小さな国だった物語~

よち

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【27.スモレンスク公国②】

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大国スモレンスクを統べるロマンの叱責を受けた赤髪の将軍は、翌日になって兵糧や武具の管理を任されている老臣フリュヒトの元を訪れた。

「……」

以前、ギュースとフリュヒトは、兵糧を巡ってやり合った事がある。
もっと出せと脅すギュースに対して、老臣フリュヒトは、頑として首を縦に振らなかったのだ。

100キロを超える、見るからに屈強な体躯を持ち、過去の戦いで切り裂かれた大きな傷跡を左頬に残した男が強気に出れば、大概の要求は通っていただけに、ギュースはフリュヒトの事を快く思ってはいなかった。

フリュヒトもまた、敵意とはいかぬまでも、そんな若造を好意的に見る事は出来無かった筈である。

だからこそ、ギュースは老臣が助けに入った前日の振舞いには、心底驚いた――


「フリュヒト殿?」

防具庫の大きな扉は、総てのことわりを受け入れるかのように開いていた。
ギュースは人の姿を認めると、恩人の名前を口にして、静かに足を踏み入れた。

「……」

銅や鉄。錆びの臭いが鼻腔を襲う。
両の壁には、高さ3メートルほどの天井まで、木枠の棚が5段になって設置され、兜や青銅製の帷子かたびらが、サイズ別に所狭しと並べられていた。

倉庫の奥。
上部に設けられた唯一の採光口からは、白い光が降り注ぐように舞っている。

その下に、白い顎髭を蓄えた老臣、フリュヒトの姿が覗いた――

「ギュース殿、珍しいですな。こんなところへ」

顔を向けたフリュヒトが、驚きの表情を含んで口を開いた。

「あ、いや…兵の数を、ご相談しようかと思いまして…」

ぼわっと生えた赤髪の後頭部に右手をやりながら、ギュースは100キロを超える体躯をフリュヒトの立つ薄暗い倉庫の奥へと進めた。

「ほう。それはそれは…」

殊勝な態度に、フリュヒトも歩み寄る。
普段であれば、部下を寄越すだけに違いない。

「フリュヒト様のためにも、次の戦いは絶対に勝たなければなりません。そこで、できれば無理を聞いて頂こうかと思って、足を向けた次第です」
「承知しております」
「え?」

30年近い人生で、これほど言葉に気を遣った事はなかった…
そんなギュースの発言に、一呼吸を置いたフリュヒトが快く応じると、大柄な男は思わず固まった。

「なにか?」
「あ、いや…また、断られるかと思っておりましたので…」
「また?」
「はい…」
「ああ、数年前でしたか。増量を断ったことが、ありましたな」

フリュヒトが、当時を思って口を開いた。

「あの時とは、状況が違います」

続いて老臣は、白い顎髭を触りながら理由を語った――

「あれは、ヴィテプスクの残党狩りが目的で、ギュース将軍とバイリー将軍による二方面作戦でした。兵も同数ということで、兵糧も、同じとしたのです。あなたの要求に応じては、バイリー将軍に申し訳が立たない」
「……」
「戦が長引けば、兵糧の残量は士気に影響を与えます。論功行賞の場に於いて公正を保つ為にも、必要な措置であったのです」
「……」

思惑を耳にして、ギュースは浅はかさを自覚した――

何かと比較されるバイリーに対して対抗心を燃やした事は確かでも、論功行賞までを思うには至らなかった。

欲望のまま、食事の増量を図ったに過ぎない――
彼にしてみれば、些細な事である――

しかしながら、公平性を損なうと指摘されては、返す言葉が無い。

「融通が利かぬと、思われたでしょうな」
「……」
「ですが、何事も平等に扱うことが、私の役目なのです」
「…はい」
「あまり、重ねて言いたくは無いのですが…」

ギュースが理解を示すと、前置きをした上で、老臣フリュヒトは再び口を開いた。

「そういった要求に応じてしまえば、毎度の事となり、そのうち金銭や物品で返礼をするようになります。周りに知れた時の影響はどうでしょうか? そういったことに気付かぬ者は、出世をしても同様の輩、気心の知れた仲間を近くに置く傾向にあります。人情的にも切れなくなるのでしょうが、腐敗の種となり得るのは、明らかですな」
「……」

