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第四章

蜜柑

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 それからしばらくは、治療のために詩音は出仕を禁じられた。治療といっても、患部の熱が引いた後は安静にするだけだから、再び暇な日々が訪れた。

 痛みは数日で引き、内出血が残っている程度だったから、骨には異常はないだろうとのことで、軽く歩くくらいなら、との許可は出た。

 本殿に行けない間も、遥星は毎日時間を見つけては後宮へ来てくれていた。


「詩音、調子はどうだ?」

 ある日遥星が何か大きな箱を持って部屋に入ってきた。
 それは何かと問うと、今日ある商人から献上された新種の果物だという。

「これがなかなか美味くてな、詩音にも食べさせたくて持ってきたのじゃ」

 箱を開けると、見慣れた山吹色の丸い果物が、ぎっしり入っている。

「これは、み」

 言いかけて、口を噤む。
 今この部屋には詩音と遥星しかいないから、葡萄酒の時のように気にしなくても良いのだけれど。

蜜柑みかんというそうだ。知っておるのか? 詩音のいたところは、本当に何でも手に入るのだな」
「申し訳ありません」
「何を謝る? さ、一緒に食べよう」

 せっかく新しいものを見つけて持ってきてくれたというのに、その驚きと感動を共有してあげられないことが、残念でならなかった。

(私も一緒に、初めての感動を経験したいな)

 そう思いながら詩音は慣れた手つきで蜜柑の皮を剥いた。一房取って口に入れると、詩音の知っている蜜柑よりも少し酸っぱくて、爽やかな味がした。

 詩音がその懐かしさに浸っている一方、目の前の遥星は皮を剥くのに悪戦苦闘している様子。少し悪戯心が湧いた詩音は、一房取って彼に声をかけた。

「遥さま遥さま、こっち向いてください」
「ん?」

 顔を上げた彼の口の手前まで蜜柑を一房運び、手を止める。

「はい、あーん」
「え、ちょ」

 突然のことに戸惑った遥星の顔は、みるみるうちに真っ赤になった。

(やだー、なにこれ、可愛すぎる)

 詩音はニコニコしながらもう一度「あーん」と促す。

(『おあずけ』くらわされてる仕返しだもんねー。ふふふ)

 戸惑う彼の顔を微笑ましく眺め、口を開けるのを待った。するとふいにその手首を掴まれ、指先ごとぱくりとかじられた。

「ひゃっ」

 掴んだ状態のまま、遥星はもう一度詩音の指先をペロリと一舐めし、軽く睨み付けた。

「怪我が治ったら、覚悟しておいてもらおう」

 その仕草と挑戦的な発言に、くらくらした。今度は逆に、詩音が真っ赤にさせられてしまった。

「……調子に乗りすぎました、ごめんなさい」

(負けた.....カウンターくらってしまった.....)



 遥星が本殿へと戻ったあと、詩音はしん夫人のところへ行くことにした。

 箱いっぱいの蜜柑はりんらんを含めても食べ切れるものではないし、皆にお裾分けしようと思った。
 中でも、蜃夫人は食事も満足に取れていないようだったし、酸味の強い蜜柑であればつわり中でも食べられるかもしれないと考えたためだ。

(彼女の部屋なら階段も降りないで行けるし、私もちょっとは歩かなきゃだしね)


「こんにちは~、蜃夫人、いらっしゃいます?」

 訪ねてみると、眠ってはいないものの、寝台に横になっていたようだった。
 入室許可を得て、近くまで行く。


「具合はどうですか? 差し入れ持ってきたんです、一緒に食べません?」
「甘いものなら食べられんぞ。それは何だ?」
「蜜柑って言うんです! 先程陛下からいただいて。酸っぱいので、食べやすいと思いますよ」

 そう言って、いて房ごとに分けてから、蜃夫人に渡した。
 夫人は起き上がって寝台に座った状態で、小さな口を開けて蜜柑を食べた。所作の一つ一つが小ぶりでなんとも可愛らしい人だ。

「ん。美味じゃな。これなら食べられる。最近は水以外は口にしていなかったから助かる。礼を言うぞ」

 それを聞いた詩音は安心した。

「良かったです。まだ部屋に沢山あるので、また後で持ってきますね」
「そう言えば橘夫人、脚を怪我したと聞いたが、歩いて大丈夫なのか?」
「あ、これですか? ただの打撲ですし、もう少しで治ります」

