上 下
9 / 85

05-1 ブールルージュの森へ

しおりを挟む
 まだ日差しが柔らかい、気持ちよく晴れた初夏の午後。

 2頭立ての折り畳み幌を備えた四輪馬車の上、風が優しく美鈴の頬を撫ぜ、つばの広いレース飾りが可憐なラベンダー色の帽子のリボンをひらひらと揺らす。
 
 こんな美しい日の午後に――美鈴はこともあろうにあの、嫌味なくらいにいつも自信満々の男――リオネルの隣で馬車に揺られていた。

 二人が向かっているのはブールルージュの森。

 フランツ王国の花の首都、パリスイの中心から距離にして4km程の位置にあるその美しい森は、別名「恋人達の森」と呼ばれている。

 現国王であるアンリ5世の祖父の在位中に広大な面積の約八割がたが整備されたこの森には、愛の女神を祭る神殿、乗馬コースや人工池、大小様々な庭園、散歩用の小路が設けられている。
 
 貴族たちの非公式の社交の場――というのは表向きの顔で出会いを求める男女の駆け引き、恋人同士の逢瀬のためにあるような場所だ。

 ……なんで、こんなことに……

 男性と二人きりで遠出をする、などというシチュエーションを仕事以外で経験したことのない美鈴は、冷静を装うのが精いっぱいだった。

 隣のリオネルの視線を避けるため、美鈴はわざと帽子を目深に被り、膝の上でギュッと両手を握りしめる。

「くッ、あああああ~」

 突然の間の抜けた声に驚いて美鈴が隣席を見ると、リオネルが大きな口を開けてあくびをしている。

「……気持ちのいい日だな。本当に」

 歌うような調子で朗らかにつぶやいたリオネルの横顔を、美鈴はついじっと見つめてしまった。

 美術室によくある、神話の英雄を模した胸像のように秀でた額に高い鼻梁、短髪の巻き毛がそよ風に揺れ、心底リラックスした表情のリオネルの瞳は愉し気に細められている。

「ミレイ、君が俺をどんな風に思っているか、俺には大体想像がついてる」

 両手を頭の後ろに組んで背もたれに身を預けた姿勢のまま、わざとだろうか、リオネルは美鈴の方を見ずにそう言った。

 いつもは張りのある声でハキハキと話すリオネルの声が今日はなぜかゆったりと優しい。

「『綺麗な女なら見境なく声をかけて口説きまわる、軽薄で好色な男』……とでも思っているんだろう?」

 低く落ち着いた声で、きわめて率直にリオネルは美鈴に「自分の印象」について問いかけると同時に、借りて来た猫のように大人しく隣に座っている彼女に視線を投げる。

 それはまさしく美鈴がリオネルに対してルクリュ邸での初対面の時から感じていたことそのものだったので、美鈴は思わずコクリと頷いてしまった。

「ハハッ……! 正直だな」

 いつもは取り澄ましている美鈴が、あどけない少女のように素直な反応をしたのがよほど可笑しかったのか、リオネルは愉快そうに笑い声を立てた。

「ま、俺にはそんな面が無きにしもあらず……とは言えるな。俺は、君のような美しい淑女レディが好きで、いつでもその力になりたいと思っているような男だからな」

 冗談交じりにやや自嘲気味な自己評価を下した後、リオネルはふと真剣な瞳で美鈴を見つめた。

「ただ、……俺は、単純に君と親しくなりたい。君のことを知りたいと思っている。今回森に誘った理由はたったそれだけだ」

 寛いだ姿勢のまま、視線を再び美鈴から外すと、目を閉じてリオネルは続けた。

「何せ、あの日一番最初に君を見つけたのは、俺だ。俺には君をもっとよく知る権利がある」

「……何だか取って付けた理由のように聞こえるわ、わたしには」

 ……わたしは、「早い者勝ち」のバーゲン品か何かか……心の中でため息をつきながら、美鈴は思わず口を挟んだ。

 返ってきたのは皮肉だったが、美鈴が口を開いたことに安堵したのだろうか。リオネルが片目を開けて美鈴を見た。

「君には……そう「聞こえる」かもしれないが、少なくとも俺はそう「思って」いる……」

 そう言うと同時にリオネルは美鈴に少年のような満面の笑顔を向けた。

「まあ、とにかく、そんなに緊張しなさんな。純粋に散歩を楽しもう」

 陽光の下、リオネルの瞳が明るいグリーンに輝いている。

 その瞳と裏表のない爽やかな笑顔が、頑なだった美鈴の心を揺さぶり、彼女はそれ以上何も言えなくなってしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

婚約をなかったことにしてみたら…

宵闇 月
恋愛
忘れ物を取りに音楽室に行くと婚約者とその義妹が睦み合ってました。 この婚約をなかったことにしてみましょう。 ※ 更新はかなりゆっくりです。

私の部屋で兄と不倫相手の女が寝ていた。

ほったげな
恋愛
私が家に帰ってきたら、私の部屋のベッドで兄と不倫相手の女が寝ていた。私は不倫の証拠を見つけ、両親と兄嫁に話すと…?!

私は既にフラれましたので。

椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…? ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

一年で死ぬなら

朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。 理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。 そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。 そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。 一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

処理中です...