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本編

始まり

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一人の愛し子が、壊れた。

その者の伴侶が命を落としそうになっていた。
それを助けて欲しいと悲鳴が聞こえた。
もちろん、それを叶える為に力を送ったが、当の本人がそれを拒否した。明確な言葉で、自分よりも子どもを助けて欲しいと願ったのだ。

人間の、母性の複雑な部分に、ユグドラシルは戸惑った。
だが、愛し子よりも、母性の強き願いが自ら願いを成就させる。

そして、我が愛し子は壊れた。

それは、人間故の、その性質の複雑さ故に。

己が同じ立場なら? と、考えた時、やはり耐えられないと感じた。
ヴァロアを失うなど、恐らく、世界を壊してしまうだろうことも。

厄介なことに、愛し子エドガーは、その血の中に竜の血も混じっていた。

竜の伴侶への想いは、並大抵のものではない。
時には自身の子どもよりも、伴侶への想いの方が強いくらいだ。

人間の母性とは、精霊も、竜も、持ち得ないもの。
だが、ヴァロアと共に過ごすうちに、知らぬうちに、人間寄りに考え方まで傾倒したようで、父性なるものがユグドラシルに芽生えていた。

仲間は平等に愛しい。
だが、
我が子は特別に愛しい。
それが、ヴァロアの血と自身の血の混じり合った奇跡の証なのだから。

故に、怒り狂い、狂って行く愛し子を見るのは耐えられなかった。

彼は、愛しい女性の死肉を食んだ。
それは竜の血が強く現れた証。竜は、稀に愛した伴侶が死した時、そうした行為をすることがある。

それは、愛の証とも言えたが、それを見るのは辛いものがある。
そして、死の本当の理由を知る。

双子だからだ。
出産は稀に命懸けとなる場合がある。
それが、双子の場合、特にそうした系統がある。

一人は助けられた。
二人目は無理であった。

それを腹から見つけたエドガーは、静かになった。

子どもなど、いらない。
返してくれ。
私のヴィクトルを!

その悲痛な叫びに、もう耐えきれなくなったユグドラシルは、もう一度、祝福の花を贈った。
それを手に持ったエドガーは、血に赤黒く染まった口元を緩める。

ありがとう。
ありがとう。

と、ひたすらに感謝をし、静かになった。

落ち着いたかに思えた。

それから、静寂が訪れる。
穏やかにも見えた。

あの時に助けた赤子は、女で、ヴァロアの名を貰っていた。
前の愛し子がその子を優しく優しく育てていた。
エドガーはその子に関心はなく、全てをその母親に委ねていた。

ユグドラシルは、ただの傍観者である。

この緩やかな年月が、ただ、幸せであれと願うばかり。

そうしてヴァロアが5歳になった時、“祝福の花”を贈った。
そして、ヴァロアがその花を口にしたのを見て、驚いた。
そんなことをする愛し子は初めてだったから。
お腹が空いた。と、呟いている声が聞こえていた。
ただ、生まれた時間に贈っただけなのだが、タイミングが悪かったのだ。
子どもは何をするのか判らない。
それが楽しくもあり、心配でもあったのだが、その心配の種は確実で、精霊世界の食べ物を口にすると、他世界の食べ物は受け付けなくなる。

ヴァロアの体が精霊寄りに変化した瞬間であった。

だから、定期的に花を送る。
食事であるのだから、毎日三回は。

それから五年後、ヴァロアの生まれた日、ヴィクトルの命日に、エドガーは“祝福の花”に願うのだ。

考え
考え、至った願いだ。
ヴィクトルを、私は探すのだ。
愛しい女性と、今度こそ幸せに添い遂げたい。
だから、力有る者に転生させて欲しい。この記憶を受け継いで、そして、権力のある、この国の、王子として。
そして、ヴィクトルを私の前に寄越して欲しい。
これは譲れない。
歳も、性別も、人間で無くてもいい。
彼女であれば、何者でも構わない。


その言葉と共に、エドガーは事切れた。祝福の花を、その口に食んで……。

転生後、祝福の花も変化し、共に寄り添っていた。

愛とは狂気でもあると、学んだ瞬間。

そうして、ユグドラシルは、同時期に花を送り続けることとなる。



そして、責任を感じる。
もっと違うやり方があったのではないか。と、ヴァロアは傍で励ましてくれた。ユグドラシルは悪くない。と、けれど、心の中に芽生えた罪悪感は、大きくなるばかりで、耐えられなくなった。

ヴァロア。
愛しいヴァロア。
貴女を愛しているから余計に辛い。
だから、我が子を手助けするために、自ら人間の世界へ行こうと思う。
そうと決めたら早々と、探し始める。
自分の転生先を、赤子から始めたら手遅れになる。ならば、抜け殻を、降臨と言った形での転生。

そして、薄汚れた街の、世界樹の足元で、死にそうになっている幼子を見つけた。

世界樹の根から、ユグドラシルはその幼子に入り込む。
ヴァロアの為に長年固定していた体は眠りに着いて、その精霊たる名の通り、霊魂のみを人間の世界へと、無理に行った降臨故に、その全ての記憶が散々とし、自分が誰で何でそこに居るのか、全てを忘れてしまった状態で……。

誰もが愛故に、愚かで、無理をする。
優しくも、穏やかでもある。

全てが、愛故に。
許されないことさえしてしまうこともある。

始まりは愛故に。
終着点は何処にあるのか、本人たちさえ判らない。








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