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54 種子道
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翌日、朱琳は一人で登龍殿へやってきた。
互いに積もる話もあるだろうと思い、菖蒲に頼んで人払いをしてもらい、二人きりで話せる場を設けた。
「昨日は、あんなとこで何してたの?」
「そっちこそ」
「殿下とお忍びで町へ出かけていたの。庶民のふりして」
「随分とみすぼらしい恰好をしていたわね。ま、二人とも似合ってたけど」
「……」
久しぶりに顔を合わせたというのに、何故こんなに突っかかった言い方をしてくるのだろうか。何か彼女に、不快に思われることをしただろうかと考えたが、思い当たる節はなかった。
お互いしばらく無言でいると、朱琳の方が先に口を開いた。
「私ね、名前変えたの。朱琳ではなく、種琳だから、よろしく」
発音は同じであるが、彼女は手持ちの紙に固形の炭で文字を書いてその違いを説明した。
「……そう」
私のかつて名乗っていた朱琳という名は、これで潰えた。もうここの後宮に、東龍国出身の朱琳という人間は存在しない。強制的に奪われた名は、泡のように消えていったらしい。とうに自分の名ではなくなっていたのだから、気にすることではないのかもしれないが、小さな喪失感がふと襲ってきた。
「それでね、昨日やってたことなんだけど。後宮の美形の宦官の舞を、一般にも披露したくて外に出てやっているの。だって、王宮の人間だけしか観れないなんて、勿体なくない?」
「……そう、ですか? 本来、国王に捧げるためのものですから、それでいいと思っていましたが」
「ほら、貴女はやっぱり頭が固い。"そういうもの"と思ったらそれ以外の選択肢を思いつかないんだから」
またしてもムッとしてしまったが、彼女の言い分も否定はできなかった。
「あんなに素晴らしいものを、一部の人間だけしか味わえないなんて宝の持ち腐れだわ! 大衆に知らしめてこそ、その魅力を一般市民に解放してこそ、彼らの存在意義も高まると思うの!」
息荒く語る姿に圧倒されつつも、目をキラキラと輝かせて語るその姿を羨ましく思った。種琳のような人には、阿銅羅教は必要ないだろう。"ありのままの自分"の好きなものを好きだと言い、自分の希望を叶えるべく行動して、他人に嫌われることなど全く恐れていない。
「まぁでも、既に何回かあそこで披露してるんだけど、なんか物足りないのよねぇ」
「どういうこと?」
「あの場では勿論楽しんでもらえるんだけど、それだけっていうか。なんていうか、もっといつも彼らのことを考え愛して欲しいのよ」
「なんでまたそんな」
舞というものは、観る瞬間に楽しむものに過ぎないと思っていた。その時その時、わぁきれいだな、すごいな、そう感じるーーそれ以外が思いつかなかった。
「あのね、私はこれらの一連のものを『種子道』と名付けたの。私は、種子道の求道者を増やしたい。いつも種子道を心に持っていて欲しい。そう思うの」
「なんでまたそんな」
さっきと全く同じ台詞が、口をついて出た。
「私は、この後宮で彼らの舞を見てから、頭から離れなかった。彼らは素晴らしいと思ったし、それを見て勇気をもらえた。私はいつでも会えるけど、会うたびにもっと頑張ろうって気持ちを持てたの。毎日無為に過ごしている人達がいるなら、同じように勇気を貰ってもらいたいって思って」
種琳の語る勢いに圧倒される。確かに昔から細めの美形好きではあったが、ここまで熱狂的だとまでは知らなかった。あくまでその熱量は自分だけのもので、他人がどうこうという思想は持っていなかったはずだ。
その熱意に押されて、つい自分まで、どうしたら彼女の希望は実現するか考えてしまった。
「いつでも会えるわけじゃないなら、代わりに、似顔絵などを配ってみたらどうでしょう? それを手にしたら、彼らを好きな人なら眺めることで気持ちを満たせたり、また会いたいと思ってくれるかも。それに絵が有名になれば、それを見てから初めて直接見に来てくれる人も増えるかもしれない」
「ふぅん……似顔絵か、いいわね。でも似てないと意味ないわ」
「修美公主が、耽美的な絵がお上手でした。彼女が協力してくれるかはわかりませんが、相談してみても良いのではないかしら」
以前、偶然修美公主と会った時のことを思い出した。彼女は衆道という男性同士のなにやらが好きだという話をしていたし、線の細いあまり見たことのない絵柄が新鮮だと感じた。若く綺麗な宦官の姿絵を描くにはぴったりでないかと思ったのだ。
種琳はそれを聞いて、さらに目を輝かせた。
「そうなの! いいわね、早速相談してみるわ! 青妃、教えてくれてありがとう。私、今とても楽しい。この後宮に来て良かったと思ってる」
……そりゃあ、好き放題やってなんのしがらみもなくなって、楽しいだろうよ。
と心の中で悪態をついた。
もし、立場入れ替えをしていなかったらどうだろうか?
