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27-5 思い出の少女

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 ミレーヌとの思い出を語りながらフェリクスは不思議だった。

 長い間胸の奥にしまっていた思い出が色彩も鮮やかによみがえり昨日のことのように思い出されてくる。

 ミレーヌと過ごした残りの夏は素敵だった。

 フェリクスは乗馬の練習を抜け出して毎日のように二人で会うようになった。

 ミレーヌと二人きりの時間はフェリクスにとってかけがえのないものだった。

 パリスイに帰るその前日、名残惜しさからフェリクスはミレーヌを乗せたポニーを闇雲に走らせた。

「だめよ! そんなに立て続けに走らせては。可哀想だわ」

 ミレーヌに強くたしなめられて、やっとフェリクスは速度を落とした。

 12歳のミレーヌと9歳のフェリクス。

 まだ正式に社交界に出ていない二人は、今後よほどのことがない限りパリスイで顔を合わせる機会などないだろう。

 ましてや、父がルクリュ家との付き合いを許してくれるなど――フェリクスの願いを聞き届けることなど万に一つもあり得ないことをフェリクスは理解していた。

「……わたしたちは毎年ここにヴァカンスに来ているの。だから」

 フェリクスを後ろからそっと抱きしめながらミレーヌは言った。

「来年も会えるわ。……フェリクス、あなたに会えるのを楽しみにしてるわ」

 毎夏、別れ際に母親に同じことを言われてフェリクスは夏を待った。

 母親のうわべだけの言葉とは違い、ミレーヌの言葉にはその手に触れた時に感じたような、確かな温かさが込められていると思った。

 ――信じられる。信じて、待つことができる。

 フェリクスはそう思った。

「……約束だ」

「約束するわ」

 それが、二人が交わした最後の言葉になった。


 秋が来てフェリクスは10歳になった。冬が過ぎ、春が来ると気持ちが湧きたった。

 ――夏になれば、会える。

 夏の風景――美しい紫色の花穂の群れを胸に抱き続けたフェリクスの元にミレーヌの突然の死の報せが舞い込んだのは6月の初めだった。

 ……パリスイの街中で……馬車にひかれそうになった少年を庇って。

 息せききってジュリアンが伝えた内容の半分もフェリクスの耳に届いてはいなかった。

 その年の夏は、近年稀にみる冷夏だった。

 ヴァカンスにも出かけずに、フェリクスは一人屋敷に残った。

 夏だというのに冷たい雨が降る石畳の街はとてつもなく淋しい場所に思える。

 世界の一切が色を失った――。

 灰色の世界に一人、取り残されたフェリクスは、もう一度かつて着けていた仮面を拾い上げた。

 自らの弱さを隠し、いついかなる時も冷静さを装う――そうしなければ生きていけないと思った。


 雨風は、中々止まなかった。

 狩猟小屋に足止めをされた美鈴とフェリクスはそこで夜を明かすことにした。

 幸いなことに薪は充分な量があり、一晩の間寒さをしのぐことは出来そうだった。

「これを、使ってください」

 フェリクスが肩にかけていた毛布を美鈴に差し出した。

「そんな……! それではフェリクス様が風邪を引いてしまいます」

 美鈴が遠慮するのも構わず、フェリクスは毛布を広げてその上に横になるように勧めた。

「私は大丈夫。女性をこんな場所に寝かせるのは申し訳ないのですが……。少しでも休んでください。それから……」

 完璧な紳士の微笑みを湛えて、フェリクスは続けた。

「……長い昔話を聞いてくれてありがとう」

 その晩、暖炉の灯りがチラチラと瞬く中、美鈴は中々寝付けなかった。

 フェリクスと二人きり――男性と二人で夜を過ごすことに対する緊張感だけではない。

 自分の知らない、遠い夏の出来事……フェリクスによって語られたルクリュ家のミレーヌとフェリクスの物語が頭からはなれなかった。

 少年だったフェリクスが負った傷――大人になった今でも心に残っているかもしれないその傷は、美鈴のものでもあった。

 夫婦という形をとりながら相いれない両親の間で引き裂かれた記憶。その傷を隠すために仮面をかぶり続けてきたのはきっと美鈴も同じだ。

 浅い眠りとまどろみを繰り返す長い夜。

 途切れ途切れに美鈴は不思議な夢を見た。

 どこか見覚えがあると思ったら、夢で訪れたその場所はいつかリオネルと訪れたブールルージュの森にある、あの神殿だった。

 夢の中で、美鈴は迷うことなく神殿の方へと進んでいく。

 バラ園で見かけたプラチナブロンドの巫女の姿が神殿を支える柱の影から姿を現し、美鈴の方に静々と歩み寄る。

『……』

 美鈴のすぐ前までやってきた巫女の唇がゆっくりと動き何事かを言っている。

 それなのに、音声が抜け落ちている映像を見ているように、何の音も聞こえてこない。

 そうして何事かを言い終えると巫女が不意に両腕を広げて、目を閉じた。

 その時、頭の中に直接語りかけるようにある言葉が降ってきた。

『……試練を受ける覚悟があるか?――』

 ただならぬ気配に背筋がゾッとする感覚を覚えながら、それでも美鈴はその問いかけに答えた。

「――約束を守る為なら……」


 夜が白々と明けてきた頃、美鈴は遠くから駆けてくる馬のひづめの音を聞いた気がした。

 少なくとも二頭、こちらの方向に早駆けに駆けてくる足音が聞こえる。

 半身を起こすと、すでに目を覚ましていたフェリクスが美鈴に声をかけた。

「……ヴァンタール家の者かもしれない。私が見てきます」

 フェリクスはそう言い残すと上着を羽織って小屋の外へ出ていった。

 小屋の外から聞き覚えのある声が聞こえた気がした。

 ――でも、待って。彼はまだ旅先にいるはずなのに……?

 美鈴が考えを巡らせている間にも声と足音が小屋にどんどん近づいてくる。

「……久しぶりだな、ミレイ」

 扉が開くと同時に差し込んできた朝日に美鈴は思わず目を細めた。

「リオネル……?」

 まさか、と思ったがその姿を見間違うはずもない。

 戸口に現れたのはリオネル・ド・バイエに違いなかった。
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