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第71話
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「ここが……」
馬車から降りると、そこは海が見渡せる小高い丘だった。
「ルイは海が好きだった。だから、海が見えるこの場所を選んだんだ」
太陽の光を受け、輝く海原に、グレイソン・ダグラスは目を細めた。
――あれから二週間。
僕がテレンスにさらわれたこと、アリスが銃を所持していたこと、オスカーが撃たれたこと……。すべては何も起こらなかったかのように、事件は処理されていた。
テレンスとアリスは、そろって王立学院を退学した。
一時的に、王立学院でいろいろなうわさが飛び交ったが、一週間もすれば、生徒たちの話題と興味は、ほかのことに移ってしまった。
「テレンスより、アリスのほうが、重症だったようだ。
二人とも入院したが、アリスのほうは、前の彼女に戻るのは難しいようだ」
父親は、海を見たまま言った。
アリスは、ずっと心を病んでいた。
それは血のつながった兄を愛してしまったときから、もう始まっていたのかもしれない。
「オスカーは……どうなったんですか? あれから……」
僕の問いに、父親は眉間に深いしわを寄せた。
「オスカーは……一命は取り留めた。だが、内臓が損傷しているから、移植が必要になるかもしれない。万全の体制で治療に当たっている。何も心配することはない」
「はい……」
父親の重い口調から、オスカーがなお、予断を許さない状況であることがわかった。
「アーロン・ビショップ……」
ぽつりと、父親は呟いた。
「え?」
「オスカーの本名だ」
「知っていたんですか?」
僕は驚く。
「ああ、忘れるはずがない。あの男の息子だ……。
ルーベン・ビショップ……。
アーロンを見ていると、彼を思い出さずにはいられない。背が高くて、本当に美しい男だった。周りの女性は、皆、彼に夢中になった……」
父親の瞳は、ある一点をずっと見つめていた。
「私は、彼らからすべてを奪った……」
海風が、僕たちの間を吹きぬけていった。
「私は子供のころから、引っ込み思案なところがあった。
王立学院を卒業し、伯爵家の後継者として社交界にもデビューした。だが、肝心なところで人前に出ることが苦手で、スピーチなどのときなどに、どうしても身体が固まってしまう……。
亡くなった先代のダグラス伯爵は、豪傑で怖い物知らずな男だったから、そんな私をいつも父は、伯爵家の跡取りとしてふがいなく思っていた。
そんなとき、叔母が声楽で発声法を習えば、あがり症が治るという話を聞きつけてきて、私は無理矢理、声楽のレッスンに通わされることになった……。
そこで、お前たちの母親に出会った」
父親は、僕の顔をじっと見る。
「彼女は舞台歌手として活躍していたが、結婚と出産を機に、舞台からは退いていた。自宅で、声楽を教えている彼女に出会った瞬間、私は激しい恋に落ちた……」
「結婚、していたんですね。しかも、子供も……」
「ああ、まだ赤ん坊のアーロンがいたよ。私は当時24歳で、彼女は34歳だった……」
父親は、何かを思い出すように軽く笑った。
「年上の……」
「ああ、十も年上の女性だった。私はそれまで、婚約はしていたというのに、まともに恋愛などしたこともなかった。初めて恋い焦がれた女性だった……」
「家庭もある女性に、なぜ……」
僕は詰るように問う。そんな横恋慕をしなければ、オスカーは……。
「あきらめようとしたさ。心の中に大切にしまっておくつもりだった。
だが……、急に熱心にレッスンに通うようになった私を怪しんだ父に、すべて感づかれてしまった」
父親は、また遠い目をする。
「父は面白がってね。私に言ったんだ。もし、お前がその女性の心を手に入れることができたら、結婚を認めてやる、と。男ならどんな手段を使っても、彼女を手に入れろ、とね」
「どんな手段も……」
それが、オスカーの父親を陥れる結果になったのか。
「その言葉が、私の心に火をつけてしまった。私はなんとしても彼女を手に入れようと思った。父親を見返してやりたい気持ちも、どこかにあったかもしれない……」
