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35-2 恋人たちの森
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重く垂れこめた曇り空の下、9月だというのにバラ園は白バラで溢れていた。
……以前ここに来た時に咲いていたのは赤いバラだった。
馬車から降り、神殿に向かって歩きながら美鈴はどこか寒々とした印象のバラ園に目をやった。
ヴァカンスの前、夏にリオネルとここに訪れた時――。
透き通った夏空に咲き誇る深紅のバラと石造りの白い神殿の鮮やかなコントラストが見事だったことを思い出す。
そしてバラの茂みの中へ吸い込まれるように消えていったグリーンの瞳、プラチナブロンドの巫女の姿。
あの時、巫女は美鈴に『以前にもここに来たことがある』と、確かにそう言った。
伯爵家の狩猟小屋で夜明かしを時に見た夢を、美鈴は今でも鮮明に覚えている。
……あの時見た夢の中でも今と同じように階段を上り神殿に向かって歩いていた。
先ほど悪夢の狭間に見た夢の中で、美鈴は再びこの神殿の夢を見た。そして――。
以前夢の中で抜け落ちていた巫女の言葉をハッキリと思い出した。
『ミレーヌ・ド・ルクリュ……あなたがここに来ることはわかっていました』
あの巫女は、確かに夢の中で美鈴にそう呼びかけた。
夢の中で美鈴は確かに亡くなったはずのルクリュ家の娘、『ミレーヌ』としてこの場所を訪れていた。
この異世界に来る前――東京で働いていた頃であったら、こんな夢を真に受けたりすることはなかっただろう。
それなのに、美鈴には確信があった。
――わたしは、以前ここに来たことがある。外ならぬルクリュ子爵家ミレーヌとして……。
今にも雨が落ちてきそうな暗い空にそびえる白い神殿と何本もの支柱――そして。
その柱の一本の影にあの巫女の姿があった。
表情の見えない薄いヒスイ色の瞳を向け、プラチナブロンドの巫女は何も言わずに美鈴を見つめている。
「巫女様……」
美鈴が呼びかけると、巫女は表情を変えないまま、コクンと頷きこちらに背を向けた。
『……ついてきなさい』
その言葉が実際に発せられたのかどうか、美鈴にはわからない。ただ、頭の中に閃くように相手の意志が降ってくるような感覚があった。
長く続く回廊を神殿の奥へと進むと、灯りのともされていない神殿内は昼間だというのに外よりも暗い。
シンと静まり返った空間の中、靴音だけが響いている。
――靴音が……一人分しか……!
巫女と美鈴、二人の人間が歩いているというのに、靴音は一つしかしていない。
美鈴の前に歩く巫女からは靴音どころか衣擦れの音さえ聞こえてこない。
そんなに大きな建物だったろうかと思うほど回廊は長く、神殿の内部構造の複雑さをうかがわせた。
辿り着いた回廊の先には大きな空間があり、奥の壁には祭壇と思しき大理石の台と壁には女神を象ったと思しき像が彫り込まれている。
祭壇の手前で巫女は美鈴を振り返った。
『ミレーヌ……いえ、今はミレイ・ド・ルクリュ』
凛とした涼やかな声が美鈴の頭の中に響き渡った。
『あなたが、今日ここに来ることはわかっていました』
「巫女様……思い出したのです。以前この神殿に来た時の記憶を」
上手く説明できるか分からない。自分でも半信半疑の出来事を口にしているのだから。
「わたしは以前、あなたにお会いしています。この世界で一度命を失った時に……」
……以前ここに来た時に咲いていたのは赤いバラだった。
馬車から降り、神殿に向かって歩きながら美鈴はどこか寒々とした印象のバラ園に目をやった。
ヴァカンスの前、夏にリオネルとここに訪れた時――。
透き通った夏空に咲き誇る深紅のバラと石造りの白い神殿の鮮やかなコントラストが見事だったことを思い出す。
そしてバラの茂みの中へ吸い込まれるように消えていったグリーンの瞳、プラチナブロンドの巫女の姿。
あの時、巫女は美鈴に『以前にもここに来たことがある』と、確かにそう言った。
伯爵家の狩猟小屋で夜明かしを時に見た夢を、美鈴は今でも鮮明に覚えている。
……あの時見た夢の中でも今と同じように階段を上り神殿に向かって歩いていた。
先ほど悪夢の狭間に見た夢の中で、美鈴は再びこの神殿の夢を見た。そして――。
以前夢の中で抜け落ちていた巫女の言葉をハッキリと思い出した。
『ミレーヌ・ド・ルクリュ……あなたがここに来ることはわかっていました』
あの巫女は、確かに夢の中で美鈴にそう呼びかけた。
夢の中で美鈴は確かに亡くなったはずのルクリュ家の娘、『ミレーヌ』としてこの場所を訪れていた。
この異世界に来る前――東京で働いていた頃であったら、こんな夢を真に受けたりすることはなかっただろう。
それなのに、美鈴には確信があった。
――わたしは、以前ここに来たことがある。外ならぬルクリュ子爵家ミレーヌとして……。
今にも雨が落ちてきそうな暗い空にそびえる白い神殿と何本もの支柱――そして。
その柱の一本の影にあの巫女の姿があった。
表情の見えない薄いヒスイ色の瞳を向け、プラチナブロンドの巫女は何も言わずに美鈴を見つめている。
「巫女様……」
美鈴が呼びかけると、巫女は表情を変えないまま、コクンと頷きこちらに背を向けた。
『……ついてきなさい』
その言葉が実際に発せられたのかどうか、美鈴にはわからない。ただ、頭の中に閃くように相手の意志が降ってくるような感覚があった。
長く続く回廊を神殿の奥へと進むと、灯りのともされていない神殿内は昼間だというのに外よりも暗い。
シンと静まり返った空間の中、靴音だけが響いている。
――靴音が……一人分しか……!
巫女と美鈴、二人の人間が歩いているというのに、靴音は一つしかしていない。
美鈴の前に歩く巫女からは靴音どころか衣擦れの音さえ聞こえてこない。
そんなに大きな建物だったろうかと思うほど回廊は長く、神殿の内部構造の複雑さをうかがわせた。
辿り着いた回廊の先には大きな空間があり、奥の壁には祭壇と思しき大理石の台と壁には女神を象ったと思しき像が彫り込まれている。
祭壇の手前で巫女は美鈴を振り返った。
『ミレーヌ……いえ、今はミレイ・ド・ルクリュ』
凛とした涼やかな声が美鈴の頭の中に響き渡った。
『あなたが、今日ここに来ることはわかっていました』
「巫女様……思い出したのです。以前この神殿に来た時の記憶を」
上手く説明できるか分からない。自分でも半信半疑の出来事を口にしているのだから。
「わたしは以前、あなたにお会いしています。この世界で一度命を失った時に……」
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