【R18】奈落に咲いた花

夏ノ 六花

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第三章〜Another end〜

ちゃんと話をしよう… side シリウス

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「リューク!!」
「───…は、はいっ!」

廊下から聞こえてきたアイリスの声に思わず肩を震わせていると、下から見上げてくる琥珀色の瞳に気づいて気持ちが冷めていく。

「あの…私……こんなこと初めてで…」
「………?」

なんの話かと片眉を上げて様子を見ていると、茶髪の女は何故か襟元のリボンを外し出した。
アイリスもこのくらい積極的になってくれると嬉しいのだが…

「はぁ…ヒルディラン子爵令嬢…」
「はい…伯爵様っ!」
「そのような醜いものを見せないでいただけますか?」
「っ───!」

開かれた胸元からコルセットが見えた瞬間、頭痛を覚えて顔を顰めてしまう。

「で、では、伯爵様は何故私の部屋にいらしたのですかッ?!あんな風に二人っきりで話がしたいなどとあからさまに…」
「…ええ、仰られたとおり、貴女と二人きりで話がしたかったからです。貴女は男性と部屋で二人きりになると自らドレスを脱ぐお方なのですね」
「───…そんなっ!私はただ…シリウス様を…!」
「貴様に名を許した覚えはないが…?」
「───」

一応は貴族令嬢ということで丁寧に扱ってはみたが、このままでは話が進まないと判断する。

「何故、アイリスに近づいた?」
「で、ですから……私は、シ…マクレーガン伯爵様をお慕いしておりますので…御友人であるアイリス様とも仲良くなりたいと思って…」
「…つまり、アイリスを使って私に近づこうと…?」
「使うだなんて…そんなっ!どうして皆さんそんな風に仰るのかしら…私はただ、アイリス様と仲良くなった方が伯爵様も気兼ねしなくなるかと…」
「……?」
「立太子式典のパーティーで私と目が合ったのを覚えていらっしゃいますか?その時、伯爵様は私の名前を呼んでくださったではありませんか…?私、あの時運命を感じましたの!伯爵様の心からの笑顔は私に向けられていましたものっ!!」
「………はぁ…」
「伯爵様も私を気に入って下さったのですよね?私に運命を…「今すぐその口を閉じろ…」

アイリスにやけに絡んでくると思ったらまさか僕が原因だったとは…
あのアイリスがあんなに毛嫌いするのも珍しい、一体何があったのかと気を揉んだ結果がこんなことだとは…

この状況下でチラチラと見上げてくるこの女の神経も理解出来ない。

カサリン・ヒルディラン…
たしかイーリス姉様の唯一友人と呼べる人だった。
だが、アイリスは今日が初対面だったにも関わらずこの女を忌避していた。

…であれば、前世で《私》の知らない何かがあったのだろう。

「アイリス・ペルージャン公爵令嬢には二度と近づくな…」
「何故ですかっ?!」
「アイリスがそれを望んでいるからだ、それ以外に理由はない」
「嫌ですわ!そんなの…受け入れられませんっ!!あの方が公爵令嬢だからですか?確かに、子爵家である私では…伯爵様をお支えするには力不足かもしれません…ですが、この気持ちは誰にも…アイリス様にも負けないと自負しております…!!」

なんというか…この演技がかった話し方も気に触る。
なるべく騒ぎにはしたくなかったのだが…

「はぁ……そうか…」
「え……ひゅっ───!!」
「───…なら死ね…」

勝手に盛り上がって縋り付いてきた女の首を掴んで持ち上げてやる。
足を必死にバタつかせながら藻掻く姿が滑稽だった。

想い人に殺されるかもしれない…
そんな状況になった時、僕ならどうするだろうか?

