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揺れ始める稲穂
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しおりを挟む「それじゃぁ、改めて説明するよ。まずこの実験はネモの代償がどこまでなのかを確かめるもの。それでその副産物でアノスの魔眼が使い物になればいいねって程度」
ネモが固形食に感動した次の日、早速5人は昼の時間帯にライフォードの執務室に集まってきた。
検査の為にレインも来るという話だったがどうやら立て込んでいるようで遅れてくるらしい。
時間帯はバラバラで入ってきた5人の表情は様々だった。まずこの部屋の主であるライフォードはこの世の終わりとでも言わんばかりの疲れきった顔である。朝から皇帝、皇后、第一皇女と食卓を囲っていたらしいが皇帝からは「いつ嫁の顔を見せくれるんだ」と詰められ皇后からは「愛し子のお顔をみるのはいつになるのやら」とお小言を言われたそうだ。彼の中での癒しはもはやネモの「おかえりなさい、兄上」と皇女の「お兄様、かっこいい」だけだった。
「何でノアも疲れ気味なんだ。仕事サボっていかにも部屋着なのはお前だけだぞ」
ネモは笑いながらノアの寝間着を引っ張った。
一番最初に来たアノスとヘクターは騎士団の一般向けパレードに参加し午前中は丸々余興をしていた。そして会場から直帰しそのまま正装で来たため疲れ気味なのだろう。だが何故かノアは睡眠不足で目の下にクマを作っては心底疲れきった顔をしている。
「子供を二人引き取ったんだ、後釜にちょうどいいと思って」
「そうなんだ。それで、ノアが連れてきたのはどんな子達なんだい?」
ノアは照れたように言った。
引き取った子供というのは教会で出会った花を売っていた二人だと言う。
「最後まで貴族に振り回されるのは可哀想だろ、弟の方は中々筋がいいぞ。使えるようになったら即騎士団に入れるつもりだ」
あの日、彼女達は人間の闇を見てしまった。それが故にもう人間を信じられなくなったのだという。教会の孤児院では自分達の幸せを何度も壊してきた醜い貴族に嫌気がさして、引き取りたいという貴族が出る度に頑なに頷かない、姉の方は貴族を大層嫌い弟は姉の言う事全てが正しいのだと疑わない、そんな歪さが垣間見えるようになっていたそうだ。
そこでノアは二人を引き取ったという。片足のない姉は弓を引くのを好み、弟は剣を手に取るのを選んだ。
ノア的には幸せになって欲しいだけなのだ。
「姉がアネモネで弟がアナベルだ。昨日はアネモネがレインの所に泊まりで検査してたんだ、んで夜になるとアナベルが急に泣き始めたんだよ。それに共鳴したバーボンも興奮しだして手が付けられないし、それで一睡も出来なかった。」
結局その後、アナベルはバーボンと一緒に寝たそうだ。
やはり一度人を信じられなくなったら残る者は動物か植物しかいないのだろう。まるで心の傷を埋めるように姉が居ない時はバーボンの所にいるという。
幼い二人からの愛を受け満更でもない様子で最近はアナベルに撫でられるとご満悦という表情をし、次はアネモネの手から人参を食べるルーティンが出来上がっていた。
暴れ馬と名高い芦毛の怪物、バーボンでも子供には優しいみたいだ。
「そういう事ね、昨日楽しんでた二人はどうなの?」
ライフォードはニヤリとアノス、ヘクターを見たがヘクターが少し目線を外すだけでそれ以外は何ともない。
「無駄話はこれくらいにしてとっとと始めろ」
「そうですよ、ライフォード先輩とノア先輩の話は長んすよ」
その時だった、ノックの音と同時にレインが入ってきたのだった。
彼の白衣は明らか血がかかっており彼はその白衣を脱ぎ捨てるとそのまま侍女に渡す。そしてワイシャツの裾をズボンから出すと第二ボタンまで開けたのだった。
「え、レインそういう感じなの?」
アノスにも劣らない豪快なモーションで椅子に座り上品な雰囲気からは想像できないほどの「ぁあ、かったりぃんですよ」が彼の口から出た。
「言っとくが性格だけで言ったらこいつが一番狂ってるぞ」
「余計なお世話です。貴方ちゃんとヘクターに薬は飲ませてますか?変な匂いがしますよ。今度は避妊薬でも差し上げましょうか」
