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15 チー牛、来来
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王太子殿下といえば、国王の誕生日祝いの時に少し見かけたきりだった。しかもあの時は確か横を向いていたし、公主達の方に気を取られてほとんど見ていなかったから、顔までは思い出せなかった。
王太子の到着の知らせがあり、国王の時にしたのと同じように、下を向いて礼をした姿勢で部屋で待った。
今度はす、す、と軽い布の擦れる音がして、王太子が歩みを進めてきた。この後は互いに挨拶を交わし、顔を上げて対面する、というのが通例なはずだがーー
(……?)
先程から、ボソボソボソボソと小声で呟くのが聞こえる。
私に、話しかけているのか? 独り言なのか? 何やら文句のような感じであるが上手く聞き取れず、判断できない。
一緒に来た宦官が何やらごにょごにょと注意と指導をしたらしく、ようやく例の定型のやり取りが始まった。
そして殿下の命令により、拱手を下げて顔を上げるとーー
「……ブッ、……はぁ!?」
私の顔を見た瞬間、王太子が顔をしかめて半歩下がった。
(うん、いいのいいの、慣れてるから。
あなたの御父上である国王も同じ反応だったし。
私はこういう宿命なのよね、きっと)
……と、今までの私だったら考えたことだろう。
だが、今日の私はすこぶる機嫌が悪い。
我慢ならず、右脚を強く踏み込んで立ち上がり、王太子の襟首を掴んだ。
「ぅるっせぇんだよ、どいつもこいつも!!! ブスとかそんなん自分が一番良く知ってるわ! テメェこそブツブツ呟いてんじゃねーよ! きもいんだよ、この稚牛が!!!」
襟を掴んだままユサユサゆすっていると、私とは反対に王太子は膝をついてその場にへたり込んだ。
突然の剣幕にぽかんとしていた一同だったが、ようやく皆我に返り、王太子を掴む私を止めに入った。そこで私自身も、やらかしてしまったことの大きさに今更ながら気付いた。
(これは、死刑……かな。何も成さず、短い人生だったわ)
私が虚しく事を受け入れようと考えていると、倒れた王太子の様子を検分していた宦官が顔を上げた。
「青妃。王太子殿下は、気を失っておられます。差し支えなければ、寝台をお借りしてもよろしいでしょうか」
「え、あ、はい、どうぞ……」
謝る機会を逃してしまった私を横目に、宦官は王太子を抱えて寝台へ運んだ。昼間に私がぐちゃぐちゃにしてしまったが、その後すぐに綺麗な敷布に取り替えて整えて貰った、そこだった。
(こんなんで気とか失うもんなのかな、王太子が弱いのか、私が馬鹿力なのか……)
王太子を寝かせて、部屋には王太子の側近の宦官と菖蒲、私の三人となった。
「あの……これって処罰されますよね。何罪に、そしてどんな刑になりますか」
「んー、見たところ怪我もないですし、大丈夫じゃないですか」
私が尋ねると、宦官はあっさりと答えた。侮辱罪とか不敬罪とか、そういうものに該当するかと思っていたのだが。
「殿下も青妃を侮辱したのは事実ですし、たまには叱られるのもいいんじゃないですかね~。あと、本人意外と起きたら忘れてるかもしれません」
(雑ぅ! 適当すぎるけどそれでいいの?)
「あの、青妃は本日故郷から共に来た宮女が居なくなって、大変精神的に弱っておいでだったのです。だから……」
「知ってますよ、朱琳でしょう。私のところへわざわざ来ましたから」
菖蒲が弁解を付け加えると、意外な返事が返ってきた。
「朱琳が?」
「えぇ。なんか色々言ってましたが、それで今日ここを訪れることにしたのです。ところで、さっき青妃がおっしゃっていた稚牛って、どういう意味ですか?」
稚牛とは、最近流行りの若者言葉で、いわゆる冴えない男子に対して使う言葉だった。「稚」は精神的な未熟さや発展途上の外見を指し、「牛」は鈍間でオドオドしている様子を指す、要はただの悪口だ。ここ、朋央国の後宮ではまだ知られていない言葉だったのかもしれない。
私が仕方なくその説明をすると、その宦官は腹を抱えて笑った。
「では青妃、私とそこの侍女は外へ出ておりますので、稚牛殿下をよろしくお願いします」
そう言って、宦官は菖蒲を連れて出て行ってしまった。
取り残されてしまったが、王太子は寝ているし、何もできようもない。それに、寝ずに看病するほど思い入れがあるわけでもないし……って気絶させといて酷い言い分か。
しかし、私だって今日一日泣き腫らして限界まで疲れている。横になって寝腐りたい。もう守るべき使命もなくなった私は、好き勝手やりたいんだ。誰に評価されたり許されたりすることも興味ない。
(……こいつだって、私の顔を貶せるほど大した顔じゃないじゃない)
だらしなく口を開けて寝ている王太子の顔を見て、そんなことを思いながら、彼から離れた位置で布団をかぶった。
王太子の到着の知らせがあり、国王の時にしたのと同じように、下を向いて礼をした姿勢で部屋で待った。
今度はす、す、と軽い布の擦れる音がして、王太子が歩みを進めてきた。この後は互いに挨拶を交わし、顔を上げて対面する、というのが通例なはずだがーー
(……?)
