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初夏の朝は早い――。
降り注ぐ日の光は薄いカーテンをすり抜け、部屋を明るく照らし出す。
梅雨が明けて気温は日増しに上がっていくけれど、山の上のこの家は風が通るので涼しくて快適だった。
窓を開けると、山を越えて吹き抜ける気持ちのいい風が部屋に吹き込んでくる。
寝室の窓からは大きな茂みに抱きかかえられるように咲いている淡いピンクのシャクナゲの花がよく見えた。
――ついに……この日が来ちゃった……。
まるでおとぎ話か何かのように思える。まさか私が……鬼嶋さんと……。
「……おはよう、百合」
甘い声と同時に百合の身体に鬼嶋の逞しい腕が伸ばされ、そのままギュッと引き寄せられる。
「おはよう……ございます」
後ろから見える百合の耳と頬が花のような淡い色に染まるのを見て、鬼嶋は満足そうに目を細めて笑った。
「こっちを向いて……。今日は、大事な日だろ?」
鬼嶋の言葉に、振り返った百合の頬がますます赤みを増していく。
「さ、朝食の用意はもうできているからね」
長身を屈めて百合の額に軽くキスを落としてから鬼嶋はクルリと踵を返して部屋を出て行ってしまう。
その後ろ姿を陶然と見つめながら百合は思った。
――私が、鬼嶋さんと結婚するだなんて……。
※※※
真っ青に晴れ渡った七月の空の下――今日、百合と鬼嶋は役所で籍を入れる……つまりは正式に結婚することになっている。
週末を二人で過ごすようになってから二か月、それまでも何回か訪れていた星熊のレストランで百合は鬼嶋からのプロポーズを受けた。
毎週末同じ屋根の下で過ごしているとはいえ、突然のプロポーズは百合にとって完全に予想外の出来事だった。
ドライブにピクニック、庭いじりに、雨の日は手作りの料理をゆったりと楽しむ――。
恋人たちの週末としては完ぺきなその日々に一つだけ欠けているものがあったからだ。
初めて百合がこの家に訪れてから使っている寝室――そこに、鬼嶋が訪れるのは朝と決まっていた。
夜に百合に触れない代わりに、昼間の間、鬼嶋は決して百合の傍から離れようとはしなかった。
百合の方も、高校から大学まで女子校に通っていたこともあり、男性とつきあったことなどほとんどない。
――二人の関係を真剣に考えてくれているから? それとも……。
迷いつつも、そのことに触れられないまま、結納や顔合わせを済ませ、こうして入籍当日を迎えてしまった。
結婚式は、秋を迎える頃――。この山が綺麗に紅葉する頃、挙げよう。
そう言って心底嬉しそうに笑った鬼嶋を百合は信じることにしたのだが――。
「さあ、出かけようか……」
鬼嶋のスカイブルーの愛車が軽快なエンジン音で走り出す。
「窓、少し開けてもいいですか?」
「いいけど、この前みたいに虫が飛び込んできても急に抱きついたら駄目だぞ」
いたずらっ子のようにニヤニヤと笑いながら鬼嶋はつい先日のことを茶化してくる。
「あ……あれは、つい、びっくりして……!! もうしません……ごめんなさい」
「ははは、冗談だよ。もっとも、運転中でなければいつでも抱きついてくれて構わないけど……?」
そんな風に軽口を叩きながら、百合を流し目でみる鬼嶋の瞳はぞくぞくするほどの色気を帯びていて、思わず百合は赤らんだ顔をそらしてしまう。
役所で手続きを終え、帰りに川べりを見下ろすホテルのレストランでゆったりと昼食をとった。
山道を軽くドライブして展望台から景色を見渡しながら、名残惜しいほど完璧な一日が終わっていくことに少しの寂しさを感じる。
「……どうした?」
駐車場で飲み物を買って来た鬼嶋が不意に百合を後ろから抱きしめた。
「鬼、鬼嶋さん……人が来たら……恥ずかしいです」
「大丈夫……俺達以外に誰もいない」
百合の耳元でそっと囁きながら鬼嶋は百合を胸に引き寄せ離すまいと力を込めた。
「こらえ性のない男だと思われるかもしれないけど……。俺はもう我慢なんてできない」
暮れかけた茜色の空から差す西日が色素の薄い鬼嶋の髪を金色に燃え立たせている。
「百合、今日から君は俺のものだ……。絶対に離したりなんかしない」
