86 / 168
第二章~Re: start~
閑話〜今度は決して間違えない〜side シリウス
しおりを挟む
………どうして…?
墓石に掘られている名前を見て愕然とした。
〔イーリス・マクレーガン〕
戦場で報せを受けた時、確かにアネスティラ・マクレーガンの処刑が執行されると聞いたはずだ。
だから私は戻らなかった。
イーリス姉様は無事だと信じてあの時戦場に残ることを選んだ。
それなのに…
どうしてこうなった?
どうしてアネスティラが生きている?
どうして……イーリス姉様は死んでしまったんだ…?
ようやく手に入れたのに。
イーリス姉様が、二度と私から離れないと誓ってくれたのに…
邸宅へ戻ると人影はほとんど無かった。
セドリックとダリアは邸宅内に居らず、伯爵家の業務は執事長に一任されていると聞かされた。
興味のない話だけでなく、自身の代行業務の手腕を自慢げに語る執事長にうんざりする。
そんな話を聞くためにわざわざ帰ってきたのではない。
代行業務に必要な右腕を切り落としてやると醜く喚き出したので、右足にも剣を突き刺してやるとようやく素直になった。
アネスティラ…そして両親の居場所を聞くと執事長はきちんと全てを把握していた。
「さっさと喋っていれば五体満足でいられたものを…」
残り短い余生を不自由な手足で過ごす事になった執事長を見下ろしながら、命だけは見逃してやることにした。
当主であるセドリックの私室にある本棚…
それを横にずらすことで現れる小さな隠し部屋にアネスティラは隠されていた。
「………シリウスなの?」
薬の影響か、最後に見た時より随分とやつれていたがそんなことはどうでも良かった。
以前の艶やかさは失せ、ろくな手入れもされずボサボサになった金髪…
潤いのない肌と窪んだ目は三つ上のアネスティラをずっと歳上に見せていた。
何故生きているのか…
何故、イーリス姉様が代わりに処刑されてしまったのか…
率直な疑問をアネスティラに訊ねてみたが会話にならなかった。
泣き喚くばかりで毛先ほども私の役には立たないようだったので、そのまま首を切り落としてしまう。
こんなに簡単に死ぬくらいなら、どうしてイーリス姉様を身代わりにしたのか…
この世の不条理を感じて更に悲しくなった。
「………」
郊外に伯爵家が所有するこんな屋敷があるとは知らなかった。
セドリックの療養の為、ダリアはその屋敷で過ごしていると執事長は言っていたが…
屋敷に向かうとダリアは私の帰還を歓迎してくれた。
ダリアの晴れやかな笑顔を見ているだけで、どうしようもない怒りが込み上げてきた。
「お父様が執務を行えなくなってしまったから、今は執事長に一任しているの。戻って来たのならあなたが業務を引き継ぎなさい」
セドリックは事故に遭って寝たきりになってしまったらしい。
それらしい理由を並び立てて、聞いてもいないことまでよく喋る。
私が何も知らないと思い高を括っているのだろう。
ダリアの案内でセドリックの居る屋敷へと足を踏み入れる。
ダリアは一人でセドリックの介護をしているらしい。
口では大変だと言いつつも、ダリアが今の状況に幸せを感じているのは見ていて分かった。
ここはダリアがセドリックを独り占めする為に望んで作り上げた世界なのだろう。
まぁ、気持ちは理解できる。
ここにイーリス姉様と二人だけで暮らすことが出来たなら…
彼女の全てを私が管理することが出来たなら…と考えて、自分は確かにこの人の血を引いた息子なのだと実感してしまう。
もう一人の自分を見ているような不思議な気分だった。
ベッドで眠り続けているセドリックを見ているとふつふつと怒りが湧いてきた。
改めてイーリス姉様について聞くと、ダリアは嬉しそうに語り出した。
この屋敷の存在理由、イーリス姉様とダリアの関係…
何故イーリス姉様が処刑されることになってしまったのか…
