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第15話 四歳の記憶

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――――四歳・秋


 アスティを屋内の柱の前に立たせ、頭のてっぺんに定規を置いて柱に印をつける。
「1mジャスト。育ったなぁ」
 初めてアスティを抱いたときは首もすわらず、両手にすっぽり埋まってしまうほど小さかった。

 だけど今は、元気に走り回り、でんぐり返しや片足で立つこともできる。
 器用にハサミを使って切り抜くこともできる。歯磨きやうがいに体を洗うといったこともできるようになった。

(ふふ、おしめを替えていたころが懐かしい。今ではちゃんと一人でできるようになったしな)


 あっという間に過ぎ去っていく大切な時間。
 アスティにとっては多くを学ぶ大切な時間。


 アスティは身長を計り終えるとすぐに、母親と一緒に遊びに来ていたアデルとフローラの元へ向かい、おもちゃ箱からおもちゃを取り出し始めた。
 だが、その出し方があまりにも雑で、がちゃんがちゃんとした音が家に響く。あれではおもちゃが壊れてしまう。

「アスティ、おもちゃは大切に扱いなさい」
「…………」
「アスティ?」
「もう、わかってる! いまちゃんとしようとしたのに!!」


 そう叫んで、おもちゃをわざと乱雑に扱った。
 これはいわゆる反抗期というやつで、子守のばーさん曰く誰でも通るもののようだ。たぶん、俺も同じ年のころはこうだったのかもしれない。覚えてはいないが。
 しかしだ、反抗期による行動とはいえ、黙って放っておくわけにはいかない。

「アスティ、おもちゃがかわいそうだろ。だから、優しく扱ってあげなさい」
「も~お~、ちゃんとするといったのにぃぃぃ!!」
 アスティはへそを曲げてしまい、床に寝転がり手足をバタバタと振るい転げ回る。

 これに俺は声を荒げようとしてしまう。
「アスティ! いい加減に――」

 その途中で、カシアとローレが止めに入った。
「どーどー、落ち着いて。怒鳴っちゃだめよ」
「そうそう、ここは私に任せておいて」

 ローレが泣きじゃくりながら床でバタ狂うアスティに近づき座り込む。
「アスティちゃん、わがままはダメよ~」
「でもぉぉぉ、ちゃんとするといったのに、おとうさんがぁ~」
「そうね、それならちゃんとしないと。ほら、おもちゃを拾ってあげて。優しくね」
「グス、グス……うん」


 アスティはローレの言うことをよく聞き、素直に従う。
 その様子に俺は小さなため息を漏らした。
「なんで親の言うことは聞かないのに、他人ひとの言うことは聞くんだ……」

 すると、この言葉にカシアが返してくる。
「そんなもんだよ、子どもって。アデルもフローラも親の言うことは聞きゃしないのに、他人の言うことはしっかり聞くからね。ヤーロゥ、あんたも子どものころにそんな経験なかった?」
「…………言われてみれば、親には反抗する癖に、近所のじーさんの言うことは素直に聞いていた覚えが。なんでだろうな」

「さぁね。私も新米ママさんだから確かなことは言えないけど、こういうのって信頼関係の差かもしれないよ」
「信頼関係の?」
「親は怖くないけど、親以外は怖いんだよ。だから、親には反抗するけど、親以外には反抗できない」
「そんなもんか?」

「親は怒っても自分に危害を加えないことを知っている。だけど、親以外の人は何をしてくるかわからない。だから従う。もちろん親によりけりだろうけど、そんなところじゃないかなと私は思ってる」
「そうだとしたら、反抗するのは親への信頼の裏返し表現みたいなものか?」
「ふふ、そう思うと楽になるでしょ? そうじゃないと、つい、なんで私言うことは聞かないのに、ってのが心の片隅に生まれちゃうからね」
「なるほどな」


 これはカシア流自制心の保ち方なのだろう。
 ここは彼女に学び、反抗期は信頼の裏返し表現と受け取るとしよう。

「ふふ、アスティが反抗すれば反抗するほど、俺のことを信頼してくれるわけか。だけど、間違った行いを無視するわけにはいかない。その諭し方がなかなか難しいな」
「クスッ、なに言ってるの? ここには子育て仲間がいるじゃない。あんたがアスティに正しいことを伝えにくいときは私たちを頼りなさい。その逆に、こっちがあんたを頼ることもあるからね」
「そうだな、頼むよ」


 俺は軽く微笑み、カシアに瞳を振って、次にアスティを宥めつつも注意を行うローレの姿を見た。
(仲間、か……)

 勇者としてあった時代、このように対等に接することのできる仲間はいなかった。
 自賛ではないが、俺に並び立てるほどの存在はなく、俺は一人孤独だった。
 先頭に立ち、剣を振るい続け、多くの道しるべとなる。

 その裏では政治家共との戦いに明け暮れて、ただひたすらに心を擦り減らす毎日。
 政治面においては宰相アルダダスが多少なりとも便宜を図ってくれたが、それでも孤独であった。
 
