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第三章〜Another end〜
閑話〜至尊の色〜 side トライオス
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物心ついた時には、僕の周りには銀眼の人間しかいなかった。
僕を恭しく扱い、何を命令しても喜んで受け入れてくれるし、僕自身がまるで神かのようにいつもひれ伏してくれた。
兄さん達の髪色はバラバラだったが、僕のように真っ白な髪の人はいなかった。
「……トライオス様の髪は女神様の色ですから」
「こんな色が?」
髪を梳いてくれるムーランを鏡越しに見上げる。
全体的に色白で色素が薄いせいか眉頭だけしか見えないのぺっとした顔の僕と、黒髪をひとつにまとめキリッと凛々しい眉に健康的な肌色のムーラン。
どう見ても、ムーランの方がかっこいいはずだ。
「ふふっ…私にとっては至尊の色なのです。そんなあなた様にお仕えすることが出来る機会を与えていただけた私は幸せ者ですね」
ムーランが言う女神とは…
この国、アストラス神聖国で信仰されている刻の女神《フォルトゥーナ》様のことだ。
ムーラン曰く、刻の女神様の名を無闇に口に出すことは恐れ多いことらしい。
「────…つまり、刻の女神がこの世界で崇められる女神の始祖であるという考えの元、アストラスでは刻の女神を唯一神として崇めているのです」
「ん?でもこの前は、この世界で一番有名なのは地母神である女神ディアーナだと言っていたじゃないか」
「それは刻の女神がこの地上の管理を三女神に委ねたからです。大地のディアーナ、海のヤーム、空のアイテール。自らの御力で生み出したこれら三女神に任せ、この世界の行く末を見守るだけの存在…それが我らが信仰を捧げる刻の女神様なのですよ」
「ふ~ん?」
そして僕は最高権力者である教皇の血筋であり、次期教皇を担うべき存在なのだそうだ。
*
「母上ー!」
僕が五歳になった日、久しぶりに母上との面会が許可された。
母上は僕と同じ白髪の女性だった。
手足まで隠れてしまう長さの修道服と髪色も相まって全体的に白いイメージの人だったが、存在感のある彼女の真紅の瞳が大好きだった。
「トライオス…!」
久しぶりに母上に抱きしめてもらえたことで、なんだか自分が幼くなったような気分になる。
最後にあったのは二年前だろうか?
記憶の中の母は、ほとんど喋ることもなく、僕が話しかけてもどこかぼんやりと壁ばかりを見ていた気がする。
だが今日は体調が良いのか、母の赤い瞳はまっすぐ僕を見てくれていた。
「母上、そのお腹はどうされたのですか?まさか病気なのですか?」
「………これは…あなたの弟か妹がいるのよ…」
「わぁ!僕が兄さん達のようになるんですね?!」
ぱっと振り向いてムーラン達に笑いかける。
ムーラン達は嬉しそうに笑ってくれたが、母上は複雑そうな顔をしていた。
「………トライオス…」
「はいっ!母上」
「久しぶりに…二人っきりで話がしたいの」
「分かりました!兄さん達は部屋の外で待っていてくれ」
母上の要望通り、ムーラン達に部屋から出るよう命令する。
「申し訳ありません、トライオス様。それは出来ません…」
「どうして?」
「教皇様より、お母上様と二人っきりにしないようにと厳命を受けております故…」
「………なら、ムーラン以外は部屋の外に出てくれ」
「「かしこまりました」」
そう言うと、ムーラン以外の兄さん達は外へ出ていってくれる。
「ムーランも部屋の端にいて」
「はい、トライオス様」
「母上!これでいいですか?」
「………ええ、ありがとう。トライオス…」
自慢げに振り向くと、褒めるように僕を優しく抱きしめなおしてくれる。
「………トライオス、私を助けて…」
「?」
ぽつりと囁かれた言葉。
意味が分からず首を傾げてしまう。
「トライオス…早く大人になって…この母を助けてちょうだい…」
早く大人になって…
そう言いながらも母は僕の首を絞めていた。
「───…は、はう…え…?」
「ごめんね?こうするしかないの…私はここではもう生きていけない…一緒に死んでちょうだい、あなたのその悪魔の瞳が憎くてたまらないの…トライオス」
───…母上…どうして?