聞けば軽快に答えてくれるダリアのおかげでようやく…全てを知ることが出来た。
「シリウス、あなたが悪いのよ?私を裏切るような真似をするから…あの子を殺すしかなかったの。健気なことに、あの子…あなたが戦場にいるって知ってからずっと西を向いて祈っていたのよ?あの子が祈ったところで、なんの役にも立たないというのに…ふふっ、笑っちゃうわよね?」
その口から自慢げに語られるイーリス姉様の最期。
目を閉じて想像するだけで、その悲惨さがありありと伝わってくる。
…そんな時、傍にいてやることすら出来なかった自分に怒りを覚えた。
セドリックを信じ、ヘリオの言葉を信じた結果がこんな結末になるだなんて…己の浅はかさが恨めしく思えた。
ダリアから聞かされたイーリス姉様の傷を一つずつ再現する。
鞭はなかったので持っていた剣の鞘で殴りつけ、逃げ回るダリアを階段から突き落とし、アネスティラの首を切り落とした剣で両の目をくり抜いてやった。
だが、途中でダリアは呆気なく死んでしまった。
残念なことに…気づいた時には死んでいたのでダリアがどこまで耐えられたのかは分からなかった。
死んでしまった後に首を斬り落としたところで無意味だろう。
とても復讐とは呼べない…あまりにもあっさりとした終わりだった。
こんなに簡単に死んでしまうなんて…
分かっていたらもっと徹底的に痛めつけ、自ら殺してくれと泣き叫ぶようにしてあげたのに…
せっかくの機会を棒に振ってしまったようで虚無感だけが残った。
ダリアの亡骸を階下に転がしたまま屋敷に火を放つ。
セドリックはベッドに横たえたまま焼死することになるだろう。
これはダリアを心から嫌悪していたセドリックへの報復だった。
同じ屋敷内で二人は埋葬されることもなく、骨の一欠片も残らず燃え尽きるはずだ。
死後も二人仲良く満足行くまで連れ添うがいい…
私やイーリス姉様の居ないところで。
ダリアの話にあった地下牢へ向かい、イーリス姉様が居たであろう牢屋の前に立つ。
血痕が残る床を呆然と眺めていると、無人だった牢屋の中にいつの間にか人が座っていた。
包帯を目に巻き付け、西に向かって一心に祈るイーリス姉様の姿があった。
「───」
幻なのは分かっていた。
ダリアに聞かされたイーリス姉様の最期を、脳内が勝手に創り出しているただの幻影に過ぎないのだと…
分かっていても声をかけられずにはいられなかった。
必死に叫びながら手を伸ばしても決してイーリス姉様は私を見てくれなくて…歯がゆさから怒りが込み上げてくる。
閉めきられた鉄格子を壊そうと躍起になって、怒鳴るように声を上げながら指の骨が砕けるまで殴り続ける。
何時間そんなことをしようとも、この手があのイーリス姉様に届くことはないことはわかっていた。
何故なら彼女は幻なのだから…
だから本気で鉄格子の扉を開けることはしなかった。
それを自覚した瞬間、血が滲む鉄格子を握りながら力なく崩れ落ちてしまう。
墓石を見ても、誰から話を聞いても…ただただ信じられなかった。
何かの冗談であって欲しかった。
イーリス姉様がこの世界に居ないという事実を認めたくなくて…
私が付けた足枷が最愛の人を死なせてしまったのだという事実を…どうしても認めることが出来なかった。
ただ…死にたくなるほど胸が痛かった。
ぽっかり空いてしまった喪失感を受け入れられなくて…
悲しみは怒りに変わり、痛みは憎悪へと変わっていった。
胸の内を占領する怒りに気が狂れるのは時間の問題だった。
自身の残りわずかな正気を保つには、このどうしようもない怒りの矛先を向ける相手が必要だと思った。
気が狂れそうなそうな程の激情は絶えず私を苦しめ続け、その理不尽な怒りは全てヘリオ・ミリオンへと向けられた。
アネスティラの処刑という嘘の報告をした張本人だ。
