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第一章〜First end〜
ご一緒してくれませんか?
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首都に入ってしばらく…
賑やかな街並みを走った先にようやく見えてきたマクレーガン伯爵邸。
門をくぐり美しい庭園を横切った先でゆっくりと馬車が停まる。
邸宅の前には、約一ヶ月ぶりに帰ってきた伯爵夫人を出迎える為、邸中の使用人が勢揃いしていた。
先に降りた伯爵夫人に倣い、私も馭者の手を借りて馬車を降りる。
「「お帰りなさいませ、奥様」」
使用人達から堂々と挨拶を受けている女性はダリア・マクレーガン。
オレンジ色の華やかな髪に翡翠の瞳を持つ彼女は、この伯爵家の女主人であり…今日からは私がお養母様と呼ぶべき人である。
「イーリス、今日からはここがあなたの家よ」
ダリアから声をかけられて見上げると、感情の見えない冷たい瞳が私を見下ろしていた。
「…はい、お養母様。イーリスといいます…本日からお世話になります」
お出迎えに整列していた使用人たちへ頭を下げる。
簡単な挨拶を終え頭を上げると、その中心には私と同じくらいの可愛らしい女の子と幼い男の子が手を繋いで立っていた。
「私の娘のアネスティラと、今年六歳になるシリウスよ」
「初めまして、アネスティラ様、シリウス様。イーリスといいます」
ダリアの言葉に小さく頷いて、仁王立ちのアネスティラと目を丸くして今さら姉の影に隠れているシリウスへ改めて頭を下げる。
二人とも金髪碧眼であるセドリックの色を見事に受け継いでいた。
瞳の色は違うものの、私と同じ金髪を持つ二人に少しだけ親近感が湧く。
「アネスティラ、シリウス。この娘はお父様の遠い親戚の子で先日御両親が事故で亡くなってしまって、これからは我が家で面倒を見ることになったの」
「まぁ…!なら、あなたは孤児なのね?」
「………」
…孤児?
母を亡くしたばかりだが、父は健在である。
アネスティラの言葉を否定しようとしてダリアとの約束を思い出す。
一つ、会話は必要最低限に留めること。
二つ、出された食事は半分以上残すこと。
三つ、両親については誰にも話さないこと。
「アネスティラ、レディはそんなことを言わないものよ。イーリスは貴女と同じ九歳なの、仲良くしてくてあげてちょうだい」
アネスティラと同じ九歳と言うダリアの声がワントーン下がったような気がして、自然と背筋が伸びる。
「はぁい…つまりは私の妹になるということよね?シリウス、あなたの新しいお義姉様なんですって」
「はい、ティア姉様。イーリス…姉様、シリウスです」
同い年だと紹介されたはずがアネスティラに妹認定をされてしまった。
だが、ダリアとは違い温かく自分を迎えようとしてくれる幼い姉弟に…どこか強ばっていた心がようやく落ち着いてくる。
「…アネスティラ姉様、シリウス様。どうぞよろしくお願い致します」
こうして、私の伯爵邸での生活は始まったのだった。
*
一年後。
ダリアは表立って私とアネスティラを差別することはしなかった。
マクレーガン家の養子として過ごしたこの一年は…
当初、私が想像していたものよりずっと穏やかな生活だった。
山のように積まれたお土産を見て、無邪気に大喜びするアネスティラ。
この中に私へのお土産はひとつも無い。
両親の愛を一身に受けて育つアネスティラを見て少し胸が痛むこともあったが、この程度の差別は当然だと認識していた。
新しいドレスを買って貰えなくても、アネスティラが着れなくなった服を譲ってもらえるだけましだろう。
平民の孤児になれば、服どころか食事すら満足に出来なくなってしまうのだから。
寒い日の水仕事では、手はあかぎれで真っ赤になってしまうらしい。
昔、一緒に暮らしていたメイドのナルアは孤児院の出身で幼い頃の劣悪な環境をよく話して聞かせてくれていた。
お湯を使わせてもらえず、薄い毛布一枚をみんなで使っていたそうだ。
その度に私は旅芸人の一座で暮らしていた頃のことを思い出しては、私とお母様のためにお仕事を頑張っているお父様に感謝したものだ。
イーリス・マクレーガン。
この名前は五年前、一座にお父様が迎えに来てくれた時から私の名前だったが…
私はお父様がマクレーガン伯爵だとは知らずに育った。
たまに帰ってきては私に優しくしてくれるお父様が私は本当に大好きだった。
あの日、ダリアが現れるまでは…
「イーリスにはこれを…」
お父様がお土産だと言って手渡してくれたプレゼントはキャンディだった。
「…ありがとうございます」
今までも同じようにお土産やプレゼントを手渡してくれたことは何度かあったが…
どれも朝になる前には私の部屋からなくなっていた。
私へ渡したはずのプレゼントをアネスティラが身につけているのを見て当初は哀れんでくれていたが…
アネスティラに渡すよう指示した人がダリアだと分かっているからか、セドリックもあえて指摘するようなことはしなかった。
それでも本人の良心が咎めるのか…
いつからか傍目には分からない消耗品を買ってきてくれるようになった。
私は伯爵夫人の本当の娘ではないのだから当然だ。
人間には誰しも優先順位がある。
セドリックにとって、私の優先順位が低いというだけの話だった。
かつては私と母が一番大切だと言ってくれていたとしても…
少し悲しくて、少しだけ胸が痛むけれど…
ダリアの怒りを買うよりずっとマシだった。
───コンコン…!
