小さな国だった物語~

よち

文字の大きさ
上 下
36 / 78

【36.防御柵の攻防】

しおりを挟む
「怯むな。進めえ!」

ライエルによって撃ち込まれた一本の矢羽が合図となって、初日の作戦を立案したスモレンスクの副将、ブランヒルの声が南側で轟いた。

すっかりと明るくなった空を震わせる高めの声を受け、盾を翳した軽装の先発隊が一斉に走り出す。

「後発隊、行け!」

続いて一呼吸を置いたブランヒルの号令に、後発隊が前に続けと動き出した。
軽装の先発隊に比べると動きは鈍いが、想定内である。

狙いを定めにくい少数部隊の為か、先発隊に対して放たれる強弩の数は、初手の突撃時に比べて格段に少なかった。

「よし、行けるぞ!」

射程距離に入った矢羽の雨さえ凌げれば、壕には辿り着けそうだ。
上手くいきそうな予感に、ブランヒルの明るい声が踊った。

「それっ」

壕に近付いた先発隊は腕に巻いた麻紐を解くと、手にした二本の鎌のうちの一本を、柵の向こう側へと勢いよく放り投げた――

防御柵の骨組みに、鎌を引っ掛けようというわけだ。

「ぐあっ」

しかしながら、当然隙ができる。格好の的となって撃たれる者が続々と生まれた。
それでも何人かは無事に成功し、成功した者は、壕の中へと飛び込んだ。

二本の鎌は、それぞれが独立していた。
先ずは放り投げた鎌から伸びる紐の先端を、後発隊に渡すべく、壕の外へと放り投げる。

もう一方の鎌は、壕の中から柵に向かって放り投げ、なんとか噛ませた後、同じようにして重りの付いている紐の先端を、外側へと渡す計画であった。

「うお!」
「あぶね!」

飛び込む直前に投げた鎌の方は、計画通りに柵の向こう側へと飛んで行き、そこから伸びる紐の先端を、外側へと放る事ができた。

しかしながら、底に立って柵を見上げると、ほぼ垂直。
もう一方の鎌を向こう側へと投げようとするも、カツンと柵に弾かれて、自身の頭上へとそのまま落ちてくるのだ――

「…だめじゃん」

二本目の鎌に関しては、完全なる失敗であった。
前後の逃げ場もなく、必死の形相で投げた自身の鎌で負傷する者も、少なからず居た。

「おい、鎌を投げろ!」

そんなところへ、後発隊の面々が壕のきわへと到着すると、盾で身体を守りながら、眼下の仲間に向かって叫んだ。

「お願いします!」

呼応して、壕の外側に次々と鎌が放り投げられた。

しかしながら後発隊の面々は、正面から絶え間なく射られる矢の中で、鎌に手を伸ばすことも難しい状況であった――

僅かでも隙を見せたらと、全身が恐怖に侵されている――

「くっ…」

一人の兵士が盾を手にしてにじり寄り、踏まれた青草と盾の間から覗く鎌のをやっとの思いで手にすると、それを確認した他の兵士が前へと進み出て、盾を前面に翳して障壁となった。

「助かる」

それを見て、更に二人が加わった。

「早くしろ!」
「おらあ!」

急かす声の中、鎌を手にした兵士は手繰り寄せた紐の先端を腕に巻きつけた。
続いて城に向かって鎌だけをありったけの力で放り投げると、小指の太さほどの麻紐が、薄い曇り空を背景にして放物線を描いていった――