ヘリオに会うため王城へと向かったが何故か入城は拒否されてしまった。
入城拒否の理由を確認していると多くの兵士が集まってしまい、一様に険しい顔で睨んでくるため仕方なく目の前に居た門番を人質に取った。
ヘリオを呼んだだけなのにわらわらと集まってくる兵士を煩わしく思っていると、何故か顔色の悪いコンラッド王子が城門に現れた。
何日も寝ていないのか酷い顔色だった。
正直、コンラッドには会いたくなかった。
ヘリオへの怒りを持て余している状態の今、コンラッドに会って平常心を保てるとは思えなかった。
「………」
私の姿を見て何故か顔を歪めるコンラッド。
その視線が気になって自分の姿を見る。
そこで初めて…全身が真っ赤に染まっていたことに気付いた。
「ヘリオに会いに来たと聞いた…」
「…はい、彼に話があります。隠しても無駄です、彼はどこにいるんですか?」
「───…イーリスの件は…本当に済まなかった……」
「殿下から詫びてもらっても彼女は戻ってきません。私もそんな言葉を聞きたくて来た訳では無いので、ヘリオ・ミリオン侯爵を早く連れてきてもらえませんか?でないと…」
人質に取っている門番の首に剣をあてる。
このまま軽く引くだけで彼の首から血が吹き出す事だろう。
コンラッドならすぐに連れてきてくれるだろうと思っていた。
だが…
「ヘリオを連れてくることは出来ない…」
処刑後の遺体を見て、イーリスだと最初に気づいたのはヘリオだった。
イーリスは侯爵邸で保護していると聞かされていたコンラッドはヘリオの嘘を到底許せず、その日のうちに侍従から解任した。
そしてヘリオは侯爵邸に戻ってすぐ、自室で自害してしまったらしい。
「───」
コンラッドの口から聞かされた話は到底信じられるものではなかった。
この怒りをどこへ向ければいいのか分からなくなり…
苦しくて苦しくて違和感が渦巻く胸を叩いてみても、痛みより息苦しさの方が勝っていた。
ただどうしようもなく…この苦しみから解放されたかった。
気づいたら門番の首を切りつけていた。
鮮血の雨を全身に浴びながら、周囲のざわめきも全てがどうでも良くなって…真正面に立つコンラッドへと駆け出していた。
コンラッドの制止も聞かず、周囲を囲んでいた兵士から一斉に槍が投擲される。
文字通り…全身を貫く痛みに私は剣を落としていた。
私の剣がコンラッドに届くことはなかった…
「───…ごふっ…!!」
血を吐き出しながら…ようやく泣くことが出来た。
怒りのままに多くの命を奪ってきたが、一番殺したかったのは一人生き残ってしまった自分だったことに今更気付く。
これで、ようやくイーリス姉様の元へ逝ける…
膝から崩れ落ちゆっくりと暗くなっていく視界の先で…変わらず私の真正面に立っているコンラッド。
イーリスやヘリオの死が余程ショックだったのだろう。
顔色だけでも酷かったのに、今や私以上に涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた。
「………───」
それが、なんだか可笑しくて…笑ってしまう。
それは一体なんの涙なのか、と聞きたかったが…私の口からその言葉が紡がれることはなかった。
「─────!!」
ベッドから飛び起きて周りを見回す。
マクレーガン伯爵家にある自分の寝室だった。
昨夜、アイリスの部屋から戻った後、確かにベッドで眠ったのを思い出す。
だが夢の光景があまりにも鮮明で…
全身を貫かれた痛みや手を赤く染めていた血の生温かさが今も残っているようで…
とても…ただの夢だと切り捨てることは出来なかった。
夢の中の自分は二十歳を目前にした青年だった。
鏡に映る十三歳にも満たない今の自分に何故か違和感を覚えた。
あれはただの悪夢だったのか…?
それともこちらが《私》にとって都合の良い夢なのか…?