ため息交じりの発言は、仕えた数十年の経験に基づいている――

耳に痛い話を、受けるのか、流すのか…

正しい選択を分かったうえで誤れば、人の成長は容赦なく止まる――


「…ご理解、いただけますか?」

無言で立ち尽くす大柄な男を見上げると、老臣は諭すように声を渡した。

「はい。今となっては…」

瞳を開いたままで、歴戦の猛者は真摯な態度で呟いた。

仮にこれが数日前であったなら、相手がフリュヒトでなかったら、耳を貸すことは無かった――

「ありがとうございます」

自覚をした上で、ギュースは右手を胸にして、赤い頭髪を下に落とした。

「分かってくれますか。私のような者も、必要なのですよ」
「……」

視線を上げると、フリュヒトの顔の表皮には柔和な微笑みがあった――
それでも彼の全身を捉えると、どこか寂しさを纏っているように思えた――

「ロマン様の側に、私のような者が居れば良いのですが…難しいかもしれません」
「…そうですね」

続いてフリュヒトは、懸念を吐き出した――

しかしながら今のギュースの立場では、同意を伝えることしかできなかった――


「それで、兵の数でしたかな?」
「そうでした…兵站の確認もしたくて、出向いた次第です」
「兵糧を考えると、兵は五千。いかがでしょうか?」
「5000!」

挙げられた数字に、ギュースから驚きの声が上がった。

酒の席の戯れ。小城を襲っても利益は少ない。
参戦する遊牧民や貴族が少ないことは明らかで、用意できる全兵力に近い。

「『必ず勝ってこい』 と命じたのです。文句は言われないでしょう」

白い顎髭に触れながら、フリュヒトは皮肉を含んで言い放った。

「ありがとうございます!」

双方、勝てると見込んだ戦いが始まろうとしていた――



トゥーラの攻略は難しい。

欧州最長の河川ヴォルガ川へと注ぐウパ川が、南西からトゥーラに沿って逆U字に流れており、加えてヴァティチと呼ばれる部族集団の支配地域に築かれているのだ。

城は非常に堅固。
小国ゆえに騎馬戦に乗ってこないのは明らかで、歩兵のみで攻略に当たらなければならない。

加えて、時間の制限もある。
スモレンスクを発ってカルーガの村を経由する行軍に五日を要し、侵攻に気付かれた時点でリャザンから援軍がやってくる。

つまり援軍が来る前にウパ川を渡って、都市城門を開け、軍を突入させなければならないのだ――


「それでは、陣容を伝える!」

出陣の二日前、スモレンスク城内の大広間で、100キロを超える体躯に鎧を纏った赤髪の将軍が、各将官を前にして、天井に吊るされたシャンデリアの蝋燭の炎が揺れるほどの大きな声を発した。

彼の背後の壇上では、天井から吊るされた赤紫色の幕を背景にしたロマン国王が、玉座の肘掛けに片肘をついて座っていた。

傍らには、白い顎髭を蓄えた老臣が、腰の後ろで両手を組んで直立をしている――

「総数は、4200。うち、先鋒は3000。これを、4隊に分ける!」

戦闘員が先を急ぎ、輜重しちょう兵が後から続く。総兵力4200と凄んでも、全力で初日から戦える訳ではない。
それでもトゥーラの600余りと比べると、圧倒的な戦力である。

「バイリー将軍には、大将の任と、兵1000を与える。正面から戦ってもらいたい」

バイリーは、スモレンスク公国に於いてギュースに並ぶ将軍で、言わばライバルである。
ライバルの下で戦う事には不満も灯ったが、ギュースの発言が発端という事で、受け入れざるを得なかった。

