3 / 85
01-2 温かい手と無礼な男
しおりを挟む
再び美鈴が目を覚ますと、美鈴の前で涙ぐんでいた男女 ―― この家の主人であるクラシックな装いの紳士とその奥方が美鈴の枕元にやってきた。
二人が語るところによると、どうやら美鈴は紳士の屋敷の庭に突然現れたということだった。
芝草の上に横たわる美鈴を見つけたのは、リオネル……美鈴を抱き上げ、屋敷の客間に運んだ男だと夫妻は語った。
「リオネルに呼ばれて……貴女を初めて見た時、本当に驚きましたわ。まるであの娘が生き返ったのかと……」
かつて 二人には 「ミレーヌ」という愛娘がいたのだが、不幸な事故で14年前に亡くなったという。
美鈴は姿かたちだけでなく声までもが、その娘に生き写しだというのだ。
いくら娘に似ているとはいえ、赤の他人である自分を親切に介抱してくれた夫妻に、美鈴は深く頭を下げた。
「……すみません、ここに来るまでのことを覚えていなくて……。本当に、ご親切にありがとうございました」
階段を踏み外したのは、間違いなくあの駅だった……。
駅の構内ならいざしらず、なぜ、会ったこともない他人の庭に倒れていたのか……。
腑に落ちないことだらけだったが、見るからに善良そうな夫妻が嘘をついているとも思えなかった。
この親切な夫妻には、後日改めて訪問して心からお礼を述べたいと思う。でも、まずは一刻も早く帰社しなければならない。
窓の外の日はすでに傾いていており、西日が差す窓越しに空に高く響く鐘のような音が聞こえてきた。
教会……が近くにあるのだろうか……。
「……あの、ここは東京……ですよね。何区ですか……?」
美鈴の問いに、二人は目を見合わせた。
「トウキョウ……?」
「ええ、わたし、大手町の会社まで戻らないと……。最寄り駅はどこでしょうか?」
心臓がどきどきする。
だんだんハッキリしてきた頭で考えると、この屋敷で目覚めてからの出来事すべてに強烈な違和感を感じる。
夫妻の、現代日本ではありえないような古風な装い。
見るからに重厚で本格的な西洋建築とそれに相応しい高価そうな調度品。
東京は、今、真冬だというのに、春先のような暖かい空気と、庭に咲き乱れる花々。
「駅というとオルセル鉄道駅のことかな?随分遠くから来たようだね」
まったく聞きなれない単語に、胸の動悸がさらに高まったように感じられた。
「あの……おかしなことを聞くと思われるかもしれませんが……」
夫妻の顔を交互に見つめてから、美鈴は先ほどから何度も心の中で繰り返した質問を口にした。
「ここは、いったいどこ……なのでしょうか?」
「……あなた」
夫人の困惑した視線を受けて、軽く頷いた紳士は美鈴にゆっくりと言い聞かせるように説明した。
「ここは、フランツ王国の首都パリスイ。私はアラン・ド・ルクリュ子爵、これは妻のロズリーヌ」
「……きっと、随分遠いところから来られたのね。慣れない土地でお困りなのかしら」
確かに、自分が今朝までいた場所「東京」に比べたらここは全くの「異国」だった。
両手を胸の前で固く握りしめながら、美鈴は必死に事態を理解しようと努めた。
「おやおや!ようやく眠り姫がお目覚めになったようだな……」
軽口をたたきながら、リオネルがズカズカと部屋に入ってくる。
ベッドに半身を起こしている美鈴の真横までやってくると、彼はゆっくりと優雅な所作で片膝をついた。
差し出された手には美しいカットが施されたグラス。中には少量の琥珀色の液体……アルコールのようだった。
「お姫様は大変お疲れのようだ。ちょっとした「気付け薬」をお持ちしたのだが……」
リオネルはゆっくりと、美鈴の固く握りしめた手をほどいて、グラスを握らせた。
「さ、ゆっくりと…。召し上がれ」
頭が混乱してうまく働かない。
言われるままに、美鈴は渡されたその酒を一気に飲み干してしまった。
じわじわと度数の高いアルコールの熱さが喉を伝っていく感覚。
気付けどころか、強烈な酩酊感と眠気に襲われて、美鈴は再びベッドに倒れこんでしまった。
「まあ、なんてこと……!」
「リオネル、おふざけが過ぎるぞ!」
ルクリュ氏と夫人に責められ、リオネルはさすがに「ちょっと困った」というような表情でつややかな黒髪の巻き毛頭を撫でながらつぶやいた。
「うーん。このお姫様はだいぶ酒に弱そうだな……」
二人が語るところによると、どうやら美鈴は紳士の屋敷の庭に突然現れたということだった。
芝草の上に横たわる美鈴を見つけたのは、リオネル……美鈴を抱き上げ、屋敷の客間に運んだ男だと夫妻は語った。
「リオネルに呼ばれて……貴女を初めて見た時、本当に驚きましたわ。まるであの娘が生き返ったのかと……」
かつて 二人には 「ミレーヌ」という愛娘がいたのだが、不幸な事故で14年前に亡くなったという。
美鈴は姿かたちだけでなく声までもが、その娘に生き写しだというのだ。
いくら娘に似ているとはいえ、赤の他人である自分を親切に介抱してくれた夫妻に、美鈴は深く頭を下げた。
「……すみません、ここに来るまでのことを覚えていなくて……。本当に、ご親切にありがとうございました」
階段を踏み外したのは、間違いなくあの駅だった……。
駅の構内ならいざしらず、なぜ、会ったこともない他人の庭に倒れていたのか……。
腑に落ちないことだらけだったが、見るからに善良そうな夫妻が嘘をついているとも思えなかった。
この親切な夫妻には、後日改めて訪問して心からお礼を述べたいと思う。でも、まずは一刻も早く帰社しなければならない。
窓の外の日はすでに傾いていており、西日が差す窓越しに空に高く響く鐘のような音が聞こえてきた。
教会……が近くにあるのだろうか……。
「……あの、ここは東京……ですよね。何区ですか……?」
美鈴の問いに、二人は目を見合わせた。
「トウキョウ……?」
「ええ、わたし、大手町の会社まで戻らないと……。最寄り駅はどこでしょうか?」
心臓がどきどきする。
だんだんハッキリしてきた頭で考えると、この屋敷で目覚めてからの出来事すべてに強烈な違和感を感じる。
夫妻の、現代日本ではありえないような古風な装い。
見るからに重厚で本格的な西洋建築とそれに相応しい高価そうな調度品。
東京は、今、真冬だというのに、春先のような暖かい空気と、庭に咲き乱れる花々。
「駅というとオルセル鉄道駅のことかな?随分遠くから来たようだね」