今の僕にイーリスという名の姉はおらず、アネスティラの専属侍女として働くアイリスがいた。
彼女の美しい金髪は白髪に変わってしまっていた。
それでも…アイリスがイーリスであることは間違えようがなかった。
僕の中の憧憬と《私》の想いが少しずつ融合していく。
ダリアもアネスティラもセドリックも…今や周りにいる全ての人間が敵に見えていた。
夢の中の《私》は間違っていた。
イーリスを孤立させれば確かに《私》だけを愛してくれるようになるだろう。
だが、そんな目先の利益に囚われた結果《私》は永遠にイーリスを失ってしまったのだから。
アイリスが、あの夢と違う行動を積極的に取っていることは分かった。
そんなアイリスには…とても《私》のことは打ち明けられないと思った。
何より僕自身、アイリスを使用人として無下に扱った自覚もあり、昨夜泣き崩れていたアイリスを思い出しては、既に嫌われてしまったのでは?という恐怖が燻っていた。
直接確認する勇気も持てずにずるずると半年が経ってしまい…
その間、僕の変化を気取られないよう距離を置きつつアイリスの観察に努めていた。
《私》の考えでは彼女はマクレーガン伯爵家には来ないものだと思っていたからだ。
彼女が危険を侵してまで、この伯爵家で何を成そうとしているのか確認する必要があった。
そうして今の自分を現実として受け入れられるようになった時…
ようやくアイリスと仲直りの機会を得ることが出来た。
「…まぁ、これで仲直りは出来たと思っていいよね?」
最愛の人を取り戻した喜びを胸に彼女へ再び口付ける。
今度は決して間違えない…
そう、誓いながら…───。
墓石に掘られている名前を見て愕然とした。
〔イーリス・マクレーガン〕
戦場で報せを受けた時、確かにアネスティラ・マクレーガンの処刑が執行されると聞いたはずだ。
だから私は戻らなかった。
イーリス姉様は無事だと信じてあの時戦場に残ることを選んだ。
それなのに…
どうしてこうなった?
どうしてアネスティラが生きている?
どうして……イーリス姉様は死んでしまったんだ…?
ようやく手に入れたのに。
イーリス姉様が、二度と私から離れないと誓ってくれたのに…
邸宅へ戻ると人影はほとんど無かった。
セドリックとダリアは邸宅内に居らず、伯爵家の業務は執事長に一任されていると聞かされた。
興味のない話だけでなく、自身の代行業務の手腕を自慢げに語る執事長にうんざりする。
そんな話を聞くためにわざわざ帰ってきたのではない。
代行業務に必要な右腕を切り落としてやると醜く喚き出したので、右足にも剣を突き刺してやるとようやく素直になった。
アネスティラ…そして両親の居場所を聞くと執事長はきちんと全てを把握していた。
「さっさと喋っていれば五体満足でいられたものを…」
残り短い余生を不自由な手足で過ごす事になった執事長を見下ろしながら、命だけは見逃してやることにした。
当主であるセドリックの私室にある本棚…
それを横にずらすことで現れる小さな隠し部屋にアネスティラは隠されていた。
「………シリウスなの?」
薬の影響か、最後に見た時より随分とやつれていたがそんなことはどうでも良かった。
以前の艶やかさは失せ、ろくな手入れもされずボサボサになった金髪…
潤いのない肌と窪んだ目は三つ上のアネスティラをずっと歳上に見せていた。
何故生きているのか…
何故、イーリス姉様が代わりに処刑されてしまったのか…
率直な疑問をアネスティラに訊ねてみたが会話にならなかった。
泣き喚くばかりで毛先ほども私の役には立たないようだったので、そのまま首を切り落としてしまう。
こんなに簡単に死ぬくらいなら、どうしてイーリス姉様を身代わりにしたのか…
この世の不条理を感じて更に悲しくなった。
「………」
郊外に伯爵家が所有するこんな屋敷があるとは知らなかった。
セドリックの療養の為、ダリアはその屋敷で過ごしていると執事長は言っていたが…
屋敷に向かうとダリアは私の帰還を歓迎してくれた。
ダリアの晴れやかな笑顔を見ているだけで、どうしようもない怒りが込み上げてきた。
「お父様が執務を行えなくなってしまったから、今は執事長に一任しているの。戻って来たのならあなたが業務を引き継ぎなさい」
セドリックは事故に遭って寝たきりになってしまったらしい。
