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第七章 勇者フォルス=ヴェル

第47話 私たちは弱い

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 怒声と悲鳴と剣戟けんげきに、血と臓腑の匂いが混ざり合う草原。
 フォルスは緊張を心の中に押しとどめ、相対する魔王軍五騎士の一人、ドキュノンと名乗った男を油断なく睨みつける。

 銀髪と碧眼と褐色の肌を持ち、黒のコートに赤色の戦士服に身を包む若き剣士。
 口調の荒い剣士は顔を捻じ曲げて、鋭い視線でフォルスの若菜色の瞳を突き刺す。

「勇者を目指す男だぁ? ナニモンかしらねぇが余計な邪魔しやがって……」
「クッ」

 彼から放たれる殺気にフォルスは息を飲んだ。
 剣を受け止めた両手に痺れが残る。目の前の戦士は魔王軍五騎士の一人――強敵。
 二人は無言のまま互いに隙を探り合う。
 大将軍ウォーグバダンと周囲の兵士たちは二人の若き剣士を包む剣気に当てられ、彼らもまた無言のまま見守る。

 
 すると、ドキュノンの背後に三つの影が下りる。
「突然飛び出して何をするかと思えば、直接ウォーグバダンを狙うなど……」
「で、失敗してんやんの。バーカバーカ」
「功を焦りすぎたな」


 この三つの影の名を、ウォーグバダンが言葉として表す。
「魔王軍五騎士。明哲のデガン。風葬のアース。山壊のブルブリン」

 魔王軍の知恵者・明哲のデガン――空色のローブに身を包み、長方形の眼鏡を掛けた男。
 魔王軍の死の担い手・風葬のアース――とても身軽で黄色の服を好んで着用する子猿のような男。
 魔王軍の護り手・山壊のブルブリン――縦にも横にも伸びた肉体を持つひげ面の大男。あおぐろい重装鎧が巨漢を一層際立たせる。

 魔王軍五騎士のうち、四人がフォルスの前に立った。
 その誰もが殺気を纏い、フォルスや兵士たちの心に痛みを覚えるような恐怖を味わわせる。
 

 そこへ、能天気なアスカの声が聞こえてきた。

「フォルスよ、そこは勇者フォルスだ、と名乗れば良いじゃろ! 勇者を目指す男じゃといまいち格好がつかんじゃろうに」
 
 戦場に不似合いな暢気のんきな少女の声に、ドキュノンを筆頭とした五騎士。大将軍ウォーグバダンに兵士たち。
 皆々の肌に痛みを覚えるほど高まっていた緊張感が、わずかに緩む。


 ウォーグバダンは長い桃色の髪を揺らす白いワンピース姿のアスカへ視線を送るが、瞳はすぐ後ろにいた見知った存在に固定されて、驚きの声を上げた。
「あ、あなたは、聖都グラヌスの聖女ラプユス様!?」

 名を呼ばれたラプユスは絢爛な刺繍が編み込まれた純白のローブを纏い、楕円上の形をした刃を先端に持つ錫杖を手にして、笑顔をって己の名を肯定した。


 大将軍の言葉とラプユスの笑顔に兵士たちはどよめき、次に気炎を上げた。
「聖女ラプユス様!? どうして、このような場所に?」
「戦いに挑む我らを祝福していただけるのでしょうか?」
「おい、みんな! ラプユス様がお越しになられたぞ!!」

 ラプユスの名と姿に、五騎士に怯えた兵士たちは恐怖を振り払う。
 だが、その五騎士であるドキュノンの言葉によって、ここにいる誰もが混乱という名のついを頭に振り下ろされることになる。


 彼はラプユスの後方を見つめ、言葉を零れ落とす。
「ま、まさか……魔王、シャーレ様?」
 
 ぞわりとした感触が周囲の兵士たちの肌を撫で皮膚の表面を粟立てる。
 彼らは一斉に名を告げられた少女を見た。

 長い真っ黒な髪に真っ黒なドレスを纏い漆黒の瞳を持つ少女は五騎士へ、仄暗ほのぐらく死へといざなう気配を言葉へ乗せる。


「私は人間族と獣人族に対して大規模戦闘は行うなと厳命していたはずよ、ドキュノン」

 名を肯定することも名を名乗ることもなくとも、誰もが彼女が魔王シャーレであることを認識した。
 彼女が放つ一音一音には命を突き刺す針がついており、彼女が草踏む足音には命を踏み潰す恐怖があった。
 兵士たちは怯えに体全身を震わせ、その震えは肺を伝わり喉奥から絶望という名の金切り声を上げようとした。
 だが、ラプユスが錫杖を掲げ、高らかに唱える。

「彼女はたしかに魔王シャーレ。ですが、敵ではありません!!」


 聖女ラプユスの宣言。
 魔王が敵ではないという言葉。
 これに兵士たちが心に抱いた恐怖は霧散するが、代わりに当惑が心を包む。彼らは口をパクパクとさせながら周囲の仲間たちを見回す以外できない。

 大将軍ウォーグバダンがラプユスヘ尋ねる。
「ラプユス様、仰っている意味を理解しかねますが」
「まぁ、たしかにそうでしょうね。諸事情あって、シャーレさんは現在魔王軍を纏めている巫女フィナクルと敵対しているんですよ」
「巫女フィナクルというと、レペアト教の聖女ですか。彼女が魔王軍を?」
「ええ。ともかく、シャーレさんは皆さんへ危害を及ぼすようなことはありませんから落ち着いてください。ですよね、シャーレさん?」」

