小さな国だった物語~

よち

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【23.覚悟】

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女性陣が食器類の片付けに向かうと、食堂には将軍グレンと国王ロイズが残された。

王妃様に皿洗いなんてさせられないと拒んだアンジェだったが、強引にリアがついて行ったのだ。
細腰の隣には、アンジェの愛娘の頭があって、小さな左手が王妃様の衣服の裾を掴んでいる。

「男同士で、話すこともあるでしょうから…」

食堂を出た後で、パンの入っていた空の網籠を手にしたリアがすました表情で呟いた。

「…そうですね」

手にした淡いランプの光が石畳の廊下を照らしている。グレンの妻アンジェは、感心したように小さな同意を表した――


「本日は、ありがとうございます」

二人残った食堂で、テーブルを挟んで腰を下ろすグレンに対して、ロイズが改めてお礼を述べた。

「いやいや。お口に合いましたかどうか…」
「いや、ほんとに美味しかったです。僕らは普段、二人だけなので、こういった家庭的な夕食は久しぶりで…」

謙遜する将軍に、国王は素直な感想を送った。

トゥーラに赴任してからというもの、食事はリアと二人で食べる事が殆どだ。
日々の気軽な話題から、国の未来の話まで、お互いが好き勝手な話題を交わすには、食事の場は最適である。