 だが、いまは、共通の悩みを抱え、相談し合える仲間がいる。
(ふふ、仲間がいるというのは実に心強いな)



 俺は瞳にアスティとアデルとフローラの三人を映す。
(あの子たち三人が強い絆で結ばれ、互いに助け合える仲間として育ってくれると嬉しい。俺がガキだったころは、近い年齢のやつは妹くらいだったからな。同じ年の友達がいるというのは羨ましいよ)

 そう思い、目を細める。
 その瞳に、ローレと話していたアスティが映り、こちらへ歩いてきた。
 涙を流してちょっと腫れぼったい瞳で俺を見上げてくる。
「おとうさん…………ごめんなさい」
「え?」
 
 俺はちらりとローレを見た。
 彼女は軽く手を振り返す。
(まさか、注意だけじゃなくて、こんなことまで……)

 実に頼もしい仲間だと思い、頬がかすかに上がる。
 俺は恐る恐るこちらを見上げているアスティの頭をなでる。
「うん、わかった。もう、お父さんも怒ったりしないからな」
「ひぐ、お、おとうさ~ん、ごめんなさぁいぃいい!」

 アスティは俺の腰元に抱き着き、大声で泣き始めた。
 それを見ていたアデルとフローラもどういうわけか泣き始める。
 その様子を見たカシアが困り顔を見せつつも微笑む。
「あちゃ~、涙が伝染しちゃったか」
「悪い」
「いやいや、いいよ」
「ほんと、面倒を掛ける。しかし、先ほどアスティが泣いていた時は伝染しなかったのに、なんでこの涙は伝染したんだろうな」
「子どもでも涙の意味の違いが分かるんだろ。ほら、アデル、おいで」
 

 涙を流しながら駆け寄ってきたアデルをカシアは抱きしめた。
 ローレの方はすでにフローラを強く抱きしめてあやしている最中だ。

 カシアはアデルの頭を優しくなでながらこう言葉を続ける。
「わがままの涙と、誰かを思う涙は違う。この子たちはアスティがあんたを思う涙に触発されたんだろうね。だから、アデルもフローラも親の温かさや優しさを欲しくなった。寂しくなって涙を生んだ」

 そう言葉を閉じて、ひたすらアデルの頭をなで続けるカシアの姿を見て、俺は思う。
(彼女には、いや、彼女たちには敵わないな。子を持つ親として、もっとよく勉強をさせてもらわないと)

 その決意を胸に刻み、アスティの頭をなでるが……そのアスティはカシアとローレの二人を交互にきょろきょろと見ていて様子がおかしい。
 母が我が子を抱きしめる姿を、アスティは眉間にしわ寄せて見つめ、少し悲し気な表情を見せたかと思うと、次にはまん丸な黄金の瞳に無垢な感情を乗せて、こう尋ねてきた。


「ねぇ、おとうさん。なんで、わたしにはおかあさんがいないの?」


 アスティをなでていた手が止まる。
 心臓の音が跳ね上がり、指先が硬直する。
 いつか、尋ねられるだろうと思っていた。
 いつか、疑問を抱くだろうと思っていた。

 だが、まさか、こうまでなんでもない日常の中で尋ねられようとは……。
 いつか尋ねられるであろう、問い。
 来ることが分かっていた、問い。
 覚悟は決めていた。だから、答えは用意してある。
 それでも、これは半端な答えと――――嘘。


「アスティのおかあさんはアスティが赤ちゃんだったころに……死んでしまったんだ」

 真実はわからない。
 この子は魔王ガルボクの娘。魔王ガルボグの命は奪われたが、母親は生きているかもしれない。
 だが、幼いこの子にまだ渡せる話ではない。
 だから、代わりに渡したものは、半端な答えと嘘。

 アスティはきょとんとした表情を見せる。
「しんじゃった? し? う~ん、いないの?」

 まだ、死という概念を理解できないようで頭を捻っている。
 俺は膝をつき、アスティと頭が重なる様に強く抱きしめる!

「アスティ! お母さんはいない! でも、お父さんがいる! ずっといてやる! だから、許してくれ!!」

 情けなくとも漏れ出た贖罪の言葉。
 その贖罪は何を示し、誰に向けたものなのか?

 嘘・魔王ガルボク・アスティ・偽りの父。

 わからない。わからないが、無垢な存在を前に自分の情けなさを隠しきれず、涙を流してしまった。
 俺はアスティを強く抱きしめたまま、ずっといてやる、ずっといてやると繰り返す。
 
 アスティは初めて見る俺の涙に驚いた様子を見せて、体が固まった。
 だけどすぐに、硬直した体を緩めて、俺の頭に小さな手を置く。
 そして、優しくなで始めた。
「おとうさん、いたいの? こわいの?」
「……わからない」
「そう。だったら、わたしがずっとそばにいてあげる。あげるから、いたいもこわいもへっちゃらだよ」
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