それらしい理由を並び立てて、聞いてもいないことまでよく喋る。
私が何も知らないと思い高を括っているのだろう。
ダリアの案内でセドリックの居る屋敷へと足を踏み入れる。
ダリアは一人でセドリックの介護をしているらしい。
口では大変だと言いつつも、ダリアが今の状況に幸せを感じているのは見ていて分かった。
ここはダリアがセドリックを独り占めする為に望んで作り上げた世界なのだろう。
まぁ、気持ちは理解できる。
ここにイーリス姉様と二人だけで暮らすことが出来たなら…
彼女の全てを私が管理することが出来たなら…と考えて、自分は確かにこの人の血を引いた息子なのだと実感してしまう。
もう一人の自分を見ているような不思議な気分だった。
ベッドで眠り続けているセドリックを見ているとふつふつと怒りが湧いてきた。
改めてイーリス姉様について聞くと、ダリアは嬉しそうに語り出した。
この屋敷の存在理由、イーリス姉様とダリアの関係…
何故イーリス姉様が処刑されることになってしまったのか…
聞けば軽快に答えてくれるダリアのおかげでようやく…全てを知ることが出来た。
「シリウス、あなたが悪いのよ?私を裏切るような真似をするから…あの子を殺すしかなかったの。健気なことに、あの子…あなたが戦場にいるって知ってからずっと西を向いて祈っていたのよ?あの子が祈ったところで、なんの役にも立たないというのに…ふふっ、笑っちゃうわよね?」
その口から自慢げに語られるイーリス姉様の最期。
目を閉じて想像するだけで、その悲惨さがありありと伝わってくる。
…そんな時、傍にいてやることすら出来なかった自分に怒りを覚えた。
セドリックを信じ、ヘリオの言葉を信じた結果がこんな結末になるだなんて…己の浅はかさが恨めしく思えた。
ダリアから聞かされたイーリス姉様の傷を一つずつ再現する。
鞭はなかったので持っていた剣の鞘で殴りつけ、逃げ回るダリアを階段から突き落とし、アネスティラの首を切り落とした剣で両の目をくり抜いてやった。
だが、途中でダリアは呆気なく死んでしまった。
残念なことに…気づいた時には死んでいたのでダリアがどこまで耐えられたのかは分からなかった。
死んでしまった後に首を斬り落としたところで無意味だろう。
とても復讐とは呼べない…あまりにもあっさりとした終わりだった。
こんなに簡単に死んでしまうなんて…
分かっていたらもっと徹底的に痛めつけ、自ら殺してくれと泣き叫ぶようにしてあげたのに…
せっかくの機会を棒に振ってしまったようで虚無感だけが残った。
ダリアの亡骸を階下に転がしたまま屋敷に火を放つ。
セドリックはベッドに横たえたまま焼死することになるだろう。
これはダリアを心から嫌悪していたセドリックへの報復だった。
同じ屋敷内で二人は埋葬されることもなく、骨の一欠片も残らず燃え尽きるはずだ。
死後も二人仲良く満足行くまで連れ添うがいい…
私やイーリス姉様の居ないところで。
ダリアの話にあった地下牢へ向かい、イーリス姉様が居たであろう牢屋の前に立つ。
血痕が残る床を呆然と眺めていると、無人だった牢屋の中にいつの間にか人が座っていた。
包帯を目に巻き付け、西に向かって一心に祈るイーリス姉様の姿があった。
「───」
幻なのは分かっていた。
ダリアに聞かされたイーリス姉様の最期を、脳内が勝手に創り出しているただの幻影に過ぎないのだと…
分かっていても声をかけられずにはいられなかった。
必死に叫びながら手を伸ばしても決してイーリス姉様は私を見てくれなくて…歯がゆさから怒りが込み上げてくる。
閉めきられた鉄格子を壊そうと躍起になって、怒鳴るように声を上げながら指の骨が砕けるまで殴り続ける。
何時間そんなことをしようとも、この手があのイーリス姉様に届くことはないことはわかっていた。
何故なら彼女は幻なのだから…
だから本気で鉄格子の扉を開けることはしなかった。
それを自覚した瞬間、血が滲む鉄格子を握りながら力なく崩れ落ちてしまう。
墓石を見ても、誰から話を聞いても…ただただ信じられなかった。
何かの冗談であって欲しかった。
イーリス姉様がこの世界に居ないという事実を認めたくなくて…
私が付けた足枷が最愛の人を死なせてしまったのだという事実を…どうしても認めることが出来なかった。
ただ…死にたくなるほど胸が痛かった。
