小さな国だった物語~

よち

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【14.野望②】

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同盟締結を祝う晩餐会の会場で、トゥーラの尚書を屋外へと連れ出したリャザンの重臣は、西側への備えとしてトゥーラの独立を提唱した男である――

「いい風ですな…」

配膳係から受け取った新たなマグを手にした二人の身体に、心地よい夜風がやってくる。
赤みを帯びた頬をしばし風に任せたワルフは静かに呟いた。

「私は、リャザンの臣下です。国を思えばこそ、トゥーラのような城は、独立した方が良いと考えたのです」

緑の匂いが鼻腔をくすぐる中庭にまで足を伸ばすと、伏し目がちに言葉を選びながら、恰幅の良い男が続けて口を開いた。

「ラッセル殿なら、分かって頂けると思うのですが…いかがですか?」
「え?」

突然の切り返し。言葉が詰まる。

「さあ…そう言われましても…ワルフ様の真意は計りかねます」

トゥーラの尚書は、答えを濁すのが精一杯だった。

「私は、ロイズを…失礼。ロイズ国王を高く評価しております。リャザンという足枷を除く事で、あの方の力が、より発揮されると思っているのです」

返答を受けたワルフが目線を上げて、ゆったりと口を開いた。

「どう思われますか?」

続いてラッセルを覗き込むように、再び問いかけた。

「…え?」

のっぺりとした顔立ちは、また言葉に詰まった…

対峙している相手と比較して、力不足を自覚する――

「……」

小さな国の尚書は、焦りを隠すように時間を取った――

酔いが回る中、サシュッと音の滑る緑の上を、ゆっくりと二歩、三歩、何かにすがるように進んでみる――

「そうですね…」

そして、必死に脳内で言葉を整理した。

「リャザンの立場からすると、トゥーラが独立を果たしたところで、同盟を結んでしまえば、軍事的にも大した問題はないでしょうね…」

時間を掛けながら、ラッセルは口元で思いを巡らせる。

俯いた貧相な男の様子を、恰幅の良い大国の重臣の妖しい眼差しが、力量を確かめようと追っていた――

「トゥーラからすると…リャザンの顔色を伺う必要が無くなる?」
「…そういう事です」

ワルフが求める正解へ、無事に辿り着いたらしい。
薄い顔の尚書は、ほっと胸を撫で下ろした。

「実際、トゥーラでは早くも国防へと動き出していると聞いております。いちいちリャザンの了承を取っていては、予算の問題もあって、事は進まなかったでしょう。我々にしてみれば、トゥーラが強固になる事で、西の憂いが減るのです」
「…なるほど」

ラッセルは、独立を宣言してからの早い動きを知っている。
それらを見越したものだとするならば、ワルフの才は認めざるを得ない。

「それでは…西の憂いを除いて、どこを向くのですか?」

その先を見越して、ラッセルが尋ねた。

「…いやいや、恥ずかしながら、我が国の財政は芳しくないのです。それもあっての独立なのですよ。今やるべきことは、財政の建て直しです」

なかなかに鋭い質問が飛んできて、驚きを灯したワルフだったが、悟られぬようにと左右に首を振りながら、溜め息交じりに答えた。

「ラッセル殿は、リャザンに長く居られた…思い当たる所がありましょう?」
「……」

流れ込んでくる移民の対応に追われる中で、横行する予算の横流しと賄賂。既得権益にしがみついた役人との不毛な交渉…
今宵の晩餐会も、もっと質素で良かった筈だ。

財政難の理由を挙げろと言われたら、幾つも頭に浮かぶ。
トゥーラへの赴任話に乗ったのは、やりきれない職場の空気に嫌気が差したという一因もあるのだ――

「そうですね…」

逃げた訳ではない…
それでもラッセルは、後ろめたい感情を確かに自覚して、静かに頷いた。

「ラッセル殿もお気付きのように、反対する者も当然おります。私への風当たりも強くなるでしょう」
「……」
「ですが、負けませんよ。凹凸デコボコを ならしてこそ、道は固いものとなるのです」
「……」

