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【40.援軍要請】
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矢羽を放てば当たる――
それほどまでに、トゥーラの都市城壁の東西は、スモレンスクの兵士で溢れかえっていた。
思惑通り、深く小さく掘った落とし穴が侵略者の歩みを遅らせて、負傷した兵士が新たな障害となり、彼らの進軍を更に遅鈍なものにしている。
「一部は、援護に回えぇ!」
唯一動きの無かった北側の城壁で、ラッセルの代役として指揮権を預ったルーベンが、拙い滑舌からでも明確な指示を送った。
トゥーラ側の視点では、一部の修正を除き、当初の作戦通りに事が運んでいた――
大将軍グレンが西側と南側の指揮を執り、若き美将軍ライエルは射撃の腕を披露している。
国王ロイズは東側を担当し、国王付きのラッセルは、各所の連絡役として走り回っていた――
「向こうからも、撃ってくるぞ!」
都市城壁の足場から、警戒の声が飛ぶ。壕を越えて足元を固めた敵軍が、新たに弓兵を送り込んできたのだ。
城壁の高さによって射程距離が勝る為、未だ、慌てる状況には無い。
それでも数に劣るトゥーラ側としては、弓兵による消耗戦は避けたい事態であった――
「そろそろだな…」
南側。頭髪を綺麗に剃ったスモレンスクの大将バイリーが、スッと右手を掲げながら呟くと、盾を両手に持った重装歩兵が横並びに林から現れた。
その背後には、強弩隊が並んでいる。
「行け!」
バイリーの号令に、重装歩兵が眼前に二つの盾を翳して進んでゆく。
落とし穴の手前で重装歩兵による小さな陣を築いて、その背後から強弩を放つというのが狙いであった。強弩であれば、都市城壁の向こう側にも、十分届く。
威力に勝る。射程距離は長い。しかしながら矢の装填には時間が掛かる。
静止したまま放つことになるので、狙われやすい。強弩とは、そういう武器だ。
東西で戦闘が始まり、側面から狙われる心配も減っている。トゥーラからの攻撃に強弩が少ない事を見切ったバイリーは、犠牲は覚悟の上で、この策を執ったのだ。
「来たぞ。放て!」
新たな敵の動きに、トゥーラの大将軍の声が飛ぶ。
二つの巨大な落とし穴を挟んだ、南門までの100メートル。
最重要地点を巡る攻防が、再び始まった――
「南側を攻めろ!」
「南の方が、薄くなるぞ!」
南側の都市城壁の両端で、それぞれ東西の進攻に抗っていた弓兵の対応が変化した。
長身の副将ベインズ、童顔の副将カプスの両名は、城壁に配置された弓兵の動きを予見して、東西でそれぞれに指示を叫んだ。
「重装歩兵と、強弩隊を用意!」
そして好機を逃がすまいと、バイリーに倣った部隊の編成を命じるのだった――
「あの壁に居る奴ら、ほんとに邪魔だな…」
南側の本陣。並び立つ大将のバイリー、副将ブランヒルの背後から、スモレンスクの総大将ギュースが呟いた。
都市城壁の上から注ぐ矢羽に意識が向かうあまり、城門の前、左右に設けられた防御壁から撃ってくる弓兵に、足を射貫かれて動きが止まる者が目立ってきたのだ。
「どうしますかね…」
頭髪を綺麗に剃ったバイリーが、振り向きながら総大将ギュースに尋ねた。
「歩兵を突っ込ませるか、騎馬で突っ込むか…」
それに対して、ぼわっとした赤髪を肩まで伸ばしたギュースが、100キロを超える体躯から伸びる丸太のような右腕を、頭上に張り出した大木の枝に預けながら呟いた。
「騎馬では、生きて帰れないでしょう…」
ギュースの安易な発言に、微動だにする事なく、ブランヒルが背中で反応をした。
発言には、命令とあれば従うが、下される前に反対の意思表示だけはさせてもらうという、彼なりの矜持が見て取れた。
「そうだな…」
騎馬で中央突破を図っても、馬が射貫かれたら道を塞ぐ。
防御壁まで辿り着く可能性は、極めて低い。
「歩兵で崩すしかないか…」
