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揺れ始める稲穂
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しおりを挟むあれからネモは健康になりアノスの魔眼を治す実験をするという目標が出来た為、味気ない病人食でも文句言うことなく大人しく胃に詰めていたのだ。
まだ若いだけあってネモの回復能力は凄まじく体重も完全には戻りきってはいないが徐々に増えている。
今では一人で起き上がり少しくらい体を動かせるようにもなっていたのだった。
「ネモ様、抜糸しますよ」
それに最近ライフォードの部屋には新しく出入りする人が増えたのだ。皇族お抱えの筆頭医務官であったレインはこの機にとライフォードが半ば無理矢理だっあが皇室医務官の任を解きライフォードのお抱えにしたのだった。皇族の筆頭医務官を務める前は戦場を駆け回る軍医でその巧みな医術と病人にさえ容赦のない姿は戦場で有名だったという。だが、彼は有名になればなるほど「善意の悪魔」と呼ばれてしまうのだった。何せ戦場だ、まとまに薬品が入ってこないのが常で麻酔なしの切開手術など毎日だ。悪魔が来れば必ず治るが必ず痛い思いをさせられる。そして「早くしてあげないと可哀想」という90度曲がった善意からその施術は丁寧だが荒く痛くない施術は無い。
もちろん無茶と派手を好むノアとライフォードは毎日のように野戦病院に出入りし彼らの顔を見る度にレインはウンザリするほど見慣れている。
「何針縫ったと思ってるんですか、楽に抜けないと思ってくださいね」
「・・・じゅーなな?はち?」
ネモは自分の腕をあった糸を数えるのがめんどくさくなりそれっぽい数を言って見せたのだったが逆効果になってしまった。
「19針です。そもそも人の怪我は治せる癖に自分のはかすり傷でさえ治せないなんてポンコツの極みですね」
このレインという人物は光の精霊に祝福された家系の最後の生き残りだ。その能力は万物の損傷箇所を見抜く力で代々医療に携わって来たそうだ。だが、それを狙われ気が付けば彼が最後の生き残りになってしまった。
精霊の祝福と契約は大きく違う。特にレインの祝福は精霊に与えられた力であり契約で得た力では無い。精霊に与えられた祝福のため代償は無く、そしてその力を代々受け継いでいるため威力も凄まじまい。
そんな力を持つ万能な彼は猫のように釣りあがった赤い瞳と誰も寄せ付けない雰囲気がまさに高嶺の花だが人柄はただのツンデレだ。
ネモに言わせてみれば「残念美人なんだよなぁ」に尽きる。
「私はまだやり残した仕事があるんです。さっさと腕出しなさい」
こんな乱暴な言い回しをするレインだが少し後ろを見てみれば銀のトレーにはしっかり麻酔薬と氷、他にも痛みを極力感じさせないような工夫が凝らされている道具ばかりだ。
「え、やだよ。絶対痛いだろう」
「そう思って僕はあなたに慈悲を与えます。大人しく腕を出すのでしたら麻酔を塗って差し上げますよ。ですが暴れ回ると言うのなら今すぐ外に立ってるアノス様を呼んで無理矢理その糸を抜きます。もちろん麻酔なんて甘えた考えないですよね」
流石は善意の悪魔だった。
よく動き回るようになったネモには毎日ノア、アノス、ヘクターの三人の誰かが傍についていた。と言っても部屋から出る事はライフォードによって許されていないので実質監禁で三人は部屋の中に入るのと無礼講で思い思いに過ごす。要するに三人はネモの退屈を紛らわせる為のただの暇つぶし相手であるのだった。
今日はレインによる身体検査も含まれている為『一度全身の傷を見たいので脱いでください』の一声と共に今日の護衛であるアノスは気を使って部屋から出ていってしまった。
5人はレインだけに全てを話しておりネモの健康状態が良くなってから行われる実験も医者である彼の「問題ありません」が無いと行われない事になった。
そしてネモが手首から切り裂いた傷は肘にかけて20cmほど伸びており19針も縫う大手術だった。
レインのいる騎士団の医務室に運ばれてすぐは健康状態も悪くレインによると「生きてる方が不思議ですよ」と言わざるを得ないものだったそうだ。
観念したネモは「麻酔しっかり塗ってくれ」と言い左腕を出すとレインは丁寧に麻酔を塗っていくのだった。
「ねぇ、レイン。レインはオメガでしょ」
「なんで知ってるんですか」
