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第74話 陰紋の秘密
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入口に立っていた案内係は、俺に連れがいることで明らかに戸惑った顏になった。
「ダンデスです。エリオット卿とお約束を」
俺の後ろで優美にほほ笑むアンドレをしばらく見つめてから、案内係は急に我に返ったのか、弾かれたように動き出した。
「あっ、はい、どうぞこちらへ……」
「やはり、今日はプロポーズだったようですね」
さりげなく、アンドレが俺の手を握ってくる。
「……」
俺は答えず、ただアンドレの手を握り返した。
俺たちは個室に通された。大きな窓からは美しい庭園が一望できた。
すでに着席していたエリオットは振り返ると、俺の後ろに立つアンドレを見て、眉をひそめた。
「ジュール……」
立ち上がり俺に何か言いかけたエリオットは、繋がれたままのアンドレと俺の手を凝視した。
「……いったい、どういう、つもりだ」
怒気を孕んだ声。
「エリオット先輩、俺からもお話があって今日は来ました」
「はじめまして、エリオット卿。私は、アンドレ・オーリックと申すものです。お会いできて光栄です」
「アンドレ、だと……」
エリオットの唇が歪む。
おそらく、覚えているのだろう。俺がかつて恋慕していた相手の男の名を。
「エリオット先輩、大変申し訳ありません。俺っ……、俺は、もうエリオット先輩と呪いの研究を続けることはできません」
一気に言った。エリオットが大切な何かを言ってしまう前に。
「どういう、意味だ」
エリオットの握り締めた拳は、震えていた。
「あの、つまり……」
「よりを戻すことに、したんです」
悪びれず、アンドレは言った。
「なんだと?」
「もうお互いいい大人ですし、様々な事情をすべてわかったうえで、割り切って付き合っていこう、と。
ジュール様とはそういう結論にいたりました」
そういうと、アンドレはこれ見よがしに俺の肩を抱き寄せた。
「身分の違いや、ほかにもいろいろと行き違いがあり、意地を張っていた部分もありましたが、やはりお互いを想う気持ちを止めることはできませんでした」
呆然と俺を見るエリオットに、俺は向き直った。
「エリオット先輩、先輩には本当にお世話になりました。でも俺、やっぱりアンドレのことが忘れられなくて……。
本当にごめんなさい。もう、先輩にはご迷惑はかけられません、だから……」
「……クロエか?」
低く、エリオットが言った。
「クロエに会ったんだな」
「え……」
――なぜこの人には、何もかも見透かされてしまうんだろう。
その時、部屋の奥に深紅の薔薇の花束が準備されていることに気づいた。
「ジュール、これでもお前のことは昔からよく知っているつもりだ。……なるほど、自分が悪者になって、すべてを丸く収めようということか。
お前らしいやり方だな」
エリオットは皮肉げに笑った。
「違いますっ、俺はただ……っ!」
言いかけた俺を、アンドレは制した。
「何もかも御存知ならば話は早い。では、エリオット卿、ジュール様は返していただきますよ」
俺を引き寄せたアンドレに、エリオットは冷徹な視線を向けた。
「返す? もともと貴殿のものであったことなど一度もなかったはずだ。たしか、ジュールの淫紋のために雇われた人間だったな?