右手で赤髪を掻きながら、スモレンスク軍の総大将は溜め息交じりに吐き出した。
「そうですね…ですが、指示を出さなくても良さそうですよ?」
嘆息に、ブランヒルは平たく言いながら左右を見やると、ギュースとバイリーも視線を左右に移した――
視線の先には、重装歩兵と強弩隊。
巨大な落とし穴の存在しない東西なら、城壁まで辿り着くのはそれほど難しくは無さそうだ。
「側面からの攻撃が始まったら、それに合わせて突撃しましょう」
ブランヒルは二人の弟分を頼もしく思いながら、明るい見通しを発するのだった――
ヒュン
トゥーラの西側で、外から放たれた一本の矢羽が、都市城壁の内側で跳ね落ちた――
「射手の入れ替わりを! 女性は、後方へ下がって下さい!」
若き美将軍ライエルが、城内に向かってすかさず叫んだ。
足場の上は、横一列。対する侵略軍は、形骸化した壕を渡って続々とやってくる。
したくなかった消耗戦は、もはや避けられない――
軽装の兵を下げ、鎧を纏った射手に替えるのは、犠牲を減らす為である。
しかしながら、鎧を纏っては、どうしたって射撃の間隔が空いてしまう。
「ぐあっ」
開戦から8時間。
ついに侵略者の放った矢羽が、トゥーラの兵士を捉えた――
刹那、呻き声に膝を折る――
「撃たれた者は、場所を空けるように!」
甲高いライエルの指示が飛び出すと、控えの弓兵がスッと前衛へと足を進めた。
ライエル自身も鎧を纏い、引き続き射手として残るつもりだ。
若い将軍が自ら敢然と立ちはだかる姿は、味方の士気を否応なく高めた――
「将軍に頼るな!」
「おう!」
鍛え上げた年上の部下が発する掛け声に、若き美将軍は弓を引きながら、誇らしくなって思わず頬を緩めるのだった――
「西…」
四方のうち、唯一平穏な北側。
都市城壁の下で細身の尚書ラッセルは、薄い顔に備わった細い瞳で、城の屋上を見やって呟いた。
開戦前、城の屋上には四方に青い旗が靡いていたが、今では西側の旗が黄色へと変わっている――
これらの旗は、戦いを唯一俯瞰して見る事のできる小さな王妃が、状況に応じて旗を差し替えて、各方面の戦況を共有できるようにしているのだ。
「ルーベンさん。西側の援護、向かって良いですか?」
階級は上だが、指揮権はルーベンに預けてある。難しい立場に身を置くラッセルが、都市城壁の上で指揮を執る、少し滑舌の悪い細身の近衛兵に指示を仰いだ――
「……」
敵が目指すのは、南側の都市城門。
包囲戦を仕掛けてくるにしては、動きが鈍い。
東西からの攻勢が順調ならば、敢えて一番遠い北側は、攻め手から外すこともあり得るか…
「はい。お願ぃすます」
ルーベンが城壁の外側を確認すると、東西に流れるウパ川の手前では、連絡役として騎兵が動くことはあっても、多数の兵団の姿は窺えなかった。
滑舌の良くない人の多くは、サ行の発声が難しい。
例えば「お願いします」が「お願い『す』 ます」に聴こえるのだが、人は普段の会話でも、前後の言葉から意味の通じる言葉へと脳内変換しているのである。
聞き手によって音の捉え方が違うのは、日本では概ねワンだが、他国ではバウだったりワウだったりする、犬の鳴き声でも証明する事ができる――
「では、予備兵をお借りします」
ラッセルは得意気になってルーベンを見上げると、続いて都市城壁の斜めに築かれた石壁に背中を預けつつ、上からの指令を待っている10数名の兵士に向かって叫んだ。
「これから、西側の援護に向かう!」
「……」
「あ、あれ?」
しかし、反応が鈍い。ラッセルの掛け声に対して、殆どの兵士は微動だにしなかった。
手前にいる数人が、ふっと顔を覗かせたくらいである。
「おい、おまぇら!」
頭上から、ルーベンの大声が響いた。
「その方は、国王様の補佐官だ。付いてぃけ!」
「は、はい!」
言われてみると、列の先頭で馬に跨った華奢な男は、ルーベンが付けていない部隊長の青い腕章を付けていた――
(この人が、部隊長?)
