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35-1 恋人たちの森

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 伯爵家の別邸でフェリクスの処置が終わり、青い顔をしたジュリアンが寝室から出てきたのはすでに空が白み始めた頃だった。

「フェリクス様は……!?」

 次の間でリオネルと待機していた美鈴がすぐさま駆け寄ってそう尋ねたが、ジュリアンは答える代わりにアンバーの瞳を悲し気に伏せ、深いため息を吐いた。

「処置は全て終わったよ。幸い、急所はギリギリで外れたけれど……出血が多すぎた。あとは、本人の体力次第だ、と」

 いつもはきはきと明るい彼が、一言一言を絞り出すようにフェリクスの容態についてありのままを語った。

「一旦、君たちもここから引き揚げたほうがいい。もうすぐ彼の父のアルノー伯爵もこちらへくるはずだから」

 労うようにジュリアンは美鈴の肩に手を置いて言った。

「ここは、俺に任せて……。君も少しは休まなければ」

 ジュリアンが美鈴の隣に立つリオネルにそっと目配せし、リオネルが無言で頷いた。

「何かあれば、すぐに使いを出す。……もっとも、そんな必要ないだろうけど」

 無理やりに笑顔を浮かべながら、ジュリアンは美鈴の瞳を見つめた。

「……ああ見えて、そんなにやわな奴じゃないから。小さい時からずっと一緒にだった俺が保証する」

 大丈夫……、美鈴だけではなく自分に言い聞かせるように呟いたジュリアンの声はかすかに震えていた。


 美鈴とリオネルがルクリュ家に到着した頃にはすでに夜が明けていた。

 屋敷に到着するとすでにジャネットが玄関に待ち構えており、美鈴の姿を認めるとすぐに馬車まで走り寄ってきた。

「ミレイお嬢様……よくぞご無事で……!」

 うっすらと瞳に涙を浮かべながら、ジャネットが美鈴を抱きしめる。

「ジャネット、美鈴をよく休ませてやってくれ……」

 リオネルは美鈴の肩にそっと手を置いた。

「……今は、ゆっくり休むんだ。俺たちにできることは今はない」

 美鈴を気遣いながらもさすがに疲れをにじませた声でリオネルは言った。

「フェリクスなら大丈夫だ。すぐにいい報せが来るさ」

「……そうね……わかっているわ」

 かすかな声で答えた美鈴の瞳は虚ろで、ジャネットは軽くリオネルに頭を下げると彼女の肩を抱いて屋敷に入るよう促した。

「さ……お嬢様」

 ジャネットに手伝ってもらいながら、ドレスを脱ぎ、浴槽に入って体を温めた。

 表情をこわばらせ、終始無言のままの美鈴を気遣いながら接していたジャネットは、髪を梳いている際にふと鏡の中を見て目を瞠った。

「お嬢様……!」

 今まで涙など見せたことがない、いつも冷静な美鈴が声もなく涙を流していた。

「ジャネット……わたし」

 頬を伝う大粒の涙に美鈴自身、戸惑うように大きな目を見開いている。

 髪を梳く手を止めて、ジャネットは美鈴の前に回って正面から彼女を抱きしめた。

「大丈夫……きっと、大丈夫ですから……」

 何度も言い聞かせるようにそう言っては、ジャネットは美鈴の髪を撫で続けた。


 ベッドに入ってからも、もちろん美鈴は眠ることなどできそうになかった。

 泥のように疲れているのに、頭の中はハッキリとしていて繰り返し同じことを考えている。

 ――こうしている間にもフェリクスに何かあったら……彼の容態が悪化したら……。

 もし、フェリクスを失ってしまったら――?

 あの時、最後に見つめたフェリクスの瞳。握った美しい指先から力が抜けていく感覚、それに……。

 背中に手を回した時に溢れた血の生々しい感触――。

 もしも彼と……二度と会えないとしたら……!

 悪い想像ばかり、頭の中に次々と浮かび上がっては消える。

 夢か現か、悪夢のような想像を繰り返し思い浮かべた後、ようやくまどろみ始めた時に美鈴の頭に浮かんだのは――。

 ブールルージュの森のあの神殿の光景だった。
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