光の方を向いて

白石 幸知

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第6話 歪になった白

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「ただいま……」
 家に入るなり、機械的にそう呟く。でも、答える人はいない。まあ、当然か。唯一の家族である父親は仕事に出ているんだから。無意識のうちに洗濯機に液体洗剤を注ぎ、洗濯を始める。それだけやると僕は自分の部屋に入り、カバンと一緒にベッドにダイブした。

 けど、さっきまで保健室で休んでいたから、眠ることはできず、ただただ沈んだ気持ちのままベッドの上で横になっていた。
 次第に陽は沈んでいき、部屋のなかはどんどん暗くなっていった。電気もつけずにずっとボーっとしていたから、気付いた頃には何も見えなくなっていた。

「……そろそろ晩ご飯……作らないと」
 暗闇のなか、ぼんやりと浮かぶ人工の光を見つめる。緑色のアイコンが端に来た通知が何件か映る。
「…………」
 ロック画面を解除して通知を確かめる。

「うわ……」
 思わずそんな声が漏れた。恵一や絵見、茜や茜、茜から鬼のような量のラインが来ていたから。こりゃ明日問い詰められるんだろうな……。

「はぁ……」
 気が重いや。
 軋むベッドから力なく降りて、ペタペタと夕飯を作るために台所に向かった。いつもより重たく感じる野菜室を開ける。

「……やば、ネギしかない。……麻婆豆腐とかにするか」
 今日作るメニューを決め、さあ作ろう、と思うと。
 ポケットにしまっていたスマホから着信音が流れた。

「……あ、茜から?」
 ……電話掛かって来ちゃったよ……どうしよう、無視したら無視したで明日面倒だし……。うーん……。
 かれこれ十五秒くらい悩んでから、僕は電話に出た。

「もし──」
「遅い、私からの電話出るかどうか悩んだの?」
 開口一番怒られた。

「い、いや……そういうわけじゃ」
 僕はスピーカーモードに切り替え、鍋に水を入れて火をかける。
「でも今料理してるってことは別に体調悪いわけじゃないんだよね? どうしたの? 今日。放課後様子おかしかったよね?」
 そんな些細な音に気づきますか……。

「……別に、茜が心配するような」
「あるのっ」
 茜の強い語調に圧倒されてしまい、切っている豆腐の形が少し崩れてしまった。

「え、ええ……?」
「……そ、それに、だいたい陽平があんな態度取るときって、大抵何かあったときだから……。中学のときも何回かあったし」
 その何回か、多分今回と同じ理由です。とは言えない。

「……で、何があったの」
 こりゃあ隠し通すのは無理かな……。ないですって言っても信じてもらえないし。日頃の行いですね。恨むよ、中学の僕。
 仕方ない、話すしかない。

「……同じ中学の女子に、告白された」
 淡々と、多くは話さないように。
 自分のなかで「なんでもないのこと」のように偽って話すため、沸かした鍋に今切った豆腐を突っ込みながら返す。

「へ……?」
 どうやらやはり。茜にとっては想定外の答えだったみたいで。しばらくの間、ぐつぐつと鍋にかかっている火の音だけが聞こえる。

「……え? こ、こくはく、された……の……?」
 いつもの快活な──入学式の朝に椅子を引くような──茜の声とは真逆の、か細い声が届く。
「え、……へ、へんじは……?」
 しかも、どこか子供っぽい声にもなっているし。形が丸いというか、なんというか。

「断ったよ」
「そ、そっかぁ……」
 どこか気が抜けたような、吐息が漏れるように彼女の返事が聞こえる。
 まるで、その後には「よかった」が続くかのような。

「あっ、い、いや……別に断ろうが受けようがいいんだけど……それであんなに元気なかったの? 別に陽平が振られたわけじゃないし、陽平が落ち込む必要なくない?」
「……ま、まあ。振るのも結構エネルギー使うんだ」
「ふーん。そういうもんなの?」
 これ以上、余計なことは言わない。でないと、茜に知られてしまう。

「そういうもんだと思う。まあ、人それぞれなんじゃないかな……」
「へえ……。ねえ、どうして断ったの? 高校入学早々彼女作るいい機会だったのに」
「……彼女、欲しいって特に思わないし」
 嘘でもなければ本当でもない。当たり障りのない答えを紡ぐ。

「……男好きなわけでもないのに?」
「それ、まだ引っ張る?」
「なんとなく。ね」
 そろそろいい時間になったので、鍋の火を止め、フライパンに豚挽き肉を並べ、油をちょこっと引き炒め始める。

「……ま、まあいいや。……ね、ねえ。陽平」
「何?」
「……じゃあ、好きな人は、いないの?」
 …………。瞬間、時が止まった。

「……彼女、欲しくないって言うような奴に好きな人なんかいないよ。きっと」
「……これからも?」
「うん、これからも」
 結局、僕に本当の答えなんて、出てくるのだろうか。
 それを、電話口の向こうにいる茜に伝えることができるのだろうか。

「……できないよ」
「ん? 陽平、何か言った?」
 いけない、声に出ていた。僕は鍋の中にプカプカと漂う豆腐の姿を確認し、一旦ボールに移す。

「い、いやなんでもない。……そろそろ、電話切っていい?」
「う、うん。わかった」
 僕は豆腐の入ったボールからお湯を捨てようとする。そして、電話を切ろうとしたそのとき。

「あっ、そうだ陽平」
「な、なに? 茜」
 今にもボールを傾かせそうな右手を、ぐっとこらえる。

「……うーん、やっぱりなんでもない。じゃあ、また明日ね」
「よ、呼び止めておいてそれ……? うん、また明日」
 今度こそ切れた電話、僕はお湯を捨てて豆腐の水気を切り、今しがた炒めていたひき肉のフライパンに突っ込んだ。しばらくの間、心地よい調理音がキッチンには響き続けた。

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