「イーリス姉様、今お時間ありますか?シリウスです」
「シリウス…様?どうしたのですか?」
久しぶりのノックにきょとんとしてドアを見ていると、ドアの向こうからシリウスに声をかけられる。
慌ててドアを開けると大きな箱を抱えたシリウスが立っていた。
「姉様、良ければティータイムをご一緒してくれませんか?ティア姉様の誕生日にお菓子をたくさん頂いたのですが、あまり日持ちがしないようなので茶葉と一緒に持ってきたんです」
「……すごい量ですね」
「はい、そうなんです。ティア姉様がいらないと言ったものばかりなので、茶葉も似たようなものばかりですが…これは姉様が飲んでくれませんか?どうせ僕一人では飲みきれませんし」
7歳になって少し大人びた言葉遣いをするようになったシリウス。
優しいシリウスの気遣いにどこか沈んでいた心が軽くなる。
本を呼んで一人静かに過ごすだけだった部屋が、シリウスのおかげで明るくなったように思える。
「…嬉しいです。すぐ、お茶の準備をしますね」
何も知らず姉と慕ってくれる弟。
彼と少し距離が近くなったような気がして、私は久しぶりに気楽な時間を過ごせたのだった。
賑やかな街並みを走った先にようやく見えてきたマクレーガン伯爵邸。
門をくぐり美しい庭園を横切った先でゆっくりと馬車が停まる。
邸宅の前には、約一ヶ月ぶりに帰ってきた伯爵夫人を出迎える為、邸中の使用人が勢揃いしていた。
先に降りた伯爵夫人に倣い、私も馭者の手を借りて馬車を降りる。
「「お帰りなさいませ、奥様」」
使用人達から堂々と挨拶を受けている女性はダリア・マクレーガン。
オレンジ色の華やかな髪に翡翠の瞳を持つ彼女は、この伯爵家の女主人であり…今日からは私がお養母様と呼ぶべき人である。
「イーリス、今日からはここがあなたの家よ」
ダリアから声をかけられて見上げると、感情の見えない冷たい瞳が私を見下ろしていた。
「…はい、お養母様。イーリスといいます…本日からお世話になります」
お出迎えに整列していた使用人たちへ頭を下げる。
簡単な挨拶を終え頭を上げると、その中心には私と同じくらいの可愛らしい女の子と幼い男の子が手を繋いで立っていた。
「私の娘のアネスティラと、今年六歳になるシリウスよ」
「初めまして、アネスティラ様、シリウス様。イーリスといいます」
ダリアの言葉に小さく頷いて、仁王立ちのアネスティラと目を丸くして今さら姉の影に隠れているシリウスへ改めて頭を下げる。
二人とも金髪碧眼であるセドリックの色を見事に受け継いでいた。
瞳の色は違うものの、私と同じ金髪を持つ二人に少しだけ親近感が湧く。
「アネスティラ、シリウス。この娘はお父様の遠い親戚の子で先日御両親が事故で亡くなってしまって、これからは我が家で面倒を見ることになったの」
「まぁ…!なら、あなたは孤児なのね?」
「………」
…孤児?
