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04-1 舞踏会デビューまであと3日
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本格的な夏が到来する直前、このところパリスイでは穏やかな陽気が続いている。
爽やかな風が吹き抜けるルクリュ子爵邸の庭で、美鈴はぼんやりとバラを眺めていた。
鮮やかな色を誇るような紅バラ、黄バラはもちろん、清廉な白バラ、幾重にも花びらを重ねたオールドローズのようなピンク色、オレンジがかったグラデーションの複雑な色合いのミニバラ……
ルクリュ家のバラ園には、姿かたち様々のバラがまるで競い合うように、今を盛りと一斉に咲き誇っている。
多種多様なバラの中には、美鈴の舞踏会用ドレスにそっくりな色合いのバラもあった。
艶やかなオールドローズ色のその花の前で立ち止まり、美鈴は3日後にせまった舞踏会について思いを巡らせた。
この世界、フランツ王国 パリスイの貴族階級の令嬢は、舞踏会へのデビューによって社交界進出を果たすことになっている。
舞踏会の規模や趣向は主催者によって様々であり、美鈴の初参加となる舞踏会は、最高位の爵位を代々戴く家系に連なるやんごとなき身分の侯爵家夫人が主催する、大規模で華やかなものであるらしかった。
『運命の相手に出会うかもしれない』という淡い期待に胸をときめかせながら、世の貴族令嬢なら指折り数えて待つであろう舞踏会デビューまでの日々を、美鈴は不安な気持ちで送っていた。
「ミレイ……?」
ゆったりとした軽やかな足音と自分の名を呼ぶ優しい声に、美鈴は我に返った。
振り向くと、ルクリュ子爵夫人がバラ園と屋敷をつなぐ小路に立っている。
「あ……ロズリーヌ様、ごきげんよう」
ゆっくりと腰をおとして優雅に跪礼をする美鈴に、子爵夫人が微笑みかける。
今日は濃紺のデイドレスを着用している夫人の肌は白くきめ細かく、40代後半とは思えない美しさを保っている。
「少し、サロンでお話ししましょうよ。この間手に入れた「とっておき」のお茶を淹れてみたのよ」
屋敷の小サロンの出窓からは子爵邸のバラ園が一面に見渡せた。
テーブルにはルクリュ夫人の気に入りの、アールグレイに似た爽やかな香気を放つ紅茶と、フィナンシェやカヌレに似た一口サイズの可愛らしい焼き菓子が並んでいる。
ロイヤルブルーで縁どられたソーサーの上の、青バラが描かれた紅茶のカップをそっと取り上げ、美鈴はゆっくりと紅茶を味わった。ベルガモットのような柑橘系の爽やかな香りが鼻に抜ける。
「……この紅茶、とても美味しいです。爽やかな香りがして」
「本当ね。私も気に入ったわ。イグラントから取り寄せたものなのよ」
東京で働いていた頃から、美鈴は紅茶が好きだった。
資格試験の勉強の合間、専門店で選んだ気に入りの茶葉で自分で淹れたり、セミナーの帰りに美味しい紅茶を出す喫茶店に寄るのが、彼女の仕事以外の唯一の趣味だった。
一方、紅茶はこの世界……フランツ王国では、貴族階級にとってさえなかなか手に入らない高級品として扱われていた。
フランツ王国に先んじて、茶葉の産地である遥か遠い異国との海外交易を進めてきた近隣国のネダーラントや強力な海軍力と植民地をもつ島国のイグラントを通して手に入る貴重なものだった。
大きな窓からさんさんと光が降りそそぐ屋敷のサロンで香り高い紅茶をゆっくりと味わう午後のひと時……
ルクリュ子爵夫人ロズリーヌと過ごすそんな時間は、美鈴の孤独や不安を和らげ、心を落ち着かせてくれた。
貴族階級の夫人は社交に忙しい、というより、上流貴族同士の交流に参加することこそが彼女達の仕事といっても過言ではない。
爵位を持つ貴族の夫人の場合、夜の観劇、舞踏会や夜会への参加はもちろん、上流貴族が多く集まる公園での散策なども含めて、程度の差こそあれ、一日の大半が社交に関連したイベントに費やされる。
子爵夫人であるところのルクリュ夫人も貴族階級の他の夫人と同じく忙しい身の上ではあったけれど、娘のように可愛がっている美鈴を気にかけて、こうして午後の時間を割いてくれることもしばしばだった。
