上 下
41 / 57
第三章

義兄嫁・蜃夫人

しおりを挟む
(たくさん、話が聞けたな。皇后のことも勉強になったし、話せて良かった)

 詩音が怜皇太后の部屋を出た時、何気なく庭園に目をやると、誰かがしゃがみこんでいるのが見えた。
 階段を降り、その人のそばに駆け寄る。

「どうしました?  大丈夫ですか?」

 しん夫人だった。
 蒼白い顔をして、口元を押さえている。

「立てますか? ちょっと、そこの日陰まで行きましょう」

 蜃夫人の背中に手を回し、少しでも涼しい場所へ誘導する。

「うぅ.....」
「どこか、痛みますか? 怪我は?」
「いや、ない...」

 ちょうど昼食の時間に差し掛かり、部屋子へやごたちはそれぞれ準備に忙しく、付き添えなかったようだ。
 炊事場から、米を蒸すような匂いが漂い、肉を焼く音が聞こえてくる。

「っ、悪い」

 蜃夫人が咄嗟に横を向き、茂みに向かって戻してしまった。

(.....これって)

 詩音はゆっくりと背中をさすった。

「気持ち悪いですか? お部屋に戻って休みましょう」
「あ、あぁ.....だが、」

 立てないのかもしれない。
 蜃夫人は、詩音よりもかなり小さい。詩音は160cm以上あり彼女を見下ろせる程だから、恐らく150cmもないだろう。細身だし、このくらいだったらいけるだろうと思った。

「私の背中に乗ってください。2階まで、上がれないでしょう?」

 詩音は強引に蜃夫人をおんぶして、彼女の部屋に向かった。
 羽のように軽い。一体普段何を食べてるのだろうか。

 おぶっている時、詩音の抱えている彼女の足が、ものすごく小さいことに気がついた。小柄なことを差し引いても、さらにもっと小さい子供みたいな足だ。靴を履いているから、はっきりとはわからないが。

 誰かいるか、と詩音が蜃夫人の部屋の前で問いかけると、中で食事の支度をしていた部屋子が扉を開けた。

「蜃夫人が、具合が悪いそうなの。今すぐ寝かせさせてもらうわ。着替えと飲み水を多めに用意して貰える? それから、お医者様を呼んで」

 詩音は早口でそれだけ言うと、つかつかと部屋の中へ入っていって、夫人を寝台へ寝かせた。
 部屋子はついていけていない様子だったが、その背におぶわれている蜃夫人を見て、詩音に従った。

「すまない」
「いえ、お気になさらず。ちょっと失礼しますね」

 半ば強引に、彼女の服を緩める。かなりきつく帯が締められており、驚いた。

「あの、こんなにきつくしちゃダメですよ。もし妊娠してるんだったら、緩い服にしないと」
「え?」

 蜃夫人の反応に、早とちりしてしまったか、と詩音は焦った。

「……申し訳ありません、さっきの症状から、てっきりそうなのかと」
「いや、わらわは子供はできない身体じゃからの」

 やってしまった。なんて失礼なことを言ってしまったのだろう。

「そ、それは失礼しました。体調を崩されたのは、今だけですか?」
「いや、ここ一週間くらい続いておる。どうも眠くてだるくて、食事の匂いが辛いのじゃ。さっきも少し調子が良かったから外の空気を吸おうと出たのだが。悪かったな」

(いやでもやっぱり、妊娠した友達が言ってたような感じだなぁ)

 月のものは予定通り来ているかと尋ねると、そういえば数週間くらい遅れているとの返事が返ってきた。ますます詩音が不思議に思っていると、部屋子が宮殿付の医者を連れてきた。
 夫人に代わって詩音が今聞いたことを医者に説明すると、少し離れているようにと言われた。医者は薄いカーテンのようなものを引いて周囲から見えにくいようにし、力を抜くように夫人に言ってごそごそとした後、優しい声で告げた。

「おめでとうございます。ご懐妊です」

「! そんなはずは。私は、不妊なのだぞ」
「何を根拠にそうおっしゃるのです?」

 狼狽える夫人に医者が問うと、彼女は気まずそうに答えた。

「前の夫との間には、二年子供ができなかった。それで周りからも責められていたし」
「同じ夫君の他の妻は、懐妊されていたのですか?」
「いや、他に妻はまだいなかった。これから側室を迎えようとしていたところだったが」

 その先は、蜃夫人は言葉を濁した。
 以前に遥星から聞いた話によれば、彼女の元夫は佑星によって侵略され殺されたということだろう。

「それは、貴方のせいではなかったということでしょう」

 医者がそういうと、蜃夫人は心底驚いた顔をしていた。
 この世界の常識というか社会通念として「不妊は女側に原因がある」と考えられているのか、あるいは蜃夫人が極端に世間知らずなのかはわからないが、それで驚くことに詩音は驚いていた。