見たところ、それなりの魔力も持っているようだ。なら……、もちろんわかっているはずだな。
一時的にジュールを自分のもとにとどめておくことができたとしても、ジュールが本当の意味で貴殿のものになることは絶対にない、と」
「……」
アンドレはそれには答えず、ただ俺を抱いた腕に力を込めた。
「ははっ、俺もまた貴殿と同じ、愚かな男の一人だ。ジュールと婚姻できたところで、ジュールを自分に縛り付けることなどできないとわかっていたはずなのに。
……しかし、もう少し早ければ、お前は俺の申し出を受けてくれていたのだろうか? いや、ありえないな。俺はそれがわかっていたから、ここまで引き延ばしていたんだ」
「エリオット先輩……」
自嘲気味に話すエリオットを、俺は不安げに見た。
「ジュール、こんなことをさせてしまってすまない。呪いの研究を言い訳にして、お前を長い間独占した。
だが、これだけはわかっていてほしい。お前といた時間は、俺にとっては得がたく、貴重な時間だった。
俺は、本当に心から、お前のことが……」
「先輩っ……!」
俺はアンドレを振り切って、エリオットに抱き着いていた。
「先輩っ、エリオット先輩は、俺にとってもすごく大事な人です。だから……、幸せになってほしい、クロエと……」
エリオットの身体から、力が抜けた。
「ジュール……」
「俺はクロエのこと、知っていたはずなのに、エリオット先輩に言われるがまま、関係を続けました。
エリオット先輩が、いつも優しい目で俺を見てくれているの、すごく、うれしかった。
なんだかんだいっても俺の世話を妬いてくれて、面倒を見てくれるエリオット先輩の側にいるのは、とても居心地が良かった。
でも、俺はエリオット先輩の隣にいるべき人間じゃない。
俺は……っ!」
「ジュール、もういい!」
エリオットは力いっぱい俺を抱きしめた。
「ごめんなさい、エリオット先輩……」
俺はエリオットの胸に顔をうずめた。
「いいんだ、ジュール。こんなことをさせてしまって悪かった。いままで、……ありがとう」
エリオットはそっと俺から身体を離した。
「ジュール、最後に大切なことを教えておく。お前に刻まれた淫紋は、おそらくマリユス・ロルジュでも解呪は不可能だ」
「え……」
俺は目の前が真っ暗になる。
「じゃあ、俺は、一生……」
「勘違いするな。もちろん解呪の方法はある。ただ、それはお前の力でなされるものだ」
「それはいったい、どういう……」
俺にはほとんど魔力がない。そんな俺が、強大な魔力を持ったマリユスの術を破れるとは到底思えない。
「刻んだ本人であるマリユスは知っていたはずだ。この淫紋は、お前しか解呪できない、ジュール」
エリオットの藍色の瞳が、俺をしっかりととらえた。
「この意味、よく覚えておけ」
「ダンデスです。エリオット卿とお約束を」
俺の後ろで優美にほほ笑むアンドレをしばらく見つめてから、案内係は急に我に返ったのか、弾かれたように動き出した。
「あっ、はい、どうぞこちらへ……」
「やはり、今日はプロポーズだったようですね」
さりげなく、アンドレが俺の手を握ってくる。
「……」
俺は答えず、ただアンドレの手を握り返した。
俺たちは個室に通された。大きな窓からは美しい庭園が一望できた。
すでに着席していたエリオットは振り返ると、俺の後ろに立つアンドレを見て、眉をひそめた。
「ジュール……」
立ち上がり俺に何か言いかけたエリオットは、繋がれたままのアンドレと俺の手を凝視した。
「……いったい、どういう、つもりだ」
怒気を孕んだ声。
「エリオット先輩、俺からもお話があって今日は来ました」
「はじめまして、エリオット卿。私は、アンドレ・オーリックと申すものです。お会いできて光栄です」
「アンドレ、だと……」
エリオットの唇が歪む。
おそらく、覚えているのだろう。俺がかつて恋慕していた相手の男の名を。
「エリオット先輩、大変申し訳ありません。俺っ……、俺は、もうエリオット先輩と呪いの研究を続けることはできません」
一気に言った。エリオットが大切な何かを言ってしまう前に。
「どういう、意味だ」
エリオットの握り締めた拳は、震えていた。
「あの、つまり……」
「よりを戻すことに、したんです」
悪びれず、アンドレは言った。
「なんだと?」
「もうお互いいい大人ですし、様々な事情をすべてわかったうえで、割り切って付き合っていこう、と。
ジュール様とはそういう結論にいたりました」
そういうと、アンドレはこれ見よがしに俺の肩を抱き寄せた。
「身分の違いや、ほかにもいろいろと行き違いがあり、意地を張っていた部分もありましたが、やはりお互いを想う気持ちを止めることはできませんでした」
呆然と俺を見るエリオットに、俺は向き直った。
「エリオット先輩、先輩には本当にお世話になりました。でも俺、やっぱりアンドレのことが忘れられなくて……。
本当にごめんなさい。もう、先輩にはご迷惑はかけられません、だから……」
「……クロエか?」
低く、エリオットが言った。
「クロエに会ったんだな」
「え……」
――なぜこの人には、何もかも見透かされてしまうんだろう。
その時、部屋の奥に深紅の薔薇の花束が準備されていることに気づいた。
「ジュール、これでもお前のことは昔からよく知っているつもりだ。……なるほど、自分が悪者になって、すべてを丸く収めようということか。
お前らしいやり方だな」
エリオットは皮肉げに笑った。
「違いますっ、俺はただ……っ!」
言いかけた俺を、アンドレは制した。
「何もかも御存知ならば話は早い。では、エリオット卿、ジュール様は返していただきますよ」
俺を引き寄せたアンドレに、エリオットは冷徹な視線を向けた。
「返す? もともと貴殿のものであったことなど一度もなかったはずだ。たしか、ジュールの淫紋のために雇われた人間だったな?