…アイリスに殺されるのならそれも悪くないな。

「ふっ…」

そんなことを考えて自嘲していると、カサリン・ヒルディランの顔から血の気が引いていく。
首を持ち上げている手に爪を立てられ、軽く痛みが走る…が、そんな懸命な抵抗すら無視して、久しぶりに自分の手で人が死んでいく様を無感情に眺める。

「──…た…けて…」

どの道この土砂降りだ。
多少この女が騒いだところで階下には何も伝わらないだろう。
…が、さすがにここでは遺体の処理が面倒だと思い直す。
はぁ…こんなことなら薬を用意してくるんだった。

落ちるギリギリの所でベッドへ放り投げてやるとカサリン・ヒルディランは咳き込みながら涙をこぼしている。

「───かはっ…はあっ、はあっ、はあっ…ど…して…こんな酷いことをっ…私はただ…!!」
「…慈悲を施すだけ無駄だったか…?」
「いや…もう、いやあっ…───!!」

再び手を伸ばすと首を掴む前に異臭が鼻を突く。

「───…ひっく…ううッ!」
「はぁ……二度目は無い」

顔を真っ赤にして泣き出したカサリン・ヒルディランに言い放って部屋を出る。
廊下に出ると階下にある食堂からは賑やかな声が届いていた。

本音を言えば今すぐアイリスの元へ向かいたかったが…
抱きつかれたせいで、あの女の香水の匂いが移ってしまっている。

何より…食事をするなら一度シャワーを浴びた方がいいだろうと思い直し、僕は一旦部屋へ戻ることにしたのだった。



「………」

アイリスの周りに群がる羽虫を見た瞬間、つい目が細くなってしまう。

キーファ・バロルードは居ないようだが…
侯爵家の嫡男と伯爵家の次男と何番目か忘れたが男爵家の令息が二人か。

はぁ…リュークは何をしているんだ?

軽く食堂を見回すと、リュークは令嬢達のおもちゃにされていた。
剣の素振りを見せたりポーズを決めたりと持て囃されて随分と楽しそうだ。

あいつは虫除けも出来ないのか…!

アイリスの席まで歩いていくと、右側に座っていた伯爵令息のイスを引いて席から退かす。

───ガタンッ!!

「なっ?!いきなり何をするんですか?!」
「……あぁ、済まない」
「───…いえ…どうぞ…」

派手に尻もちをついた令息をじっと見つめて詫びると、快く席を譲ってくれる。
男爵令息達も空気を読んで席を立ってくれるが、対面に座っている侯爵家の嫡男は平然と座っていた。

「……アイリス様は食事をされるお姿もお美しいですね…」

この声…
身の程知らずにもアイリスの足を拭かせて欲しいとのたまっていた声だった。

この男だったのか…
青みがかったグレーのくせっ毛と黒縁メガネが神経質そうに見える男…ビューロー侯爵家嫡男、テリア。

何故こんな男が名を呼んでいるのに平然としているのかとアイリスを見ると、思いのほか鋭い視線を向けられていた。

「………マクレーガン伯爵は…随分と楽しまれたようですね…?」
「?」
「シャワーまで浴びられて…」

まさか…
アイリスまであの女と同じことを考えているとは思わなかった。
先に食事に向かったのはてっきり意図を理解してくれているものだと思っていたのに。

「……待ってくれ、少し誤解があるようだ」
「あら、誤解なんてありませんわ。お話をされてきたのでしょう?ご令嬢と、二人っきりで…」
「それは…まぁ、そうなのだが…」

テリア・ビューローがいる前で首を絞めたと言う訳にもいかず肯定してみたものの…
アイリスの笑みは深くなったが如何せん瞳が全く笑っていない。

「ほぉ、マクレーガン伯爵は随分とやり手なのですね。社交界に出られてまだ二回目だと言うのに…」
「「………」」

テリア・ビューローが感心するような目をこちらを見ているが完全に言いがかりだった。
アイリスは静かにフォークを置くと、ナプキンをテーブルに置いて立ち上がってしまう。

「アイリス…少し話をしよう」
「いいえ、結構です。せっかくの機会ですから…どうぞ、男性同士でお話になってください…私もご令嬢方と交流して参りますので…」
「………」

いつだったかコンラッドに忠告された言葉が思い返される。

『自覚はあるようで安心したよ。そのような性格では生きづらくはないか?』
『……アイリスは私のことをよく理解してくれているので特に生きづらいとは思うことはありませんが?』

まさか…
あれほど愛情を注いでも僕の気持ちが伝わっていないとは…

『いつまでもアイリスの優しさに甘えているだけでは、すぐにそこら辺の男に奪われてしまうわよ?』

…理解してくれているものだと思っていた。

そのままリュークに群がる女性達の輪に混ざってしまうアイリスをじっと見つめる。

「……マクレーガン伯爵の振る舞いからお二人はてっきり恋人なのかと思っていたのですが…伯爵の本命はヒルディラン子爵令嬢でしたか」
「………」
「まぁ、社交場に不慣れなアイリス様がマクレーガン伯爵を頼られるのは至極当然でしょう。可愛らしい方ではありませんか。他の女性と過ごしたと知ってもあのように理解を示して下さるなんて。元は伯爵家の侍女をしていたと聞きましたが…やはり当時からアイリス様とは特別な関係だったので…」

目の前にあったフォークを手に取ると、得意顔で身を乗り出していたテリア・ビューローの指のすぐそばに躊躇うことなく振り下ろす。

───ガキンッ!!

ひん曲がってしまったフォークの先端を見て、テーブルからそっと手が引かれていく。

「……アイリスで、そのような不埒な想像をするのは止めた方がいい」
「───…あはは…そ、のようですね。失言でした…もちろん、そのような意図ではありませんでしたが!本当に!……ああっ!先程、アイリス様にも少しだけお話したのですが…実はマクレーガン伯爵にお願いがありまして…」
「………」
「…まぁ…今は私と話す気分ではないでしょうから…相談の件はまたの機会に改めさせて…では、私はこれにて…」

じっと見つめていると、目障りなテリア・ビューローがようやく消えてくれる。

「───…そうでしたの?」
「騎士様は、普段どのくらい訓練をされるのですか?」
「羨ましいですわ。私、護衛騎士なんて一度も置いてもらったことはありませんもの」
「わたくしもです!でも最近はモートン王国のことで少し街も騒がしいでしょう?せめて出かけるときだけでも騎士を連れた方が良いのではないかとお母様が…───」

若い令嬢に混じってその場を楽しんでいる風を装ってはいるが…
僕の視線にも気づいているのだろう。
こちらを見ないようにと、逆に意識してしまっている。

どの道、この状況で無理矢理連れ出したところでアイリスの怒りを買うだけだろう。

仕方なく席を立つと、一旦考えをまとめる為に自室に戻ることにする。
なんとしても…今日中に誤解を解かなければならなかった。



              *



深夜。
アイリスの部屋の前で立っていたリュークを落とすと、首根っこを掴んでそのまま室内に引きずって入る。

ベッドで既に眠っていたアイリスを抱き上げると、少しだけ躊躇われたがリュークを代わりにベッドへ押し込んでおく。
アイリスを連れて部屋を出ると、廊下の冷気のせいかアイリスは目を覚ましてしまった。

「………───」
「しー」

抱き上げられていることに気づいて咄嗟に叫ぼうとするアイリスの口を右手で押さえると、僕だと気づいたのかこくりと頷いてくれた。

僕に割り当てられた部屋まで戻りドアに鍵をかけるとアイリスを下ろした。

「一体どういうつもりなのですかっ?!」
「話がしたかったんだ」
「───…今は嫌です、明日にしましょう。リュークは…?」
「リュークは気絶させて君の部屋に置いてきた」
「どうしてそんなことをっ?!一言声をかけてくだされば…」
「君が嫌がっただろッ!」
「───」

自分が声を荒らげていたことに気づいたのは、アイリスの瞳が揺れているのを見た瞬間だった。
かつて腱を切ってまで縛りつけようとした時のイーリス姉様の表情が思い起こされ心が震えてしまう。

「……アイリス…」
「申し訳ありません…」
「違うんだ、アイリス…」
「私に何のお話でしょうか?」
「───」

咄嗟に頬へ手を伸ばしてしまう。
だが唇に触れる前にアイリスはそっぽを向いて僕の手を拒絶する。

「……キスはしたくありません…」
「どうして…?僕のことが嫌いになった?リュークやキーファ・バロルードの方が良いとでも思っているの?」
「そういうことでは…ただ、シリウス様がお話をしたいと仰ったので…」