その言葉を紡ぐことは出来ず…
真っ暗な視界の中、初めて聞くムーランの怒号だけがいつまでも耳に残っていた。
目を覚ますと母上は事故で亡くなったと聞かされた。
腹の子も一緒に流れてしまったらしい。
「………」
ムーランの怒号を思い出して唇を引き結ぶ。
もしかしたらムーラン達が僕を守るため、仕方なしに母上を殺したのかもしれない…と心に渦巻くわずかな怒りを飲み込むことにした。
弟妹の誕生を心待ちにしていた父上…つまり教皇は母上の死を悼み、その日から僕を遠ざけるようになった。
*
そして僕の十五歳の誕生日。
ほぼ十年間、放置されてきた僕は久しぶりに父上から呼び出された。
身長は伸びたが、二十歳以上離れたムーランと並んで歩いているとまだまだ自分は子どもだと思い知らされる。
「ムーラン、何故父上は今更僕を呼んだのかな?僕の事なんて忘れてると思ってたのに…」
「トライオス様…父君がトライオス様を忘れるはずがありません…トライオス様の母君が亡くなられたことで傷つかれたお心を落ち着かせる為に少しばかり時間が必要だっただけなのです…」
「………そうなのかな…僕には父上が何を考えているのか全く分からないよ…」
ムーランに案内された部屋に入ると、天井から薄地のカーテンが幾重にも垂れ下がったベッドが部屋の中央にあった。
「………なんだ?この部屋は…」
「この奥で父君がお待ちです…」
ムーランはそう言って足を止めてしまう。
嫌な予感はしたものの、父上が僕だけを呼んだのだろうと思い直し足を進める。
カーテンの奥には大きなベッドがあり…その中央には数多の女を侍らせ、酒池肉林を楽しむ父の姿があった。
白が溢れる中で唯一黒々とした髪を持つ父は、会えなかった十年の月日を感じさせないほど若々しく見えた。
「───」
愕然とした。
それほどまでに母が恋しいのか…
父に群がる女達は全員母と同じ白髪の女ばかりだった。
上は二十代前半で中には僕より下に見える娘までいた。
「おおっ!トライオス!来たのか!大きくなったな!」
「───…反吐が出る!」
嫌悪感を顕にして退室しようとしたが、後ろに立っていた兄さん達に腕を掴まれ膝を着くよう押さえつけられてしまう。
「くそっ!この手を離せっ!!」
「「申し訳ありません、これはあなた様の務めなのです」」
「……何を言っているんだ…?」
「「………」」
それからは無言の兄さん達に押さえつけられたまま、僕は父が母以外の女どもと獣のように交わる姿を見せつけられて過ごした。
泣きながら込み上げてくる嫌悪感に何度も吐いた。
胃が空っぽになると床に頭を打ち付けて必死に正気を保とうとした。
尊敬していた父の…肉欲にまみれた姿を見せつけられ、とても正気ではいられなかった。
三日目の朝…
全身を押さえつけていた手がようやく離された。
「………お前達…僕にこんなことをして…!」
兄さん達が僕に向かって言った言葉は…
「明日からはあなた様がこの《お務め》を果たすのです」
変わらない笑顔。
押し付けられる義務。
あの異様な光景を三日間、僕と同じように眺めていた人とは思えないほどの落ち着いていた。
…狂ってる。
僕はようやくそのことに気づいたのだった。
兄さん達は僕に《お務め》を強要した。
すでに性行為そのものに嫌悪感を抱いていた僕は、笑顔の兄さん達を殴り飛ばして大暴れしながら拒絶し続けた。
一週間後。
椅子に縛り付けられた僕の前にムーランの次に年長者であるケルン兄さんが立っていた。
いつも笑顔だったケルン兄さんはその日、泣いていた。