見たところ、それなりの魔力も持っているようだ。なら……、もちろんわかっているはずだな。
一時的にジュールを自分のもとにとどめておくことができたとしても、ジュールが本当の意味で貴殿のものになることは絶対にない、と」
「……」
アンドレはそれには答えず、ただ俺を抱いた腕に力を込めた。
「ははっ、俺もまた貴殿と同じ、愚かな男の一人だ。ジュールと婚姻できたところで、ジュールを自分に縛り付けることなどできないとわかっていたはずなのに。
……しかし、もう少し早ければ、お前は俺の申し出を受けてくれていたのだろうか? いや、ありえないな。俺はそれがわかっていたから、ここまで引き延ばしていたんだ」
「エリオット先輩……」
自嘲気味に話すエリオットを、俺は不安げに見た。
「ジュール、こんなことをさせてしまってすまない。呪いの研究を言い訳にして、お前を長い間独占した。
だが、これだけはわかっていてほしい。お前といた時間は、俺にとっては得がたく、貴重な時間だった。
俺は、本当に心から、お前のことが……」
「先輩っ……!」
俺はアンドレを振り切って、エリオットに抱き着いていた。
「先輩っ、エリオット先輩は、俺にとってもすごく大事な人です。だから……、幸せになってほしい、クロエと……」
エリオットの身体から、力が抜けた。
「ジュール……」
「俺はクロエのこと、知っていたはずなのに、エリオット先輩に言われるがまま、関係を続けました。
エリオット先輩が、いつも優しい目で俺を見てくれているの、すごく、うれしかった。
なんだかんだいっても俺の世話を妬いてくれて、面倒を見てくれるエリオット先輩の側にいるのは、とても居心地が良かった。
でも、俺はエリオット先輩の隣にいるべき人間じゃない。
俺は……っ!」
「ジュール、もういい!」
エリオットは力いっぱい俺を抱きしめた。
「ごめんなさい、エリオット先輩……」
俺はエリオットの胸に顔をうずめた。
「いいんだ、ジュール。こんなことをさせてしまって悪かった。いままで、……ありがとう」
エリオットはそっと俺から身体を離した。
「ジュール、最後に大切なことを教えておく。お前に刻まれた淫紋は、おそらくマリユス・ロルジュでも解呪は不可能だ」
「え……」
俺は目の前が真っ暗になる。
「じゃあ、俺は、一生……」
「勘違いするな。もちろん解呪の方法はある。ただ、それはお前の力でなされるものだ」
「それはいったい、どういう……」
俺にはほとんど魔力がない。そんな俺が、強大な魔力を持ったマリユスの術を破れるとは到底思えない。
「刻んだ本人であるマリユスは知っていたはずだ。この淫紋は、お前しか解呪できない、ジュール」
エリオットの藍色の瞳が、俺をしっかりととらえた。
「この意味、よく覚えておけ」
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