吐いた言葉は、決意の声か――

リャザンの大地に足を留めて遠くを見やった男を、ラッセルは尊敬の念を持って眺めるのだった――

「……」

続いてマグを頭上に掲げると、エールを送る。
満天の星が輝く夜空の下、二つの陶器が接すると、小さな乾いた音が二人の耳へと届いた――



「ところで…」

乾いた風が、酔いを覚まさない程度に心地良く吹いてくる――

そんな中、今度はワルフがラッセルを覗き込むようにして口を開いた。

「王妃様は、お元気ですか?」
「!?」

突然の問い掛けに、ラッセルの動きが思わず止まった。

聡明な王妃の存在を、リャザン公国に於いてただ一人知る人物と言って良い。
晩餐会の会場を照らす松明の明かりが、曲線を描く肉付きの良いワルフの横顔を妖しく照らし出していた――

「お…お元気ですよ」

どんな意図を持っての発言なのか、計りかねた。
努めて平静を装ったラッセルだったが、ワルフと視線を合わせる事すら敵わずに、最低な対応だと自覚した。

「そうですか…」

視線を逸らしたラッセルに対して、ワルフが少し残念そうに呟いた。

「それでは、お伝え願えますか? 『初陣、お見事でした』 と…」

投げられた発言に、ラッセルの細い瞳は大きく開き、一気に酔いが霧散した。

「…お見通しなんですね」

観念したラッセルは、落ち着く時間を計った後で、ワルフへとゆっくりと視線を戻した。

「ええ。王妃…いえ、敢えてリアと呼ばせて頂きます。彼女らしい、そんな戦いでした…」

誇らしいような悔しいような…
胸に抱いた複雑な感情を表して、ワルフは噛み締めるように口を開いた。

「……」
「私との事は、御存じで?」

柔らかな口調になったリャザンの重臣が、続いて一つを尋ねる。

「はい。出立前にほんの少しだけですが…子供の頃、3人でよく遊んだと仰ってました…」

完敗である。
トゥーラの代表として、リャザンの重臣に対して実力以上のものを出そうと意気込んでやってきた。

しかし話の主導権は常に相手側にあって、悲しいかな、およそ対等な器ではない――

悟ったラッセルは、開き直ったようにワルフと視線を合わせると、投げられた質問に正直に答えた。

「そうですか…」

ラッセルが渡した回答も期待外れだったのか、ワルフは小さく沈んだ声音を吐き出した。

「遊びというか、勝負というか…そんな毎日でしたね」
「……」

思い当たるフシがある。
ラッセルは、星空を眺めながら話すワルフの言の葉に、黙って耳を傾けた。

「あの頃から…ずっと私は…彼女に勝ちたいと思っているのですよ…」
「え?」

それこそが、彼の本音だろうか――

決意が込められた恰幅の良い男の宣言に、薄い顔の尚書は驚きを隠さなかった。
思わず気色ばんでワルフを見やり、一歩をずいと前に出す。

「ちょっと待ってください! いまさら、勝負でも無いでしょう!?」

子供の頃の話なら、他者に結果を委ねるしかなかったが、現在いまは違う。
お互いが武力を保有して、行使できる権限がある――

実戦を求めるというのか。戦術を駆使した両者がぶつかる…

それがどういった状況を示すのか…想像すらしたくない――

「……」

リアと二人の帰り道――

当時を思った尚書の胸に、鋭い痛みが走った――

暗がりの草原。

膝を折った小さな王妃が麦わら帽子を胸にして、祈りを捧げる哀しげな姿が、彼の脳裏には浮かび上がっていた――

「リア様が、ワルフ殿と戦うとは思えません!」

譲れない感情を、ラッセルは宗主国の重臣にぶつけた――

「いやいや、勘違いしないで下さいよ! あいつと矛を交えるなんて、あり得ませんよ!」

誤解だと、ワルフが咄嗟に右腕を前に差し出した。