「ここが……」
馬車から降りると、そこは海が見渡せる小高い丘だった。
「ルイは海が好きだった。だから、海が見えるこの場所を選んだんだ」
太陽の光を受け、輝く海原に、グレイソン・ダグラスは目を細めた。
――あれから二週間。
僕がテレンスにさらわれたこと、アリスが銃を所持していたこと、オスカーが撃たれたこと……。すべては何も起こらなかったかのように、事件は処理されていた。
テレンスとアリスは、そろって王立学院を退学した。
一時的に、王立学院でいろいろなうわさが飛び交ったが、一週間もすれば、生徒たちの話題と興味は、ほかのことに移ってしまった。
「テレンスより、アリスのほうが、重症だったようだ。
二人とも入院したが、アリスのほうは、前の彼女に戻るのは難しいようだ」
父親は、海を見たまま言った。
アリスは、ずっと心を病んでいた。
それは血のつながった兄を愛してしまったときから、もう始まっていたのかもしれない。
「オスカーは……どうなったんですか? あれから……」
僕の問いに、父親は眉間に深いしわを寄せた。
「オスカーは……一命は取り留めた。だが、内臓が損傷しているから、移植が必要になるかもしれない。万全の体制で治療に当たっている。何も心配することはない」
「はい……」
父親の重い口調から、オスカーがなお、予断を許さない状況であることがわかった。
「アーロン・ビショップ……」
ぽつりと、父親は呟いた。
「え?」
「オスカーの本名だ」
「知っていたんですか?」
僕は驚く。
「ああ、忘れるはずがない。あの男の息子だ……。
ルーベン・ビショップ……。
アーロンを見ていると、彼を思い出さずにはいられない。背が高くて、本当に美しい男だった。周りの女性は、皆、彼に夢中になった……」
父親の瞳は、ある一点をずっと見つめていた。
「私は、彼らからすべてを奪った……」
海風が、僕たちの間を吹きぬけていった。
「私は子供のころから、引っ込み思案なところがあった。
王立学院を卒業し、伯爵家の後継者として社交界にもデビューした。だが、肝心なところで人前に出ることが苦手で、スピーチなどのときなどに、どうしても身体が固まってしまう……。
亡くなった先代のダグラス伯爵は、豪傑で怖い物知らずな男だったから、そんな私をいつも父は、伯爵家の跡取りとしてふがいなく思っていた。
そんなとき、叔母が声楽で発声法を習えば、あがり症が治るという話を聞きつけてきて、私は無理矢理、声楽のレッスンに通わされることになった……。
そこで、お前たちの母親に出会った」
父親は、僕の顔をじっと見る。
「彼女は舞台歌手として活躍していたが、結婚と出産を機に、舞台からは退いていた。自宅で、声楽を教えている彼女に出会った瞬間、私は激しい恋に落ちた……」
「結婚、していたんですね。しかも、子供も……」
「ああ、まだ赤ん坊のアーロンがいたよ。私は当時24歳で、彼女は34歳だった……」
父親は、何かを思い出すように軽く笑った。
「年上の……」
「ああ、十も年上の女性だった。私はそれまで、婚約はしていたというのに、まともに恋愛などしたこともなかった。初めて恋い焦がれた女性だった……」
「家庭もある女性に、なぜ……」
僕は詰るように問う。そんな横恋慕をしなければ、オスカーは……。
「あきらめようとしたさ。心の中に大切にしまっておくつもりだった。
だが……、急に熱心にレッスンに通うようになった私を怪しんだ父に、すべて感づかれてしまった」
父親は、また遠い目をする。
「父は面白がってね。私に言ったんだ。もし、お前がその女性の心を手に入れることができたら、結婚を認めてやる、と。男ならどんな手段を使っても、彼女を手に入れろ、とね」
「どんな手段も……」
それが、オスカーの父親を陥れる結果になったのか。
「その言葉が、私の心に火をつけてしまった。私はなんとしても彼女を手に入れようと思った。父親を見返してやりたい気持ちも、どこかにあったかもしれない……」
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