上 下
5 / 85

02-2 今の私は「子爵令嬢」

しおりを挟む
「……どうぞ」

 儀礼的に、やや冷たい声で美鈴はノックに応じた。

 引き締まった長身をドアから優雅に滑り込ませて、リオネルは令嬢レディを前にうやうやしく礼をしてみせた。
 端正な顔にはどこか人をからかうような笑みがたたえられている。

 この世界で美鈴を最初に見つけた人間 ―― リオネル・ド・バイエは、ルクリュ子爵の弟の息子、つまり甥にあたる。

 リオネルは幼少時から、1歳年下の子爵家令嬢 ミレーヌの遊び相手として頻繁にルクリュ家に出入りしており、いつも陽気で快活な彼は子爵夫妻から実の子のように可愛がられていた。

 ミレーヌが14年前に亡くなった後も、甥として、子供のいない夫妻のよき話し相手として、リオネルと子爵家の交流は続いていた。

 美鈴が屋敷で暮らすようになってからも、リオネルは「ご機嫌伺い」などと言って何かにつけては美鈴の顔を見に来たし、夫妻もそれを歓迎していた。

 そんなリオネルが、美鈴が子爵家令嬢として初めて参加する舞踏会のエスコート役を買って出たのは、当然と言えば当然の成り行きだった。

   そればかりか、美鈴が今着用している舞踏会用の夜会服はアクセサリーや靴などの小物も含めて全てリオネルが見立てたものだ。

 種々の織物の輸入事業、紡績業への投資で利益を得ているバイエ子爵家のリオネルは、自らファッションアドバイザーのような活動をしている。

 上流貴族向けの洋服商との付き合いはもちろんブティックやファッション雑誌の編集社にまで顔を出しているらしい。

『本来美しいご婦人に隠されている「真の美」を発見し、さらに輝かせるために、私は微力を尽くしたいのです』
 ……と、本人は殊勝気に説明するのが常だったが、貴族の中には『単にご婦人の人気とりのために、貴族の子弟が道楽としてやっているのだ』と、ゆく先々で美女に囲まれているリオネルをやっかむ輩も少なからずいるらしい。

 片手に持ったシルクハットをひらひらと躍らせながら、リオネルは彼の選んだ舞踏会用ドレスを着た美鈴にわざと一歩ずつ、ゆっくりと歩み寄る。

 その間、彼の熱い視線は一瞬たりとも外されることなく、美鈴に注がれている。

 そもそも、リオネルに限らず男性から見詰められることに慣れていない彼女は、その視線に耐えられず気恥ずかしさから無意識に顔を伏せた。

 そんな美鈴の反応などお構いなしに、リオネルは怯むことなく悠々とすぐ傍まで近づいてくる。

   ついに、リオネルが美鈴の前で立ち止まった。

 大柄なリオネルは、身長163cmの美鈴から見れば、ゆうに頭一つ分は身長差がある。

 リオネルの物腰はあくまで紳士のそれだったけれど、世間一般の女性以上に男性慣れしていない美鈴は緊張していた。
 きわめて無遠慮に上から下までなめるような視線を這わせた後、美鈴にはわざとらしく感じられるほど大仰に、リオネルは感嘆の吐息を漏らした。

「想像以上の仕上がりだ、美しい……!」

 神妙な表情で賛辞を述べながら、リオネルはさらに一歩、美鈴との距離をつめる。

 海外映画スターと並んでもきっと見劣りしない、美丈夫のリオネルに至近距離で見つめられて、美鈴はさすがにたじろがずにはいられなかった。

 ただでさえ、これまで着たことのないような上半身を露出した装いに戸惑っているのに、初めて出会った時から自分に対して好色そうな視線を隠そうともしないリオネルに気圧けおされて、一歩、後ずさる。

 そんな美鈴の戸惑いを鋭く察知したリオネルは、ふっと柔和な笑みを浮かべ、美鈴に近づくと軽くその手をとった。
 そのまま、優しく手を引いて大きな姿見の前に彼女を連れていく。

「ミレイ……君の、白い肌を引き立てるオールドローズ、滑らかな肩と細いウエストラインを惜しげもなく出したデザイン…間違いなく、君は社交界の華になれる」

 リオネルの見立ては確かだった。

 上質のシルクのような光沢を放つ深いバラ色のドレスによって、色白の美鈴の肌は今までに見たことがないくらい輝いているように見えた。 

 デコルテが大きく開いたデザインに合わせたプラチナ色の首飾りも、華奢なチェーンを幾重にも重ね、ピジョン・レッドのような深みのある赤石を主とした宝石が散りばめられた、繊細で上品なデザインだった。

 こんな「自分」は知らない……

 美鈴は鏡の中の自分をただただ茫然ぼうぜんと眺めていた。

 露わな肩を両手で優しく抱いて、鏡の中ので視線を合わせたリオネルの目が笑い、形のよい唇が見せつけるようにゆっくりと美鈴の耳元に降りてきて囁いた。

「……君をエスコートするのが楽しみで仕方ない」

 舞踏会……それは華やかな、貴族令嬢の婚活の舞台。

 つい2か月前まで一生を仕事に捧げる決心をしていた美鈴には、想像もつかない女たちの戦場。

 この「世界」で貴族令嬢として生きていくためには、避けて通ることができないステップ……。

 鏡の中の自分をまじまじと見つめた後、美鈴は今日何度目になるかわからない深いため息をついた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 番外編は思いついたら追加していく予定です。 <レジーナ公式サイト番外編> 「番外編 相変わらずな日常」 レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。 十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。 そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり────── ※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。 ※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。

処理中です...