【R18】奈落に咲いた花

夏ノ 六花

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第三章〜Another end〜

《僕》と《私》Ⅱ

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まず僕は、邸宅にいる使用人の出身から経歴まで全てを調べあげ、使える人間を引き入れて精力的に力を蓄えてきた。
全てはアイリスの望みである復讐を遂げるために…

ただ一つ…
アイリスにはとても《私》のことは打ち明けられなかった。

イーリス姉様への仕打ちを思い返して後悔して…
夢の中で何度も僕を責めてくるイーリス姉様が繰り返し殺される光景を見せられ、不安に駆られても…
アイリスに面と向かって詫びる勇気だけは持てなかったのだった。



そうやってアイリスを避け続け半年程経った頃。

アネスティラの主催で開かれたガーデンパーティーの最中…
ミカエルからの辱めを受け入れようとするアイリスを見てしまい、自らを物のように扱おうとするアイリスの姿に衝撃を受けた。

それは…《僕》が彼女を貶めたからに他ならなかった。

凶暴な《私》がアイリスを守るために手を汚せと囁く。
もちろん《僕》がそれを拒むことは無かった。

だが、結局は瓶を投げつける前にレオが現れてしまった。
僕と違って大人であるレオには素直に手を取るアイリスを見た瞬間、また裏切られたような胸の痛みを覚えた。

胸に渦巻く身勝手な怒りを抑えつけようと瓶を窓枠に叩きつけて発散させたつもりだった。

まさか僕を避けていたアイリスが駆けて来てくれるとは思わずまっすぐ僕を見据える紫の瞳に歓喜したのも一瞬で…

「来るな…」
「───…っ!」

咄嗟に拒絶してしまった僕からあっさり離れていくアイリスが恨めしく思えた。
自分で突き放したくせに、僕の強がりを理解してくれないことが悔しくて…

そして、アイリスは救急箱を取りに行っただけなのだと理解した瞬間気づいてしまった。
このまま強がっていてはきっとまた後悔することになる、と…

だが、アイリスはもっと前に記憶を取り戻していたのだろう。
アイリスは《私》が知っているイーリス姉様よりも、ずっと強かな女性になっていた。

だからこそ…そんなアイリスに求められるようになるまで、僕はアイリスには触れないことを心に決めた。
まだ幼いこの身体ではアイリスに罪悪感しか与えないのだと正しく気づくことが出来た。


僕は《黒狼》を使って、まずミカエルの右手を潰させた。
暴漢に襲わせたように見せかけ、アイリスを打ったあの男の右手が切断されるよう…指の骨一つ残さず、粉々に砕けるまで徹底的に叩き潰すよう命じた。

それからはダリアやアネスティラへの制裁に注力することにした。
アイリスが何故かアネスティラを気に入っている様子だったので、どうするべきか少しだけ悩んだが…
結局アネスティラは僕の罠に嵌ってアイリスを切り捨てた。
所詮、人間の本質は変わらないということなのだろう…と納得し、容赦なく排除することにした。

驚くべきことに、前回の噂話と違ってフローは協力を拒否した。
仕方なく家族の命と引き換えに、アネスティラの飲み物に薬をほんの少しだけ混ぜるよう指示した。
薬の影響で判断力が鈍っていったアネスティラは、すぐオフィーリアの計画に飛びついて社交界を荒らすようになった。
まさか自身も薬を摂取しているとは夢にも思っていなかったのだろう。
ままならない感情の起伏にいつからかアネスティラは人を寄せつけなくなっていった。

僕が士官学校に入学した後は《黒狼》を使ってアネスティラを監視した。
ダリアが何か行動するかと思っていたが、アネスティラを平然と切り捨てたと聞いて次はダリアを排除することにした。

今世でセドリックはアイリスとはほとんど関わりがなくなったこともありあまり気にしていなかった。
ダリアを排除すれば終わると思っていた。

そんな中、ダリアがトライオスという爆弾を連れてきて…
まるで警告のように再び繰り返されるようになってしまった悪夢に、言いようのない不安を覚えた僕は結局アイリスを隠すことにした。
邸宅には《黒狼》がいるとはいえ、トライオスの強権が発動されれば《黒狼》だけで対応出来るかは分からなかった。

