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最終章

最終話:昴

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 こちらの世界では、あれから約一か月経過していたらしい。

 抱え込んだ炎ごと詩音の姿が消えて、蔵は無事だったこと、きょうは捕らえられ既に処罰されたことを聞いた。



「それにしてもようさま、無事だったからよかったものの、あんな密室におびき寄せるなんて、無謀すぎます」

「あぁ、あれか? 組織的な動きには見えなかったから敵は一人だと踏んでいたし、それに抜け道もちゃんと用意してたんだ。結局使わなかったけど」

「そーそ。それに俺も兵士も外に待機してたしね~」



 あの後部屋に入ってきた佑星ゆうせいも加わり、詩音は今までの話を聞かせてもらっていた。



「詩音ちゃんの声がしたのに、中入ったらいないんだもん。うわまじかーって」

「驚かせてすみません……。でも、私がまた宮廷ここに現れたら、それこそ皆さんびっくりしませんか」

「幸い、あのあと兵士は全部払ってから私も出たし、詩音は怪我が酷いから山奥の別荘で療養していることにしておる。大丈夫だろう」

「あいつが『妖怪だー』とかブツブツ呟いてたけど、まぁそんなの誰も信じないから問題なしよ」




――喬には、さんざん妖怪呼ばわりされてしまった。

 理不尽な言動や身勝手な行動に腹は立ったけれども、彼の人生を思うと胸が苦しくなった。
 ある女性にただ恋をして、そして同じ名前の女に間接的にでも葬り去られるなんて。


 喬自身、「生きていられるはずがない」と言っていたが、どうなったのだろう。
 詩音は恐る恐る喬に下された処罰について訊いた。





「あぁ、あれな。『島流し』にした」

 遥星はあっさりと答えた。

「知ってるか? この大陸の南東にある島国で用いられている処刑法で、死罪に次ぐ重刑とされているそうだ。ま、平たく言えば『国外追放』ってやつだ」

 昴国は大陸で、首都であるこの場はかなりの内陸にあり、『島流し』などという処刑法は用いられたことはなかった。たまたま、島国からの使者が訪れ、そうした方法を紹介したらしい。

「甘いよねぇ、こいつ。本来なら市中引き回しが妥当ってとこなのに」

「……あの時、詩音が奴に『生きろ』と言っていたからな。それを無碍にはできまい」

「甘いよねぇ、詩音ちゃんにも。あんなに全然女に興味なかったくせに」


 それを聞いて、詩音はかぁっと頬が熱くなるのを感じた。


「そ、それで、どこの島へ流されたのですか?」

「その処刑法を教えた島国だ。詩音がいなくなった後、その国が朝貢に来たんだ。金印やら下賜する物の中に含めて、あやつも奴隷として入れてやった。なんでもその国は女王が占いで国を治めていて、長いこと平和が保たれているらしいぞ」

(……女王、占い……邪馬台国みたいな? ていうかそれって罰になってるのかな、こっちに戻らなければいいってこと、とか?)

「なんか奴ら、あいつの姿見てきれいだきれいだって感激してたから、そんな酷い目には合わないんじゃないかと思うぜ」


 でも、喬が生きていられたなら、良かった。

 一人、『紫苑』という女性を殺めてしまったことは、これからも詩音自身が背負っていかなければならない責だろう。だが、あの時ああならなければ、遥星が死んでいた。それを思って、折り合いを付けていくしかない。




「それにしてもさー、詩音ちゃんいなくなってからこいつ酷いの。公務以外の時間、ずーっと紙になんか書いててさぁ。大臣が『紙が勿体ない』って怒ってて」

 佑星が部屋をうろつき、衝立の奥に散らばっていた紙を見つける。「あぁ、これか」と拾い上げて目を通すと、押し黙ってしまった。


「どうしたのですか?」
「……いや、遥、凄いね。詩文の才能も、内容も。……ま、仲良くやってよね」


 そう言って顔を真っ赤にした佑星は部屋を出て行ってしまった。
 目を合わせようとしない遥星に、詩音は問いかけた。


「あのお兄様を黙らせるって、一体あれには何が書いてあるのですか」

「……それは言えない」






。.。.+゜





 その夜、詩音と遥星は庭に出て月を眺めていた。


「綺麗な満月ですね。初めて遥さまにお会いした日も、こんな月でした」


 あの時、まさかこんなことになるなんて、一体誰が想像できただろう。
 詩音は、少し後ろを歩く遥星を振り返って問いかける。



「遥さま……私は、月に、なれていますか?」

「なんだそれは?」

「闇を照らし、貴方を助けるような存在に」



 立ち止まる詩音に、遥星が近づいていってその手を取る。



「詩音がいたから、暗殺者を捕らえることができたのだろう?」

「でも喬は、そもそも私が現れなければ無害だったはず」

「そなたが現れなければ、私は今ここにいなかった。こうして、今この手を握ることもできなかったであろう。それじゃ、ダメか?」


 月明かりを受け、幻想的に白く輝く詩音の手を、遥星が持ち上げる。


「そなたには、私の身勝手で随分な目に遭わせてしまった。あの時、炎に包まれたそなたが消えた時、死んだとは思わなかった、元の世界に帰っただろうと信じていた。そなたにとっては、元の世界で暮らすのが安全で幸せで……もうこちらへは戻っては来ないかもしれないと、そう思った」