やがて、そんな姿が散見されるようになった。

「噛んでいるか確認だ。引いてみろ!」

誰かの声。幾人かが紐を引くと、数本は抵抗を感じ、数本はするっとした感触が伝わってきた。
後者の紐の先では、鋭い鎌が、再び壕の中へと戻ってゆく。

「うお!」
「あぶね!」

壕の中の先発隊は、またしても恐怖を味わうのだった――



「疲れを感じたら交代しろ! ここで、如何に数を減らせるかで、勝負が決まる!」

トゥーラの南西の見張り台。グレンの大声が、新設した足場の上で一列に並ぶ弓兵の心を鼓舞していた。

城壁の下では束ねられた矢羽根が幾つも並べられ、それを10代半ばの少年兵が背負っては、ハシゴを上り下りしている。

「少し休め」
「あ、ありがとうございます」

足が鈍ってきた少年に気付いて、若い軽装の民兵が声を掛けて交代を促すと、少年はあどけない顔に笑みを浮かべてお礼を口にした。

「お疲れ様。これ、飲んで」

民家の壁に背中を預けた少年の元へ、母親と同世代の女性がコップに入った水を持ってきて、労いながら手渡した。

視線を横にすると、同じように休んでいる少年や兵士が何人も居て、それぞれに喉の渇きを癒している。

日照時間の長い夏――

最長17時間にも及ぶ長期戦を覚悟して、城壁の後方に幾つものテーブルを置き、給水所を設けているのだ。
そこでは多くの女性が役割分担をして、コップや水筒を並べて水を注ぎ、前線の兵士へと運んでいた――



「援軍を送れ!」

南側の林の中で、攻めあぐねている後発隊に痺れを切らしたブランヒルが、追加の指示を発した。

精度の高い敵の矢羽は、確実にこちらの数を削っている。
だからといって、退く訳にはいかない。授けた策は、着実に実行されている。

もう一歩なのだ――

筋肉質な上腕二頭筋を晒すブランヒルの指示が伝わると、重装歩兵の一隊が進み出て、援護の準備を始めた。


「動かんぞ!」

紐を引っ張り、柵を動かそうとした後発隊の兵士が、悲鳴にも似た疑念の声を発した。

高さ2メートル程の大きな防御柵とはいえ、見たところ木製で、重厚な造りではなかった。
数本の紐で引っ張れば少しは手応えがありそうなものだが、びくともしないのだ。

「あれだ。柵の下!」

一人の兵士が指を差す。

その声に別の兵士が盾の隙間から視線を向けると、柵の足元が、隣の柵の足元と紐で結ばれているのが目に入った――

「先発隊! 柵の足元だ! 紐を切ってくれ!」

威力をはらんだ矢羽が盾を弾く衝撃で、支え切れずに前が空く。
その隙間を、別の矢羽が貫くのだ。

矢羽は前から襲ってくるだけではない。前に進む程、斜めからも狙われる――
一人の兵士が壕の端まで進み出て、大声で叫んだ。

「ぐあっ」

伝えた瞬間、右の腰に矢羽が刺さった。
盾を持つ手が下がったなら、逃げる術はもはやない。

次々と矢羽に射抜かれて、勇敢な兵士は続く声を発することもなく、壕の中へと頭から堕ちていった――


「肩車だ!」

壕の中、先発隊の誰かが叫ぶと、それに呼応して各人が協力し、一人が膝を曲げ、もう一人が背後から太ももで首元を挟んだ。

「ふん」

両手が壕の壁面を捉える分、負担は軽い。
下の者が立ち上がると、上の者の目線はなんとか壕の外側を確認できるほどになった。

「これか…」

防御柵は安定感を増す為に、二つの平坦な柵をクロスさせた形となっていて、足は全部で4つ。
指摘された通り、足元は隣の柵の足元としっかり紐で結ばれていた――

手前の紐を切るのは簡単そうだが、問題は、奥の方である。

その時――

「ぎゃあっ」

上の者が撃たれた。
柵の奥を確認しようと視線を移した瞬間、真っすぐに自分を狙い定めている敵の弓兵が視界に入った。

トゥーラの弓兵は柵の隙間を最初から狙っていたのだ。

射抜いたのは、南側に設けた防御壁に配置された近衛兵だった。
城壁の上からではなく、平行に狙えるだけに精度も上がる。加えて射手が民兵ではなく、日頃から訓練された、最前線に配置される近衛兵ともなれば、尚更だ。
次々と射抜かれては、肩車が崩壊していく――