たまの例外は、厨房横の食堂で食べる時、リアが通り掛かった女中を呼んで、加わる時くらいであった。

「そう言って頂けると…」

グレンは四角い顔に微笑みを浮かべると、満足そうにグラスを傾けた。

「リアも楽しそうですし…連れてきて良かったです」

グレンに合わせてロイズもグラスを手にすると、穏やかな表情で口を開いた。

「王妃様は、ほんとに可愛らしい方ですな。メイとも仲良くして下さって、ありがたい事です」

グレンが男としてのロイズを評価すると、手にしたグラスをテーブルへと戻した。

「リアの事ですが…他言無用でお願いします。あいつは今までと同じように、自由にさせてやりたいのです」

ロイズが静かな口調で訴える。
他の誰でもない、信用する将軍の誘いだからこそ、連れて来たのだと釘を刺した。

「承知しました。あの方の姿が街から消えたら、アンジェやメイに怒られますからな」

それだけは、御免被りたい――

背中を椅子に預けた一家の主は、家庭内での立場を自虐した――



食堂で二人の談笑が続く中、暫くすると廊下から小さな足音が近付いて、赤みの入った癖のある髪を揺らしながら、リアが一人で戻って来た。

「あれ? 一人?」

リアの背後を確認して、ロイズが意外そうに尋ねる。

「アンジェさんは、メイちゃんを寝かせに行ったわ」
「そっか」

リアの答えにロイズが短く返すと、続いてパタパタとした足音がやってきた。

「お待たせしました」

アンジェが、急いで戻ってきたのだ。
ふっくらとした身体が現れると、荒くなった息遣いで、申し訳なさそうに口を開いた。

「そんなに、急がなくても…」

胸に手を当てて呼吸を整える伴侶に、グレンが呆れたような声を出す。

「だってあなた、こんな機会、滅多にないんですよ?」
「まあ、そうかもしれんが…」

小さな国とはいえ、国王夫妻を自宅に招くなど、そうそう出来る事ではない。
グレンは妻の返答を受け入れつつも、戸惑いの声を返した。

「じゃあ、私達で招待すれば良いのよ。ね」

一番の懸念は、二人で一緒に歩く姿を目撃されること。

たまに見かける小さな娘が王妃だという噂は、あっという間に広がるに違いない。
ロイズを見やったリアが、解決策を自ら提示した。

「そうだね。アンジェさんにも、いろいろ聞きたい事があるしね」

リアの提案を受け入れて、ロイズは立ったままのアンジェに視線を移した。

「あら、私ですか?」
「はい。実は、今日はそれもあって来たんです」
「え? なんでしょうか…」

ロイズが端正な顔立ちを真っすぐに向けると、アンジェが態度を改めた。
カタッと音を鳴らして椅子を引き、どっしりとした腰を座面に預けて国王夫妻と向き合った――


「僕らがトゥーラにやってきて、未だ半年です。知らない事も多いので、色々と教えて頂きたいのです」

燭台に刺さっていた蝋燭がアンジェによって取り替えられて新たな灯りが点ると、話題もまた新しいものへと移った。

ロイズが提供した話題は、事前にリアから絶対に聞き出してほしいと頼まれていたものである――

「そう言われましても…何を話したらよいのか…」
「例えば…僕らの前の城主は、どんな方でしたか?」

戸惑うアンジェの姿を前にして、ロイズは一つの質問を渡した。
アンジェからすれば、具体的に何かを尋ねられた方が、答え易いに違いない。

「それは…主人に訊かれた方が、宜しいのでは?」

将軍の伴侶が、尤もらしく答えた。

「いえ。僕が知りたいのは、トゥーラに住んでいる人たちが、前の城主をどう思っていたかです。税の徴収も適切だったようですし、問題があったようには思えません。正直、僕らが赴任をせずとも良かったんじゃ無いか? とも思っているくらいです」
「…いえ、それは違います」

謙遜している訳では無い。
本心から述べたロイズの見解に、アンジェがピシャリと異議を唱えた。

「前の城主様、ブルンネル様では、この砦を守ることは出来なかったと思います」
「…何故?」

アンジェのハッキリとした言動に、ロイズは明確な理由を尋ねた。

「戦いが起こる度に、疲弊していくからです。私は主人の愚痴を聞いているので、余計にそう思うのかもしれませんが…」
「……」
「主人の話では、リャザンの指示を仰ぐあまり、反撃の機会を失ったり、堅固な城壁に頼って兵の訓練を怠って、結果、不手際から敵の侵入を許した事もあったそうです。小さな土地ですから、悪い噂はあっという間に広がります。そんな状態でしたから、あのままでは遅かれ早かれ、スモレンスクに敗れていたと思います」
「……」
「見知った誰かが、戦いが起こる度に亡くなっていくのは…辛すぎます。平和な時代でしたら、あのような方で良いのでしょうけど…」
「……」

リアとロイズは、黙ってアンジェの話に耳を傾けた。


新しい統治者が、浮かび上がっている問題をどう捌くか――

権力の移譲が行われた直後。
民衆の視線が、一番に注がれる時――

初動としての先の戦いは、満点の回答だったと言えよう――


「ロイズ様が赴任して、一番に喜んだのは、恐らく主人です。練兵の話をご相談したところ、『全て任せるから』 と仰られたと嬉しそうでした」
「そんな事、言ったかな…」

ロイズは僅かに首を傾けて、ぽりぽりと右手で頭を掻いた。

「ただ、同じことを今言われても、僕ならお任せしますよ。任せられる事は、任せた方が楽ですから」

未熟な者が出しゃばって、現場に混乱を招く例は、枚挙にいとまがない。
信頼の置ける者が居るのなら、専門外の事案は任せた方が上手くいく。

しかしながら、たった一つ

上に立つ者は、任じた責任を同等以上に負う事を忘れてはならない――


「以前は、5日に1回だった訓練を、今は、ほぼ毎日やっていますからな」

グレンが得意気に口を開いた。

スモレンスクの侵攻が近いと悟った王妃が、全体での演習を減らして、各部隊、各方面毎に特化した練兵をするようにと語ったのだ。

ロイズを介した発信により、訓練自体は毎日行われているが、一回の参加人数は少なくなり、結果として以前に比べて民兵の負担は減っていた。当然、好評を博している。


「女性の皆さんは、どうでしょうか?」

小さな身体を乗り出すようにして、リアが話題を次へと移した。

たまに出歩いて市中の雰囲気を肌で感じても、実際に人々の生の声を聞いている訳ではない。

戦う意思は存在するのか――
認識の差異があるのなら、正しておきたかったのだ。

「え?」

王妃であるリアが口を開いたのが意外だったのか、アンジェの言葉が思わず詰まった。

「だって…女性の声ってあまり上がってこないですよね? そりゃ、戦場に出るのは男性でしょうけど、食事の用意も大変で、戦いが起これば昼夜を問わず傷病者の看病をして…眠れない人も出てきます。その辺り、どう思ってるのかなって…」