「っ…なんだよ!ケルンまで…僕は絶対しないからなッ!!」
「───…トライオス、私は死にたくない…」
ムーランのようにいつも傅いてたケルンが、今更兄ように話しかけてくる姿が新鮮だった。
「………ケルン兄さん…?」
死にたくない、とケルンは確かに言っていたはずなのに…
「ケルン…自害なさい」
父からにこやかに声をかけられたケルン兄さんは、僕の目の前でナイフを手に取ると自らの首に突き刺して呆気なく死んでしまった。
「────…ケ…ルン……?」
次の日も、その次の日も…
僕が《お務め》を拒む度に兄さん達は呆気なく死んでいった。
そして…
「ムーラン兄さん?!父上!お願いします!!ムーランだけは見逃してくださいッ!!」
「トライオスや…お前がわがままを言うから、お前の兄さん達はみんな死んでしまったな…」
尊敬していたはずの父上の笑顔がそら恐ろしく見えた。
たくさん居たはずの兄さん達はみんな死んでしまった。
僕と同じ銀眼を持つ兄さん達は…父が他の女に孕ませてきた僕の異母兄だった。
「トライオス様、私の為に《お務め》をしてくださいますよね?」
「………わかった…」
一人残ったムーランを生かす為だけに、あてがわれた娘達を抱き続けた。
どの娘達も白髪ばかりで嫌悪感は酷くなるばかりだった。
それでも歯を食いしばって僕は《お務め》を果たした。
いなくなった兄さん達の代わりに、あてがわれた娘達がムーランと共に僕をお世話してくれるようになった。
父は母を愛していなかった。
母は…あの日、父に群がっていた女達と同じ貢女の内の一人に過ぎなかったのだ。
ムーランは僕の《お務め》を徹底的に管理した。
嫌悪感しかなかった《お務め》も、一年も続けていれば慣れてくるもので…
「ムーランから《お務め》にも積極的に励んでいると聞いた」
「まぁ、そうですね…」
この一年で孕んだ娘もいた。
半年もすれば順次産まれてくるのだろう。
後継の誕生を喜ぶムーランを見ても、なんの感慨も湧かなかった。
二十五歳になった時、父上から一冊の本を手渡された。
教皇のみに伝わる建国の秘密を聞かされても僕の心が沸き立つことは無かった。
ムーラン兄さんの献身も、当たり前のように群がる女達も…
全てはこの眼の力によって歪められたまがい物だったのだ。
「…洗脳と言っても絶対ではない。効き方にも差があり特にお前の母は人一倍効きが悪かった。都度命令しないと何も出来ない上、翌朝には泣きながら寝室を逃げ出してばかりだった」
「………」
「好意や共感といった肯定的な感情だけでなく不安や期待、恐怖心を植え付ける信仰心もしかり…これらを上手く操り、手に入れた女性を我々に依存させることで女性達を幸せに出来る…我がアストラスが信仰国たる所以だ」
「あんなに死にたくないと言っていた兄さん達が…父上の命令通り死んでしまったのもそのためですか?」
「ああ、そうだ。限定的な命令ほど強制力は増す。素晴らしい力だろう?この瞳は我が一族が特別な存在である証なのだ」
生まれた時から刷り込まれる絶対的な忠誠心。
それでも拭いきれない程の恐怖心や反発心すら押さえつけてしまう洗脳という力の恐ろしさ…兄さん達が泣きながらも自害してしまった理由を知らされ虚無感に襲われる。
「兄さん達も銀眼ではありませんか…何故、この力が使えないのですか?」
「あぁ、それは神から選ばれた者のみが魅了の力を行使出来るようになっているからだよ」
神…?
果たして神が本当に存在するのだろうか?