「逆ですよ…」
「逆?」
「私はね、彼女と一緒なら、このリャザン公国が、スモレンスクはおろか、ルーシを統べる立場になれると思っているのです」(*)
「……」

酒に飲まれると、饒舌になるのだろうか…

夜空の星々を背景にして、恰幅の良い男は前へと差し出した両腕を胸の高さにまで掲げながら、力強い声で言ってのけた。

「共闘すると?」

ラッセルが問う。
双頭の龍となり、競い合うように他国を圧していく――

リア様と過ごした年少の頃、彼はそんな夢を描いたのだろうか…

描いたなら、実現しようというのか――


「そうですね…ただ、今ではありません…」

国内の状況を見据えてか、ワルフが残念そうに声を落とした。

「今は、お互いが国を固める時期です。彼女が国王を支える王妃…私が、国王様の右腕ともなれば、対等でしょうか…」
「対等…」

ワルフの吐いた言の葉に、ラッセルは小さな嫌悪感を覚えた――


「ラッセル殿、こちらでしたか」

そんなところに、突然グレンの高い声が届いた。

晩餐会の会場に戻ったは良いが、ラッセルの姿が見当たらない。
探し回った末にようやく見つけたのだろうか。いかつい身体を左右に揺らして、早足でやってくる。

「少し…喋りすぎましたな。酔いを覚ましてきます」

外からの声に我に返ったか、空の陶器を一度だけ掲げると、ワルフは逃げるようにしてラッセルの元から離れた。

「グレン殿、すみません。夜風が気持ちよかろうと、連れ出してしまいました」
「いやいや、お気になさらず」

すれ違いざまに言葉を交わすと、やがてワルフの姿は、滑るように晩餐会の会場へと消えていった――


-野望-

彼は、ハッキリとそれを口にしたのだ――

ラッセルは、酔いが回った赤ら顔に浮かぶ細い目で、静かにその後ろ姿を追いかけるのだった――



晩餐会を無事に終え、宿へと戻ったトゥーラの一行は、それぞれの椅子に腰を下ろして車座となっていた。

「今日、最後の一杯だぞ」

そんな中、ロイズが赤い顔を並べたグレンとラッセルの眼前で小さなマグを掲げた。

「乾杯」

酒に弱い事を自覚するロイズは、量を控えたこともあって、見たところの変化は無い。

グレンとラッセルは既に上機嫌だ。あれからも続けて飲んだらしい。
仕事を無事に為せたのだから、今日ばかりは自身にご褒美といった所か。

「飲んだら寝ろよ」
「分かってますよ!」

いましめの声を発したロイズに対して、尚書が右手を払って強気な言葉を返した。

悔悟に酔いが加わって、普段の口調がすっかりと変わっている――

「ロイズ様。本日は、お疲れ様でした」

更なる一言をくれてやろうとしたところに、年長者のグレンからたしなめるような声が掛かった。
端正な顔を向けると、四角い顔を赤く染めた将軍が、手にした陶器のマグを小さく掲げた――

「……」

一先ずここは、任せて下さいという意思表示である。

「…おやすみ」

ラッセルが、珍しく酔っている。
冷静に考えれば、それだけ今回の任務は重かったという事か――

将軍の意図を汲んだ国王は、小さく頷いて引き下がり、二人を残して部屋を後にするのだった――


「ふう…」

寝室は、別に設けられていた。

一人で寝るのは慣れないが、酒の勢いに当てられて、スグに眠りの森へといざなわれそうだ――

ロイズは一息を大きく吐き出すと、あれこれと考える事を放棄して、そのまま厚いベッドへと倒れ込むのだった――


―――――
*ルーシ = 当時のリューリク朝の支配地域。「中華」などと同義。
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