ぽっかり空いてしまった喪失感を受け入れられなくて…
悲しみは怒りに変わり、痛みは憎悪へと変わっていった。
胸の内を占領する怒りに気が狂れるのは時間の問題だった。
自身の残りわずかな正気を保つには、このどうしようもない怒りの矛先を向ける相手が必要だと思った。
気が狂れそうなそうな程の激情は絶えず私を苦しめ続け、その理不尽な怒りは全てヘリオ・ミリオンへと向けられた。
アネスティラの処刑という嘘の報告をした張本人だ。
ヘリオに会うため王城へと向かったが何故か入城は拒否されてしまった。
入城拒否の理由を確認していると多くの兵士が集まってしまい、一様に険しい顔で睨んでくるため仕方なく目の前に居た門番を人質に取った。
ヘリオを呼んだだけなのにわらわらと集まってくる兵士を煩わしく思っていると、何故か顔色の悪いコンラッド王子が城門に現れた。
何日も寝ていないのか酷い顔色だった。
正直、コンラッドには会いたくなかった。
ヘリオへの怒りを持て余している状態の今、コンラッドに会って平常心を保てるとは思えなかった。
「………」
私の姿を見て何故か顔を歪めるコンラッド。
その視線が気になって自分の姿を見る。
そこで初めて…全身が真っ赤に染まっていたことに気付いた。
「ヘリオに会いに来たと聞いた…」
「…はい、彼に話があります。隠しても無駄です、彼はどこにいるんですか?」
「───…イーリスの件は…本当に済まなかった……」
「殿下から詫びてもらっても彼女は戻ってきません。私もそんな言葉を聞きたくて来た訳では無いので、ヘリオ・ミリオン侯爵を早く連れてきてもらえませんか?でないと…」
人質に取っている門番の首に剣をあてる。
このまま軽く引くだけで彼の首から血が吹き出す事だろう。
コンラッドならすぐに連れてきてくれるだろうと思っていた。
だが…
「ヘリオを連れてくることは出来ない…」
処刑後の遺体を見て、イーリスだと最初に気づいたのはヘリオだった。
イーリスは侯爵邸で保護していると聞かされていたコンラッドはヘリオの嘘を到底許せず、その日のうちに侍従から解任した。
そしてヘリオは侯爵邸に戻ってすぐ、自室で自害してしまったらしい。
「───」
コンラッドの口から聞かされた話は到底信じられるものではなかった。
この怒りをどこへ向ければいいのか分からなくなり…
苦しくて苦しくて違和感が渦巻く胸を叩いてみても、痛みより息苦しさの方が勝っていた。
ただどうしようもなく…この苦しみから解放されたかった。
気づいたら門番の首を切りつけていた。
鮮血の雨を全身に浴びながら、周囲のざわめきも全てがどうでも良くなって…真正面に立つコンラッドへと駆け出していた。
コンラッドの制止も聞かず、周囲を囲んでいた兵士から一斉に槍が投擲される。
文字通り…全身を貫く痛みに私は剣を落としていた。
私の剣がコンラッドに届くことはなかった…
「───…ごふっ…!!」
血を吐き出しながら…ようやく泣くことが出来た。
怒りのままに多くの命を奪ってきたが、一番殺したかったのは一人生き残ってしまった自分だったことに今更気付く。
これで、ようやくイーリス姉様の元へ逝ける…
膝から崩れ落ちゆっくりと暗くなっていく視界の先で…変わらず私の真正面に立っているコンラッド。
イーリスやヘリオの死が余程ショックだったのだろう。
顔色だけでも酷かったのに、今や私以上に涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた。
「………───」
それが、なんだか可笑しくて…笑ってしまう。
それは一体なんの涙なのか、と聞きたかったが…私の口からその言葉が紡がれることはなかった。
「─────!!」
ベッドから飛び起きて周りを見回す。
マクレーガン伯爵家にある自分の寝室だった。
昨夜、アイリスの部屋から戻った後、確かにベッドで眠ったのを思い出す。
だが夢の光景があまりにも鮮明で…
全身を貫かれた痛みや手を赤く染めていた血の生温かさが今も残っているようで…
とても…ただの夢だと切り捨てることは出来なかった。
夢の中の自分は二十歳を目前にした青年だった。
鏡に映る十三歳にも満たない今の自分に何故か違和感を覚えた。
あれはただの悪夢だったのか…?
それともこちらが《私》にとって都合の良い夢なのか…?