さっきもこの力を遺憾なく発揮し、好き勝手生きるためだけに国民の信仰心を利用しているだけだと言っていたじゃないか。
「………なら、母上は…?」
「あぁ、エレインは私への反発心が強かったせいか、何度洗脳をかけ直そうと私への嫌悪感を拭いきれなかったらしい。今更だが、エレインの力強い真紅の瞳が絶望に染まる瞬間が一番好きだったように思うよ」
「………」
「お前が産まれたあとは抜け殻のようになってしまったので、しばらくは休ませてやろうと放っておいたのだが…久しぶりにエレインの嫌がる姿が見たくなってな。お前の弟妹として白髪の子が産まれるのではないかと期待していたのだが…まさかあんなことになるなんて…これほど悲しいことはないな…」
「………父上は、母上を愛しているのだと思っていました…」
「もちろん愛していたさ。福音の子を産んでくれたのだから、当然だろう?」
「………ならどうして…母上の幸せを考えて下さらなかったのですか?」
「そんなことに一体なんの意味があるというのだ?エレインは最期まで私を拒絶していた。私がどれほど彼女を愛そうと…エレインは二度と子を産みたくないと私を拒み続けた…だが、この力のおかげで最期は笑いながら死んでいったのだ。死への恐怖もなく笑顔のままで死ねるなんて…とても幸せなことだとは思わんかね?」
母上は僕を殺そうとしたことで、ムーラン兄さん達に殺されてしまったのだと思っていた。
だが実際は、この地獄から逃げるために死を選んだのだ。
二人目の妊娠で情緒が不安定になっていたこともあり…
僕を殺して自分も死ぬと暴れ出してしまった母上を止めようと力を使った瞬間、彼女は僕を諦め階段から身を投げてしまったらしい。
「………」
果たして、死ぬ間際の母は本当に洗脳されていたのだろうか?
洗脳が効いていたなら恐らく死ぬことはなかったはずだ。
それでも笑顔だったのは…
どんな形であれこの地獄から抜け出せることに、母は心から喜んでいたのではないだろうか?
「……父上、僕もこの力を使ってみてもいいですか?」
「構わない。相手の目を見て真名に呼びかけ、お前の望むことを命令するだけでいい」
「………ムーラン」
「はい、トライオス様」
いつまでも変わらないムーランの笑顔。
いつもと同じ…機械仕掛けのような返事。
これまでの話を聞いていながら顔色すら変えない…
ここにいるのは魂のない人形だった。
「………ムーラン、今までありがとう。僕のために…笑顔で死んでくれないか?」
「…かしこまりました…───」
自ら頭を両手でしっかり掴み、笑顔を浮かべていたムーランは…
───…ゴキンッ!!
信じられないことに、自ら首を折ってしまった。
「………はは…」
なんと呆気ない終わりだろうか…
僕が必死に守ってきたものを、自らの手で壊してしまえる力。
「素晴らしい…ここまで強制力のある洗脳は見た事がない!やはり次期教皇はトライオスしかいないなっ!」
「…ええ、そうですね。ようやく父上の言葉の意味が分かりました…」
笑顔を浮かべつつも心の中で恐怖が渦巻いていた。
この力が自分に使われていない確証はどこにも無い…という恐怖。
僕は本当に僕のままなのだろうか?
父に洗脳されていない証拠は…?
ムーランや母の死を悼む心すらないのに…?
こんなふざけた力を持つもう一人の男を、今すぐ殺さなければ…
そんな僕の思想に気づいたのか…
それから父は僕を敬遠するようになってしまった。
一人になった私は、母上を真似して髪を伸ばし始め…より神々しく有れるよう努めた。
「ムーラン兄さん、君は幸せだったかな…?」
それからはムーランを死に至らしめた力を誇示するかのように毎日気まぐれに笑顔の人形を抱き続けた。
欲しいものは手に入れればいい。
要らなくなれば捨てればいい。
気に入らない娘はすぐに処分し、世話役として送られてきた弟達は徹底的に痛めつけて恐怖心を植え付けた。
私のこの座を揺るがす存在とならないように…
色のない日々。
僕を心から求めてくれる人はこの世界にはいないのだということが何より虚しかった…
そんな日々にも慣れた頃…
父に言われてシャダーリンの建国祭に行くことになった時は面倒でしかなかった。
なかなか機会を見つけられず、ずっと後回しにしてきたが…
戻ったらいい加減教皇の座を明け渡してもらおう。
そう考えながら馬車に揺られて向かった先で…
「───…あら?トライオス?」