私が侍女だったら……。たぶん、今の種琳のようにはならないだろう。相変わらず主人の命令に従って疑問も抱かず遂行する日々を送っていただろうということは想像に難くない。
種琳の自由さ、奔放さ、そして楽しさは、彼女自身が勝ち取ったものだ。
今までの私は、奔放な存在をある意味で忌避していた。
だが、阿銅羅教と触れ合って、自分の気の向くままに生きることも必要だと思い始めてきていた。彼らの思想に無理や弊害を感じつつも、考え方そのものは悪くはないのではないかと思い始めていたことを改めて認識した、
やっぱり自分は芯がぐらぐらしている。
種琳のようにはっきりしない自分は、一体なんなのだろう。
中途半端な存在にしかなれないことに、焦りを感じ始めていた。
互いに積もる話もあるだろうと思い、菖蒲に頼んで人払いをしてもらい、二人きりで話せる場を設けた。
「昨日は、あんなとこで何してたの?」
「そっちこそ」
「殿下とお忍びで町へ出かけていたの。庶民のふりして」
「随分とみすぼらしい恰好をしていたわね。ま、二人とも似合ってたけど」
「……」
久しぶりに顔を合わせたというのに、何故こんなに突っかかった言い方をしてくるのだろうか。何か彼女に、不快に思われることをしただろうかと考えたが、思い当たる節はなかった。
お互いしばらく無言でいると、朱琳の方が先に口を開いた。
「私ね、名前変えたの。朱琳ではなく、種琳だから、よろしく」
発音は同じであるが、彼女は手持ちの紙に固形の炭で文字を書いてその違いを説明した。
「……そう」
私のかつて名乗っていた朱琳という名は、これで潰えた。もうここの後宮に、東龍国出身の朱琳という人間は存在しない。強制的に奪われた名は、泡のように消えていったらしい。とうに自分の名ではなくなっていたのだから、気にすることではないのかもしれないが、小さな喪失感がふと襲ってきた。
「それでね、昨日やってたことなんだけど。後宮の美形の宦官の舞を、一般にも披露したくて外に出てやっているの。だって、王宮の人間だけしか観れないなんて、勿体なくない?」
「……そう、ですか? 本来、国王に捧げるためのものですから、それでいいと思っていましたが」
「ほら、貴女はやっぱり頭が固い。"そういうもの"と思ったらそれ以外の選択肢を思いつかないんだから」
またしてもムッとしてしまったが、彼女の言い分も否定はできなかった。
「あんなに素晴らしいものを、一部の人間だけしか味わえないなんて宝の持ち腐れだわ! 大衆に知らしめてこそ、その魅力を一般市民に解放してこそ、彼らの存在意義も高まると思うの!」
息荒く語る姿に圧倒されつつも、目をキラキラと輝かせて語るその姿を羨ましく思った。種琳のような人には、阿銅羅教は必要ないだろう。"ありのままの自分"の好きなものを好きだと言い、自分の希望を叶えるべく行動して、他人に嫌われることなど全く恐れていない。
「まぁでも、既に何回かあそこで披露してるんだけど、なんか物足りないのよねぇ」
「どういうこと?」
「あの場では勿論楽しんでもらえるんだけど、それだけっていうか。なんていうか、もっといつも彼らのことを考え愛して欲しいのよ」
「なんでまたそんな」
舞というものは、観る瞬間に楽しむものに過ぎないと思っていた。その時その時、わぁきれいだな、すごいな、そう感じるーーそれ以外が思いつかなかった。
「あのね、私はこれらの一連のものを『種子道』と名付けたの。私は、種子道の求道者を増やしたい。いつも種子道を心に持っていて欲しい。そう思うの」
「なんでまたそんな」
さっきと全く同じ台詞が、口をついて出た。
「私は、この後宮で彼らの舞を見てから、頭から離れなかった。彼らは素晴らしいと思ったし、それを見て勇気をもらえた。私はいつでも会えるけど、会うたびにもっと頑張ろうって気持ちを持てたの。毎日無為に過ごしている人達がいるなら、同じように勇気を貰ってもらいたいって思って」
種琳の語る勢いに圧倒される。確かに昔から細めの美形好きではあったが、ここまで熱狂的だとまでは知らなかった。あくまでその熱量は自分だけのもので、他人がどうこうという思想は持っていなかったはずだ。
その熱意に押されて、つい自分まで、どうしたら彼女の希望は実現するか考えてしまった。
「いつでも会えるわけじゃないなら、代わりに、似顔絵などを配ってみたらどうでしょう? それを手にしたら、彼らを好きな人なら眺めることで気持ちを満たせたり、また会いたいと思ってくれるかも。それに絵が有名になれば、それを見てから初めて直接見に来てくれる人も増えるかもしれない」
「ふぅん……似顔絵か、いいわね。でも似てないと意味ないわ」
「修美公主が、耽美的な絵がお上手でした。彼女が協力してくれるかはわかりませんが、相談してみても良いのではないかしら」
以前、偶然修美公主と会った時のことを思い出した。彼女は衆道という男性同士のなにやらが好きだという話をしていたし、線の細いあまり見たことのない絵柄が新鮮だと感じた。若く綺麗な宦官の姿絵を描くにはぴったりでないかと思ったのだ。
種琳はそれを聞いて、さらに目を輝かせた。
「そうなの! いいわね、早速相談してみるわ! 青妃、教えてくれてありがとう。私、今とても楽しい。この後宮に来て良かったと思ってる」
……そりゃあ、好き放題やってなんのしがらみもなくなって、楽しいだろうよ。
と心の中で悪態をついた。
もし、立場入れ替えをしていなかったらどうだろうか?
私が侍女だったら……。たぶん、今の種琳のようにはならないだろう。相変わらず主人の命令に従って疑問も抱かず遂行する日々を送っていただろうということは想像に難くない。
種琳の自由さ、奔放さ、そして楽しさは、彼女自身が勝ち取ったものだ。
今までの私は、奔放な存在をある意味で忌避していた。
だが、阿銅羅教と触れ合って、自分の気の向くままに生きることも必要だと思い始めてきていた。彼らの思想に無理や弊害を感じつつも、考え方そのものは悪くはないのではないかと思い始めていたことを改めて認識した、
やっぱり自分は芯がぐらぐらしている。
種琳のようにはっきりしない自分は、一体なんなのだろう。
中途半端な存在にしかなれないことに、焦りを感じ始めていた。
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