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本編
見えない心⑥ ~ヴァロア~
しおりを挟むアンスの傷に手を当てて、物思いに耽る内に、周りの音が小さくなって何も聞こえなくなった。
金の粉を撒き散らし飛ぶ妖精夫婦が目の前を横切る。ロアがユグが小さく笑った気がする。
次の瞬間、意識が霞み、耳の奥にすすり泣きが聞こえて来た。
以前、うたた寝の時に聞いた声だと気付く。
あれは、あれは……
───ヴァロア。
私の知らない声が私の名を呼ぶ。
───ごめんなさい。名前さえつけてあげられなくて……
ごめんなさい。愛しいと伝えられなくて……
ごめんなさい。抱きしめてあげられなくて……
ただひたすらに謝る声は震えていた。
───……産み捨てるような結果になって……ごめんなさい。
お母……様?
───そう……呼んでくれるの?
お母様。
貴女は、私を護ってくれた。
ユグとロアから真実は聞いたの。
だから……そうね。色々思うことはあっても、感謝しているわ。
謝らないで。私も謝らなくてはならなくなる……お母様は死んだのだもの……私のせいで
───そう……そうね。
なら、お互い様と言うことで、前に進まない?
……前へ?
───そうよ。私は今まで貴女の内に居たの。貴女が私を癒してくれていたの。だけど、限界が来たのよ。私が貴女と共にこのまま居たなら……貴女は壊れてしまう。
……それは、どう言う意味?
───そのままの意味よ。
私はもう壊れているのよ。傷付いた魂魄を、時間を掛けて治していたの。だけれど、もう限界。
これ以上は貴女の魂が耐えられない。
なら、生まれ変わればいいのでは?
……私が、私がお母様を産めば───
───いいえ。それは無理よ。
私が器を持ったとしても、すぐに死んでしまうわ……
なら、どうしたら……
───私はね、アンスのところに行くわ。
え? アンスって、
───貴女の“初恋”のお相手ね。それに、エドガー……今のアウローレンスの番。分かっているわ。
あの人は、器の大きな人。それは御魂も比例しているの。大きな、大きなあの人の内でなら、私は何倍もの速さで治ることが出来るはず。
そう。そうね。きっとそうだと私も思うわ。
───貴女も、ヴァロアも、幸せになって欲しい……貴女だけを見てくれる人が近くに居るでしょう?
ウィクルムの、こと?
だけどあの子は、きっと錯覚しているのよ。救ってもらったと言うその恩を愛情と履き違えているのよ。
───いいえ。それは絶対にありえない。それは、目を見れば解るわ。
本当に?
───目は口よりも物を語ってるのよ。あの子は本能の部分で貴女を求めてる。
ある意味、竜であるアウローレンスと同じで番なのよ。貴女たちも。それが表に出ないのは人と言う人種だから。けれど、精霊の、ユグドラシル様の影響を受けたから人の枠からは外れていて、本能だけで感じているのよ。
それは……好きとは違うのでは?
───切っ掛けなのよ。“番”は選ぶものなの。選んだならもうその人だけ。ちゃんと話してみなさい。話さないと駄目よ? 目は口よりも物語るけれど、言葉にしないと伝わらないのだから……
そう。そうね。確かに私もウィクルムに惹かれている自覚が芽生えたばかり……それに、アンスのこと。初恋だって、今日初めて気付いたのよ?
───気持ちは自分では解りにくいものだから……けれどね、互いが想い合ったその時は恐れずに前へ進みなさい。立ち止まったら駄目よ。誤解は“心の毒”となるのだから。私のように魂魄が傷付いてしまう……
肝に銘じます。
───さて、話は尽きないけれど、アンスのところへ行くわ。もう理解も得ているから……アウローレンスも、あの人も私を見留めて、納得しているから大丈夫よ。
お父様は……
───エドガーはアウローレンスに溶けていくのよ。もう、終わった人生なのだから……ヴァロア。幸せになってね
お母様……はい。必ず!
声だけで在るお母様が、微笑んだように感じた次の瞬間、躰の内から暖かな光の玉が飛び出して、ユグとロアが保護するように光の玉の左右に控え、アンスまで導いて行く。その光を私たち三人は共通して見留めて居た。
私たちを繋ぐ者。繋いで居た者が、私を離れ、二人の番を繋ぐ架け橋となったように感じた。
心底安堵し、一息吐く。
それから程なく、アンスが目を開けて微笑んだ。
「アンス!」
縋りついたままの殿下が更に泣き縋る。
「……可哀想に……痛いでしょう? 大丈夫、ですか?」
痛みに眉間に皺が寄るも、動く方の腕でを伸ばして殿下の頬を撫でる。
その動作一つでどんなに想って居るかが伺いしれた。
「アンス……お前だけだ……私の、私の番」
殿下が嗚咽しながら告白した。
“お前だけだ”と、肯定した。
「ええ。俺もアウロ様だけですよ」
アンスの殿下に向けた蕩けそうな笑顔が、ただ愛しいと示している。
言葉だけではない。
二人は心の底から想い合っているのだと傍から見ても理解出来た。
だけど、苦しげに息を吐くアンスの顔色は未だに悪くなる一方で、流血が止まらない。傷口に押し付けた騎士服がぐっしょりと血濡れて行く。
「ヴァロア様!」
タイミングよくウィクルムが帰って来た。
「マム! 待っていた!」
マムは素早く止血を施してくれ、アンスよりも殿下が大変だと、そこからアンスと二人、会話だけで分かり合い、殿下の呪詛を口付け、口吸い? でアンス自身に戻すことで治療を終えたらしい。
気が抜けた。
全てが終わったのだと分かって、身体中から力も抜けて脱力する。
思ったよりも力を入れていたようで、血で真っ赤になった手の先が震え出した。
本当に良かったと思った。
安堵して、ふと、お母様との夢現なような会話を思い出し、アンスと殿下を見る。
長く自覚しなかった想いは、始まってもいなかったから振られたのとも違う。けれども、確かに存在したものだと、過去の想いにほろ苦さを感じた。
ロアとユグの言う“初恋”は、どうやら始まる前に終わっていたらしい。
何とも私らしいと思って、自分を笑ってしまった。
そんな時、視線を感じてそちらを見ると、ウィクルムが真っ青な顔をして佇んでいた。
心は見えない。
だから人は言葉を使うのだ。
溢れる想いを言葉にして、見えない心を満たすのだ。
誤解を生まないように。
誠心誠意、相手と向き合って……。
「ウィクルム?」
彼の人の名を呼んだ。
私の唯一と見つけた愛する人の。
ウィクルムは、青い顔のまま、一歩下がり首を振る。
「僕は……」
その美しい金の瞳からそれはそれは美しい涙が零れ、その表情が歪む。
そして、背を向けて駆け出した。
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