指揮を執る自信の無さが、威厳の無さとなって表れている。
肩幅の広い兵士は走り出しながら、改めて目の前の華奢な丸い背中と腕章を見比べて、首を傾げた。
「伝えておくべきだったか…」
指揮権を預かった事により、率先して指示を飛ばした――
それが今となっては、一部の困惑を生んでいる。
遠ざかる背中たちを眺めたルーベンは、今更ながら尚書の存在を伝えていなかった事を悔やんだ――
「ライエル将軍! 北から、援護に来ました!」
「あ、ありがとうございます。鎧を着ている者は、射手の交代をお願いします」
南西まで駆けてきて、少し得意気になって口を開いたラッセルに、見張り台の上で弓を引きながら、ライエルが感謝を伝えた。
「……」
美将軍との会話を認めると、やっと同行した一団は、目の前の華奢な男が自分達の部隊長なのだと納得をした――
スモレンスク軍の勢いが、ジリジリと増していた。
東西の都市城壁を巡る攻防は、既に消耗戦へと突入している。
開戦当初は雲に向かって放たれていた矢羽たちが、今や眼下の敵にのみ向けられていた――
「……」
トゥーラの一番高い場所で、赤みの入った癖毛を背中に回した王妃が、空一面に拡がる薄い雲の向こうにある太陽を眺めた。
雲を突き抜けんとする白い輝きが、初日の残り時間を表している――
(今日は、大丈夫そう…)
同盟を結ぶリャザン公国からの援軍が、明後日には着く筈だ。
スモレンスクの軍勢がトゥーラとの中間地点、カルーガに姿を現したとの報せを受けた日、リアは早急な援軍を要請したが、それからもう一度早馬を出したのだ。
追加の内容は、スモレンスクの陣容を伝えるものであったが、これにより、速いが脆い、騎馬による先遣隊がやってくる事は、期待できなくなっていた――
「また、早馬を出すのですか?」
姿を現した軍勢が想像以上だった事を受け、小さな王妃が再び早馬を命じると、尚書のラッセルは疑問を口にした。
「出すわよ。最後にね」
「最後…」
「最後よ。東にも兵が回る筈。伝令に伝えて。『敵多数。陣容整えて、参戦願う』 ってね」
「え? 『至急、助けを請う』 じゃないのですか?」
耳に届いた内容に、ラッセルが再び疑問を発した。
「リャザンから、犠牲を出すつもりは無いから」
「…分かりました」
援軍の到着は、例え少数でも早い方が良い。
王妃の指示に納得のいかないラッセルであったが、議論を交わす時間は皆無である。黙って従うしかなかった――
(ワルフ、頼んだわよ…)
居住区から姿を消す細い背中を見送ると、リアは幼い頃に遊んだ同盟国の重臣を想いながら、目線を高くした窓越しに、リャザンの方向、東の方を見やるのだった――
「そろそろ…でしょうか?」
スモレンスク軍の本陣、南側の林の中で、利発な副将ブランヒルが窺いの声を発した。
東を担う長身の副将ベインズ。西側を担当する童顔の副将カプス。
東西からの侵攻によって、城門前に造られた二つの防御壁に配置されたトゥーラの弓兵に、焦りの色が窺える――
幾多の戦闘で最前線にいたブランヒルが、放たれる矢羽の精度の劣化を見逃す筈が無かった――
「よし、突撃の用意を!」
信頼する部下の観察眼に応えると、バイリーの指示で重装歩兵の一団が林の中で配置に就いた。
「旗を掲げろ!」
続いて総大将ギュースの力強い声が轟くと、熊を模した紋章が描かれた、スモレンスクの赤い二本の巨大な旗が掲げられた。
「突撃!」
「おおー!」
「撃て! 撃て!」
バイリーの号令に、二本の旗の間から、重装歩兵の一団が喚声を上げながら飛び出した。
同時に東西からの弓隊は、防御壁に配置された弓兵だけに狙いを定めた――
「退け! 城門を開けろ!」
敵の動きを察知して、トゥーラの総大将グレンが叫ぶ。
精鋭の近衛兵とはいえ、三方向から攻められては分が悪い。貴重な戦力を全滅させる訳にはいかないと、やむなく撤退命令を下した。
「城門が開いたぞ! 一気に城内へ突っ込め!」
「おおー!」
壕の上に架けた梯子を渡ると、目標とする城門までの距離は100メートル。
そのまま城門を突破する事が出来れば、勝利は揺るぎないものとなる。