まったく聞きなれない単語に、胸の動悸がさらに高まったように感じられた。
「あの……おかしなことを聞くと思われるかもしれませんが……」
夫妻の顔を交互に見つめてから、美鈴は先ほどから何度も心の中で繰り返した質問を口にした。
「ここは、いったいどこ……なのでしょうか?」
「……あなた」
夫人の困惑した視線を受けて、軽く頷いた紳士は美鈴にゆっくりと言い聞かせるように説明した。
「ここは、フランツ王国の首都パリスイ。私はアラン・ド・ルクリュ子爵、これは妻のロズリーヌ」
「……きっと、随分遠いところから来られたのね。慣れない土地でお困りなのかしら」
確かに、自分が今朝までいた場所「東京」に比べたらここは全くの「異国」だった。
両手を胸の前で固く握りしめながら、美鈴は必死に事態を理解しようと努めた。
「おやおや!ようやく眠り姫がお目覚めになったようだな……」
軽口をたたきながら、リオネルがズカズカと部屋に入ってくる。
ベッドに半身を起こしている美鈴の真横までやってくると、彼はゆっくりと優雅な所作で片膝をついた。
差し出された手には美しいカットが施されたグラス。中には少量の琥珀色の液体……アルコールのようだった。
「お姫様は大変お疲れのようだ。ちょっとした「気付け薬」をお持ちしたのだが……」
リオネルはゆっくりと、美鈴の固く握りしめた手をほどいて、グラスを握らせた。
「さ、ゆっくりと…。召し上がれ」
頭が混乱してうまく働かない。
言われるままに、美鈴は渡されたその酒を一気に飲み干してしまった。
じわじわと度数の高いアルコールの熱さが喉を伝っていく感覚。
気付けどころか、強烈な酩酊感と眠気に襲われて、美鈴は再びベッドに倒れこんでしまった。
「まあ、なんてこと……!」
「リオネル、おふざけが過ぎるぞ!」
ルクリュ氏と夫人に責められ、リオネルはさすがに「ちょっと困った」というような表情でつややかな黒髪の巻き毛頭を撫でながらつぶやいた。
「うーん。このお姫様はだいぶ酒に弱そうだな……」
1
お気に入りに追加
632
あなたにおすすめの小説
子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる
佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます
「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」
なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。
彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。
私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。
それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。
そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。
ただ。
婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。
切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。
彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。
「どうか、私と結婚してください」
「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」
私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。
彼のことはよく知っている。
彼もまた、私のことをよく知っている。
でも彼は『それ』が私だとは知らない。
まったくの別人に見えているはずなのだから。
なのに、何故私にプロポーズを?
しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。
どういうこと?
============
番外編は思いついたら追加していく予定です。
<レジーナ公式サイト番外編>
「番外編 相変わらずな日常」
レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。
いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。
※転載・複写はお断りいたします。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。
十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。
そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり──────
※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。
※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。
【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない
曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが──
「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」
戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。
そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……?
──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。
★小説家になろうさまでも公開中
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる