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第二章 愛に殉ずる聖女

第14話 愛です!!

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――時計塔の屋根


 町の目抜き通りから、路地から、片隅から、俺の名を称える声が届く。
 何百、何千、何万という人々が俺のことを勇者と呼び、感謝を込めた祈りを捧げる。
 幾重にも重なった声が全身を突き抜けて、心と体を激情に包む。
 高まる血流と興奮で手足は痺れを覚え、思うように動かない。
 俺は、これほどの数の瞳と声の前に立ったことがない。
 
 そう、血流と興奮と痺れの正体は緊張。
 それでも俺は彼らの声に応えようと、小さく手を上げた。
 その動作は地上にいる人々から見れば影の揺らぎ程度にしか見えないはずだろう。
 しかし、そうであっても、俺の思いは彼らに伝わり、さらに声は昂ぶり、俺の名を激しく呼ぶ。

 激しさは一層の緊張をって俺の体を縛りつけようとしたが……みんなの感謝の思いが心に伝わり、緊張の鎖はゆるぶ。
 痺れは薄れ、足先を前へ向けた。
 そこで気づく。


「……ここから、どうやって降りればいいんだろう?」
「町を救った勇者ともあろう者が締まらん話じゃのう」

 背後から届いた老人言葉の少女の声――もちろん、アスカだ!

「アスカ、来てくれたのか?」
「剣の力を振るわぬおぬしでは、こんな高い場所からひょいひょい降りられんだろうからの」
「そうなんだよ。これならこんなところに降りるんじゃなくて地面に降りればよかった……」
「クククク、抜けておるの……して、針は如何ほど進んだ?」

 笑い声を漏らしたアスカはすぐにそれを静め、まっすぐと射抜くような視線を見せた。
 剣の時計飾りの部分を見せて、それに答える。
「短針が一を差した」
「一時間分か。十二分の一の可能性を失ってしまったか。いや、あれほどの化け物を相手にして思ったより進んでおらぬ、と喜ぶべきか」
「喜べないって。でも――」


 俺は一度、町へ顔を振って、戻す。
「あんなにたくさんの人たちを救えたんだから、いいかな」
「なるほど、おぬしは自分のためではなく、他者のために己を犠牲にするタイプというわけか」
「誰かのために頑張るなんて勇者を目指してるんだから当然だろう」
「長生きするタイプじゃないのぅ」
「うるせぇよ」
「いや、うるさくはない。現実的な話じゃ」

 アスカはまたもや射抜くような視線を見せた。その視線には、申し訳なさと悲しみが混じっている。
「その剣を貸し与えたワシが言うことではないかもしれんが、ワシはおぬしを廃人にしたいとは思っておらん。その剣を使用し、強大な力を行使することでおぬしからさっさと力を貰いたいだけじゃからな」

「地道じゃダメなのかよ」
「おぬしの成長を待っておったらいつまで経っても力が蓄えられんからな」
「悪かったな、弱くて。だけど、今回の戦いで結構な力が渡ったんじゃ?」


 この問いかけに、アスカは顔を歪める。
「それがの、やはりこの世界の力の性質はワシと合わなくての。おぬしを媒介にしても吸収が思うようにいかんかった」
「それじゃあ……」
「ああ、大して力を蓄えられんかった。というわけでな、もうちくとばかり、ワシはフォルスに近づこうと思う」
「はい?」

「それによって、おぬしにも恩恵があるしな。その前にシャーレの隙をつかねばならぬのだが……それについては追々考えるとしよう。それよりもここから降りるのが先じゃ。フォルスよ、シャーレがいる方向を向け」
「え? ああ」


 促され、体の向きを変える。地上には、こちらを見上げているシャーレの姿。
 背後にいるアスカは俺の背中にちっちゃな手を当てる。
「え、なにする気? ここから降りるんだろ?」
「ああ、降ろしてやるぞ。今からおぬしをぶっ飛ばして地上へ直行じゃ」
「はっ!?」

「安心しろ。下でシャーレがスタンバっとる。あやつなら魔法でうまい具合におぬしを着地させることができるじゃろ」
「いや、あのさ――」
「いくぞ、悲鳴なんぞ上げるな。口はしっかり閉じておれ。ほいっと」
「ちょ、ま――っ!?!?!?!?!?」