一番乗りの名誉に預かろうと、勢いを増したスモレンスクの重装歩兵の一団は、城門へと続く幅3メートルの一本道を突き進んだ――
「こっちも行くぞ!」
「おう!」
勢いに乗じて、弓隊の前で壁になっていた、東西の重装歩兵が一斉に立ち上がった。
先ずは城壁に向かって真っすぐ駆けた後、大穴を回避する形で壁に沿って南の城門を目指すのだ。
「よしよし」
スモレンスク軍の本陣で、立ったまま腕組みをして、ぼわっと生えた赤髪を満足そうに揺らして頷いたのは、総大将のギュースである。
このままいけば、何れかの城壁に梯子が掛かる。
南側の攻防が激しくなれば、相手は南に戦力を割くだろう。そうなれば、東西の軍の勢いが増す――
「変だ…」
「どうした?」
そんな時、ギュースの前で立ったまま黙して戦況を眺めていたブランヒルが違和感を呟くと、予想外の発言に、彼の前で木組みの椅子に座っていた上司のバイリーが振り返った。
「いや、なんか…」
果たして、彼の違和感の正体は、スグに明かされる事となる――
数時間前に見たものと同じ光景が、再び起こったのだ――
すなわち突撃する重装歩兵の銀色の背中達が、うわあという悲鳴と共に、滑るように消えていった――
『またか!』
ギュースとバイリーが、同時に声を発した。目の前では、行き場を失った兵士達が、都市城壁の上から降ってくる矢羽の雨に、これでもかと晒されている。
「退却!」
堪らずにギュースが大声で叫ぶと、方々で金属音が鳴り出した。
石を手にした待機の兵が、盾をガンガンと叩き、これでもかと音を発している。即ち、退却の合図だ。
「誘われましたね…」
「……」
違和感の正体は、閉まることの無かった城門だ。
利発なブランヒルが称賛すら込めて呟くと、スモレンスクの総大将ギュースは悔しさに奥歯を噛み、わなわなと丸太のような腕を震わせて、潰れるほどに拳を握り締めた――
それほどまでに、トゥーラの都市城壁の東西は、スモレンスクの兵士で溢れかえっていた。
思惑通り、深く小さく掘った落とし穴が侵略者の歩みを遅らせて、負傷した兵士が新たな障害となり、彼らの進軍を更に遅鈍なものにしている。
「一部は、援護に回えぇ!」
唯一動きの無かった北側の城壁で、ラッセルの代役として指揮権を預ったルーベンが、拙い滑舌からでも明確な指示を送った。
トゥーラ側の視点では、一部の修正を除き、当初の作戦通りに事が運んでいた――
大将軍グレンが西側と南側の指揮を執り、若き美将軍ライエルは射撃の腕を披露している。
国王ロイズは東側を担当し、国王付きのラッセルは、各所の連絡役として走り回っていた――
「向こうからも、撃ってくるぞ!」
都市城壁の足場から、警戒の声が飛ぶ。壕を越えて足元を固めた敵軍が、新たに弓兵を送り込んできたのだ。
城壁の高さによって射程距離が勝る為、未だ、慌てる状況には無い。
それでも数に劣るトゥーラ側としては、弓兵による消耗戦は避けたい事態であった――
「そろそろだな…」
南側。頭髪を綺麗に剃ったスモレンスクの大将バイリーが、スッと右手を掲げながら呟くと、盾を両手に持った重装歩兵が横並びに林から現れた。
その背後には、強弩隊が並んでいる。
「行け!」
バイリーの号令に、重装歩兵が眼前に二つの盾を翳して進んでゆく。
落とし穴の手前で重装歩兵による小さな陣を築いて、その背後から強弩を放つというのが狙いであった。強弩であれば、都市城壁の向こう側にも、十分届く。
威力に勝る。射程距離は長い。しかしながら矢の装填には時間が掛かる。
静止したまま放つことになるので、狙われやすい。強弩とは、そういう武器だ。
東西で戦闘が始まり、側面から狙われる心配も減っている。トゥーラからの攻撃に強弩が少ない事を見切ったバイリーは、犠牲は覚悟の上で、この策を執ったのだ。
「来たぞ。放て!」
新たな敵の動きに、トゥーラの大将軍の声が飛ぶ。
二つの巨大な落とし穴を挟んだ、南門までの100メートル。
最重要地点を巡る攻防が、再び始まった――
「南側を攻めろ!」
「南の方が、薄くなるぞ!」
