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第二章

兄と弟

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「おはようございます!」

 翌朝、遥星が居室の方から隣の執務室に移動してきたところに、詩音は元気に声をかけた。

「お、おはよう。今日は来ないかと思ってたぞ。来るなら、喬を迎えにやったのに」
「それとこれとは話は別です!
 ……昨晩は言い過ぎました。申し訳ございません」
「あぁ、大丈夫だ。気にしてない」
(いや、ちょっとは気にして!?)

 思わず心の声が漏れそうになる。

「それでですね、陛下。やっぱり、もうちょっと仕事頑張りません? お兄さんが有能なのは置いておいても、陛下本人が仕事に身が入っていないから、扱いが違ってしまうのでは?」
「えぇ~、早朝から手厳しいなぁ」
「考えておいてくださいね」

 そう言って、詩音は衝立の奥に戻って、やり途中だった仕事を再開した。
 あえて「陛下」と呼んだこと、気付いてくれただろうか。

 しばらくお互いに無言で仕事をしていると、呼びかけもなく大きな音を立てて扉が開いた。


「おっす、昨日はお疲れー!」
「兄上」
「お茶淹れてくれない? もー、うちの可愛い奥さんたち、昨日から寝かせてくれなくて困っちゃったよ」
「あぁ、いいよ。ちょっと待ってて」

 詩音の位置からは見えないが、遥星がお茶の準備に立つ気配があった。その間も、佑星は昨夜の出来事についてペラペラと大声で遥星に聞こえるように喋っている。

 詩音は完全に出て行くタイミングを見失った。
 話題からして、逆に息を潜めて気配を殺す始末だった。

「くぅ~っ、効くねぇ! やっぱりお前の淹れる茶は美味いな!これ、何茶?」
「黒茶の一種の、プーアル茶だよ。濃いめに淹れたから、ゆっくり飲んで」
「でさ、お前の方は、どうなの?  ああいう澄ました女の表情が崩れる瞬間って、たまんねぇよな」
「あ、兄上」

(ちょっと、全部聞こえてるんですけどっ)

 耳を塞いでしまいたいくらい下衆な会話を(兄から一方的に)されているが、話題が自分のこととなるとそういう訳にもいかない。

「いや、その、彼女とはまだ何も.....」
「はっ?」

 佑星が心底驚いたような声を上げる。

「何もって、何も? あのことがあって以来女は避けてたお前が、俺のいない数週間の間に急に自分で選んだ嫁さん連れてきたっていうから、どんだけどハマりしてんのかと思ったのに」

「いやでも、まだ正式な婚儀も挙げてないのに」

「かーっ! カッタいなぁお前! じゃあ何、前のあの女だって何かする前に勝手に死んだだろ。もしかしてお前、まだ女を知らねんじゃねぇの?」

「む。悪いか。父上だって、色狂いには気をつけるように言ってたじゃないか」

「あぁ、言ってた言ってた。だがそれは、女に溺れて自分を見失うなってこった。多少なりとも知らねぇと、逆に味を知った時がやばいぜ?」

(……聞いちゃってごめんなさい! やっぱり聞くんじゃなかった)

「兄上。そんな話をしにわざわざここへ来たわけではないだろう?」

 いい加減この話題を終わらせたくなったのか、遥星が溜息混じりに指摘する。

「あ、バレた? でも、あの女のことを聞きたいのは本当」

 指摘された佑星の声色がすっと低くなったのが、詩音にもわかった。今度は一体何を言われるのだろうか、と息を潜めて聞き耳を立てる。

「あいつ、何者?」

「言っただろ、家族を亡くして身寄りがないって。言い方悪いけど、何者でもないっていうのが近いんじゃないかな」

「葡萄酒」

「え?」

「昨日、飲ませた酒があっただろ。あれ、西の蛮族から奪ってきたもんなんだけど、それ自体、更に西の果ての地から略奪してきたものらしい。あんな酒はこの近隣の国にはないし、流通しているわけでもない。国内と周辺の酒に話結構通じてる俺が知らなかったくらいなんだ。
 もし手に入れるとすれば裏ルートで密輸ってことになるが、そういうヤバい筋と関わりがある女なんじゃないのか」

 あの時、詩音が「葡萄酒」と言った時の反応は、こういうことだったのか。
 久しぶりのワインの香りと味につい嬉しくなって口を滑らせてしまった。詩音はあの時単純に、この国にもワインがあるのかと思ってしまったのだったが、なんと迂闊な発言をしてしまったことか。

「さすが、兄上は鋭いな。でも、大丈夫だ。彼女は危険な人間じゃない。兄上の想像する筋だとしたら、逆にあの場では葡萄酒なんて知らないふりをしたはずだろう?」

 すかさず遥星がフォローをするが、兄は一向に疑う姿勢を崩さない。

「やってもない女を信用すんの、お前? 皇帝が二度も女に寝首かかれました、なんてシャレにならないぜ?」

「その、だ、抱いたどうかは、関係ないんじゃないかな」

「あるある!大いに! 腹に一物抱えてる女ってのはな、やっぱり身が入ってなかったり逆にぐいぐい来たり、とにかく不自然なんだよ。まだなら一度試してみろって」

 遥星は詩音が聞いているであろうことを意識してか、かなり言葉を選びながらなんとか反論している様子だった。詩音も、聞きたくないけど耳が勝手に反応してしまう。

「それに、皇帝がどうとかいうなら、兄上が継げば良かったじゃないか。俺は今からだって譲位したって構わないんだよ」


 その件。
 今までなんとなく引っかかっていて、でも訊く機会が巡ってこないままになっていた話。


「バッカ、それは無理だって言ってるだろー。昨晩家臣が言ってたように、俺は父上に似てるんだろ。同じじゃ、ダメなんだよ。この国は今は周囲を攻め落としていく段階は終了して、これからは国家の内部を強化しなきゃいけない。それはお前もわかってるだろ」

「まぁ」

「父上はこれまでの過程で恨みを買いまくってる。俺だって父ほどじゃないが、そうだろう。だが、それじゃ無用な敵を増やすだけだ。これからは、人民にとって有益な政策を打ち立て、中から潤わせていくのが必須。
 お前は頭も良くて人を活用する力に長けているし、何より平和主義者だ。その点を買って、父上は後継をお前に決めたんだろ」

「言われた当初も思ったけど、買いかぶりすぎだよ」

「ま、とにかく俺は外に戦に出ていたいんだよ。皇帝なんかになったら宮殿内にいなきゃいけないし、戦と女以外のことも考えなきゃいけないだろ。これからも今まで通り、内外の敵は俺が潰してくからさ、安心して内政に取り組んでくれよ」

「兄上が、とにかくやりたくないってのはわかったよ。ただ、俺だって別に政治に興味あるわけじゃないんだけどな」

「ふぁ~あ。眠くなってきちまった。そろそろ部屋に戻って寝るわ。ま、なんか怪しい動きに気づいたら俺に言えよ。じゃーな」

 今度は佑星の方がそれ以上この話題は避けたくなったのか、颯爽と切り上げて部屋を出ていった。
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