母を亡くしたばかりだが、父は健在である。
アネスティラの言葉を否定しようとしてダリアとの約束を思い出す。
一つ、会話は必要最低限に留めること。
二つ、出された食事は半分以上残すこと。
三つ、両親については誰にも話さないこと。
「アネスティラ、レディはそんなことを言わないものよ。イーリスは貴女と同じ九歳なの、仲良くしてくてあげてちょうだい」
アネスティラと同じ九歳と言うダリアの声がワントーン下がったような気がして、自然と背筋が伸びる。
「はぁい…つまりは私の妹になるということよね?シリウス、あなたの新しいお義姉様なんですって」
「はい、ティア姉様。イーリス…姉様、シリウスです」
同い年だと紹介されたはずがアネスティラに妹認定をされてしまった。
だが、ダリアとは違い温かく自分を迎えようとしてくれる幼い姉弟に…どこか強ばっていた心がようやく落ち着いてくる。
「…アネスティラ姉様、シリウス様。どうぞよろしくお願い致します」
こうして、私の伯爵邸での生活は始まったのだった。
*
一年後。
ダリアは表立って私とアネスティラを差別することはしなかった。
マクレーガン家の養子として過ごしたこの一年は…
当初、私が想像していたものよりずっと穏やかな生活だった。
山のように積まれたお土産を見て、無邪気に大喜びするアネスティラ。
この中に私へのお土産はひとつも無い。
両親の愛を一身に受けて育つアネスティラを見て少し胸が痛むこともあったが、この程度の差別は当然だと認識していた。
新しいドレスを買って貰えなくても、アネスティラが着れなくなった服を譲ってもらえるだけましだろう。
平民の孤児になれば、服どころか食事すら満足に出来なくなってしまうのだから。
寒い日の水仕事では、手はあかぎれで真っ赤になってしまうらしい。
昔、一緒に暮らしていたメイドのナルアは孤児院の出身で幼い頃の劣悪な環境をよく話して聞かせてくれていた。
お湯を使わせてもらえず、薄い毛布一枚をみんなで使っていたそうだ。
その度に私は旅芸人の一座で暮らしていた頃のことを思い出しては、私とお母様のためにお仕事を頑張っているお父様に感謝したものだ。
イーリス・マクレーガン。
この名前は五年前、一座にお父様が迎えに来てくれた時から私の名前だったが…
私はお父様がマクレーガン伯爵だとは知らずに育った。
たまに帰ってきては私に優しくしてくれるお父様が私は本当に大好きだった。
あの日、ダリアが現れるまでは…
「イーリスにはこれを…」
お父様がお土産だと言って手渡してくれたプレゼントはキャンディだった。
「…ありがとうございます」
今までも同じようにお土産やプレゼントを手渡してくれたことは何度かあったが…
どれも朝になる前には私の部屋からなくなっていた。
私へ渡したはずのプレゼントをアネスティラが身につけているのを見て当初は哀れんでくれていたが…
アネスティラに渡すよう指示した人がダリアだと分かっているからか、セドリックもあえて指摘するようなことはしなかった。
それでも本人の良心が咎めるのか…
いつからか傍目には分からない消耗品を買ってきてくれるようになった。
私は伯爵夫人の本当の娘ではないのだから当然だ。
人間には誰しも優先順位がある。
セドリックにとって、私の優先順位が低いというだけの話だった。
かつては私と母が一番大切だと言ってくれていたとしても…
少し悲しくて、少しだけ胸が痛むけれど…
ダリアの怒りを買うよりずっとマシだった。
───コンコン…!
「イーリス姉様、今お時間ありますか?シリウスです」
「シリウス…様?どうしたのですか?」
久しぶりのノックにきょとんとしてドアを見ていると、ドアの向こうからシリウスに声をかけられる。
慌ててドアを開けると大きな箱を抱えたシリウスが立っていた。
「姉様、良ければティータイムをご一緒してくれませんか?ティア姉様の誕生日にお菓子をたくさん頂いたのですが、あまり日持ちがしないようなので茶葉と一緒に持ってきたんです」
「……すごい量ですね」
「はい、そうなんです。ティア姉様がいらないと言ったものばかりなので、茶葉も似たようなものばかりですが…これは姉様が飲んでくれませんか?どうせ僕一人では飲みきれませんし」
7歳になって少し大人びた言葉遣いをするようになったシリウス。
優しいシリウスの気遣いにどこか沈んでいた心が軽くなる。
本を呼んで一人静かに過ごすだけだった部屋が、シリウスのおかげで明るくなったように思える。
「…嬉しいです。すぐ、お茶の準備をしますね」
何も知らず姉と慕ってくれる弟。
彼と少し距離が近くなったような気がして、私は久しぶりに気楽な時間を過ごせたのだった。
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