南側の都市城壁の両端で、それぞれ東西の進攻に抗っていた弓兵の対応が変化した。
長身の副将ベインズ、童顔の副将カプスの両名は、城壁に配置された弓兵の動きを予見して、東西でそれぞれに指示を叫んだ。
「重装歩兵と、強弩隊を用意!」
そして好機を逃がすまいと、バイリーに倣った部隊の編成を命じるのだった――
「あの壁に居る奴ら、ほんとに邪魔だな…」
南側の本陣。並び立つ大将のバイリー、副将ブランヒルの背後から、スモレンスクの総大将ギュースが呟いた。
都市城壁の上から注ぐ矢羽に意識が向かうあまり、城門の前、左右に設けられた防御壁から撃ってくる弓兵に、足を射貫かれて動きが止まる者が目立ってきたのだ。
「どうしますかね…」
頭髪を綺麗に剃ったバイリーが、振り向きながら総大将ギュースに尋ねた。
「歩兵を突っ込ませるか、騎馬で突っ込むか…」
それに対して、ぼわっとした赤髪を肩まで伸ばしたギュースが、100キロを超える体躯から伸びる丸太のような右腕を、頭上に張り出した大木の枝に預けながら呟いた。
「騎馬では、生きて帰れないでしょう…」
ギュースの安易な発言に、微動だにする事なく、ブランヒルが背中で反応をした。
発言には、命令とあれば従うが、下される前に反対の意思表示だけはさせてもらうという、彼なりの矜持が見て取れた。
「そうだな…」
騎馬で中央突破を図っても、馬が射貫かれたら道を塞ぐ。
防御壁まで辿り着く可能性は、極めて低い。
「歩兵で崩すしかないか…」
右手で赤髪を掻きながら、スモレンスク軍の総大将は溜め息交じりに吐き出した。
「そうですね…ですが、指示を出さなくても良さそうですよ?」
嘆息に、ブランヒルは平たく言いながら左右を見やると、ギュースとバイリーも視線を左右に移した――
視線の先には、重装歩兵と強弩隊。
巨大な落とし穴の存在しない東西なら、城壁まで辿り着くのはそれほど難しくは無さそうだ。
「側面からの攻撃が始まったら、それに合わせて突撃しましょう」
ブランヒルは二人の弟分を頼もしく思いながら、明るい見通しを発するのだった――
ヒュン
トゥーラの西側で、外から放たれた一本の矢羽が、都市城壁の内側で跳ね落ちた――
「射手の入れ替わりを! 女性は、後方へ下がって下さい!」
若き美将軍ライエルが、城内に向かってすかさず叫んだ。
足場の上は、横一列。対する侵略軍は、形骸化した壕を渡って続々とやってくる。
したくなかった消耗戦は、もはや避けられない――
軽装の兵を下げ、鎧を纏った射手に替えるのは、犠牲を減らす為である。
しかしながら、鎧を纏っては、どうしたって射撃の間隔が空いてしまう。
「ぐあっ」
開戦から8時間。
ついに侵略者の放った矢羽が、トゥーラの兵士を捉えた――
刹那、呻き声に膝を折る――
「撃たれた者は、場所を空けるように!」
甲高いライエルの指示が飛び出すと、控えの弓兵がスッと前衛へと足を進めた。
ライエル自身も鎧を纏い、引き続き射手として残るつもりだ。
若い将軍が自ら敢然と立ちはだかる姿は、味方の士気を否応なく高めた――
「将軍に頼るな!」
「おう!」
鍛え上げた年上の部下が発する掛け声に、若き美将軍は弓を引きながら、誇らしくなって思わず頬を緩めるのだった――
「西…」
四方のうち、唯一平穏な北側。
都市城壁の下で細身の尚書ラッセルは、薄い顔に備わった細い瞳で、城の屋上を見やって呟いた。
開戦前、城の屋上には四方に青い旗が靡いていたが、今では西側の旗が黄色へと変わっている――
これらの旗は、戦いを唯一俯瞰して見る事のできる小さな王妃が、状況に応じて旗を差し替えて、各方面の戦況を共有できるようにしているのだ。
「ルーベンさん。西側の援護、向かって良いですか?」
階級は上だが、指揮権はルーベンに預けてある。難しい立場に身を置くラッセルが、都市城壁の上で指揮を執る、少し滑舌の悪い細身の近衛兵に指示を仰いだ――
「……」
敵が目指すのは、南側の都市城門。
包囲戦を仕掛けてくるにしては、動きが鈍い。
東西からの攻勢が順調ならば、敢えて一番遠い北側は、攻め手から外すこともあり得るか…
「はい。お願ぃすます」