明らかに眉を顰め煩わしそうな顔をしたレインはそのまま時折ネモの腕を触っては反応を確かめる。
「この前ノアがレインからいい匂いがするって言ってたぞ。そのまま食われるなよ」
「あなたってホント見かけによらず下品な話が好きですよね。期待しなくてもノアと私は何もありませんよ。私だって選ぶ権利はありますし遊び人は嫌です。だいたい病気でも移されたらどうするんですか」
ネモは思わずふっと吹き出すと同時に腕に感覚が全くない事をレインに告げた。するとレインは細いハサミとピンセットに指を絡ませ慣れた手つきでネモの腕の糸を取っていくのだった。
本当はライフォードもここに居る予定だった。だが、急に仕事が増えたため執務室に篭もりっきりになっている。聞けば教会から連日教皇が訪れネモに会わせろと口うるさいという。民からも精霊の愛し子を隠すなとそれに似たりよったりな内容の文が届くそうだ。それに加えシリウスは戦争で揺らいだ国家体制を立て直すための政策を考えながらも中央政権を実現するため才のある者を探すのに忙しい。
「レインは元は町医者だったんだよね。町医者は徴兵されないはずなのになんで徴兵されたの?」
「僕は徴兵ではなくて志願です。その頃はまだ医者として未熟でとにかく沢山経験を積みたかったんです。戦場なら街の病院と比べて怪我人も沸いて出る程なので軍医に志願しました。最初は医療兵で私も刀を持って戦場を走り回ってましたよ。そもそも私の家系は力が集まるのを避け散らばる事を良しとしていたので、ほとんど成り行きで軍医に志願しましたね」
「兄上とノアはどんなんだったんだ」
「はい、抜糸は終わりましたよ、次は後ろ向いてください」レインは集まった糸に火をつけて燃やすとそれに水をかけ紙にくるんだ。そして記録用の紙を取り出すとネモの体に触れた。
そして昔のことを思い出したのだろう、小悪魔のように笑うと続ける。
「シリウス殿下とノア様は連日くだらない失敗で大怪我をしては運び込まれていましたよ。やれ手榴弾の火力を調整してたら着火してしまっただの勝手に別行動をとって敵に切られただの中でも一番面白いのはノア様が嫉妬に狂った女に腹を刺されて生死をさまよった話ですかね。それも1回きりじゃないんです」
「なんだそれは、詳しく聞かせてくれ」
「いいですよ。その代わりこれから僕が聞く質問に正直に答えてくださいね」
まず、ご飯はどのくらい食べましか。毎日どのくらい眠っていますか。今は胃に不快感はありませんか。頭痛は1から10でどのくらいの痛みが多いですか。処方した薬はちゃんと飲んでいますか。発情期はまだ来ていませんか。
ネモはその質問に一つ一つ答えるとまたレインから質問をされその繰り返しだった。
コン、コン、コン
アノスにしては珍しい静かなノックとともに侍女が「失礼致します」とご飯を乗せたカートごと入ってきた。
気が付けば昼のご飯が運び込まれネモはその味気ないと文句を垂れたご飯に「おなかすいたー」と釘付けになるのだ。
侍女が部屋から出るとそのを見届けたアノスも部屋に入ってくる。そもそも部屋の扉の前に騎士が2人立っているのだ。アノスが扉の前にいる必要も無い
「もうそろそろ固形のものを食べ始めましょうか。果物も増やして魚を中心にしましょう。油が多い肉は避けてくださいね。もちろん酒もです」
「え、そろそろちゃんとしたものが食えるのか!?」
ネモはこの味気ない食事ともおさらばかと思うと嬉しくなってつい柄にもなくはしゃぐのだった。何せ今の食事はドロドロになったパンを胃に流し込むだけなのだ。
レインはというとポケットから錠剤を取りだしそれを飲み込む、たったそれだけの食事だった。
「レイン、医者のくせに不摂生が過ぎるぞ」
「貴方に関係無いでしょ、黙ってそこで立ってなさい」
アノスは本当はそんなレインの食生活が気になって仕方がない。そもそも長男体質なアノスだ。確かに関係無いと言われればそれまでなのだが本当にそろそろ体を壊すのでは無いかと気が気では無い。
彼に居なくなられては騎士団の医療体制がズタボロになってしまう上に番のヘクターの薬を調合してくれる医者が居なくなってしまう。
「ねぇ、レインさっきの話の続きして」
「ノア様はですね、その時4股を掛けていらっしゃったんですよ。まず医療テントにいる女医、そしてその助手の女です。次に女戦士として隣の隊にいた女、この方がノア様の脇腹をグッサリ刺しましたね。その後は自害しましたけど。最後に最寄りの街で一番の美人だった踊り子でした。」