 問われたシャーレは小さな息を吐く。
「はぁ、仮にも魔王の私が人間に危害を及ぼすことはないというのも妙な話だけど……今は裏切り者の粛清が先ね」

 そう答えを返し、魔王軍五騎士のうち四騎士の前に立ち、魔王として彼らに言葉を渡す。

 
「もう一度問う。人間族と獣人族に対して大規模戦闘は行うなと厳命していた。なぜ、めいを破った?」
「お、お、俺たちの今の王は巫女フィナクル様だ。そんなめいに従う理由なんてねぇ。そもそも、魔族ってのは力こそが正義だろ! 魔王のあんたがそんな甘っちょろい命令を出すから俺たちから裏切られたんだよ。あんたは強いが、王としては失格なんだよ!!」
「――――っ!?」

 ドキュノンの言葉にシャーレの眉が歪む。
 王として国家の繁栄を考え、彼らに理解を求めた。そして、不満はありながらも受け入れてくれていたと信じていた。
 だが、実際は違った。
 配下たちは次々と裏切り、親しいはずだった友人も、目をかけていた使用人までもがシャーレを討たんと罵詈雑言を交え、攻め立て、責め立てる。


 魔王シャーレとして築き上げてきた世界、知っていた世界はもろくも崩れ去った。
 全てが失われた世界……だがその先で、彼女は――

 フォルスと出会った。アスカと出会った。ラプユスと出会った。レムと出会った。ララと出会った。
 彼女は旅を通じて出会った人々のおかげで世界が広がった。
 だからこそ、あれほど孤独を恐れ、寂しさに嘆いてた心に痛みなどない!

 シャーレは歪めた眉を戻し、魔王軍の現状を語る。
「私がそう命じたことには意味があった」
「意味? 力を信奉する魔族から力を奪った意味だと!? そんなものに何の意味があるってんだ! 魔王しゃ、いや、臆病者のシャーレ!」
「簡単なことよ。それは私たち魔族が、人間や獣人よりも弱いから」
「……は?」


 シャーレの言葉にドキュノンのみならず、他の五騎士に大将軍、兵士たちも声を発することを忘れる。
 魔族とは力の象徴。
 人や獣人よりも肉体は強靭で魔力もまた遥かに上。

 そんな魔族が弱いとシャーレは語る。
「たしかに、一般的な兵士だけを比べると私たちが上回っている。だが、飛び抜けた力となると、遠く及ばない」
「シャーレさ――じゃねぇ! シャーレ! てめぇは何を言ってんだ?」


 シャーレは大将軍ウォーグバダンをちらりと見て、一瞬戸惑った。
 それはこれから話すことが敵対している人間族に利することになるからだ。
 そう、それが理由でかつてラプユスに問われた言葉を飲み込んだ。

――――
『そういえば、シャーレさんが魔王に即位してからというもの、大きな戦争が起きてませんが何か理由があるのですか?』
『……なぜ、そんなことを聞きたいの?』
『私たち人間族や獣人族の間では、魔族側が大規模戦争の準備をしているという噂がありまして。だから今は、小規模な戦闘しか起こしていないと囁かれていて、かなり警戒していましたから。そうなのかなぁ、と?』
『さぁね』
――――

 ……だが、ここに至っては隠しても仕方がないと考える。
 それに何より――シャーレはフォルスとアスカの姿を漆黒の瞳へ納める。

 アスカの来訪とフォルスの才能。そして二人との出会いで、この世界に大きな変革が起きようとしていることを王であるシャーレは感じ取っていた。

 だから、迷いを捨てて答える。

「セルロス王国が抱える勇者の七人。彼らは賢く、強い。だけど、彼らに対抗できる者は私と五騎士のルフォライグしかいない。あなたたちでは、力も知恵も不足なの」
「んだとっ!?」

今日こんにち、人間族はかつてないほどの力を有している。人材は私たちとは比べ物にならないほど豊富。彼らは黄金の時代を迎えようとしている。対して私たちは、人材は乏しく、斜陽の時を迎えようとしている」
「なっ――?」


 シャーレから告げられた真実に四騎士は言葉を失った。
 失われた言葉の代わりにシャーレは語りを続ける。

「だから常に私とルフォライグが矢面に立ち、彼らと対抗していた。こちらの戦力不足が見破られぬように。それでいて、私たちだけで十分と見せかけるために……このような事実をあなたたちに告げられない。告げたとしても、受け入れることはできないでしょう?」

「あたりめぇだよ! そんなバカな話が――」

「馬鹿な話であればよかった。だけど、現実は……本来ならば、こちらの人材が整うまで人間族と休戦協定を持ちたいと考えていた。しかし、長年敵対し続けてきた魔族と人間の関係ではそれは不可能。だから、大規模戦闘だけは避けるように厳命していた」


 シャーレは王として、魔族の繁栄を第一としていた。
 現状では敗北必死。
 それを敵にも同胞も悟られぬよう振舞い続けてきた。
 しかし、魔族は力の信奉者。敵との戦いを避けろと言われても守り切れるはずがない。
 故に、大規模戦闘を避けることだけを命じて、小規模戦闘には目を瞑っていた。
 そこへ勇者が現れれば、彼女かルフォライグが対応していた。

 今は牽制にとどめ、その間に国土を豊かにし、人材を育て、きたるべき大戦争に備えていたのだ。
 この政策は功を奏し、魔族は歴史上、類を見ないほど豊かになった。
 豊かな魔族を目にした人間族と獣人族はより一層の警戒を生むことになり、ますます大規模戦闘が起こりにくい環境を産み出すことに成功した。

 豊かな国家。生活。民は喜び、シャーレは彼らの笑顔を見て安心していた。
 だが、敵を滅さんとする欲望は不満という名のおりとして心によどみ積もる。


 シャーレはこれに気づかず、魔王としての全てを失った……。
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