだ。他ならぬ小さな国の国王、ロイズである。

衛兵を従えて現れたので立場が上だと分かったが、平服であったなら、眉目秀麗な顔立ちには惹かれたかもしれないが、彼の肩書に気付く事は決して無かったであろう。
槍を交えたライエルにしても、腕は立つが、少年のような幼さの残る容貌で、常識で考えれば、とても将軍と呼ばれるような年齢ではない――

(むちゃくちゃだな…)

沈着冷静なブランヒルの表皮に、ふっと微笑が浮かんだ――
それは若く才能に溢れた者達が担う小さな国に対する期待と懸念。或いは、叶う事は無いと分かったうえで、彼らの輪の中に自らが身を置いたなら…という、ある種の羨望、憧れから生まれる類のものであった――


「すまんな」

目の前で金髪のウォレンが片膝を付き、ナイフを手にして同郷の男だった亡骸が纏った防具の紐を切断していく。
刃物の所持は許されず、立ったままで眺めていたブランヒルが、思わず声を発した。

「それは、何に対してだ?」
「……」

手を貸そうと膝を曲げたブランヒルが、浅黒い横顔から発せられたウォレンの問い掛けに、ピタッと動きを止めた。

不意に発した言の葉…それは、自らに課せられた責務への助力に対する礼ではあったが、決してそれだけでは無い…ように思えた。

「アンタに、止める事が出来たのか?」
「……」
「みんな、わかってんだよ」
「……」
「切れたぜ。そっち側を持ってくれ」
「ああ…」
「アンタらを恨んでも、仕方ねえ」

防具の外された亡骸。
ずしっと重い両肩を下から支えたウォレンが、淡々とした口調で言い放った。

「……」

命じられたままに動くのが、兵士たるものの務めだ。その本質に、疑う余地はない。ウォレンの発言は、それを前提としている…

ブランヒルは扱い易いように麻紐で縛られた、共に戦った亡骸の二つの足首を、まるで廃材を手にするような感覚で、両手に掴んだ。

「根っこから変えなきゃな。どうせ枝を払って、終わりなんだろ?」
「……」

異国の地で斃れた亡骸が、二人の手によって、ドスンと音を立てて荷車へと載せられた。

「根っこは今、何してんだ?」

強い日差しが降り注ぐ中、ウォレンの短い問いかけが、頭上に広がる青へと向かって空しく響き渡るのだった――



ウォレンの家は、決して裕福では無かったが、温和な家族に囲まれた、穏やかな家庭であった。両親、兄夫婦、甥っ子姪っ子の7人家族で、父親と兄貴はふたりとも、建築、土木関係の人足として働いている。

ウォレンもまた、そんな二人に倣うように家計を助けようと従事したが、日々同じことの繰り返し…
工事行程を短くするアイデアが一つ浮かんで上司に提案するも、組織の末端の意見など取り入れられる筈もなく、変わることの無い現状に辟易としていた。

「あの北の水路は、二股に分けた方が絶対に使い易くなる。そう思うだろ?」
「…まあな」

二つの浅黒い顔が食卓を挟んだ夜に、兄貴に対して、ウォレンが酒を頼りに愚痴を吐き出した。

「でもなあ…あの水路。先ずは真っすぐに城へ引けって言われてるからな」
「はあ? 北から城に水引いて、また北へ向かって水路を作る? バカだろ」
「去年は、水不足になったからな…」
「けっ。先ずは城主様からってか? 北には、農地もあるんだぜ? 飢え死にするわ!」
「まあ…そう言うなよ。無駄に思う仕事でも、俺らは働けば、食っていけるんだ」
「工事なんていくらでもあるだろ。城壁高くしたり、足場作ったり、そっちが先だろ!」
「まあな…」

多かれ少なかれ、仕事に対する不満は誰もが持っている。浮かんだ不満をすべて呑み込むことが正しい訳ではないが、父や兄貴は日々の稼ぎで家族を養っているのだ。
そんな事は当然理解しているつもりでも、先ずは労働で対価を得る事が目的の二人と、労働の意義、成果に考えを巡らせる余裕のあるウォレンとでは、求める対象に差異があるのは当然の帰結であった。