「その頃からノアは女遊びしてたんだな、はしたない」
ネモはスープの中に浸してある柔らかいパンを飲み込むと掻き込むように次は牛乳を一気に飲み干した。
「あの頃のノアとライフォードは酷かった。手当り次第捕まえては捨てるの繰り返しだ」
「本当にそんな感じでしたね。」
「それ一歩間違えれば皇族出来まくるじゃん」
自分が何者であるか知っていて尚女遊びに耽ったのだから我が兄ながらいい性格をしてる。
「ネモ様、健康状態は回復されましたね。これならあの実験も大丈夫だと思われますよ。擦り傷で試すのなら問題無しです。」
レインはそう言うと「では仕事がありますので」とその白衣を翻し部屋から出て行ったのだった。そのレインと入れ違いで今度はヘクターが部屋に入ってきた。護衛の交代なのだろう。
「アノス、もういいよ。ありがとう、また兄上から追って知らせがあると思うがよろしく頼む」
アノスはネモのこういう所に今でも慣れないでいた。
彼が持っているカリスマと実行力は兄にも引けを取らないそして何よりも兄、シリウスよりその言動全てが優しさに溢れている。その身をも捧げる所は感心しないが皆がネモの様に領地を経営すれば国は腐らないはずだ。
「ヘクター、あれからアノスと仲直りは出来たのか?」
「しましたよ。ちょっとでも何かあったら辞めるって言う条件付きですけどね。」
前回あの話をした時、二人は喧嘩を初めてしまったのだがようやく決着がついたらしい。ヘクターにちょっとでも何かあったら計画は即中止な上二度と話題にすら出さない事を約束させられたそうだ。
「んで、仲直りえっちは上手くいったのか」
「そういうの聞くんですか・・・それ性的な嫌がらせか何かですか?」
「まぁまぁまぁ、そんな事言わずに。この間、ノアが晩酌にと忘れていった酒があるんだが飲まないか?」
そう言われてしまえばヘクターは直ぐに揺らぐ。「ぅう、一杯だけですからね」と言いつつもまたネモの口車に嵌められ結局しこたま飲まされたのだった。その酒の瓶が半分ほどになった時だった。
「だぃらい、アノスはセックスが激しいんですよ、何も13の子供にあれはないっすよ」
「あれってなんだー?」
「見るからにデカイ、アレですよ、初めての時はお腹がパンパンになって破裂して死ぬかと思いました」
やっぱりヘクターは苦労が絶えない。そのままライフォードが部屋に戻るまでヘクターは飲まされ続けていたのだった。
そしてライフォードが戻ってきた時だった。その後ろには昼下がりにヘクターと入れ違いで戻って行ったアノスの姿がありアノスは二人を見ると静かに怒りを含んだ声でお開きを告げる。
「クソガキ共いい加減にしろ。おい、ヘクター戻るぞ」
くたくたに酔ったヘクターはそのままアノスに抱きつき、アノスの首に手を回した。
「ぃー・・・きょぅは、俺が乗っかってきもちよーくしてあげます。」
酔った彼は恥じらいなどどこかに置いてきたのだろう。そのままアノスの首元に吸い付くと一つ、赤い所有印を付けたのだった。
「はぁ・・・ネモ様もこういうの辞めてくださいって何度言えば気が済むんですか・・・」
満更でも無さそうなアノスはヘクターを横抱きにすると騎士団の寮へ戻って行ったのだった。帝国の戦闘狂を集めただけの第一騎士団をまとめるだけあってその腕は未だにノアが勝てないくらいには強いという。だがその事実を公には隠し「騎士団長なんか柄じゃねーんです、俺は隊長止まりでいいんですよ」とその役目を辞退したのだった。そしてノアは目立ちたがり屋だ。二つ返事で騎士団長になりきっと満足なのだろう、仕事はほとんどバーボンのやらかし報告だけでそれ以外はアノスを含めた各団の隊長が処理していた。そのためノアの仕事と言えばバーボンのやらかし報告書作成と上がってきた書類に印を押すだけの簡単な仕事だ。
「そういえばネモ、今日レインに聞いたよ。明日、試してみよっか」
ネモはそれに大きく頷くとやっと運ばれてくる固形の食べ物に目を輝かせていた。
実に1ヶ月半ぶりの固形食だ。メニューはミルクパンとサラダ、そしてぎり固形を保っているトマトのスープだった。シリウスはと言うとそれに似たような皇太子が食べるには些か地味なもので二人は静かに食卓を囲むのだった。
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