ルーベンが城壁の外側を確認すると、東西に流れるウパ川の手前では、連絡役として騎兵が動くことはあっても、多数の兵団の姿は窺えなかった。
滑舌の良くない人の多くは、サ行の発声が難しい。
例えば「お願いします」が「お願い『す』 ます」に聴こえるのだが、人は普段の会話でも、前後の言葉から意味の通じる言葉へと脳内変換しているのである。
聞き手によって音の捉え方が違うのは、日本では概ねワンだが、他国ではバウだったりワウだったりする、犬の鳴き声でも証明する事ができる――
「では、予備兵をお借りします」
ラッセルは得意気になってルーベンを見上げると、続いて都市城壁の斜めに築かれた石壁に背中を預けつつ、上からの指令を待っている10数名の兵士に向かって叫んだ。
「これから、西側の援護に向かう!」
「……」
「あ、あれ?」
しかし、反応が鈍い。ラッセルの掛け声に対して、殆どの兵士は微動だにしなかった。
手前にいる数人が、ふっと顔を覗かせたくらいである。
「おい、おまぇら!」
頭上から、ルーベンの大声が響いた。
「その方は、国王様の補佐官だ。付いてぃけ!」
「は、はい!」
言われてみると、列の先頭で馬に跨った華奢な男は、ルーベンが付けていない部隊長の青い腕章を付けていた――
(この人が、部隊長?)
指揮を執る自信の無さが、威厳の無さとなって表れている。
肩幅の広い兵士は走り出しながら、改めて目の前の華奢な丸い背中と腕章を見比べて、首を傾げた。
「伝えておくべきだったか…」
指揮権を預かった事により、率先して指示を飛ばした――
それが今となっては、一部の困惑を生んでいる。
遠ざかる背中たちを眺めたルーベンは、今更ながら尚書の存在を伝えていなかった事を悔やんだ――
「ライエル将軍! 北から、援護に来ました!」
「あ、ありがとうございます。鎧を着ている者は、射手の交代をお願いします」
南西まで駆けてきて、少し得意気になって口を開いたラッセルに、見張り台の上で弓を引きながら、ライエルが感謝を伝えた。
「……」
美将軍との会話を認めると、やっと同行した一団は、目の前の華奢な男が自分達の部隊長なのだと納得をした――
スモレンスク軍の勢いが、ジリジリと増していた。
東西の都市城壁を巡る攻防は、既に消耗戦へと突入している。
開戦当初は雲に向かって放たれていた矢羽たちが、今や眼下の敵にのみ向けられていた――
「……」
トゥーラの一番高い場所で、赤みの入った癖毛を背中に回した王妃が、空一面に拡がる薄い雲の向こうにある太陽を眺めた。
雲を突き抜けんとする白い輝きが、初日の残り時間を表している――
(今日は、大丈夫そう…)
同盟を結ぶリャザン公国からの援軍が、明後日には着く筈だ。
スモレンスクの軍勢がトゥーラとの中間地点、カルーガに姿を現したとの報せを受けた日、リアは早急な援軍を要請したが、それからもう一度早馬を出したのだ。
追加の内容は、スモレンスクの陣容を伝えるものであったが、これにより、速いが脆い、騎馬による先遣隊がやってくる事は、期待できなくなっていた――
「また、早馬を出すのですか?」
姿を現した軍勢が想像以上だった事を受け、小さな王妃が再び早馬を命じると、尚書のラッセルは疑問を口にした。
「出すわよ。最後にね」
「最後…」
「最後よ。東にも兵が回る筈。伝令に伝えて。『敵多数。陣容整えて、参戦願う』 ってね」
「え? 『至急、助けを請う』 じゃないのですか?」
耳に届いた内容に、ラッセルが再び疑問を発した。
「リャザンから、犠牲を出すつもりは無いから」
「…分かりました」
援軍の到着は、例え少数でも早い方が良い。
王妃の指示に納得のいかないラッセルであったが、議論を交わす時間は皆無である。黙って従うしかなかった――
(ワルフ、頼んだわよ…)
居住区から姿を消す細い背中を見送ると、リアは幼い頃に遊んだ同盟国の重臣を想いながら、目線を高くした窓越しに、リャザンの方向、東の方を見やるのだった――
「そろそろ…でしょうか?」
スモレンスク軍の本陣、南側の林の中で、利発な副将ブランヒルが窺いの声を発した。
