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本編
癒し手マム
しおりを挟む「その通りだよ。人の負の感情は、何をしでかすか判らない。本当に恐ろしいんだ……」
ロアの旦那様だと言う生まれたばかりの妖精が恐怖に震える。
「ユグ……」
「あの子が命奪われそうになった時の恐怖は、とても言葉では表せないくらい恐ろしいものだったよ。私は焦るあまり、無理に抜け殻だと思ったあの子の体に降臨したんだ。だから記憶が曖昧になって、誰だか解らなくなってしまった。あの子の存在が、生きたいって思いが強くて……あの子に呑み込まれてしまったんだ。人間は……」
妖精は寄り添って微笑み合う。
「人とは時に精霊よりも強いんだよ」
ロアが意味深に微笑んだ。
「だからマム。本当に、ありがとう。この人を私に返してくれて」
「ありがとう。ロアの言う通り、貴女がいなければ、恐らく、私も、この少年も死んでいたと思う」
小さな妖精が二人して頭を下げる。
「なんだ。こちらこそ、ありがとうなんだがな。ロアと、あーと」
名を呼んでいいのかな?
戸惑っていると、あぁ。と、察してくれたロアの旦那様が、小さく礼をとる。
「改めて、はじめまして、マム。私は妖精のユグドラシル。ユグと、呼んでくれたらいい。そして、やはり、はじめましてヴァロア。私の愛し子」
互いに畏まって頭を下げ合い、妖精二人は机の上に身を落ち着けた。
それにしても、ヴァロアも初めましてなのか。愛し子って?
「貴女は前から魔力が足りなかったの?」
ユグのいきなりの問い掛けに、古い記憶が蘇る。
「子どもの頃の方が魔力は強かったが……」
眼帯のレースに触れる。
あの時のことは後悔したことはない。
「失礼だが、その傷が出来てから魔力が少なくなったのではないか?」
心を見透かすように言われ、
「……そう言えば、そうかも知れない」
どうしようもないことだと、諦めていた。
子どもの頃、7歳だった私は恐ろしい程無鉄砲で無知だった。
長いドレスをズボンに変えて冒険だと野山を駆けた。
どんなに注意されても、注意されればされる程に反抗したくなったのだ。
ある日、いつものように子分を連れ回していた。
楽しんでいたし、あいつも楽しんでると思ってた。
それで、門番が言った言葉を思い出して、
絶対に森のストーンから
向こう側に行ってはいけない。
嬉々として、そちらに向かう。
「ストーンに行くつもり?」
子分が不安な顔をする。
その顔を見るのも大好きだった。
「行かないでかっ!」
片手で引っ掴んでずんずん進む。
“ストーン”とは、領地の境。
森の深みに入る手前に置かれた大きな結界石のこと。
二メートルの高さを越す岩の羅列。それはとても魅力的に思えた。
実際には、未知の生物を排他するもので、その日はその動きが活発で、警戒令が発令されていたのだ。
森をぐるりと囲む結界石の、見張りの者が居ない箇所を私は知っていた。
そしてその先に進む“穴”も。
「やめようよぉ……」
子分は涙目だ。
それがゾクゾクする程楽しくて、無茶をする。
「大丈夫だよ! 何かあれば私が助けてあげるから」
嫌がる子分を先に穴へ押し込む。
子どものお遊びでは済まされない行為だ。
子分が入って行ったのを見て後に続く。
その先は、暗いただの森だ。
いつも遊びで入り込んで居るいつもと変わらぬ風景。
だけど、私の目に映る背中は小さく震えそこに佇んでいた。
いや、動けずにいたのだ。
「マム……」
私の愛称を呼ぶ彼が、振り向くと同時に横に吹き飛んだ。
暗い木々の間から“それ”はのそりと現れた。
“それ”の振り上げた手には、赤い血が滴る“腕”がぶら下がっている。彼の血だ。彼の腕だ……。
ひゅっ と、息が詰まる。
森の入口に彼が転がっていて、その下に血溜まりが出来ていた。
死んでしまう。
死んでしまう。
私を見て笑う彼の笑顔が、
彼の笑顔が私の前から消えてしまう。
目の前の出来事に、私の中の何かが切れる音が聞こえた気がする。
胸の奥に燃えるような塊が、膨れ上がる。
その塊が飛び出す瞬間、“それ”の爪先が視界に入る。
視界が赤く染る。ジンと目が熱くなる。それでも踏ん張って立っていた。
“それ”は立った姿のまま、上半身は抉れ消失していた。
かくりと、足から力が抜ける。
だけど、目の端に彼の腕が見えて、その先にある彼自身を見て、助けなきゃ。と言う気持ちが体を突き動かす。
腕を手に取り、彼の傍に。
青白くなった顔。
私は彼の笑顔が好きなのだ。
千切れた腕をあった箇所に押し当て、ただ、助けたいと言う気持ちが頭を一杯にする。
手をそこに当てると、傷んだ顔から力が抜ける感覚が当てた手まで降りて来て、彼を白い光が包む。
そこまでの記憶しかない。
目覚めたら数日経っていて、
後から聞いた話。
私は癒しの力を開花させ、彼を助けたのだと。
けれど、その腕は形こそ治されたものの動かない飾り同然になったのだと。
リハビリをすればまた違ってくるだろうと言う話ではあったが、彼とはそれ以降、会うことは叶わなかった。
その時気付いた。
私は彼が好きだったのだ。
私を見て笑ってくれる彼に恋していたのだ。
子分だなんて思っていた彼は、私の婚約者で、家へ婿入りし共に跡取りになる筈だったと聞かされた。
涙を流す。後悔の、懺悔の涙。
私の右側の顔面には薄い太い傷跡が残った。
故に、令嬢としての役目は果たせないこと。
7歳とは言え重大なことを起こしたこと。
それを鑑みて、跡取りとして廃嫡となり、母方の遠い親戚にあたる今の義親に預けられた。
だからその後、彼がどうなったか、生家はどうなったか。
私は知らない。
それは両親の愛だったのだと徐々に気付くこととなったけれど……。
そうして目覚めた能力を高め、今に至る。
懺悔の気持ちで始めた“癒し手”は、今ではライフワークで、無くてはならない唯一の大切なもの。
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