うたた寝日和

佐野川ゆず

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うたた寝日和

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奏!」
「あ、圭くん。大瀬さんは?」

 小坂家の玄関前に立ったまま、星空を見上げていた奏は突然自分へと向けられた声に我に返った。今まで暫くの間考え事をしていた為、意識は遠くの空へと向けられていたのだ。

「何してんの?寒くない?大丈夫?」
「うん。大丈夫」
「何で家の中に入ってないの?」
「一人じゃ入りづらかったし、考え事していたの」
「考え事?」

 奏がそう言いながら微笑むと圭は眉間に皺をよせたまま奏の横に立つ。そして、彼女の手を握った。

「手、冷たくなってるじゃん。早く入ろう。母さんもきっと気にしてるだろうし……」

 圭は奏の手を取ると、小坂家の玄関へと向かって歩き出そうとした。けれど、奏はその場所から動こうとしない。どうしたんだ?そんな事を思いながら彼女を見ると、下を向いたまま、何かを堪えているのがわかった。

「奏?」

 そう問いかけて彼女を見上げるように地面にしゃがみ込む。圭の身長は奏よりもかなり大きな為、まるで子供と目線を合わせるかのような姿勢になった。

「圭くん。大瀬さん、大丈夫だった?」
「うん。大丈夫」
「そう、良かった」

 小さく消え入るような声で奏は呟いた。そして圭は気付く。奏の目が赤い事に。

「奏?どうしたの?本当に……」
「何でもないよ」
「でも、泣いたでしょ?」

 その言葉に奏は圭から顔を逸らすかのように横を向いた。どうしてわかったのだろう……。奏はまた泣きたくなる。泣くつもりなんて無かったのだ。自分が泣く事もおかしいと思っていた。
 自分は圭を独り占め出来ていて、仁菜子は圭に失恋したのだ。でも、どうしてだろう。何故か悲しい気持ちが心の中に広がって、涙を止める事が出来なかった。

 圭は自分の元にちゃんと戻って来てくれるのだろうか?自分よりももしかすると仁菜子の事を選ぶのではないか?そんな不安が拭えなかった。そして、今自分の目の前で優しく笑い、心配してくれている彼の姿を見ても、その不安が頭の中から消える事は無かった。

「泣いてないよ」
「何で嘘付くの?」
「本当だもん」

 まるで子供が嘘を付いた時のように奏は頬を膨らませたまま小さく言うと黙り込む。そんな彼女を見て圭は優しく笑うと、奏を抱き寄せた。

「だってさ、口調が子供っぽくなる時って、いつも奏、嘘付いてるでしょ?」
「え?」
「気付いてなかった?」
「…………うん」

 圭の腕の中は温かくて優しかった。心拍数が上がり、息を吸う事が苦しくなっていた奏は、大きく息を吸い込み、気持ちを落ち着けようとした。ふわりと彼の香りが奏の鼻を擽る。

 大好きな人の香りって、どうしてこんなに落ち着くのだろうか?どうしてこんなに泣きたくなるのだろうか?私はきっと圭くんが居ないと何も出来ない。私には圭くんが必要だ。……でも、大瀬さんは?

 また考えても仕方の無い考えが頭の中を巡る。先程まで何回も考えて、そして結論を出して、でも、また同じ考えに戻る。堂々巡りを繰り返し続けている問題だ。
 きっとこのまま圭に黙っていたとしても自分の中でわだかまりが残ってしまうだろうと奏は思う。でも、彼の幼なじみに嫉妬して、自分で勝手に勘ぐっている事を圭に言う事も出来ない。でも……。

「圭くん。私、大瀬さんの事が気になるの」
「え?」
「圭くんはきっと気付いていないと思うけれど、大瀬さんの事が……」

 そこまで言った瞬間に奏の言葉は圭によって遮られた。

「あ、あの、ここ、小坂家の前なんだけれど……」
「いや、こうしている時点で親とかに見られたらアウトでしょ?」

 奏の言葉を自分の唇で軽く塞いだ後に、圭はそう言いながら笑った。確かにそうだ。自分は今、彼の腕の中に居るのだ。頭の中がぼーっとして、自分が今どこにいるのかという事が曖昧になっていた奏はその言葉によって「確かに……」と思った。そして、急いで圭から離れる。