「はいはい、ちゃんといますよ。コーデリア叔母様…───!」
戸籍上の叔母について行った先で澄んだ紫の瞳を見つけてしまった。
ずっと求めていた…魂の番を見つけたような高揚感に心が震える。
あの光を見つけた瞬間…
かつて、ムーラン兄さんが言っていた《至尊の色》という言葉が思い起こされた。
「────…トライオス様に快適にお過ごし頂けるよう、誠心誠意努めさせていただきます」
「あぁ、よろしく頼むよ…」
ムーラン兄さん、ようやく私も幸せになれそうだよ…
僕を恭しく扱い、何を命令しても喜んで受け入れてくれるし、僕自身がまるで神かのようにいつもひれ伏してくれた。
兄さん達の髪色はバラバラだったが、僕のように真っ白な髪の人はいなかった。
「……トライオス様の髪は女神様の色ですから」
「こんな色が?」
髪を梳いてくれるムーランを鏡越しに見上げる。
全体的に色白で色素が薄いせいか眉頭だけしか見えないのぺっとした顔の僕と、黒髪をひとつにまとめキリッと凛々しい眉に健康的な肌色のムーラン。
どう見ても、ムーランの方がかっこいいはずだ。
「ふふっ…私にとっては至尊の色なのです。そんなあなた様にお仕えすることが出来る機会を与えていただけた私は幸せ者ですね」
ムーランが言う女神とは…
この国、アストラス神聖国で信仰されている刻の女神《フォルトゥーナ》様のことだ。
ムーラン曰く、刻の女神様の名を無闇に口に出すことは恐れ多いことらしい。
「────…つまり、刻の女神がこの世界で崇められる女神の始祖であるという考えの元、アストラスでは刻の女神を唯一神として崇めているのです」
「ん?でもこの前は、この世界で一番有名なのは地母神である女神ディアーナだと言っていたじゃないか」
「それは刻の女神がこの地上の管理を三女神に委ねたからです。大地のディアーナ、海のヤーム、空のアイテール。自らの御力で生み出したこれら三女神に任せ、この世界の行く末を見守るだけの存在…それが我らが信仰を捧げる刻の女神様なのですよ」
「ふ~ん?」
そして僕は最高権力者である教皇の血筋であり、次期教皇を担うべき存在なのだそうだ。
*
「母上ー!」
僕が五歳になった日、久しぶりに母上との面会が許可された。
母上は僕と同じ白髪の女性だった。
手足まで隠れてしまう長さの修道服と髪色も相まって全体的に白いイメージの人だったが、存在感のある彼女の真紅の瞳が大好きだった。
「トライオス…!」
久しぶりに母上に抱きしめてもらえたことで、なんだか自分が幼くなったような気分になる。
最後にあったのは二年前だろうか?
記憶の中の母は、ほとんど喋ることもなく、僕が話しかけてもどこかぼんやりと壁ばかりを見ていた気がする。
だが今日は体調が良いのか、母の赤い瞳はまっすぐ僕を見てくれていた。
「母上、そのお腹はどうされたのですか?まさか病気なのですか?」
「………これは…あなたの弟か妹がいるのよ…」
「わぁ!僕が兄さん達のようになるんですね?!」
ぱっと振り向いてムーラン達に笑いかける。
ムーラン達は嬉しそうに笑ってくれたが、母上は複雑そうな顔をしていた。
「………トライオス…」
「はいっ!母上」
「久しぶりに…二人っきりで話がしたいの」
「分かりました!兄さん達は部屋の外で待っていてくれ」
母上の要望通り、ムーラン達に部屋から出るよう命令する。
「申し訳ありません、トライオス様。それは出来ません…」
「どうして?」
「教皇様より、お母上様と二人っきりにしないようにと厳命を受けております故…」
「………なら、ムーラン以外は部屋の外に出てくれ」
「「かしこまりました」」
そう言うと、ムーラン以外の兄さん達は外へ出ていってくれる。
「ムーランも部屋の端にいて」
「はい、トライオス様」
「母上!これでいいですか?」
「………ええ、ありがとう。トライオス…」
自慢げに振り向くと、褒めるように僕を優しく抱きしめなおしてくれる。
「………トライオス、私を助けて…」
「?」
ぽつりと囁かれた言葉。
意味が分からず首を傾げてしまう。
「トライオス…早く大人になって…この母を助けてちょうだい…」
早く大人になって…
そう言いながらも母は僕の首を絞めていた。
「───…は、はう…え…?」
「ごめんね?こうするしかないの…私はここではもう生きていけない…一緒に死んでちょうだい、あなたのその悪魔の瞳が憎くてたまらないの…トライオス」
───…母上…どうして?
