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本編

見えない心⑤ ~ウィクルム~

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あの男は、ヴァロア様を望みながら、望むのはヴァロア様ではないと宣った。
ヴァロア様ではなく、ヴィクトルだと。
それは僕も気付いていた。
ユグ様の記憶から、その過程もヴァロア様の魂の内に母親であるヴィクトルが存在していることも、本人たちよりも理解していた。

だが、ここまで存在を、ヴァロア様の存在を無視出来るその有り様に戦慄する。

言葉をぶつければ、それは病的な心理状態にあることが解った。
だが、解ったとしてそれがどうした。ヴァロア様を蔑ろにしていい理由にはならない。

怒りのままにやり合えば、あの男の心理状態が不安定になり、更にユグ様とロア様が間に入ったことで感情が爆発し、竜体へと変化した。

そこまで僕も、深くは考えていなかったのかもしれない。否、突発的な怒りで我を忘れたのだ。

故の結果。

一番大切なヴァロア様を、一瞬とは言え、僕さえも蔑ろにしていたのだ。
まるでその罰を受けたような出来事が目の前で起きる。

呪縛されたように目の前で起こるであろう最悪の未来を止めることが出来ない。

ヴァロア様の体が傾く。
それはゆっくりと、手を伸ばせば庇える位置に居たのにっ……何も出来なかった。
護ることも、助けることも。身動ぎも出来ず、足が竦んだ。

何故?

それは、ヴァロア様が望んだから。
ヴァロア様の“想い”が直接僕に流れ込み、投げやりでもなんでも、あの方が望むもの望むこと全てを叶えてやりたい衝動は自身で思うよりも強かった。
それが衝撃的で恐ろしかった。
大切だと思いながらも、ヴァロア様の想う通りに動く自身が信じられなかった。

ヴァロア様が死にたいと望むならば、戸惑うことなくこの手は彼の人を手に掛けるかもしれない。
恐ろしい。震える両手を押さえ付ける。
アンスが防いでくれなければ、ヴァロア様の心の臓は確実に潰れていただろう。

何故?
大切に想いながら、真逆のことをしてしまうこの自身が信じられなかった。

足元まで流れて来た赤い水たまり……男の血液に静かに目線を上げると、ヴァロア様の背中が見えた。

「ウィクルム!」

呼ばれ、それだけで浮上する心。

「さっきみたいに、世界樹経由でマムのところに行ける?」

「あ……アンスの状態をみるに、マムをこちらに呼んだ方がいいと思う」

マム。僕は直接見も言葉も交わしてはいないけれど、ユグ様の記憶の中に鮮明に癒し手で在る赤い女性が現れた。

「じゃあ急いで!」

ヴァロア様の言葉は絶対で、瞬時に駆け出す。

一連の衝動に、動揺し、疑問に思いながらも、その言葉に従う。
大樹の肌に触れて“マム”へと続く古木を探し、繋げ、瞬時に移動する。

目の前に現れた僕に驚いたマムは小さく悲鳴を上げた。

「すまない。ヴァ「お前は誰だ?」

言葉が遮られ警戒し、身構えるマムがその両手に攻撃の魔力を乗せる。

「ヴァロア様が! 呼んでるんだ!」

「ヴァロア? それが本当かどうかは解らない」

マムの掌の魔力が熱量を上げて行く。
ああくそっ

「僕はヴァロア様に運ばれ、貴女に助けてもらったあの時の子どもだ!」

そう叫びながら思い至って金色の花を一輪手にする。

「これなら信用出来るか??」

花をマムに差し出すと、瞬時に警戒が解かれた。

「金色の花……嘘ではないようだが」

瞬いた瞳で僕を見るマムに、

「急いでるんだ。アンスが瀕死で、だから貴女を呼ぶようにとヴァロア様が」

「アンスっ?! 騎士のアンスか?!了解した。連れて行け」

初めとは打って変わって素直に手を出して来た。
その手を握ると、迷わず古木に体当たりをする。それだけで扉を通る気軽さで元の大樹の下に着く。
そのまま共に駆けて行く。





「ヴァロア様!」

開け放たれた扉を抜けると、竜体が解かれたあの男が本来の子どもの姿でアンスにすがりついていた。

「マム! 待っていた!」

マムは無言で二人に駆け寄ると、真っ赤に染まった騎士服を跳ね除け、すかさず手当てをし、癒しの魔力を発動させた。

「もう大丈夫だ。傷は塞いだ。普通なら死んでもおかしくない深手だ。ただ、流れた血は戻せない。貧血が続くだろうから不足分取り戻せるまで絶対安静だ。問題はこっちの子どもだ」

マムはアンスから離れないあの男を指し眉根を寄せる。

「呪詛……か? これは、己の呪詛に晒されているのか?」

「視えるの?」

ヴァロア様の問いに頷いたマムが小さく微笑む。

「ああ。私には視えるよ。これはまた、強固な呪詛だな。だが、元の場所に戻せば簡単に剥がれる。その流れも視えるよ。この子どもの呪詛はアンスから流れている。だからアンスが吸い出せばいい」

視えているんだろう? と、面白そうにアンスに訊く。

「視えてるよ。この方との“愛の糸”だからな」
「ふふ。相も変わらずクサい台詞を放つな。その正直さが羨ましいよ」

死にかけていたのが嘘のようにマムの手を借り起き上がったアンスは、膝に縋りついているあの男を優しく引き寄せ、小さな体を抱き包むと、そっと顔を寄せ口付けた。

僕にも視える。
あの男の躰に巻き付いた呪詛の糸。それがゆるりと紐解いて、アンスの口内へと折り畳まれる。
糸の先がプツンとあの男から切れアンスに戻る。

あのまま苦しめば良かったのに。と密かに思えど、二人の様子を見ているヴァロア様に気付いて……全ての思考が止まる。

苦しそうに胸に手を当て、切な気に眉根を寄せたヴァロア様。その視線の先にあるのは、アンス。


それだけで気付いてしまった。
気付いて動けなくなってしまった。

ゆっくりとヴァロア様が顔を上げ、僕と視線が合うと、安堵したように微笑んだ。
先程の表情が嘘のように。




……だが、僕は気付いてしまった。


ヴァロア様のあの表情は、







“恋慕”の、女の顔だと。





















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