「あー。奏、あったかかったのに……」
「いや、いや、だめでしょ。そう、だめだよ。家の前で……。恥ずかしいよ」
「奏って恥ずかしがりだよね?」
「圭くんが気しなさ過ぎなんだよ……」

 そんな会話を繰り広げた事で、今までの少しだけ重かった雰囲気がどこかへと飛んでいった。

「で、何が言いたかったワケ?」
「……えっと……」

 言うタイミングを逃してしまった奏は、先程圭に問いかけようとした
言葉を飲み込んだ。すると、圭は全てをお見通しだったかのように笑いながら言った。

「俺が仁菜子の事、好きだって思ってんでしょ?」
「……」
「さっきも言ったよね?俺が好きなのは奏だって」
「……うん。でも……」
「でも、じゃないよ。俺が好きなのは奏。それはずっと変わらない」
「何だか上手く丸め込まれてる気がする」
「そう?」
「うん」

 奏がそう呟けば、また圭が笑った。




「圭ちゃん、ちゃんと来てくれたね」
「そうだね」

 仁菜子は涼に向かって笑うと、小さく呟いた。先程まで泣いていた為、笑顔を作ってもどこかがひきつっている気がした。ちゃんと自分は笑えているだろうか?圭の前で笑えていただろうか?考えても今はわからない。それは後になって思い返した時に、大丈夫だった、ちゃんと出来ていた……と思う事なのだろうか。
 いつかは圭の事を忘れて、自分にも好きな人が出来て、その人と二人で人生を歩んで行く日が来るのだろうか?それはまだまだ考えても想像出来なくて、遙か遠くの未来すぎて、仁菜子にはまったく予想など付かなかった。

「いつか、私にも圭ちゃん以上に好きな人が出来るのかな……」

 ぽつりと誰に言うでも無く仁菜子は口を開いた。現実と夢がごちゃまぜになっているようで、自分の気持ちがふわふわしている。

「出来るよ。きっと……」
「だといいなー」
「じゃないと僕が困るから」
「え?」

 小さくぼやくように呟いた涼の言葉を上手く聞き取れず、仁菜子は涼へと顔を近づけた。すると、涼は逃げるように後ろへ下がると、大きな掌で仁菜子の顔を押しのける。

「痛い、痛い。涼ちゃん酷い!」
「仁菜子が近づきすぎるからだよ」
「でも、これ、女の子にする事?」
「どこに女の子が居るのさ?」
「うっわーー!ほんっとうに酷いね!絶対に彼女とか出来ないよ!涼ちゃんはさ!圭ちゃんと大違い!」

 涼の手を自分の手で払いのけると、ベンチから立ち上がり仁菜子は叫んだ。

「いいよ。別に。本当に好きな子だけに好きって思ってもらえればいいからさ」
「そうだよねー……えっ?!」
「何」

 しれっと先ほど涼の口から出て来た「好きな子」という言葉に仁菜子はびっくりして大声を上げた。涼はというと、やれやれといった感じでゆっくりとベンチから腰を上げると、「仁菜子、帰ろう」と言いながら歩き出した。

「ちょ!涼ちゃん!」
「早く。置いて行くよ」

 涼は仁菜子の呼びかけに振り向かず、そのままゆっくりと歩く。暫くその場に立ち止まっていた仁菜子は涼の後を急いで追いかけると、涼の腕を掴んだ。

「涼ちゃん、好きな子、居るの?」

 仁菜子がそう言って涼の顔を覗き込むと、優しく彼は笑った。そして、星空を見上げる。

「秘密」
「えーーーーー!!何だか私だけ気持ちを知られてるってフェアじゃない気がする!」
「フェアとかそんな問題じゃないでしょ?ほら、行くよ。バカ仁菜子」
「もうっ!そうやって話題逸らすんだから!」