「承知した」

重心の低い熊のような体躯を持ち、頭髪を綺麗に剃った男は、右前方で発するライバルからの発令に、厚い胸板の前で左拳を右手で包みつつ、僅かに顎を引いて応じた。

「カプス!」
「は!」
「副将の任と、兵500を与える。西側より、バイリー将軍に合わせて突撃を」
「承知致しました!」

続いて大広間を整列で埋める集団の二列目から、丸い顔つきに幾らかの緊張を浮かべた男が、前に立つバイリーの背中に倣うように指令を受諾した。

「ベインズ!」
「はっ」
「副将の任と、兵500を与える。東側より、同じくバイリー将軍に合わせて突撃を」
「承知しました!」

続いて名前が呼ばれると、カプスの左に並んだ長身の男が、同じようにして指令を受け取った。

「ブランヒル!」
「はっ」
「副将の任と、兵500を与える。トゥーラの北側で埋伏をして、3方からの戦闘が始まった後、頃合いを見計らって突撃を。なんとしても梯子を掛けて場内に飛び込んで、南の城門を目指すのだ!」
「ははっ!」

続いたブランヒルは、バイリー将軍の隣まで進み出て、総大将ギュースの指令を受け取った――


スモレンスクの軍容は、主に東側を担うギュース将軍と、西側を担当するバイリー将軍の二軍で編成されている。

副将を任された3名のうち、カプスとベインズは同い年。
命令に対する忠実な実行力は、多くの争いで先陣に立つ赤髪の猛将を側面から支えていた。

同じく副将を任されたブランヒルは、バイリー将軍の配下である。

簡潔に評するなら利発で勇敢。
作戦に対する理解が早く、時に上司が命令を下す前に行動を起こして、敵をほふる事もしばしばであった――

勿論小さな失敗は起こる。
その度にバイリーは、叱責と同時に寛大な姿勢を示すことにより、彼の才能を大きく育てようとしていた――

ブランヒルはカプスとベインズより2つ年上で、二人にとっては兄貴的存在であった。
普段から仲の良い3人の間にはライバル心なんてものはなく、お互いが切磋琢磨をして、高め合おうというような気概も無かった。

物足りないという見解もあろうが、軋轢を生む要因が少ないのは、指揮系統を重んじる軍にとっては強味と言って良いだろう。

淡々と、命令に従って命のやりとりに挑む――

職業軍人としては、非常に頼もしい存在であった――


「俺は残りを率いて、遊軍として援護に回る。トゥーラの奴らも相応の備えはしているであろうが、今回は必勝を期す。トゥーラの城門を、なんとしてでもこじ開ける!」
「はっ」
「トゥーラを落とせば、リャザンも目の前だ! リャザン攻略の暁には、ロマン様がたんまりと褒美を用意して下さる!」
「おおっ!」

女に家畜、金品に食料と、戦利品を目当てに出兵する者ばかりである。
褒美の提示は、トゥーラの戦利品が少ないことを危惧している兵士を鼓舞するためであった――

「宜しいですかな?」

ギュースが首だけを後ろに回して、壇上の国王陛下を窺った。

「ふっ。好きにしろ」

高揚した空気を利用して、国王に事後承諾を持ち掛けるとは、なんともふてぶてしい。

それでもロマンは余興を愉しむように、玉座の背もたれに身体を預けたままで、ニヤリと微笑みを浮かべるのだった。

「聞いたか! この戦いに参加しない上級貴族の奴らを、悔しがらせてやろうぞ!」
「おおう!」

突き上げた右腕に呼応して、居並ぶ兵士たちの威勢の良い大声が会場中に響き渡った――

満足そうに彼らの心意気を確認すると、ギュースはその場で反転をして、今度は自身が壇上の国王に対して堂々と胸を張った――

「良い報告を、期待している」

一連のやりとりを眼下で眺めたロマン公は、玉座からスッと立ち上がると、涼しい一声を発した。

続いて一歩を左へ踏み出すと、右腕を胸にして頭を下げる老臣フリュヒトを壇上に残して、そのまま静かに舞台袖へと立ち去るのだった――

多くを語る必要はない。

彼には当然、それだけの陣容であるという自負があったのだ――
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