今の僕にイーリスという名の姉はおらず、アネスティラの専属侍女として働くアイリスがいた。
彼女の美しい金髪は白髪に変わってしまっていた。
それでも…アイリスがイーリスであることは間違えようがなかった。
僕の中の憧憬と《私》の想いが少しずつ融合していく。
ダリアもアネスティラもセドリックも…今や周りにいる全ての人間が敵に見えていた。
夢の中の《私》は間違っていた。
イーリスを孤立させれば確かに《私》だけを愛してくれるようになるだろう。
だが、そんな目先の利益に囚われた結果《私》は永遠にイーリスを失ってしまったのだから。
アイリスが、あの夢と違う行動を積極的に取っていることは分かった。
そんなアイリスには…とても《私》のことは打ち明けられないと思った。
何より僕自身、アイリスを使用人として無下に扱った自覚もあり、昨夜泣き崩れていたアイリスを思い出しては、既に嫌われてしまったのでは?という恐怖が燻っていた。
直接確認する勇気も持てずにずるずると半年が経ってしまい…
その間、僕の変化を気取られないよう距離を置きつつアイリスの観察に努めていた。
《私》の考えでは彼女はマクレーガン伯爵家には来ないものだと思っていたからだ。
彼女が危険を侵してまで、この伯爵家で何を成そうとしているのか確認する必要があった。
そうして今の自分を現実として受け入れられるようになった時…
ようやくアイリスと仲直りの機会を得ることが出来た。
「…まぁ、これで仲直りは出来たと思っていいよね?」
最愛の人を取り戻した喜びを胸に彼女へ再び口付ける。
今度は決して間違えない…
そう、誓いながら…───。
1
お気に入りに追加
196
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
冷徹義兄の密やかな熱愛
橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。
普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。
※王道ヒーローではありません
【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる
奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。
両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。
それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。
夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。
燻らせた想いは口付けで蕩かして~睦言は蜜毒のように甘く~
二階堂まや
恋愛
北西の国オルデランタの王妃アリーズは、国王ローデンヴェイクに愛されたいがために、本心を隠して日々を過ごしていた。 しかしある晩、情事の最中「猫かぶりはいい加減にしろ」と彼に言われてしまう。
夫に嫌われたくないが、自分に自信が持てないため涙するアリーズ。だがローデンヴェイクもまた、言いたいことを上手く伝えられないもどかしさを密かに抱えていた。
気持ちを伝え合った二人は、本音しか口にしない、隠し立てをしないという約束を交わし、身体を重ねるが……?
「こんな本性どこに隠してたんだか」
「構って欲しい人だったなんて、思いませんでしたわ」
さてさて、互いの本性を知った夫婦の行く末やいかに。
+ムーンライトノベルズにも掲載しております。
婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。
鯖
恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。
パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。
俺様御曹司は十二歳年上妻に生涯の愛を誓う
ラヴ KAZU
恋愛
藤城美希 三十八歳独身
大学卒業後入社した鏑木建設会社で16年間経理部にて勤めている。
会社では若い女性社員に囲まれて、お局様状態。
彼氏も、結婚を予定している相手もいない。
そんな美希の前に現れたのが、俺様御曹司鏑木蓮
「明日から俺の秘書な、よろしく」
経理部の美希は蓮の秘書を命じられた。
鏑木 蓮 二十六歳独身
鏑木建設会社社長 バイク事故を起こし美希に命を救われる。
親の脛をかじって生きてきた蓮はこの出来事で人生が大きく動き出す。
社長と秘書の関係のはずが、蓮は事あるごとに愛を囁き溺愛が始まる。
蓮の言うことが信じられなかった美希の気持ちに変化が......
望月 楓 二十六歳独身
蓮とは大学の時からの付き合いで、かれこれ八年になる。
密かに美希に惚れていた。
蓮と違い、奨学金で大学へ行き、実家は農家をしており苦労して育った。
蓮を忘れさせる為に麗子に近づいた。
「麗子、俺を好きになれ」
美希への気持ちが冷めぬまま麗子と結婚したが、徐々に麗子への気持ちに変化が現れる。
面倒見の良い頼れる存在である。
藤城美希は三十八歳独身。大学卒業後、入社した会社で十六年間経理部で働いている。
彼氏も、結婚を予定している相手もいない。
そんな時、俺様御曹司鏑木蓮二十六歳が現れた。
社長就任挨拶の日、美希に「明日から俺の秘書なよろしく」と告げた。
社長と秘書の関係のはずが、蓮は美希に愛を囁く
実は蓮と美希は初対面ではない、その事実に美希は気づかなかった。
そして蓮は美希に驚きの事を言う、それは......
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる