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06-1 森の中の出会い 1
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……いったい、どこまで続いているのかしら。
まるで濃緑のトンネルのような、どこまで続いているのか一目では見当もつかない長い並木道を歩きながら、美鈴は考えた。
美鈴が歩いている馬車も通れるほど幅の広い並木道は、ところどころ大きくカーブを描いていて先を見渡すことはとてもできそうにない。
この世界にやってきたばかりの美鈴の知るところでないのだが、この幅広な並木道はところどころでさらに幾本もの枝道に分かれている。
「恋人達の森」の名に相応しく、それらは密会する男女のための恋の小路でもあるのだった。
……メインストリートはこの一本道だもの、迷うことはない……わよね。
そう思いながらさらに奥へと進んでいくと、予想に反してメインの並木道自体も何か所か枝分かれしていることに美鈴は気づいた。
……落ち着いて、目印を覚えながら、歩けばいいわ。折を見て引き返せば、きっと大丈夫。
そう思いながら、さきほどより歩調を緩めて、美鈴は森の中を進んでいった。森の澄み切った空気を深呼吸すると、自然と気持ちが落ち着いてくる。
貴族やブルジョワ階級の住む住宅街にほど近いこともあって、並木道のあちらこちらで身なりのよい紳士淑女、親子連れなどが午後の散歩を楽しんでいる。
美鈴のような貴族令嬢の姿をちらほらと見かけることはあっても、先ほど出会った令嬢のような家族連れか、恋人や召使いらしき男性を伴っており、一人で歩いているのは美鈴くらいのものだった。
時折、チラリ、チラリと好奇心を含んだ視線を投げかけられながらも、美鈴は令嬢らしく優雅な足取りで森の奥へと進んでいった。
並木道の分岐点をいくつか通り過ぎ、森の奥に進むにつれ、だんだんと人影がまばらになってきた。
……そろそろ、引き返した方がいいのかも……。そう美鈴が感じたまさにその瞬間、少しハスキーな、それでいて意志の強そうな男の声が美鈴に投げかけられた。
「……ご令嬢、ハンカチを落とされましたよ」
振り返ると細かくウェーブした黒髪を肩までで切りそろえた、切れ上がった目じりの質素な黒いコートの若い男性が、美鈴に向かって美しい刺繍が施されたハンカチを差し出していた。
「いえ、それは、私のものでは……」
見覚えのないハンカチに美鈴が気を取られている隙に、男は二歩、三歩とゆっくり間合いを詰めてくる。
「そうでしたか……これは失礼」
ハンカチを懐にしまいながら、男は再び鋭い視線で美鈴を捉えた。
「私の勘違いで美しい令嬢の足を停めさせてしまいました……。どうか、ご無礼をお許しください……」
美鈴の真正面に立った男は、ゆっくりと跪き、やや強引に美鈴の手を取り、白い手の甲に口づけをした。
「それにしても、貴女のように美しい方が、こんな場所でお供も連れずに、なぜ、お一人なのです……?」
ほとんど黒に近い、濡れたような焦げ茶の瞳で美鈴の視線を捉えたまま、男はひそやかに問いかけた。
「……いえ、実は、人を待たせていて……失礼します」
美鈴は男の手を振りほどこうとしたが、細身の男にしては案外力が強く、美鈴の手を握ったまま離そうとしない。紳士的な言葉とは裏腹に、美鈴を解放する気はさらさらないらしい。
「離してください……! わたし、急いでいるので」
捉えられた手を必死に振りほどこうとする美鈴は男の表情をみてハッとした。
色白で顎の細い男の顔は、鋭い瞳と相まって一目にはある種の美男子といっても差支えないほどだったが、その瞳の昏さに背中を氷でなぞられるような悪寒が走る。
周囲に視線を走らせても、助けを求められそうな人物は見当たらない。
……助けを求められるような人影はない。ここは、わたし一人でなんとかしなきゃ!
心細さからか、思わずリオネルの顔を思い浮かべながら、美鈴がもう一度男の手を振りほどこうと精いっぱい腕を引いた瞬間、不意にすぐ傍の小路から別の男の影が現れた。
まるで濃緑のトンネルのような、どこまで続いているのか一目では見当もつかない長い並木道を歩きながら、美鈴は考えた。
美鈴が歩いている馬車も通れるほど幅の広い並木道は、ところどころ大きくカーブを描いていて先を見渡すことはとてもできそうにない。
この世界にやってきたばかりの美鈴の知るところでないのだが、この幅広な並木道はところどころでさらに幾本もの枝道に分かれている。
「恋人達の森」の名に相応しく、それらは密会する男女のための恋の小路でもあるのだった。
……メインストリートはこの一本道だもの、迷うことはない……わよね。
そう思いながらさらに奥へと進んでいくと、予想に反してメインの並木道自体も何か所か枝分かれしていることに美鈴は気づいた。
……落ち着いて、目印を覚えながら、歩けばいいわ。折を見て引き返せば、きっと大丈夫。
そう思いながら、さきほどより歩調を緩めて、美鈴は森の中を進んでいった。森の澄み切った空気を深呼吸すると、自然と気持ちが落ち着いてくる。
貴族やブルジョワ階級の住む住宅街にほど近いこともあって、並木道のあちらこちらで身なりのよい紳士淑女、親子連れなどが午後の散歩を楽しんでいる。
美鈴のような貴族令嬢の姿をちらほらと見かけることはあっても、先ほど出会った令嬢のような家族連れか、恋人や召使いらしき男性を伴っており、一人で歩いているのは美鈴くらいのものだった。
時折、チラリ、チラリと好奇心を含んだ視線を投げかけられながらも、美鈴は令嬢らしく優雅な足取りで森の奥へと進んでいった。
並木道の分岐点をいくつか通り過ぎ、森の奥に進むにつれ、だんだんと人影がまばらになってきた。
……そろそろ、引き返した方がいいのかも……。そう美鈴が感じたまさにその瞬間、少しハスキーな、それでいて意志の強そうな男の声が美鈴に投げかけられた。
「……ご令嬢、ハンカチを落とされましたよ」
振り返ると細かくウェーブした黒髪を肩までで切りそろえた、切れ上がった目じりの質素な黒いコートの若い男性が、美鈴に向かって美しい刺繍が施されたハンカチを差し出していた。
「いえ、それは、私のものでは……」
見覚えのないハンカチに美鈴が気を取られている隙に、男は二歩、三歩とゆっくり間合いを詰めてくる。
「そうでしたか……これは失礼」
ハンカチを懐にしまいながら、男は再び鋭い視線で美鈴を捉えた。
「私の勘違いで美しい令嬢の足を停めさせてしまいました……。どうか、ご無礼をお許しください……」
美鈴の真正面に立った男は、ゆっくりと跪き、やや強引に美鈴の手を取り、白い手の甲に口づけをした。
「それにしても、貴女のように美しい方が、こんな場所でお供も連れずに、なぜ、お一人なのです……?」
ほとんど黒に近い、濡れたような焦げ茶の瞳で美鈴の視線を捉えたまま、男はひそやかに問いかけた。
「……いえ、実は、人を待たせていて……失礼します」
美鈴は男の手を振りほどこうとしたが、細身の男にしては案外力が強く、美鈴の手を握ったまま離そうとしない。紳士的な言葉とは裏腹に、美鈴を解放する気はさらさらないらしい。
「離してください……! わたし、急いでいるので」
捉えられた手を必死に振りほどこうとする美鈴は男の表情をみてハッとした。
色白で顎の細い男の顔は、鋭い瞳と相まって一目にはある種の美男子といっても差支えないほどだったが、その瞳の昏さに背中を氷でなぞられるような悪寒が走る。
周囲に視線を走らせても、助けを求められそうな人物は見当たらない。
……助けを求められるような人影はない。ここは、わたし一人でなんとかしなきゃ!
心細さからか、思わずリオネルの顔を思い浮かべながら、美鈴がもう一度男の手を振りほどこうと精いっぱい腕を引いた瞬間、不意にすぐ傍の小路から別の男の影が現れた。
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