だが、約束した時間になっても裏門に現れないアイリスに、また迷っているのかと部屋まで迎えに行くと床に捨て置かれたバックを見つけた。
それは、アイリスが僕と共にここを離れる心づもりでいた事の証に他ならなかった。

かつてのようにヘリオの仕業かと思い、ノワの部屋まで行ったものの彼女は本当に何も知らないようだった。

そんな状況下で、ダリアを徹底的に監視するよう《黒狼》に命令を出したのは完全に僕の失態だった。



一ヶ月経ってもダリアが静かなことに困惑していたら、《黒狼》からノワが姿を消したという報告があった。

ノワがアイリスを見つけたのだと思った。
だが、首都をしらみ潰しに捜しても僕はノワを見つけることは出来なかった。
回帰前と同様、郊外に逃げたのかと思い方々に《黒狼》を走らせてみたが、結局ノワもアイリスも見つけることは出来なかった。
二人とも目立つ容姿なので、まさかここまで捜索に手こずるとは思わなかった。

二ヶ月の懸命な捜索にも関わらず、ここまで見つからないとなると残る潜伏場所は王宮しか有り得なかった。
僕からの謁見申請を大した理由もなくコンラッドが棄却してくれた時点で僕の中では確信になっていた。

そんな時、マクレーガン伯爵邸を監視する目が多いとの報告を受けて、そのうちの一人を捕らえて尋問したところトライオスがアイリスの誘拐を企てていることを知った。

僕が傍に居られない今、アイリスは王宮に置いておく方が明らかに安全だった。

それでも…
せめてひと目、アイリスの無事な姿を見たくてコンラッドに謁見申請を出し続けた。
それがまさか一年も棄却されることになるとは思わず…
アイリスに会わせるか、アストラスとの戦争か選べと啖呵を切ったらノワがようやく僕の前に現れた。

よく堂々と姿を現せたものだと鼻で笑うと、一年前アイリスに何があったのか…その間に立てた計画の一部をノワが聞かせてくれた。
勝手に養子縁組をしていたことにも驚かされたが、アイリスを監禁していたのがセドリックだったことにも驚きを隠せなかった。

実の父親の凶行をどのように捉えられるか分からず報告が出来なかった…というノワに、僕はまともに反論することすら出来なかった。

セドリックがアイリスを女として見ている…これはダリアの欲目だと僕は思い込んでいた。

かつてのセドリックはイーリス姉様を娘として扱っていたからだ。
僕がイーリス姉様を孕ませたと知った時も諾々と受け入れたセドリック。
腹違いとはいえ、実の姉弟が交わっても咎めることすら出来ない、という意思の弱さも含めて、まさかセドリックがそんな凶行に走るとは夢にも思っていなかった。

ジョージからの連絡で伯爵邸に帰還すると、頭に包帯を巻かれたセドリックが眠っていた。
その姿にかつてのセドリックが重なって言いようのない怒りを思い出していた。

イーリス姉様を守ることすら出来ずに無様な最期を迎えただけでなく、戸籍上の娘でなくなったアイリスに欲情していたとは…



アイリスがペルージャン公爵邸に住まいを移した後、領地に送られたセドリックを尋問することにした。
これは信頼している《黒狼》にも任せられないことだった。

そして、その時初めて…アイリスがセドリックの実の娘ではないことを知ってしまったのだった。

立場が変わろうとも僕の異母姉であることには変わりないと思っていたイーリス姉様が…アイリスが、赤の他人だったのだと今更知ってしまった僕はどこか喪失感を覚えていた。

普通の人ならばむしろ喜ぶところなのだろう。
だが、僕の中の《私》はアイリスとの特別な繋がりを失ってしまったように感じていた。

アイリスをリーシャと呼び、歪んだ愛を押し付けようとするセドリックは目障りで仕方なかったが…
とりあえずダリアへの復讐に利用することにした。

《黒狼》に媚薬を持たせ、適当な娼館から数人…線の細い女を見繕いセドリックの寝室に押し込めておけと言ったら見事に食いついてくれた。
同じ室内には、かつてイーリス姉様のことをダリアに報告したロベルトを置かせ、一週間セドリックの淫行の様子を紙に書き留めるよう命令しておいた。
寝ようものならロベルトの腕を切り刻めと《黒狼》にも指示を出して、精神的にも肉体的にも徹底的に痛めつけた。