先程から、ボソボソボソボソと小声で呟くのが聞こえる。
私に、話しかけているのか? 独り言なのか? 何やら文句のような感じであるが上手く聞き取れず、判断できない。
一緒に来た宦官が何やらごにょごにょと注意と指導をしたらしく、ようやく例の定型のやり取りが始まった。
そして殿下の命令により、拱手を下げて顔を上げるとーー
「……ブッ、……はぁ!?」
私の顔を見た瞬間、王太子が顔をしかめて半歩下がった。
(うん、いいのいいの、慣れてるから。
あなたの御父上である国王も同じ反応だったし。
私はこういう宿命なのよね、きっと)
……と、今までの私だったら考えたことだろう。
だが、今日の私はすこぶる機嫌が悪い。
我慢ならず、右脚を強く踏み込んで立ち上がり、王太子の襟首を掴んだ。
「ぅるっせぇんだよ、どいつもこいつも!!! ブスとかそんなん自分が一番良く知ってるわ! テメェこそブツブツ呟いてんじゃねーよ! きもいんだよ、この稚牛が!!!」
襟を掴んだままユサユサゆすっていると、私とは反対に王太子は膝をついてその場にへたり込んだ。
突然の剣幕にぽかんとしていた一同だったが、ようやく皆我に返り、王太子を掴む私を止めに入った。そこで私自身も、やらかしてしまったことの大きさに今更ながら気付いた。
(これは、死刑……かな。何も成さず、短い人生だったわ)
私が虚しく事を受け入れようと考えていると、倒れた王太子の様子を検分していた宦官が顔を上げた。
「青妃。王太子殿下は、気を失っておられます。差し支えなければ、寝台をお借りしてもよろしいでしょうか」
「え、あ、はい、どうぞ……」
謝る機会を逃してしまった私を横目に、宦官は王太子を抱えて寝台へ運んだ。昼間に私がぐちゃぐちゃにしてしまったが、その後すぐに綺麗な敷布に取り替えて整えて貰った、そこだった。
(こんなんで気とか失うもんなのかな、王太子が弱いのか、私が馬鹿力なのか……)
王太子を寝かせて、部屋には王太子の側近の宦官と菖蒲、私の三人となった。
「あの……これって処罰されますよね。何罪に、そしてどんな刑になりますか」
「んー、見たところ怪我もないですし、大丈夫じゃないですか」
私が尋ねると、宦官はあっさりと答えた。侮辱罪とか不敬罪とか、そういうものに該当するかと思っていたのだが。
「殿下も青妃を侮辱したのは事実ですし、たまには叱られるのもいいんじゃないですかね~。あと、本人意外と起きたら忘れてるかもしれません」
(雑ぅ! 適当すぎるけどそれでいいの?)
「あの、青妃は本日故郷から共に来た宮女が居なくなって、大変精神的に弱っておいでだったのです。だから……」
「知ってますよ、朱琳でしょう。私のところへわざわざ来ましたから」
菖蒲が弁解を付け加えると、意外な返事が返ってきた。
「朱琳が?」
「えぇ。なんか色々言ってましたが、それで今日ここを訪れることにしたのです。ところで、さっき青妃がおっしゃっていた稚牛って、どういう意味ですか?」
稚牛とは、最近流行りの若者言葉で、いわゆる冴えない男子に対して使う言葉だった。「稚」は精神的な未熟さや発展途上の外見を指し、「牛」は鈍間でオドオドしている様子を指す、要はただの悪口だ。ここ、朋央国の後宮ではまだ知られていない言葉だったのかもしれない。
私が仕方なくその説明をすると、その宦官は腹を抱えて笑った。
「では青妃、私とそこの侍女は外へ出ておりますので、稚牛殿下をよろしくお願いします」
そう言って、宦官は菖蒲を連れて出て行ってしまった。
取り残されてしまったが、王太子は寝ているし、何もできようもない。それに、寝ずに看病するほど思い入れがあるわけでもないし……って気絶させといて酷い言い分か。
しかし、私だって今日一日泣き腫らして限界まで疲れている。横になって寝腐りたい。もう守るべき使命もなくなった私は、好き勝手やりたいんだ。誰に評価されたり許されたりすることも興味ない。
(……こいつだって、私の顔を貶せるほど大した顔じゃないじゃない)
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