「とにかく、しばらく安静に。動き回ったり重い物を持ったりしてはなりません。食事は、食べられるものだけ食べれば、今は良いでしょう」

 蜃夫人が涙ぐんでいるのを見て、詩音はある考えがふと頭をよぎった。

(昨日、睨んでるように見えたのも、単に気分が悪かったからなのかな? それに、あの足……素早く歩けるものなのかな)

 それからしばらく着替えを手伝ったり水を飲ませたりしていると、佑星が部屋へ飛び込んできた。

「蜃! 倒れたって聞いて……大丈夫か!?」

 医者が彼女の懐妊の事実を告げると、彼は夫人の手を取って飛び跳ねんばかりに喜んだ。夫人が、詩音がここまで運んでくれて助けてくれた、ということを話すと、そこで振り返ってようやく詩音の存在に気付いたようだった。
 彼と目が合い、以前のことを思い出して複雑な気持ちになる。

「あぁ、詩音ちゃんが助けてくれたの? ありがとう!」

 詩音に近づき、手を取って礼を述べる。その直後、小声で「この前は悪かった」と他の人に聞こえないように呟いた。

 
 あのことがあってから、佑星と直接顔を合わせる機会は今までなかった。だが、何か心境の変化でもあったのだろうか。あるいは、自分の妻を助けたからか。この人には理不尽な目に遭わされたし、そのこと自体を許す気は毛頭ないが、もうこれで今後はこの件については何も言えないな、と思った。

 涙を流し喜びを共有する二人を眺め、詩音はそっと部屋を出た。


 単純に、羨ましかった。
 体調を崩したら飛んできてくれて、妊娠がわかったら一緒に涙を流して喜びあって。
 妻として愛されるっていうのは、ああいうことを言うのだろう。

 それを妬ましいと思ってしまったことと、また自分も同じように愛されたいと望んでしまったことに気づく。

 比べたって、仕方ないのに。
 相手の行動の変化を望んだって、届かないのに。

 最近の詩音は、遥星に何かを「して欲しい」ばかり考えてしまっている。
 そんな自分が情けなくなり、ぎゅっと服の裾を握りしめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?

恋愛
少しネガティブな天然鈍感辺境伯令嬢と目つきが悪く恋愛に関してはポンコツコミュ障公爵令息のコミュニケーションエラー必至の爆笑(?)すれ違いラブコメ! ランツベルク辺境伯令嬢ローザリンデは優秀な兄弟姉妹に囲まれて少し自信を持てずにいた。そんなローザリンデを夜会でエスコートしたいと申し出たのはオルデンブルク公爵令息ルートヴィヒ。そして複数回のエスコートを経て、ルートヴィヒとの結婚が決まるローザリンデ。しかし、ルートヴィヒには身分違いだが恋仲の女性がいる噂をローザリンデは知っていた。 エーベルシュタイン女男爵であるハイデマリー。彼女こそ、ルートヴィヒの恋人である。しかし上級貴族と下級貴族の結婚は許されていない上、ハイデマリーは既婚者である。 ローザリンデは自分がお飾りの妻だと理解した。その上でルートヴィヒとの結婚を受け入れる。ランツベルク家としても、筆頭公爵家であるオルデンブルク家と繋がりを持てることは有益なのだ。 しかし結婚後、ルートヴィヒの様子が明らかにおかしい。ローザリンデはルートヴィヒからお菓子、花、アクセサリー、更にはドレスまでことあるごとにプレゼントされる。プレゼントの量はどんどん増える。流石にこれはおかしいと思ったローザリンデはある日の夜会で聞いてみる。 「つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?」 するとルートヴィヒからは予想外の返事があった。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

後宮物語〜身代わり宮女は皇帝に溺愛されます⁉︎〜

菰野るり
キャラ文芸
寵愛なんていりません!身代わり宮女は3食昼寝付きで勉強がしたい。 私は北峰で商家を営む白(パイ)家の長女雲泪(ユンルイ) 白(パイ)家第一夫人だった母は私が小さい頃に亡くなり、家では第二夫人の娘である璃華(リーファ)だけが可愛がられている。 妹の後宮入りの用意する為に、両親は金持ちの薬屋へ第五夫人の縁談を準備した。爺さんに嫁ぐ為に生まれてきたんじゃない!逃げ出そうとする私が出会ったのは、後宮入りする予定の御令嬢が逃亡してしまい責任をとって首を吊る直前の宦官だった。 利害が一致したので、わたくし銀蓮(インリェン)として後宮入りをいたします。 雲泪(ユンレイ)の物語は完結しました。続きのお話は、堯舜(ヤオシュン)の物語として別に連載を始めます。近日中に始めますので、是非、お気に入りに登録いただき読みにきてください。お願いします。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...