思うところを、小さな王妃は口にした。

「こりゃ、参りましたな。王妃様の仰る通りです。兵がどれだけ強かろうと、兵糧が無ければ戦えません。その兵糧は、誰が用意しているのかって話ですな」

陶器のマグに手を伸ばしながら、グレンが感服の声を発した。

「そうです。後方だって、戦場なんです!」

必死の戦いは前線だけではない。彼女の言葉は真実である。

女性の労苦を思い知れ――

リアは、半ば憤慨するようにして語った。

「だいたい、女性は迷惑してるんです! 戦争を始めるのは、いつだって男なんですから!」
「…そうだね」
「ですな…」

ロイズがため息交じりに意見を認めると、申し訳なさそうにグレンも伏し目となって、王妃の訴えを是認した。


「それで、アンジェ。どうなのだ?」
「え? そうですね…」

グレンが促すと、華奢な王妃の発言に呆気にとられていた伴侶が、困惑の表情を浮かべた。

「言いにくい事でも、構いませんので…」

口が重たそうな彼女を察して、今度はロイズが促した。

「お伝えしなさい。貴重な機会だ。国王様も、それを望んでおられる」
「そうですね…」

夫であるグレンに再び促されると、アンジェは意を決したように口を開いた。

「今は…少し大変です」
「というと?」

アンジェの発言に、ロイズが大きな関心を示した。

「はい。労役の負担が重くて…小さな子供が居たり、男手が足りない家庭は特に…」
「……」
「…なるほど」

戦いに備える士気の高さを感じる一方で、一定数いるであろう、疲弊を覚える者たちを置き去りにしていた――

独立を宣言してからというもの、普段は都市城壁の外側で防御壁造りに農作業。雨の日は屋内で、防御柵や弓矢の作成と、兵は勿論、女性や子供たちも毎日休まず労役に繰り出している――

勿論、強制している訳ではない。
しかし、使命感や義務感が全体の空気となり、強制力を持ったなら、それは自由参加と言えるのか?

アンジェの発言に、リアとロイズは少なからず、思慮の軽薄を認識せざるを得なかった――

「ただ…」

静かな口調になって、アンジェが続いて口を開く。

「誰かが死ぬよりはマシです。そうならない為の労役だと思えば、今が大事なのは皆が分かっています。ですから、不満は出ません」
「そうだな。俺たちが守るべき、場所だからな…」

自身にも言い聞かせるようなアンジェの発言に、グレンが一言を加える。
落ち着いた夫の発言に、アンジェはグレンと目を合わせ、小さく頷いた。

「お二人は、私達の為に尽くして下さいます。今はどうぞご遠慮なさらず、やりたいように命じて下さい」
「……」

皆の努力や想いを、決して無駄には出来ない――

アンジェが二人に向かって真っすぐに瞳を捧げると、指揮と前線に赴く三人は、強い決意を改めて心に刻むのだった――



有意義な会食は、深夜まで続いた。
国王夫妻はグレンとアンジェに見送られ、幌馬車にて城へと戻る事にした。

幌馬車の中。左肩をロイズにぴたりと寄せて、リアが小さく揺れている――

「ねえ…」

彼女は言いながら、伴侶の大きな手の甲に重ねていた自身の細い指先を、しずしずと骨ばった指の間に潜り込ませていった。

「うん?」

リアの華奢な指先は、少し震えているように思えた。

「ちょっとね…怖い…」
「……」

揺らぎを感じ取る。
やがて起こる戦いの行く末が、小さな身体に懸かっている…

普段から国王や尚書を相手に指示を飛ばし、気丈に振る舞っている彼女だが、実は繊細で臆病なのを誰よりも知っている…

「うん…」

ロイズはリアの細い指先を静かにほどくと、今度は小刻みに震える小さな左手を、上から優しく包み込んでみた――

「なんでなの? みんな、誰かと一緒に居たいだけなのに…」

リアが顔を上げると、潤んだ大きな瞳が訴えた――

「大丈夫…」

受け止める事しかできない。
仄かに赤みを帯びた儚げな表情が、ロイズの胸に突き刺さる――

自身にも言い聞かせるような短い言葉を呟くと、ロイズは端正な顔をそっと近付けて、細かく震えるリアの唇を塞いでやった――

「大丈夫だよ…」

続いて左腕を伸ばす。
愛しい伴侶を包むように引き寄せると、もう一度、覚悟を持って誓うのだった――
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