東を担う長身の副将ベインズ。西側を担当する童顔の副将カプス。
東西からの侵攻によって、城門前に造られた二つの防御壁に配置されたトゥーラの弓兵に、焦りの色が窺える――
幾多の戦闘で最前線にいたブランヒルが、放たれる矢羽の精度の劣化を見逃す筈が無かった――
「よし、突撃の用意を!」
信頼する部下の観察眼に応えると、バイリーの指示で重装歩兵の一団が林の中で配置に就いた。
「旗を掲げろ!」
続いて総大将ギュースの力強い声が轟くと、熊を模した紋章が描かれた、スモレンスクの赤い二本の巨大な旗が掲げられた。
「突撃!」
「おおー!」
「撃て! 撃て!」
バイリーの号令に、二本の旗の間から、重装歩兵の一団が喚声を上げながら飛び出した。
同時に東西からの弓隊は、防御壁に配置された弓兵だけに狙いを定めた――
「退け! 城門を開けろ!」
敵の動きを察知して、トゥーラの総大将グレンが叫ぶ。
精鋭の近衛兵とはいえ、三方向から攻められては分が悪い。貴重な戦力を全滅させる訳にはいかないと、やむなく撤退命令を下した。
「城門が開いたぞ! 一気に城内へ突っ込め!」
「おおー!」
壕の上に架けた梯子を渡ると、目標とする城門までの距離は100メートル。
そのまま城門を突破する事が出来れば、勝利は揺るぎないものとなる。
一番乗りの名誉に預かろうと、勢いを増したスモレンスクの重装歩兵の一団は、城門へと続く幅3メートルの一本道を突き進んだ――
「こっちも行くぞ!」
「おう!」
勢いに乗じて、弓隊の前で壁になっていた、東西の重装歩兵が一斉に立ち上がった。
先ずは城壁に向かって真っすぐ駆けた後、大穴を回避する形で壁に沿って南の城門を目指すのだ。
「よしよし」
スモレンスク軍の本陣で、立ったまま腕組みをして、ぼわっと生えた赤髪を満足そうに揺らして頷いたのは、総大将のギュースである。
このままいけば、何れかの城壁に梯子が掛かる。
南側の攻防が激しくなれば、相手は南に戦力を割くだろう。そうなれば、東西の軍の勢いが増す――
「変だ…」
「どうした?」
そんな時、ギュースの前で立ったまま黙して戦況を眺めていたブランヒルが違和感を呟くと、予想外の発言に、彼の前で木組みの椅子に座っていた上司のバイリーが振り返った。
「いや、なんか…」
果たして、彼の違和感の正体は、スグに明かされる事となる――
数時間前に見たものと同じ光景が、再び起こったのだ――
すなわち突撃する重装歩兵の銀色の背中達が、うわあという悲鳴と共に、滑るように消えていった――
『またか!』
ギュースとバイリーが、同時に声を発した。目の前では、行き場を失った兵士達が、都市城壁の上から降ってくる矢羽の雨に、これでもかと晒されている。
「退却!」
堪らずにギュースが大声で叫ぶと、方々で金属音が鳴り出した。
石を手にした待機の兵が、盾をガンガンと叩き、これでもかと音を発している。即ち、退却の合図だ。
「誘われましたね…」
「……」
違和感の正体は、閉まることの無かった城門だ。
利発なブランヒルが称賛すら込めて呟くと、スモレンスクの総大将ギュースは悔しさに奥歯を噛み、わなわなと丸太のような腕を震わせて、潰れるほどに拳を握り締めた――
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これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
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【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。
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【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
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