この世界の貴族社会の実情を知るにつれて、美鈴は益々夫人の心遣いをありがたく思うようになっていた。
爽やかな風が吹き抜けるルクリュ子爵邸の庭で、美鈴はぼんやりとバラを眺めていた。
鮮やかな色を誇るような紅バラ、黄バラはもちろん、清廉な白バラ、幾重にも花びらを重ねたオールドローズのようなピンク色、オレンジがかったグラデーションの複雑な色合いのミニバラ……
ルクリュ家のバラ園には、姿かたち様々のバラがまるで競い合うように、今を盛りと一斉に咲き誇っている。
多種多様なバラの中には、美鈴の舞踏会用ドレスにそっくりな色合いのバラもあった。
艶やかなオールドローズ色のその花の前で立ち止まり、美鈴は3日後にせまった舞踏会について思いを巡らせた。
この世界、フランツ王国 パリスイの貴族階級の令嬢は、舞踏会へのデビューによって社交界進出を果たすことになっている。
舞踏会の規模や趣向は主催者によって様々であり、美鈴の初参加となる舞踏会は、最高位の爵位を代々戴く家系に連なるやんごとなき身分の侯爵家夫人が主催する、大規模で華やかなものであるらしかった。
『運命の相手に出会うかもしれない』という淡い期待に胸をときめかせながら、世の貴族令嬢なら指折り数えて待つであろう舞踏会デビューまでの日々を、美鈴は不安な気持ちで送っていた。
「ミレイ……?」
ゆったりとした軽やかな足音と自分の名を呼ぶ優しい声に、美鈴は我に返った。
振り向くと、ルクリュ子爵夫人がバラ園と屋敷をつなぐ小路に立っている。
「あ……ロズリーヌ様、ごきげんよう」
ゆっくりと腰をおとして優雅に跪礼をする美鈴に、子爵夫人が微笑みかける。
今日は濃紺のデイドレスを着用している夫人の肌は白くきめ細かく、40代後半とは思えない美しさを保っている。
「少し、サロンでお話ししましょうよ。この間手に入れた「とっておき」のお茶を淹れてみたのよ」
屋敷の小サロンの出窓からは子爵邸のバラ園が一面に見渡せた。
テーブルにはルクリュ夫人の気に入りの、アールグレイに似た爽やかな香気を放つ紅茶と、フィナンシェやカヌレに似た一口サイズの可愛らしい焼き菓子が並んでいる。
ロイヤルブルーで縁どられたソーサーの上の、青バラが描かれた紅茶のカップをそっと取り上げ、美鈴はゆっくりと紅茶を味わった。ベルガモットのような柑橘系の爽やかな香りが鼻に抜ける。
「……この紅茶、とても美味しいです。爽やかな香りがして」
「本当ね。私も気に入ったわ。イグラントから取り寄せたものなのよ」
東京で働いていた頃から、美鈴は紅茶が好きだった。
資格試験の勉強の合間、専門店で選んだ気に入りの茶葉で自分で淹れたり、セミナーの帰りに美味しい紅茶を出す喫茶店に寄るのが、彼女の仕事以外の唯一の趣味だった。
一方、紅茶はこの世界……フランツ王国では、貴族階級にとってさえなかなか手に入らない高級品として扱われていた。
フランツ王国に先んじて、茶葉の産地である遥か遠い異国との海外交易を進めてきた近隣国のネダーラントや強力な海軍力と植民地をもつ島国のイグラントを通して手に入る貴重なものだった。
大きな窓からさんさんと光が降りそそぐ屋敷のサロンで香り高い紅茶をゆっくりと味わう午後のひと時……
ルクリュ子爵夫人ロズリーヌと過ごすそんな時間は、美鈴の孤独や不安を和らげ、心を落ち着かせてくれた。
貴族階級の夫人は社交に忙しい、というより、上流貴族同士の交流に参加することこそが彼女達の仕事といっても過言ではない。
爵位を持つ貴族の夫人の場合、夜の観劇、舞踏会や夜会への参加はもちろん、上流貴族が多く集まる公園での散策なども含めて、程度の差こそあれ、一日の大半が社交に関連したイベントに費やされる。
子爵夫人であるところのルクリュ夫人も貴族階級の他の夫人と同じく忙しい身の上ではあったけれど、娘のように可愛がっている美鈴を気にかけて、こうして午後の時間を割いてくれることもしばしばだった。
この世界の貴族社会の実情を知るにつれて、美鈴は益々夫人の心遣いをありがたく思うようになっていた。
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