レインはくつくつと笑うと早く進めろと言わんばかりに腕を組みライフォードを見上げるのだった。
医者としての彼は白衣と共に脱ぎさったそうだ。これが旧アノス班の最初期の完全再現だ。
前衛にアノスとノア、その真ん中で前衛から抜けてきた敵を撃つのがライフォード、そして後衛に毒矢を持ったヘクター、更に後ろには見るからに良くない色をしている薬品と大きな救急バッグを持ったレインが構えていたという。
軍の中でもかなり特殊な立ち位置でどの隊にも所属せずアノス隊アノス班として撹乱のため一番最初に突撃する役目をになっている。その立ち位置は曖昧で戦況に依存する為、時には援護、救護全てをこなす究極の自己完結型チームだ。
そして戦争が集結するにつれ騎士のポストに押し出され気が付けば全員高官になっていたのだ。
そもそも騎士団は帝都とその周辺の警備、並びに防衛だ。だが軍は国全体を防衛し戦争となれば最前線になる。
「さて、始めようか。」
ライフォードの合図と共にネモは隣にいるヘクターと手を繋いだ。そして対象のアノスに手の平を向けると祈り始める、するとライフォードの部屋中が暖かな青い光で包まれて行くのだった。
「ぃっ、てぇ⋯」
だが光が収まる前にアノスが根を上げたのだった。彼の目からは赤い涙がこぼれ、その瞳は赤く充血し黒い線が入り始める。その線は何か模様を刻むように動き始めるとアノスは目を押えて痛みに悶絶し始めるのだった。
「なぁ、アノス痛いよな。私も明らかに違う感覚がする」
ネモの体の中ではこれまでやってきた治癒とは明らかに違う感覚がした。どんどん何かが吸われアノスに注いでも注いでもちっとも手応えがない。それはまるで穴の空いたコップに一生懸命水を注ぐようだった。
「俺はまだ行けるっすよ。番だからなのかな、ちょっと頭がくらっとくるぐらいで不快感はないです。」
「私はまだ何も無い」
レインはその赤い瞳でアノスを眺めていた。レインの祝福は損傷箇所が光って見えるという、重症になればなるほどその光は眩く輝くようになる。
部屋の中では窓に当たる風の音とアノスの血の涙が床に落ちる音だけが響いていた。
「今やっと薄くなったぐらいです。同じことを4回ぐらいやったら完全に治ると思いますよ」
全員がこれは長丁場になると踏んだ時だった。またネモが天命を受けたかのように急に手を叩き何か閃く。
「私の血液とアノスの血液を混ぜてそれを代償にしたらいいのでは無いか?」
「⋯はぁ、うちの弟はほんとに無茶が好きみたいだね」
「やれない事はないですよ。血液の量も戻ってますし健康状態だけで言ったら問題ない、それに私はそちらの方がいいと思います」
レインは立ち上がりポケットから小さな応急処置用だろうポーチを出すとその中身をひっくり返した。
銀の皿のようなプレートに折りたたみのナイフ、そしてガーゼ、更に中には小さな包帯が入っていたのだった。
「俺もそれでいい、やってくれ」
「ぁあ、やっぱこうなったか⋯どうすんだよ、ライド」
「レインがそう言うのならやってみよっか。」
こうして実験第2ラウンドへ進むのだった。
レインはメスを握るとアノスの指の腹を少し切りその血を銀のプレートの上に押し出した。そして同じ事をネモにもするとさも当然かのように「同じ精霊関係なら私の血も一般人より力になると思いますよ」とグッサリと自分の指の腹を切ったのだ。
実を言うと彼には痛覚が無い訳では無い、だが痛覚がほとんど分からないのだ。彼は一族で一番精霊の祝福を受けていた恐らくだがその祝福の影響なのだろう。それが原因で自分が痛みを感じないのだから誰かの痛みが分からない、そして文字通り走る悪魔になってしまった。
「続きをやるぞ、レインはその血をどうにかしろ。お前が大丈夫でもここに居る人間はお前が大事だからこそその痛みを想像して悲しくなってしまう。」
「⋯貴方って自己犠牲の塊ですね。その心をもっと自分に向ければいいものを」
ネモはそう言ってレインの指に包帯を巻くとそのまま治癒を施した。「なぜ包帯を巻いたんですか?どうせ治すなら要らないでしょう」レインはぽかんとしたようにそう問うたがネモはただ「分かるようになったら分かる」と次はアノスに向き直ったのだった。
「アノス、多分きついぞ。それでもやるのか?」
「ああ、一思いにやってくれていいぞ。ちまちましたのは性にあわねぇ、やるなら一気にやれ」