 詩音はぴらっと裾をめくって包帯を巻いている脚を見せた。

「それにしても、随分と大きい足をしておるのう」

 詩音の足のサイズは、24cmだ。特段小さい方ではないが、身長を考えれば至って普通だと言えるだろう。それよりも、極端に小さい蜃夫人の足の方が不思議だった。
 寝台に腰掛けているから靴下を履いた足が見えるが、やはり不自然な程に小さい。

「あの、蜃夫人。その足は、生まれつきですか?」
「なんじゃ、纏足てんそくも知らんのか。やはりそなたは野蛮な出身と見える」

 さっきから可愛い見た目とは裏腹に、なかなかな口の悪さを発揮してくれているが、それ程嫌な感じはしなかった。嫌味を言おうとしているわけではなく、純粋に思ったことを口に出しているだけのように思えたからだ。

「纏足?」

(聞いたことあるような……そうだ、昔学校で習ったような気がする)

「貴族のたしなみだぞ、これだから庶民は」

 纏足と言うのは、幼い頃から足の指を折り曲げた状態できつく縛り、足が成長しないようにするというものだ。足が小さければ小さい程可愛いとされているらしい。
 歩行に支障が出るため、必然的に歩かなくても生活に問題ない社会階層の者だけに許されるものとなり、これが身分の高さの証明にもなるということだった。

「成り上がり者にはこれはできないからな」
「不便ではないんですか? これから、大きくなるお腹でもし転んだりしたら」

 純粋に心配でそう質問する。

「そうだな、今まで普通に歩く分にはなんとかなったが、これからは気をつけないといけないな」
「あの、それって走ったり梯子を登ったり、しゃがんで作業したりって、出来ますか?」

 詩音は今までの事件を思い出しながら、訊いてみた。
 屋根に登って壺を落としたり、石を集めて設置して逃げたり、それらは難しいのではないかと思った。

「さぁ? したことないからわからぬな」

 常に下働きの者がいるから、自分が動いて何かをすることはほとんどないのだという。それはそれで窮屈そうだなとは思うが、今注目すべき点はそこではない。廓夫人と吏夫人にはあれ以来会っていない。
 それに、遥星は「二人でいるところを狙ってきた」と推定していたし、犯人が同一人物だとするならば、やはり後宮の夫人達とは考えにくいのではないか。

 ついでと言ってはなんだが、詩音は初対面の時の蜃夫人達の態度についても訊いてみることにした。自分に悪意があったから嫌がらせされたのかと思い込んでいたが、そうではない可能性もあるのか。

「あぁ、あの日な。陛下が突然正室を迎えるという話を聞いて、他の夫人達に情報共有をしていた。そこにそなたが挨拶に来たんだったな。確かあの時は、そなたが不躾な視線を送るから、ちょっと腹が立って返事しなかった」
「そ、それは大変失礼致しました」

 あの時、比べるように見てしまったのがバレていたらしい。廓夫人と吏夫人は立場上蜃夫人より先に口を開くことはできないから、それに従っただけだという。

 それにしても、正直というかなんというか。

「あの、蜃夫人。私のこと、嫌いですか?」
「は?」

 自分に悪意があるかどうかを"探ろう"と思ったが、良い表現が浮かばずについ直接的すぎる表現をしてしまった。

「そなた、変な女じゃのう。実際嫌いだとして、『はい嫌いです』というとも限らんだろ。最初の印象が良くなかったのは事実だがな、嫌いかどうかというと、そんな感情が湧く程関わっていないだろう。ま、そなたには先日の件もあるし感謝しておる。これから世話になることも増えると思うが、よろしくな」

 竹で割ったような性格とは、彼女のようなことを言うのだろうと思った。話した印象では、何か陰湿なことをするようには思えなかった。そして過去のことは理由があったことで、それについて謝ったりしないのは気位の高い蜃夫人らしいな、と思った。

 現在の身分で言えば、むしろ詩音の方が上になるはずだが、元々の言葉遣いのせいか上下関係で詩音が下のようになってしまっているのも、特に不快にはならなかった。
 
 それよりもこうして、蜃夫人と仲良くなれたことが嬉しかった。
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