「くそっ。どこでもいい。一ヶ所に集中しろ!」

極限の状態では、自然と指示を出す人間も決まってくる。
指示を受けて動く人間が現れて、釣られて動く人間が現れる――

もはや、それが正しいか否かを考える余裕は無くなっていた――

それなりの根拠があれば、静止している事は許されず、動かざるを得ない状況となってしまうのだ――

聞こえた声に、半分以下に減った先発隊の多くが壕の中央付近に集まると、ふたたび肩車を組んで柵の紐を断ち切ろうと、鎌を手にして襲い掛かった。

「ぎゃあ」
「うぐっ」

だが、一ヶ所に集まれば、当然目に留まる。
格好の的となった兵士達が、次々と矢羽の餌食となっていく。

上の者は数本の矢が刺さり、首をもたげて息絶えているのに、下の者は奮闘していると思い込んで支え続けている――

そんな悲惨な場景が、目の前に次々と映し出されていった――


しかしながら、そんな状況は一点の光を生み出した。

トゥーラの射手の意識が中央へと集まった先発隊に向かう一方で、隊の一番東側で取り残された一人の男が、小柄な兵士を肩車で持ち上げていたのだ――

小柄な兵士は、柵の隙間になんとか身体を潜り込ませると、苦しい体勢ながらも、柵どうしを結んだ紐に鎌を引っ掛けて、それを力任せに引き千切った。

「よし。こっちもなんとか…」

右側の次は左側。
這いつくばった状態で鎌を右手から左手に持ち替えると、左腕を伸ばして麻紐に鎌を引っ掛けようとした。
しかしながら、利き手とは違って狙いは外れ、二回、三回と繰り返した――

「もう少し…」

鎌の先端が麻紐を捉えた瞬間、伸ばした左手を、一本の矢羽が貫いた。

「ぐっ…」

一瞬だけ間を置いて、鈍い痛みが全身を走り抜ける。

(ここまでか…)

小柄な兵士は無念を胸に抱いたが、同時に達成感も感じていた――

するするっと身体を後方へと滑らせると、引力のままに再び壕の中へと、足元からずり落ちていった――

「ここ、崩せるぞ!」

背中を地面に預けると、小柄な兵士は中央の仲間に向かって叫んだ。

「奥は切った。手前を頼む」

駆けてきた仲間に指示を送る。奥の紐は、あと一息で千切れそうだった。
強い力で引っ張れば、大丈夫だろう。その声は、自信に満ちていた。

「それっ」

挑む仲間たち。士気は高い。
三組ほどが挑んだ結果、ついに手前の紐を断ち切ることに成功をした。

「やったぞ! この柵を落としてくれ!」

壕の中から上がった声に、援軍を含めた後発隊が、文字通り無防備な状態で矢面に立ち、紐で結んだ鎌を柵の向こう側へと投げ入れる。
そして引っ張り、幾つかの抵抗を確認すると、今度は全力で柵を引き倒そうとした。

「くっ」

それでも、ビクともしない。無理に引っ張ると、麻紐が千切れそうだ――

そうこうしている間にも、犠牲者が増してゆく――

「声を合わせて、同時に引くぞ!」
「せーの!」

誰かの掛け声に呼応して、数人の力が同時に加わると、ついに一つの防御柵がずるずるっと抵抗をあきらめて、やがてずずんと壕の中へと沈んだ――

「やったったぞ!」

トゥーラに襲い掛かる侵略軍が、ついに柵の向こう側を視界に捉えた――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小童、宮本武蔵

雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
兵法家の子供として生まれた弁助は、野山を活発に走る小童だった。ある日、庄屋の家へ客人として旅の武芸者、有馬喜兵衛が逗留している事を知り、見学に行く。庄屋の娘のお通と共に神社へ出向いた弁助は、境内で村人に稽古をつける喜兵衛に反感を覚える。実は、弁助の父の新免無二も武芸者なのだが、人気はさっぱりだった。つまり、弁助は喜兵衛に無意識の内に嫉妬していた。弁助が初仕合する顚末。 備考 井上雄彦氏の「バガボンド」や司馬遼太郎氏の「真説 宮本武蔵」では、武蔵の父を無二斎としていますが、無二の説もあるため、本作では無二としています。また、通説では、武蔵の父は幼少時に他界している事になっていますが、関ヶ原の合戦の時、黒田如水の元で九州での戦に親子で参戦した。との説もあります。また、佐々木小次郎との決闘の時にも記述があるそうです。 その他、諸説あり、作品をフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。物語を鵜呑みにしてはいけません。 宮本武蔵が弁助と呼ばれ、野山を駆け回る小僧だった頃、有馬喜兵衛と言う旅の武芸者を見物する。新当流の達人である喜兵衛は、派手な格好で神社の境内に現れ、門弟や村人に稽古をつけていた。弁助の父、新免無二も武芸者だった為、その盛況ぶりを比較し、弁助は嫉妬していた。とは言え、まだ子供の身、大人の武芸者に太刀打ちできる筈もなく、お通との掛け合いで憂さを晴らす。 だが、運命は弁助を有馬喜兵衛との対決へ導く。とある事情から仕合を受ける事になり、弁助は有馬喜兵衛を観察する。当然だが、心技体、全てに於いて喜兵衛が優っている。圧倒的に不利な中、弁助は幼馴染みのお通や又八に励まされながら仕合の準備を進めていた。果たして、弁助は勝利する事ができるのか? 宮本武蔵の初死闘を描く! 備考 宮本武蔵(幼名 弁助、弁之助) 父 新免無二(斎)、武蔵が幼い頃に他界説、親子で関ヶ原に参戦した説、巌流島の決闘まで存命説、など、諸説あり。 本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。 霧深き北海で戦艦や空母が激突する! 「寒いのは苦手だよ」 「小説家になろう」と同時公開。 第四巻全23話

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~

裏耕記
歴史・時代
御庭番衆には有能なくノ一がいた。 彼女は気ままに江戸を探索。 なぜか甘味巡りをすると事件に巡り合う? 将軍を狙った陰謀を防ぎ、夫婦喧嘩を仲裁する。 忍術の無駄遣いで興味を満たすうちに事件が解決してしまう。 いつの間にやら江戸の闇を暴く捕物帳?が開幕する。 ※※ 将軍となった徳川吉宗と共に江戸へと出てきた御庭番衆の宮地家。 その長女 日向は女の子ながらに忍びの技術を修めていた。 日向は家事をそっちのけで江戸の街を探索する日々。 面白そうなことを見つけると本来の目的であるお団子屋さん巡りすら忘れて事件に首を突っ込んでしまう。 天真爛漫な彼女が首を突っ込むことで、事件はより複雑に? 周囲が思わず手を貸してしまいたくなる愛嬌を武器に事件を解決? 次第に吉宗の失脚を狙う陰謀に巻き込まれていく日向。 くノ一ちゃんは、恩人の吉宗を守る事が出来るのでしょうか。 そんなお話です。 一つ目のエピソード「風邪と豆腐」は12話で完結します。27,000字くらいです。 エピソードが終わるとネタバレ含む登場人物紹介を挟む予定です。 ミステリー成分は薄めにしております。   作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

鵺の哭く城

崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。

朱元璋

片山洋一
歴史・時代
明を建国した太祖洪武帝・朱元璋と、その妻・馬皇后の物語。 紅巾の乱から始まる動乱の中、朱元璋と馬皇后・鈴陶の波乱に満ちた物語。全二十話。

処理中です...