「それなら私だけでやった方がいいだろう」
ネモはヘクターの手を離すとそのままヘクターの頬を撫で「ヘクター、気にするな。なにもこれだけが愛する方法ではない、これは私が適任だ」と耳元で呟くのだった。
ネモ様、それは危ういまでの優しさなんです。
ハリスはそっと自分の頬を撫でるネモの手に自身の手の平を重ねると「もう大丈夫っす。アノス様なら殺しても死なないっすよ」とネモのその手をアノスの頭に乗せたのだった。
「きゃーネモってば男前、抱、い、て」
その様子を見ていたノアは柄にもなく腕を顔の前で絡ませくねくねと腰を動かし始めた。まるで女狐のような動作にネモは思わず叩き殺したくなってしまうのだった。
「ノアはそんなに私に抱かれたいのか?私に抱かれたいのならまずはその逸物を切り落としてからにしてくれ、今から抱くって時にそれを見るだけで私のは使い物にならなくなるだろう」
存外、ネモという男も女に現を抜かしている時間がなかっただけで性欲はあるし一人でその欲を処理することもある。そしてまだ年若い青年だ。つまりネモも見かけによらず人並みに下品な話が好きだ、だがそうでもないとノアと意気投合し話についていけないだろう。
そんな彼らを見てヘクターとレインは「やっぱこいつらは色欲に塗れた下品な猿共」だと心の中で思うのだった。
「それじゃ、やるぞ」
その瞬間部屋は先程よりも強い光で溢れまるで中で何かが爆発したかのような衝撃が響き渡った。
そして数秒後、銀のプレートにあったはずの3人分の血液は消え失せ、ギリギリ意識を保っているネモとアノスがそこに居たのだった。
そのアノスの結膜は黒一色となり同行は赤く染まっていた。その瞳の中には黒い紋様が完全な姿で刻まれているでは無いか。
「実験は成功だね。ネモの代償は別にネモと混ざってさえいれば何でもいい。アノス、どんな感じに見えてるの?それ」
ライフォードは執務室の引き出しから数枚の紙とトランプを取り出すとソファーの前に裏返して置いた。
「この書類、アノスには見せたことないけど何の書類だと思う?」
「ナルルの時の没になった方の作戦がまとめられている紙だ。」
「じゃぁこっちのトランプは何?」
「スペードの1」
アノスの目には裏と表が一体になり全てが半透明に見えていたのだ。そしてその紙が動かされる度、1秒に数百枚もの画像として頭に中に入ってくる。前までは処理できずに頭痛がしていたがそれが治癒され完璧な魔眼となった。
「なぁ、アノス。実は俺、ヘクターと1回遊んでるんだ」
「この魔眼は嘘も見抜けるみたいだぞ。そもそもつまらん嘘を付くな」
その時だ、不意打ちでカキン!と言う音と共にノアの懐の刀が抜かれていた。だが、それはアノスに当たる前にアノスの拳によって受け止められている。
「くぅ、痺れるねぇ。これでアノスは無敵だな」
「どうだ、お前が一生追いつけない所にいるぞ。さっさと登ってこいクソガキ」
きっとこれから暫くアノスの悩みは見えすぎてトランプが楽しめなくなるのと見なくてもいい事が見えてしまう苦悩だろう。
レインも己の祝福を教えていない人から無理に病など患っていない、怪我などしていないと言い張られ実際にそれが原因で死に行くのを近くで見ていたのだ。
隠そうとするのだから暴く必要はない。だが愛していた人が自分に気を使って死ぬのはどこか後悔の残る死ばかりで10年以上経った今でもレインはひとつの死さえ消化しきれずにいる。
これで一つ解決だ。
「ここで悪い知らせだ。ネモのお披露目をどうしてもしなくてはならなくてね。公にはネモはまだ体調が優れないことにしてるんだ。それで皇帝、皇后、教皇のみと謁見することになった。早速明日私とアノスが一緒に謁見してくるけどアノス大丈夫?」
ライフォードは心底嫌そうな顔をしてため息一つ付くと伝えるのだった。
教皇、聖シモンは悪巧みが得意なやつで尻尾さえ掴ませない徹底的な管理で裏の世界にも顔が通じるという。
そしてネモの所有権を教会として主張しているそうだがそれは自分の利益のためでしかないのだろう。
だがそこでアノスを連れていくと魔眼の力で嘘を見抜ける、ライフォード側がずるいぐらいに有利になってしまうのだった。
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