 そう言って仁菜子の手を優しく離した涼は一度彼女を見ると、「早く気づきなよ……」と小さく呟いた。










「けいちゃん、わたし、ねむい……」
「ねむいならねればいいじゃない」
「やだ」
「どうしてさ?」
「だって、圭ちゃんがぶかつから帰って来るのまってるの」
「まだ帰ってこないよ。だってまだお昼だよ」
「えーーー!」

 仁菜子は涼の隣で目を擦りながらぶつぶつと呟く。けれど、その呟きは言葉としては聞き取れない。手に本を持ったまま我慢出来ずに、仁菜子は小坂家のリビングにゴロンと寝転がった。そして、そのまま小さな寝息を立て出す。涼はそんな彼女を見て小さく息を吐き出すと、呟いた。

「言ってるそばからねてるし……。ほんっと、子供だよね」

 そういう涼も仁菜子の幸せそうな寝顔を見ていると、睡魔が襲って来た。昨日、いつも寝る時間よりも遅くまで兄の圭とバレーについて語っていたのだ。涼から見る圭はいつもヒーローだった。今はやりの戦隊物のヒーローよりも格好良かった。圭の中学の試合を観に行くのが好きだった。自分を見つけて笑ってくれる兄の事が大好きだった。自分もいつかはああなりたい、兄のようになるんだといつも思っていた。

「なんだかぼくもねむい……。兄ちゃんが帰って来たら、話しききたかったのにな……」

 少しずつ薄れゆく意識の中でそんな事を思う。そして、涼は仁菜子の隣へとゴロリと寝ころんだ。仁菜子の隣に寝ころぶと、ふわりとシャンプーの匂いがする。

(仁菜子はいつもいいにおいするよなー)

 まどろみの中でそんな事を思う。そして、眠りに落ちる寸前に彼女の顔を見た。

(仁菜子はいつもかわいい……ばかだけれど……)







「あれ?母さん、今日は妙に静かじゃない?」
「今ね、昼寝してるのよ。圭の事、待ってたんだけれどね。今日、お昼に小学校の開放プールに行ったから疲れてたみたい」
「そっか。ふたり仲いいよなー。うらやましい」

 圭は仁菜子と涼が寝ているリビングまで来て寝顔を見る。外の太陽は少しだけ西に傾いて、今日があと少しで終わる事を告げていた。圭は仁菜子と涼の顔を覗き込むと少しだけ笑った。

「母さん。圭日さ、俺、部活休みー」
「あら?そうなの?」
「うん。だからさ、久々に仁菜子と涼と遊んでもいい?」
「それは喜ぶわよ。仁菜子ちゃんなんて、ずっと圭の事待ってたんだから」
「そっか……」

 その言葉を聞いて圭は満足そうな笑顔を見せた。そして、仁菜子の頬に触れる。大きくなったなぁ……とそんな事を思う。二人が生まれた時には圭はもう小学生だった。そして、中学生になった今は仁菜子と涼は小学生になった。こうして一緒に居る事も減って行き、知らない間に二人は大きくなって行くのだろうか?その事に少しだけ寂しさを感じた。





「あれ?圭?……まったく。せめてシャワーくらいしなさいよ」

 お風呂の支度に行っていた圭の母がリビングに戻って来ると、圭も一緒に寝ていた。仁菜子を真ん中にして川の字になっている。

「いつまでこうして仲良くしていられるのかしらね……。ずっとずっと仲良しで居て欲しいけれど」

 圭と涼の母はそう呟くと、ふっと優しく笑った。
 









 私達は変わって行く。変わらない物もあるけれど、小さな頃のままではいられない。いつまでも子供で居る事なんて出来ないのだから。
 毎日が宝物のように輝いていて、一日が長くて、隣の町に行く事が大冒険で……そんな日々がずっと続けばいいとそう願う。けれども、時は止まる事無く流れるのだ。それが世の中の理で、そうやって私達は大人になっていく。

 でも、流れゆく時間の中でもいつまでも大切な思い出と時間は忘れたく無い。そして、三人で無邪気に笑っていられる時間はきっとあと少しだけだろう。だから……今だけは……。

 そして、いつか皆で一緒にこうして「あの時は楽しかったね」と、この小坂家のリビングで笑い合える日が来る事を信じている。



fin
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