その言葉を紡ぐことは出来ず…
真っ暗な視界の中、初めて聞くムーランの怒号だけがいつまでも耳に残っていた。
目を覚ますと母上は事故で亡くなったと聞かされた。
腹の子も一緒に流れてしまったらしい。
「………」
ムーランの怒号を思い出して唇を引き結ぶ。
もしかしたらムーラン達が僕を守るため、仕方なしに母上を殺したのかもしれない…と心に渦巻くわずかな怒りを飲み込むことにした。
弟妹の誕生を心待ちにしていた父上…つまり教皇は母上の死を悼み、その日から僕を遠ざけるようになった。
*
そして僕の十五歳の誕生日。
ほぼ十年間、放置されてきた僕は久しぶりに父上から呼び出された。
身長は伸びたが、二十歳以上離れたムーランと並んで歩いているとまだまだ自分は子どもだと思い知らされる。
「ムーラン、何故父上は今更僕を呼んだのかな?僕の事なんて忘れてると思ってたのに…」
「トライオス様…父君がトライオス様を忘れるはずがありません…トライオス様の母君が亡くなられたことで傷つかれたお心を落ち着かせる為に少しばかり時間が必要だっただけなのです…」
「………そうなのかな…僕には父上が何を考えているのか全く分からないよ…」
ムーランに案内された部屋に入ると、天井から薄地のカーテンが幾重にも垂れ下がったベッドが部屋の中央にあった。
「………なんだ?この部屋は…」
「この奥で父君がお待ちです…」
ムーランはそう言って足を止めてしまう。
嫌な予感はしたものの、父上が僕だけを呼んだのだろうと思い直し足を進める。
カーテンの奥には大きなベッドがあり…その中央には数多の女を侍らせ、酒池肉林を楽しむ父の姿があった。
白が溢れる中で唯一黒々とした髪を持つ父は、会えなかった十年の月日を感じさせないほど若々しく見えた。
「───」
愕然とした。
それほどまでに母が恋しいのか…
父に群がる女達は全員母と同じ白髪の女ばかりだった。
上は二十代前半で中には僕より下に見える娘までいた。
「おおっ!トライオス!来たのか!大きくなったな!」
「───…反吐が出る!」
嫌悪感を顕にして退室しようとしたが、後ろに立っていた兄さん達に腕を掴まれ膝を着くよう押さえつけられてしまう。
「くそっ!この手を離せっ!!」
「「申し訳ありません、これはあなた様の務めなのです」」
「……何を言っているんだ…?」
「「………」」
それからは無言の兄さん達に押さえつけられたまま、僕は父が母以外の女どもと獣のように交わる姿を見せつけられて過ごした。
泣きながら込み上げてくる嫌悪感に何度も吐いた。
胃が空っぽになると床に頭を打ち付けて必死に正気を保とうとした。
尊敬していた父の…肉欲にまみれた姿を見せつけられ、とても正気ではいられなかった。
三日目の朝…
全身を押さえつけていた手がようやく離された。
「………お前達…僕にこんなことをして…!」
兄さん達が僕に向かって言った言葉は…
「明日からはあなた様がこの《お務め》を果たすのです」
変わらない笑顔。
押し付けられる義務。
あの異様な光景を三日間、僕と同じように眺めていた人とは思えないほどの落ち着いていた。
…狂ってる。
僕はようやくそのことに気づいたのだった。
兄さん達は僕に《お務め》を強要した。
すでに性行為そのものに嫌悪感を抱いていた僕は、笑顔の兄さん達を殴り飛ばして大暴れしながら拒絶し続けた。
一週間後。
椅子に縛り付けられた僕の前にムーランの次に年長者であるケルン兄さんが立っていた。
いつも笑顔だったケルン兄さんはその日、泣いていた。
「っ…なんだよ!ケルンまで…僕は絶対しないからなッ!!」
「───…トライオス、私は死にたくない…」
ムーランのようにいつも傅いてたケルンが、今更兄ように話しかけてくる姿が新鮮だった。
「………ケルン兄さん…?」
死にたくない、とケルンは確かに言っていたはずなのに…
「ケルン…自害なさい」
父からにこやかに声をかけられたケルン兄さんは、僕の目の前でナイフを手に取ると自らの首に突き刺して呆気なく死んでしまった。
「────…ケ…ルン……?」
次の日も、その次の日も…
僕が《お務め》を拒む度に兄さん達は呆気なく死んでいった。
そして…
「ムーラン兄さん?!父上!お願いします!!ムーランだけは見逃してくださいッ!!」
「トライオスや…お前がわがままを言うから、お前の兄さん達はみんな死んでしまったな…」
