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05-1 ブールルージュの森へ
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まだ日差しが柔らかい、気持ちよく晴れた初夏の午後。
2頭立ての折り畳み幌を備えた四輪馬車の上、風が優しく美鈴の頬を撫ぜ、つばの広いレース飾りが可憐なラベンダー色の帽子のリボンをひらひらと揺らす。
こんな美しい日の午後に――美鈴はこともあろうにあの、嫌味なくらいにいつも自信満々の男――リオネルの隣で馬車に揺られていた。
二人が向かっているのはブールルージュの森。
フランツ王国の花の首都、パリスイの中心から距離にして4km程の位置にあるその美しい森は、別名「恋人達の森」と呼ばれている。
現国王であるアンリ5世の祖父の在位中に広大な面積の約八割がたが整備されたこの森には、愛の女神を祭る神殿、乗馬コースや人工池、大小様々な庭園、散歩用の小路が設けられている。
貴族たちの非公式の社交の場――というのは表向きの顔で出会いを求める男女の駆け引き、恋人同士の逢瀬のためにあるような場所だ。
……なんで、こんなことに……
男性と二人きりで遠出をする、などというシチュエーションを仕事以外で経験したことのない美鈴は、冷静を装うのが精いっぱいだった。
隣のリオネルの視線を避けるため、美鈴はわざと帽子を目深に被り、膝の上でギュッと両手を握りしめる。
「くッ、あああああ~」
突然の間の抜けた声に驚いて美鈴が隣席を見ると、リオネルが大きな口を開けてあくびをしている。
「……気持ちのいい日だな。本当に」
歌うような調子で朗らかにつぶやいたリオネルの横顔を、美鈴はついじっと見つめてしまった。
美術室によくある、神話の英雄を模した胸像のように秀でた額に高い鼻梁、短髪の巻き毛がそよ風に揺れ、心底リラックスした表情のリオネルの瞳は愉し気に細められている。
「ミレイ、君が俺をどんな風に思っているか、俺には大体想像がついてる」
両手を頭の後ろに組んで背もたれに身を預けた姿勢のまま、わざとだろうか、リオネルは美鈴の方を見ずにそう言った。
いつもは張りのある声でハキハキと話すリオネルの声が今日はなぜかゆったりと優しい。
「『綺麗な女なら見境なく声をかけて口説きまわる、軽薄で好色な男』……とでも思っているんだろう?」
低く落ち着いた声で、きわめて率直にリオネルは美鈴に「自分の印象」について問いかけると同時に、借りて来た猫のように大人しく隣に座っている彼女に視線を投げる。
それはまさしく美鈴がリオネルに対してルクリュ邸での初対面の時から感じていたことそのものだったので、美鈴は思わずコクリと頷いてしまった。
「ハハッ……! 正直だな」
いつもは取り澄ましている美鈴が、あどけない少女のように素直な反応をしたのがよほど可笑しかったのか、リオネルは愉快そうに笑い声を立てた。
「ま、俺にはそんな面が無きにしもあらず……とは言えるな。俺は、君のような美しい淑女が好きで、いつでもその力になりたいと思っているような男だからな」
冗談交じりにやや自嘲気味な自己評価を下した後、リオネルはふと真剣な瞳で美鈴を見つめた。
「ただ、……俺は、単純に君と親しくなりたい。君のことを知りたいと思っている。今回森に誘った理由はたったそれだけだ」
寛いだ姿勢のまま、視線を再び美鈴から外すと、目を閉じてリオネルは続けた。
「何せ、あの日一番最初に君を見つけたのは、俺だ。俺には君をもっとよく知る権利がある」
「……何だか取って付けた理由のように聞こえるわ、わたしには」
……わたしは、「早い者勝ち」のバーゲン品か何かか……心の中でため息をつきながら、美鈴は思わず口を挟んだ。
返ってきたのは皮肉だったが、美鈴が口を開いたことに安堵したのだろうか。リオネルが片目を開けて美鈴を見た。
「君には……そう「聞こえる」かもしれないが、少なくとも俺はそう「思って」いる……」
そう言うと同時にリオネルは美鈴に少年のような満面の笑顔を向けた。
「まあ、とにかく、そんなに緊張しなさんな。純粋に散歩を楽しもう」
陽光の下、リオネルの瞳が明るいグリーンに輝いている。
その瞳と裏表のない爽やかな笑顔が、頑なだった美鈴の心を揺さぶり、彼女はそれ以上何も言えなくなってしまった。
2頭立ての折り畳み幌を備えた四輪馬車の上、風が優しく美鈴の頬を撫ぜ、つばの広いレース飾りが可憐なラベンダー色の帽子のリボンをひらひらと揺らす。
こんな美しい日の午後に――美鈴はこともあろうにあの、嫌味なくらいにいつも自信満々の男――リオネルの隣で馬車に揺られていた。
二人が向かっているのはブールルージュの森。
フランツ王国の花の首都、パリスイの中心から距離にして4km程の位置にあるその美しい森は、別名「恋人達の森」と呼ばれている。
現国王であるアンリ5世の祖父の在位中に広大な面積の約八割がたが整備されたこの森には、愛の女神を祭る神殿、乗馬コースや人工池、大小様々な庭園、散歩用の小路が設けられている。
貴族たちの非公式の社交の場――というのは表向きの顔で出会いを求める男女の駆け引き、恋人同士の逢瀬のためにあるような場所だ。
……なんで、こんなことに……
男性と二人きりで遠出をする、などというシチュエーションを仕事以外で経験したことのない美鈴は、冷静を装うのが精いっぱいだった。
隣のリオネルの視線を避けるため、美鈴はわざと帽子を目深に被り、膝の上でギュッと両手を握りしめる。
「くッ、あああああ~」
突然の間の抜けた声に驚いて美鈴が隣席を見ると、リオネルが大きな口を開けてあくびをしている。
「……気持ちのいい日だな。本当に」
歌うような調子で朗らかにつぶやいたリオネルの横顔を、美鈴はついじっと見つめてしまった。
美術室によくある、神話の英雄を模した胸像のように秀でた額に高い鼻梁、短髪の巻き毛がそよ風に揺れ、心底リラックスした表情のリオネルの瞳は愉し気に細められている。
「ミレイ、君が俺をどんな風に思っているか、俺には大体想像がついてる」
両手を頭の後ろに組んで背もたれに身を預けた姿勢のまま、わざとだろうか、リオネルは美鈴の方を見ずにそう言った。
いつもは張りのある声でハキハキと話すリオネルの声が今日はなぜかゆったりと優しい。
「『綺麗な女なら見境なく声をかけて口説きまわる、軽薄で好色な男』……とでも思っているんだろう?」
低く落ち着いた声で、きわめて率直にリオネルは美鈴に「自分の印象」について問いかけると同時に、借りて来た猫のように大人しく隣に座っている彼女に視線を投げる。
それはまさしく美鈴がリオネルに対してルクリュ邸での初対面の時から感じていたことそのものだったので、美鈴は思わずコクリと頷いてしまった。
「ハハッ……! 正直だな」
いつもは取り澄ましている美鈴が、あどけない少女のように素直な反応をしたのがよほど可笑しかったのか、リオネルは愉快そうに笑い声を立てた。
「ま、俺にはそんな面が無きにしもあらず……とは言えるな。俺は、君のような美しい淑女が好きで、いつでもその力になりたいと思っているような男だからな」
冗談交じりにやや自嘲気味な自己評価を下した後、リオネルはふと真剣な瞳で美鈴を見つめた。
「ただ、……俺は、単純に君と親しくなりたい。君のことを知りたいと思っている。今回森に誘った理由はたったそれだけだ」
寛いだ姿勢のまま、視線を再び美鈴から外すと、目を閉じてリオネルは続けた。
「何せ、あの日一番最初に君を見つけたのは、俺だ。俺には君をもっとよく知る権利がある」
「……何だか取って付けた理由のように聞こえるわ、わたしには」
……わたしは、「早い者勝ち」のバーゲン品か何かか……心の中でため息をつきながら、美鈴は思わず口を挟んだ。
返ってきたのは皮肉だったが、美鈴が口を開いたことに安堵したのだろうか。リオネルが片目を開けて美鈴を見た。
「君には……そう「聞こえる」かもしれないが、少なくとも俺はそう「思って」いる……」
そう言うと同時にリオネルは美鈴に少年のような満面の笑顔を向けた。
「まあ、とにかく、そんなに緊張しなさんな。純粋に散歩を楽しもう」
陽光の下、リオネルの瞳が明るいグリーンに輝いている。
その瞳と裏表のない爽やかな笑顔が、頑なだった美鈴の心を揺さぶり、彼女はそれ以上何も言えなくなってしまった。
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