 遥星は詩音の手をくるりと返し、その手のひらに口づけを落とした。

 その感触と、伏し目がちな瞳にぞくっとした詩音は、耐えきれずにぱっと手を放し、背を向ける。しかし、逃げることは許すまいとでもいうふうに、遥星に後ろからぐっと抱きしめられてしまった。


「詩音がいなくなって、まるで身体の一部が欠けてしまったような空虚さを初めて憶えた。そなたがいて、掻き乱される感情を持ってこそ、私が私でいられるのだと実感させられた。……戻ってきてくれて、ありがとう」


 耳元で繰り出される低音に、心臓が痛いくらい跳ねるのを感じる。


「言ったじゃないですか.....私、貴方が好きだって。もう私の身も心も、貴方を愛する為だけにここに存在しているんです。それが貴方の力になれるなら、こんな幸せなことはありません」


 詩音は首元に回された腕をぎゅっと握り、震える声で答えた。
 

「遥さま、あの星、見えますか? あの淡くぼやけた、6つの星の集まり。私、あれに導かれてここへ来たんです――導かれて、というか、今回はもう必死で必死で、探し出して」

「あれは、昴宿だな。この国の名前の元になった星座だ」



 詩音は遥星の腕の中でくるりと身体を回し、その瞳に映る星を見つめる。



「ここに、貴方の処に来るのが、私の進むべき道だと――そう示されたと思っています」




 静寂の中、草木の流れる音だけが響く。
 どちらからともなく吸い寄せられるように、二人の唇が重なった。

 今度は深く、長く。

 月が煌々と照らす中、一筋の影がそこに伸び、揺れていた。



。.。.+゜



「今回のお茶は、甘くて濃い味がしますね」


 部屋に差し込む日の光の眩しさに目を細めつつ、詩音は遥星の淹れてくれたお茶を一口含んでから言った。


「あぁ、これは不老長寿の伝説がある茶なんだ」

「不老長寿ですか.....遥さま、どうやら私、こっちでは不死身かもしれません。死に直面すると、向こうに戻ってしまうようで。喬の言う妖怪も、あながち嘘ではないかも」

「ふふ、それは頼もしいな」


 遥星が冗談っぽく笑う。


「でも、もう遥さまと離れるのは、あんな思いは嫌ですから、死なせないでくださいね」

 妖怪かも、ということを否定しなかった彼に少しむっとして、詩音は嫌味を返す。

「それについては、最大限努力しよう。だが詩音、矢に討たれた時も、火のついた松明にも、そなた自分から飛び込んで行っているからな? ある程度自重してくれないと、守るものも守れないぞ」


 そう言われてみれば、そうだった。
 でも、考えるよりも先に身体が動いてしまったのだから、自分でも手の施しようがない。


「それで遥さまの命を守れるなら、もうなんだっていいです」

「いやちょっと待て詩音」


 詩音の手に、遥星の手が重ねられる。
 あの時と、逆だ。
 振り払われることはもうないのだと、安心できるような力強さだった。


「例え死ななかったとしても、そなたが消えてしまったら、私は何か月も待たなければいけないのだぞ? 私だって、もうあんな思いはごめんだ」


 遥星がうるうるとした仔犬のような瞳で詩音を見る。
 

(なんか、既視感。初めの頃みたいな…)


 弟よりも子供っぽくて、こんな人を夫だと思える日が来るのか、なんて思っていたことを思い出す。
 今やすっかり詩音の方が翻弄されてしまっている現実が、ちょっぴり悔しい。



「ところで遥さま。私、大事なことをずっと聞き忘れていたんです。貴方の年齢って――」

「今年、二十歳はたちになったところだが」

「は……」

 た、ち。にじゅっさい。20。ついこの間まで、十代。


 詩音は頭を垂れて両手を組み、「すみませんすみません……」と見えない何かに向かって呪文のように唱えだした。

 それを見た遥星が呆れてひとつ、息をつく。


「何をやっておるのだ。初めに言わなかったか? そんなものは関係ない、と」

「うぅ、あれは単に強引に妻にするための詭弁かと……」


 遥星は詩音の握られた手を解いて片方を持ち上げ、悪戯っぽくその甲に口を付けながら言った。


「そうだなぁ。あの時を言わなきゃ詩音を妻にできてなかったのだとしたら、その詭弁にも意味があったということだろう」


 声の振動が、手の甲から全身に伝わってきて、身体の奥まで震える。

 ここへ来てわかったことだが、詩音はどうやら手が弱いらしい。遥星もそんな詩音の反応を楽しんでか、わざとそこを狙ってくる。


「う、嘘だったんですか」

「冗談だ、嘘じゃない。そんなに気にするなら、そなたの年齢は聞かないでおくことにしよう。私はそんなものに興味はない。詩音が今ここにいてくれることの方が、よっぽど大事だ」



 遥星は、そう言って詩音の手を両手で包み込み、改めてその指先に口付けを落とす。

 詩音は、この瑞々しい手を羨ましく思うとともに、ずっと離したくないと、強く思う。




「.....やっぱりこのお茶、全部いただけますか?」

 詩音は茶碗の中身を一気に飲み干し、おかわりを頼んだ。
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