尊敬していたはずの父上の笑顔がそら恐ろしく見えた。
たくさん居たはずの兄さん達はみんな死んでしまった。
僕と同じ銀眼を持つ兄さん達は…父が他の女に孕ませてきた僕の異母兄だった。
「トライオス様、私の為に《お務め》をしてくださいますよね?」
「………わかった…」
一人残ったムーランを生かす為だけに、あてがわれた娘達を抱き続けた。
どの娘達も白髪ばかりで嫌悪感は酷くなるばかりだった。
それでも歯を食いしばって僕は《お務め》を果たした。
いなくなった兄さん達の代わりに、あてがわれた娘達がムーランと共に僕をお世話してくれるようになった。
父は母を愛していなかった。
母は…あの日、父に群がっていた女達と同じ貢女の内の一人に過ぎなかったのだ。
ムーランは僕の《お務め》を徹底的に管理した。
嫌悪感しかなかった《お務め》も、一年も続けていれば慣れてくるもので…
「ムーランから《お務め》にも積極的に励んでいると聞いた」
「まぁ、そうですね…」
この一年で孕んだ娘もいた。
半年もすれば順次産まれてくるのだろう。
後継の誕生を喜ぶムーランを見ても、なんの感慨も湧かなかった。
二十五歳になった時、父上から一冊の本を手渡された。
教皇のみに伝わる建国の秘密を聞かされても僕の心が沸き立つことは無かった。
ムーラン兄さんの献身も、当たり前のように群がる女達も…
全てはこの眼の力によって歪められたまがい物だったのだ。
「…洗脳と言っても絶対ではない。効き方にも差があり特にお前の母は人一倍効きが悪かった。都度命令しないと何も出来ない上、翌朝には泣きながら寝室を逃げ出してばかりだった」
「………」
「好意や共感といった肯定的な感情だけでなく不安や期待、恐怖心を植え付ける信仰心もしかり…これらを上手く操り、手に入れた女性を我々に依存させることで女性達を幸せに出来る…我がアストラスが信仰国たる所以だ」
「あんなに死にたくないと言っていた兄さん達が…父上の命令通り死んでしまったのもそのためですか?」
「ああ、そうだ。限定的な命令ほど強制力は増す。素晴らしい力だろう?この瞳は我が一族が特別な存在である証なのだ」
生まれた時から刷り込まれる絶対的な忠誠心。
それでも拭いきれない程の恐怖心や反発心すら押さえつけてしまう洗脳という力の恐ろしさ…兄さん達が泣きながらも自害してしまった理由を知らされ虚無感に襲われる。
「兄さん達も銀眼ではありませんか…何故、この力が使えないのですか?」
「あぁ、それは神から選ばれた者のみが魅了の力を行使出来るようになっているからだよ」
神…?
果たして神が本当に存在するのだろうか?
さっきもこの力を遺憾なく発揮し、好き勝手生きるためだけに国民の信仰心を利用しているだけだと言っていたじゃないか。
「………なら、母上は…?」
「あぁ、エレインは私への反発心が強かったせいか、何度洗脳をかけ直そうと私への嫌悪感を拭いきれなかったらしい。今更だが、エレインの力強い真紅の瞳が絶望に染まる瞬間が一番好きだったように思うよ」
「………」
「お前が産まれたあとは抜け殻のようになってしまったので、しばらくは休ませてやろうと放っておいたのだが…久しぶりにエレインの嫌がる姿が見たくなってな。お前の弟妹として白髪の子が産まれるのではないかと期待していたのだが…まさかあんなことになるなんて…これほど悲しいことはないな…」
「………父上は、母上を愛しているのだと思っていました…」
「もちろん愛していたさ。福音の子を産んでくれたのだから、当然だろう?」
「………ならどうして…母上の幸せを考えて下さらなかったのですか?」
「そんなことに一体なんの意味があるというのだ?エレインは最期まで私を拒絶していた。私がどれほど彼女を愛そうと…エレインは二度と子を産みたくないと私を拒み続けた…だが、この力のおかげで最期は笑いながら死んでいったのだ。死への恐怖もなく笑顔のままで死ねるなんて…とても幸せなことだとは思わんかね?」
母上は僕を殺そうとしたことで、ムーラン兄さん達に殺されてしまったのだと思っていた。
だが実際は、この地獄から逃げるために死を選んだのだ。
二人目の妊娠で情緒が不安定になっていたこともあり…
僕を殺して自分も死ぬと暴れ出してしまった母上を止めようと力を使った瞬間、彼女は僕を諦め階段から身を投げてしまったらしい。
「………」
果たして、死ぬ間際の母は本当に洗脳されていたのだろうか?