もちろん、ダリアが処刑される前に領地にいたセドリックも事故死に見せかけ回収しておいた。
セドリックをそのまま自由にさせておくつもりはさらさらなかった。

実はたまたま卵を手に入れる機会があり密かに育てていたペットがいた。
普段は獣の肉を与えていたのだが、試しに《黒狼》が持ち帰ったロベルトの腕を与えてみたところ思いのほか食いつきが良かった。
せっかくなので新鮮なうちに…と、セドリックを生きたまま同じ檻に入れてみたところ、活きのいい獲物に可愛いペットも喜んでくれたようだった。

何も知らないダリアは、自身を裏切ったセドリックを恨みながら断頭台に上がったことだろう。

こうして《僕》が望んだ復讐は…ようやく完遂することが出来たのだった。



イーリス姉様への罪悪感は未だ胸に残っていたが…
素直に甘えてくれるアイリスが嬉しくて見ないふりを続けた。

ようやく…望んでいた世界を手に入れた気がした。
アイリスが傍で笑ってくれるだけで、全てが上手くいくような万能感を覚えていた。

どんな悪事も、アイリスにさえバレなければいいと思っていた。

案の定、リュークはソドムの話をアイリスに黙っていることは出来なかったようで…
大事な情報源も勝手に処分したことも含め本当に目障りで仕方なかったが、それでも所詮は騎士だった。

いくらリュークがアイリスを敬愛し、いくらアイリスと同じ時間を過ごそうとも…
リュークが彼女の蕩けた瞳を見ることは決して叶わないのだ、と優越感に浸っていた。
だが…

舞踏会でコンラッドと踊るアイリスを見た瞬間、言いようのない不安に襲われた。
オリヴィエ王妃の提案に応じたのは僕自身だというのに…

イーリス姉様がコンラッドの筆頭婚約者候補になっていた時期があったからだろうか?
それとも…僕と違って何も後ろめたい気持ちがないコンラッドが、僕のアイリスを少なからず想っていることに気づいてしまったからか…

今すぐ取り返さなければ…という焦燥に駆られた。

いくら僕の色を身につけさせようと、アイリスが本当の《僕》を知ってしまったら…彼女は離れてしまうのではないか?
そんな不安は僕の心の奥底に常に付き纏っていた。

僕が《私》の記憶を有していることはアイリスも気づいている。

だが、結局のところ《私》が犯した狂行も《僕》が指示した凶行もアイリスは正確には知らないのだ。



「───…いや…やめて…お願いですから、やめてくださいっ!」
「何が嫌なのかはっきり言ってくれないか?こんな風に君に拒絶されてしまっては…どうしていいか分からなくなる…っ!」

偽りようのない本心だった。
僕はアイリスがいなければ生きていけないのに…

清らかだった紫の瞳が恐怖の色に染まるのを見た瞬間、完璧だったはずの世界が崩れていくのが分かった。
忘れかけていた恐怖が鮮明に蘇って《僕》の心が押しつぶされそうになってしまう。
慌てて弁明するアイリスを腕の中に収めて、決して離れないようにと強く抱きしめていた。

「シリ…ウス様…苦し…いです…」
「───ごめん!でも本当に…僕を嫌いになったわけじゃないんだね?」
「………はい、当然です。シリウス様を嫌いになんてなるはずがありません…」

まっすぐ向けられる紫の瞳にもう恐怖の色は見えなくて…

「私の愚かさを認めたくなくて…思い出した後もあなたに告げる勇気も持てなくて…後悔ばかりの生に今更向き合うことをずっと恐れて…」
「………」
「でも…あなただけを愛しています…これだけは誓って…嘘じゃありません…」
「……シリウス…」
「黙って戦場に行ったのは、邸宅にいる間は無事だと信じていたからで…決してあなたを捨ておいたわけじゃない…」
「………うん」
「それでも……イーリス姉様を一人で逝かせてしまったことを…ずっと謝りたかったんです…」

ようやく《私》は…イーリス姉様に謝ることが出来たのだった。
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