降り注ぐ日の光は薄いカーテンをすり抜け、部屋を明るく照らし出す。
梅雨が明けて気温は日増しに上がっていくけれど、山の上のこの家は風が通るので涼しくて快適だった。
窓を開けると、山を越えて吹き抜ける気持ちのいい風が部屋に吹き込んでくる。
寝室の窓からは大きな茂みに抱きかかえられるように咲いている淡いピンクのシャクナゲの花がよく見えた。
――ついに……この日が来ちゃった……。
まるでおとぎ話か何かのように思える。まさか私が……鬼嶋さんと……。
「……おはよう、百合」
甘い声と同時に百合の身体に鬼嶋の逞しい腕が伸ばされ、そのままギュッと引き寄せられる。
「おはよう……ございます」
後ろから見える百合の耳と頬が花のような淡い色に染まるのを見て、鬼嶋は満足そうに目を細めて笑った。
「こっちを向いて……。今日は、大事な日だろ?」
鬼嶋の言葉に、振り返った百合の頬がますます赤みを増していく。
「さ、朝食の用意はもうできているからね」
長身を屈めて百合の額に軽くキスを落としてから鬼嶋はクルリと踵を返して部屋を出て行ってしまう。
その後ろ姿を陶然と見つめながら百合は思った。
――私が、鬼嶋さんと結婚するだなんて……。
※※※
真っ青に晴れ渡った七月の空の下――今日、百合と鬼嶋は役所で籍を入れる……つまりは正式に結婚することになっている。
週末を二人で過ごすようになってから二か月、それまでも何回か訪れていた星熊のレストランで百合は鬼嶋からのプロポーズを受けた。
毎週末同じ屋根の下で過ごしているとはいえ、突然のプロポーズは百合にとって完全に予想外の出来事だった。
ドライブにピクニック、庭いじりに、雨の日は手作りの料理をゆったりと楽しむ――。
恋人たちの週末としては完ぺきなその日々に一つだけ欠けているものがあったからだ。
初めて百合がこの家に訪れてから使っている寝室――そこに、鬼嶋が訪れるのは朝と決まっていた。
夜に百合に触れない代わりに、昼間の間、鬼嶋は決して百合の傍から離れようとはしなかった。
百合の方も、高校から大学まで女子校に通っていたこともあり、男性とつきあったことなどほとんどない。
――二人の関係を真剣に考えてくれているから? それとも……。
迷いつつも、そのことに触れられないまま、結納や顔合わせを済ませ、こうして入籍当日を迎えてしまった。
結婚式は、秋を迎える頃――。この山が綺麗に紅葉する頃、挙げよう。
そう言って心底嬉しそうに笑った鬼嶋を百合は信じることにしたのだが――。
「さあ、出かけようか……」
鬼嶋のスカイブルーの愛車が軽快なエンジン音で走り出す。
「窓、少し開けてもいいですか?」
「いいけど、この前みたいに虫が飛び込んできても急に抱きついたら駄目だぞ」
いたずらっ子のようにニヤニヤと笑いながら鬼嶋はつい先日のことを茶化してくる。
「あ……あれは、つい、びっくりして……!! もうしません……ごめんなさい」
「ははは、冗談だよ。もっとも、運転中でなければいつでも抱きついてくれて構わないけど……?」
そんな風に軽口を叩きながら、百合を流し目でみる鬼嶋の瞳はぞくぞくするほどの色気を帯びていて、思わず百合は赤らんだ顔をそらしてしまう。
役所で手続きを終え、帰りに川べりを見下ろすホテルのレストランでゆったりと昼食をとった。
山道を軽くドライブして展望台から景色を見渡しながら、名残惜しいほど完璧な一日が終わっていくことに少しの寂しさを感じる。
「……どうした?」
駐車場で飲み物を買って来た鬼嶋が不意に百合を後ろから抱きしめた。
「鬼、鬼嶋さん……人が来たら……恥ずかしいです」
「大丈夫……俺達以外に誰もいない」
百合の耳元でそっと囁きながら鬼嶋は百合を胸に引き寄せ離すまいと力を込めた。
「こらえ性のない男だと思われるかもしれないけど……。俺はもう我慢なんてできない」
暮れかけた茜色の空から差す西日が色素の薄い鬼嶋の髪を金色に燃え立たせている。
「百合、今日から君は俺のものだ……。絶対に離したりなんかしない」
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