洗脳が効いていたなら恐らく死ぬことはなかったはずだ。
それでも笑顔だったのは…
どんな形であれこの地獄から抜け出せることに、母は心から喜んでいたのではないだろうか?
「……父上、僕もこの力を使ってみてもいいですか?」
「構わない。相手の目を見て真名に呼びかけ、お前の望むことを命令するだけでいい」
「………ムーラン」
「はい、トライオス様」
いつまでも変わらないムーランの笑顔。
いつもと同じ…機械仕掛けのような返事。
これまでの話を聞いていながら顔色すら変えない…
ここにいるのは魂のない人形だった。
「………ムーラン、今までありがとう。僕のために…笑顔で死んでくれないか?」
「…かしこまりました…───」
自ら頭を両手でしっかり掴み、笑顔を浮かべていたムーランは…
───…ゴキンッ!!
信じられないことに、自ら首を折ってしまった。
「………はは…」
なんと呆気ない終わりだろうか…
僕が必死に守ってきたものを、自らの手で壊してしまえる力。
「素晴らしい…ここまで強制力のある洗脳は見た事がない!やはり次期教皇はトライオスしかいないなっ!」
「…ええ、そうですね。ようやく父上の言葉の意味が分かりました…」
笑顔を浮かべつつも心の中で恐怖が渦巻いていた。
この力が自分に使われていない確証はどこにも無い…という恐怖。
僕は本当に僕のままなのだろうか?
父に洗脳されていない証拠は…?
ムーランや母の死を悼む心すらないのに…?
こんなふざけた力を持つもう一人の男を、今すぐ殺さなければ…
そんな僕の思想に気づいたのか…
それから父は僕を敬遠するようになってしまった。
一人になった私は、母上を真似して髪を伸ばし始め…より神々しく有れるよう努めた。
「ムーラン兄さん、君は幸せだったかな…?」
それからはムーランを死に至らしめた力を誇示するかのように毎日気まぐれに笑顔の人形を抱き続けた。
欲しいものは手に入れればいい。
要らなくなれば捨てればいい。
気に入らない娘はすぐに処分し、世話役として送られてきた弟達は徹底的に痛めつけて恐怖心を植え付けた。
私のこの座を揺るがす存在とならないように…
色のない日々。
僕を心から求めてくれる人はこの世界にはいないのだということが何より虚しかった…
そんな日々にも慣れた頃…
父に言われてシャダーリンの建国祭に行くことになった時は面倒でしかなかった。
なかなか機会を見つけられず、ずっと後回しにしてきたが…
戻ったらいい加減教皇の座を明け渡してもらおう。
そう考えながら馬車に揺られて向かった先で…
「───…あら?トライオス?」
「はいはい、ちゃんといますよ。コーデリア叔母様…───!」
戸籍上の叔母について行った先で澄んだ紫の瞳を見つけてしまった。
ずっと求めていた…魂の番を見つけたような高揚感に心が震える。
あの光を見つけた瞬間…
かつて、ムーラン兄さんが言っていた《至尊の色》という言葉が思い起こされた。
「────…トライオス様に快適にお過ごし頂けるよう、誠心誠意努めさせていただきます」
「あぁ、よろしく頼むよ…」
ムーラン兄さん、ようやく私も幸せになれそうだよ…
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