伏し目がちに逸らされた瞳。
それはアイリスが嘘をつく時の癖だった。

問題は…何が嘘なのか全くわからなかったことだ。

「アイリス…話をしよう」
「……はい」
「さっき君は言ったよね?」
「……?」
「話をしてきたのだろう?と。ヒルディラン子爵令嬢と二人っきりで」
「………はい」
「僕はそれを肯定したけど…でも君はそのままの意味では捉えなかったね…?」
「……それは…」
「僕に教えてくれる?君の言う…二人っきりでの会話がどういうものなのか…」
「───」

ベッドに引き倒すと両手を押さえつけて足の間に身体を滑り込ませる。

「───…いやっ!やめて…お願いですから、やめてくださいっ!」
「何が嫌なのかはっきり言ってくれないか?こんな風に君に拒絶されてしまっては…どうしていいか分からなくなる…っ!」
「……シリウス様…?まさか、泣かれていらっしゃるのですか?」
「………───」

驚きのあまり手を離してしまう。

「シリウス様を嫌がっているわけではありませんっ!話もしないまま有耶無耶にされてしまいそうで…嫌だっただけなんです…私がわがままを言ったせいで…まさか、シリウス様がそこまで傷つかれるなんて思わなくて…」
「………」

身体を起こして弁明するアイリスを咄嗟に抱き締めていた。
アイリスの小さな身体は僕の胸の中にすっぽり収まってしまう。

「シリ…ウス様…苦し…いです…」

アイリスの声に慌てて腕を離すと頬を掴んでしっかり目を合わせる。

「───ごめん!でも本当に…僕を嫌いになったわけじゃないんだね?」
「………はい、当然です。シリウス様を嫌いになんてなるはずがありません…」

思わず口付けしそうになって止まる。
気持ちを落ち着かせるために深呼吸をしながら、今度は優しくアイリスを抱き締める。

「ちゃんと話をしよう…」
「………はい」



思い返して見ればアイリスが僕を拒絶するのはこれで二度目だった。
驚いたことに…
回帰前を含めても初めての夜の時以外は、本気で拒絶されたことはなかったように思える。

面と向かって話すのは少し勇気がいる気がして…
結局僕は、ベッドに腰掛けるとアイリスを膝の上に乗せて話すことにした。

「アイリス…」
「……はい」

口の中がカラカラに乾いている。
こんなに緊張するのはいつぶりだろう…

「………ふぅ…───、イーリス姉様の死を聞かされた時は…目の前が真っ暗になった」
「………」
「僕…いや、私が付けた足枷があなたの逃げ場を奪って…ダリアから受けた仕打ちを聞かされて…そんな状況になるまで追い込んだ自分への怒りに…気が狂うようでした…」
「………」

情けないことに…手が震えてしまっていた。
アイリスの膝の上で震えている手にそっと小さな手が重ねられる。

「私の愚かさを認めたくなくて…思い出した後もあなたに告げる勇気も持てなくて…後悔ばかりの生に今更向き合うことをずっと恐れて…」
「………」
「でも…あなただけを愛しています…これだけは誓って…嘘じゃありません…」
「……シリウス…」
「黙って戦場に行ったのは、邸宅にいる間は無事だと信じていたからで…決してあなたを捨ておいたわけじゃない…」
「………うん」
「それでも……イーリス姉様を一人で逝かせてしまったことを…ずっと謝りたかったんです…」
「もういいの…そんなことは、もういいのよ…」

僕の首に腕を回してアイリスが優しく抱きしめてくれる。

自分はイーリスではないと…否定しなかった。
僕が戸惑いながらも受け入れた、かつての記憶は…ただの悪夢じゃなかった。
だが、その事実が余計に苦しくて…

僕はアイリスを失いたくないと幼子のようにきつく抱きしめ返してしまうのだった。
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