【完結】入れ替わった双子の伯爵令息は、優美で獰猛な獣たちの巣食う復讐の檻に囚われる

第２６話

 馬車の御者に、今日の迎えはいらないと言い残した。
 オスカーには、なんと言ってごまかしたらいいだろうか？
 ディランと会っていることは、オスカーには言ってはいけない気がした。




「よお」
 放課後。石造りの立派すぎる門にもたれて、僕を待っているディランを見つけた僕は、胸が高鳴る。

「行こうぜ」
 軽く肩を抱かれる。ディランの体温を感じて体が硬直する。


 ――この焼けるような痛みを持つ感情の名前を、僕は知らない。




「えっ、お前、乗り合い馬車に乗ったこともないのかよ」

 王都の喧騒に思わず固まる僕に、ディランが驚く。

「いつも専用の馬車で送り迎えしてもらってるし……」

 乗合馬車に運賃を払うために、慌てて鞄から財布を出すが、いったいいくらくらいかかるのか想像もつかない。しかも、財布には必要最小限の額しか入っておらず、これで足りるのかどうかもわからない。
 以前は、村からほとんど出ることのない生活だったし、まれに近くの町にいくときはハンターが僕の身の回りのことをすべてやってくれていたため、自分で何かを支払ったりすることはなかった。



「ったく、世話のやけるおぼっちゃまだなー」

 そう言いながら、ディランは自分の財布を取り出すと、馬車の御者に何か言って銀貨を握らせた。

「ほら、先に乗れよ。俺たちの貸し切りにしてもらったぜ」

 強引に馬車の中に上がらされる。

「あ、ありがとう。あの、僕の分のお金は？」

「んなもんいーよ。っていうか、お前、金持ちのくせに、全然金持たされてないんだな。前のルイは、仲間を引き連れて、馬鹿みたいに王都中を豪遊してたぜ」

「……豪遊？」

 ここで何をどうやって遊ぶのだろう。まるで想像がつかない。
 僕の戸惑いを感じ取ったのか、ディランがふきだした。

「おいおい、マジかよ。ジシー出身の俺以上のヤツがいたとはな！ 一体どこの秘境の出だよ！」
 そう言って、笑いながら僕の隣に腰掛けると、大げさなそぶりで僕の肩を抱いた。

「わっ」

 ディランをびっくりするほど近くに感じた瞬間、馬車が走り出したので、僕は思わず声をあげた。
 そんな僕を見て、さらにディランが爆笑する。

「なんだよっ、失礼なヤツだなっ」
 僕はディランの膝を叩く。

「ははっ、久しぶりにこんなに笑ったわー。それにしてもよ」
 ちらりと僕を見る顔は、真顔に戻っていた。

「お前……、もしかして閉じ込められてんのか？」

「え……？」
「だって、おかしいだろ。お前、あの屋敷と学院の往復以外、どこかに行けるのか？」

 そんなこと、考えたこともなかった。
 必要なものは、何でもオスカーが準備してくれている。

 それに、特に行きたい場所や興味を惹かれるものも、なかった。
 この新しい生活に慣れることに必死で、外に目を向けたことなど今まで無かったことに気づく。

「まあ、いいや。もしなんか困ったことがあったら、俺に相談しろよな」

 そう言って僕の頭に手を乗せ、僕の銀色の髪をぐちゃぐちゃにかき回す。


 馬車を降りると、ディランは慣れた足取りで石畳の路地を入っていく。
 

「……なんで」

「え？」
 ディランが振り返る。

「……なんで、こんなに親切にしてくれるんだ？ 決闘だって、ディランが受ける必要なんてなかった。なのに……」
 
　ディランが、その緑色の瞳を細める。


「……んなこと、知らねーよ。ただ……、お前は俺の従兄弟だろ？　それに、困っているやつがいたら、助ける。当然のことだろ」
 困惑したような表情。


　ディランは、優しい。
 それは、すべての者に平等に向けられるもので、僕を特別に感じているからでは、決してない。

 でも、それでも――。
 何かを期待する、得体の知れない醜い感情が、どんどん心の中に広がっていく。