上 下
49 / 85

24-1 花まつりの宵に

しおりを挟む
 フェリクス、ジュリアンと偶然再会してから数日が経った。

 湖畔で二人に出会ったことをルクリュ子爵に話すと、彼はさもありなんといった風情で頷いた。

 ヴァンタール子爵家とルクリュ子爵家の領地は隣接しており、両家の関係も良好でジュリアンの両親とルクリュ夫妻の付き合いも長いものであるという。

「幼い頃から、あの二人……フェリクスとジュリアンは毎夏ヴァンタール家の領地で夏を過ごしていたよ」

 午後のコーヒーをゆっくりと飲み干しながら、懐かし気にルクリュ子爵は美鈴にそう語った。

「私たちの娘……ミレーヌはいつの間にかフェリクスと仲良くなってね。よく一緒に遊んでいたものだが……」

 遠い昔に想いを馳せるように、穏やかな表情の子爵はすっと目を細めた。

「そうだったんですか……」

 思い返せば湖畔で会った時、パリスイでの華麗な装いに比べて二人ともすっかり寛いだいで立ちで、この土地に慣れている様子だった。

 あれ以来、乗馬の稽古で湖の近くまで行くこともあったけれど、二人の姿を見かけることはなかった。

 貴族階級がこぞって旅に出る季節柄、ヴァカンスの最中に同じようにパリスイから避暑に来ている顔見知りに会うなどということはどこでも起こり得る。

 偶然の再会による驚きも、田舎で穏やかな日常を送るうちに次第に薄れていってしまうことだろう――。

 美鈴はてっきりそう思っていた。

 だから、偶然の再会から一週間程経った頃、思わぬ来客が屋敷を訪ねた時――心底驚いてしまったのだった。

 馬術の練習を終えて、庭に設えたテーブルで紅茶を楽しんでいたある午後。

 ジャネットに案内されて背の高い青年が彼女の後を優雅に歩いてきたとき、意外過ぎて一瞬誰かわからなかった。

「お久しぶりです、ミレイ嬢」

 そう言って人懐こい笑顔を浮かべたのは、ジュリアン・ド・ヴァンタール……栗色の髪が陽に透けて柔らかく輝いている。

「使いも遣らず、急な訪問……お許しください」

「いえ、そんなことは……どうぞ、座ってください。ジャネット、ジュリアン様にお茶を差し上げて」

 先日会った時よりも、ややかしこまった服装――濃緑の上衣を羽織ったジュリアンは「それでは、お言葉に甘えて」と言うと美鈴の向かいの椅子に腰かけた。

「……素敵なお屋敷ですね。こちらにはいつまでご滞在に?」

「あと、二週間ほどはこちらにいる予定です。ジュリアン様は?」

 当り障りのない会話をしながら、美鈴はジュリアンの訪問の理由について考えを巡らせてみたが、思い当たるような用件は全くない。

「紅茶、美味しい……綺麗な輪ができてる」

 紅茶を淹れてくれたジャネットを仰ぎ見て、ジュリアンがにっこりと笑う。どこからどう見ても育ちのよい貴族の好青年だ。

「僕たちは……フェリクスと僕も、しばらくはこちらに滞在する予定です」

 美鈴の質問に答えてから、ジュリアンは本題に入った。

「それで、週末の『花まつり』にぜひ、お誘いしたくて。直接おうかがいに来たというわけです」

「『花まつり』……?」

「ええ、この花……この辺りが名産なのですが」

 ジュリアンが美鈴の前に差し出したのは、この地方でよく見かける紫色のラベンダーの束を濃い紫のリボンで結んだ花束だった。

「来週、近くの村でこの花の収穫祭があるんです」

 緑の細い茎に、穂のような形に紫色のつぼみと薄紫の花をたくさんつけた可憐な花だ。

 この辺り一帯が、甘く爽やかな香りで香料にも利用されるこの花の産地であることは子爵から聞いて美鈴も知っていた。

「一緒に見物しに行きませんか? ……僕たちと」

 花束を渡しながらジュリアンは美鈴の瞳をじっと見つめてそう言った。

「貴女が来てくだされば……きっと彼――フェリクスも喜ぶと思います」

 囁くようにそう言ってから、ジュリアンは「では」と立ち上がった。

「お返事、楽しみにしていますね!」

 美鈴が断るとは思ってもいないらしい。

 午後のやわらかい日差しの中、爽やかな笑顔の余韻と花の香りを残して去っていくジュリアンの背中を美鈴はただ目を瞠って見送っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者の心の声が聞こえるようになったけど、私より妹の方がいいらしい

今川幸乃
恋愛
父の再婚で新しい母や妹が出来た公爵令嬢のエレナは継母オードリーや義妹マリーに苛められていた。 父もオードリーに情が移っており、家の中は敵ばかり。 そんなエレナが唯一気を許せるのは婚約相手のオリバーだけだった。 しかしある日、優しい婚約者だと思っていたオリバーの心の声が聞こえてしまう。 ”またエレナと話すのか、面倒だな。早くマリーと会いたいけど隠すの面倒くさいな” 失意のうちに街を駆けまわったエレナは街で少し不思議な青年と出会い、親しくなる。 実は彼はお忍びで街をうろうろしていた王子ルインであった。 オリバーはマリーと結ばれるため、エレナに婚約破棄を宣言する。 その後ルインと正式に結ばれたエレナとは裏腹に、オリバーとマリーは浮気やエレナへのいじめが露見し、貴族社会で孤立していくのであった。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

乱交的フラストレーション〜美少年の先輩はドMでした♡〜

花野りら
恋愛
上巻は、美少年サカ(高2)の夏休みから始まります。 プールで水着ギャルが、始めは嫌がるものの、最後はノリノリで犯されるシーンは必読♡ 下巻からは、美少女ゆうこ(高1)の話です。 ゆうこは先輩(サカ)とピュアな恋愛をしていました。 しかし、イケメン、フクさんの登場でじわじわと快楽に溺れ、いつしかメス堕ちしてしまいます。 ピュア系JKの本性は、実はどMの淫乱で、友達交えて4Pするシーンは大興奮♡ ラストのエピローグは、強面フクさん(二十歳の社会人)の話です。 ハッピーエンドなので心の奥にそっとしまいたくなります。 爽やかな夏から、しっとりした秋に移りゆくようなラブストーリー♡ ぜひ期待してお読みくださいませ! 読んだら感想をよろしくお願いしますね〜お待ちしてます!

あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。 国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。 カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。 王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。 失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。 公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。 逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。  心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

処理中です...