兄もまた、同じ道を歩んできたのだ――
だからこそ、以前の自分に姿を重ねて、弟の愚痴が聞けるのである――

納得のいかない仕事に嫌気がさしたウォレンは、ついに工事の変更を現場で仕切る上司ではなく、役人に対して要求をした。
しかしながら役人は、城主に意見を述べて機嫌を損ねられる事を恐れた。
ウォレンの提案は役人によってにべもなく断られ、閉塞を感じた彼はついに仕事を投げ出すようになったのだ。

補足をしておくと、当時の城主であるブルンネルは実際のところ、聞く耳を持っていた。
しかし彼を支える役人がそれなりに優秀だったこともあり、政治や軍事に関して口出しをする機会が殆どなかったのである。

やがて役人との間に自然と敷居が生まれ、耳障りの良い話だけが城主の元へと届くようになり、結果として、彼の手足を煩わせることの無いようにとする雰囲気が生まれたのだ。

ともすれば暗君という印象を持たれているブルンネルだが、実際には能力を発揮する機会は消失していて、彼にとっては気の毒な一面もあったのだ――


そんなところに、新しい城主がやってくるという知らせが届いた。

季節は冬の初め。スモレンスク軍の度重なる侵攻によって生まれた戦禍は大きなもので、修復に駆り出される住民の疲弊や不満は相当に高まっていた。
春になれば再び戦火が起こる。厳しい冬の訪れは、スグそこまで来ている――

なんでこんな時期に…
トゥーラに住まう誰もが、その知らせには浮かない顔をした。

新任の城主を迎え入れる際、入城式なるものを執り行うのが常であったが、役人から準備を命じられる事はついに無く、やがて入城の予定日を迎えた。

入城予定の日。その日も普段と何ら変わりは無かった。朝を迎えた住民は、いつも通りに畑仕事や土木作業に向かったあと、昼過ぎになってようやく、新しい城主が近くまでやってきたとの知らせを受け取ったのだ。

トゥーラの人口は、約1500人。流石に手を止めて、出迎えを命じられると誰もが思っていたが、意外にもそんな通達は無いままで、一行の姿がいよいよ見えたという知らせだけがやってきた。

新しい城主…その存在はどうしたって気になるものだ。

「あの…出迎えに行っても?」

自然と声が上がると、人々は作業を中断し、衣服もそのままに、南の都市城門から城へと続く大通りを挟んで、新たな城主の到着を待つ事となったのだ。

歓迎なんていらない。
トゥーラの住民の、普段の姿を目にしたい――

勿論、これは新任の城主であるロイズの伴侶、リアの進言によって生まれた事象であった――


新しい城主は、端正な顔立ちを覗かせる若者であった。
実績も無い若造が最前線の地にやってきて、不安を覚える者が大勢いる…そんな話を、出迎えに足を運ばなかったウォレンは兄から耳にした。

この頃のウォレンは、外を駆け回る甥っ子や姪っ子の世話をして過ごすうち、近所の子供たちの世話を任されるようになっていた。
彼とて、仕事が嫌いなのではない。請われれば出向き、感謝をされる事で、社会の一員であるという自覚を覚え、存在意義を得て安らぎの心を得るのである――


新しい城主が到着をした翌日、甥っ子や姪っ子、近所の子供達を引き連れて、北の方へと足を向けたウォレンは、水門付近で行われている土木作業の現場に出くわした。

「…お前たち、ちょっと待ってろよ?」

瞳を見開いたウォレンは、両腕を広げて子供達に一つを告げると、急くように目の前の工事現場へと足を運んだ。

「おい、何の工事をしてるんだ?」
「水路を分けろってさ。新しい城主様の、命令なんだとよ」
「ちょっと、図面を見せてもらってもいいか?」

ウォレンの強い要求に、渋々ながらも図面が手元にやってくる。

「な!?」

彼は、驚きの声を発した。
そこには字体は違えど、彼が役人に提案した図面と全く同じ概要のものが描かれていたのだ――


「俺、明日から北の水路に行くわ」

その夜、ウォレンは少しバツが悪そうに頭を掻きながら、就寝前に寝室でくつろぐ父親に向かって、前向きな感情を告げたのだった――
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