 突如、背後から強風が吹き、俺は時計塔の屋根から空中に飛び出した。
 風圧によって唇はぶるぶる震え、瞼なんて開けていられない勢いで地上へ落ちていく。
 悲鳴を上げるなと言われたが、そもそも風圧で息がつまり、声なんて出せない。

「――――っ!!」

 ぐんぐんと地上が近づいてくる。このままじゃ地面に激突して――死ぬ!?
 俺は何とか風圧にあらがい、生存をかけて時滅剣クロールンナストハのつかに手を置こうとした。
 するとそこに、一陣の風が舞う。

 風は落下速度を緩め、俺を包み、こちらの意思とは無関係に体を操る。
 風に操られ、空中で俺はひらりと回転し、見事足から着地した。
 この姿をはたから見ていた人たちは、華麗なる着地に見えただろう。

 それとは裏腹に、俺は冷や汗と脂汗で全身がぐっしょり。
 無理やり震える瞳を動かして、地面を目にする。
 瞳の焦点が地面と合ったところで、安堵感が心と体を包み、そいつが悲鳴のような声を喉奥から押し出そうとした。


 しかし、その声は押し出されることはなく、シャーレが俺の胸へダイブして悲鳴を詰まらせる。
「フォルス!」
「ひぃ、ごほっ!? がはがはっ、な、なに!?」

 彼女は俺の胸の中に収まり、こちらを見上げて、強く抱きしめてくる。
 そして、大声でとんでもない宣言をした。

「さすがは私の心を射止めた人! 恋人としてあなたを誇りに思う!」
「……はい?」

 急な出来事にはてなマークたちが脳みそを押し退けてぎゅうぎゅうに詰まる。
 混乱に言葉を失う俺を置いて、町の人たちは口々に囁き始めた。

「彼女が勇者フォルスの恋人なのか?」
「そうみたいだな」
「さすがは勇者。可愛い子を恋人にしてんな。素直に羨ましいぜ」

 シャーレの言葉を鵜呑みした皆さん。
 俺はシャーレに視線を降ろして、こう思った。

(やられた!)

 公衆の面前で恋人宣言。
 しかも、危機を乗り越えた後というシチュエーション。
 これではナグライダ退治の話と合わさり、公然の事実として広まってしまう!
 
 だけど、こんな状況でシャーレは恋人ではないと言い返せば、おそらく周囲の人々の反感を買うし、シャーレも黒い風のやいばを産み出し荒れ狂うはず。
 なんとか誰からも反感を覚えられることなく、彼女とはそういった関係ではないと伝えないと。
 俺は脳みそからはてなマークを追い出して脳を高速回転させる。


 しかし――


「あのさ、たしか彼女って、魔王だとか言われてなかった? ラプユス様がそう仰ってたし」
「ええ、そうなの? それじゃ、魔王が勇者の恋人なんだ!?」
「敵同士なのに惹かれ合う二人。うわ~、物語~」


 違う! そんな物語なんてない!!
(いかんぞ、マジで公認カップルみたいになる。たしかにシャーレのことは可愛いと思ってるし、そこに好意も存在するが、それは恋人のそれとは違う! 俺の脳みそよ! この危機を乗り越える知恵をくれ!!)

 答えがあるとすれば――無難。
 シャーレとはまだそういった関係ではないが、旅仲間として大切に思ってるよ。的な感じでこの場を濁す!
 よし、これで行こう。としたところで、最悪の一言が割り込んできやがった。


「愛です!!」


 ざわつく民衆の中に透き通るような声が響いた。
 声の主は――聖女ラプユス!

 ラプユスは舞台の演者のように大げさに手を振るい、愛を語る。
「巨なる悪魔であるナグライダをほうむりし、勇者フォルス。彼を慕う、一人の少女。その正体は魔王。ですが、魔王であっても彼を慕う心は止められない! だからこそ、魔王シャーレ! あなたは勇者フォルスと共に歩む覚悟を決めたのですね!!」
「えっと……うん!」

 はにかみながらも、はっきりとした返事をするシャーレ。
 俺はあまりの出来事に声を産めず、口だけを激しくパクパクと動かす。
 無音の口はこう訴えていた。

<覚悟も何も、最初、俺のこと殺そうとしたよね!! あの時覚悟したのは俺だよ!!>

 しかし、無音なので誰にも届かない。
 ラプユスの幻影の愛の語りはさらに続く。
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