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第12話 一歳の記憶

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――一歳・春


「アスティ、お父さんだぞ~」
「きゃっきゃ」

 アスティを抱き上げて名前を呼んであげる。
 もう、完璧に自分の名前を理解しているようで、たとえ遊んでいる最中であっても名前を呼ばれれば手を止めてこちらを振り向き、笑顔を見せてくれる。


 また、自分で歩けるようになったため、以前よりもずっと行動範囲が大きくなり、あちらこちらと動き回っていろいろなものに触れ回る。
 おもちゃを口に運ぼうとしたり、小石を拾って口に運ぼうとしたりと……。

 他にも洗ったばかりの服や下着を籠から取り出してポイポイと投げ捨てたり、テーブルの上にある物を倒して落としてしまいそうになったりと。
 少しでも目を離すと何をするかわからないので気が気ではない。

 アスティが危険なことをするたびにこれはダメだよ~と優しく諭す。
 注意は理解しているらしく、いったんはやめてくれるがまた同じことをし始める。
 時には注意されたことにご立腹で癇癪を見せたり、泣き始めたりすることもあった。

 成長するにつれて様々な表情や振る舞いを見せてくれるのはうれしいが、その分神経がすり減っていく。
 仕事に出かけている間は子守のばーさんに任せっきりだが、大変じゃないだろうか?
 そのことについて尋ねると……。

「慣れ」

 の一言……さすがは六人も子どもを生んでいるおばば様。貫禄が違う。
 おばば様曰く、意識を赤ん坊に置いて、他の作業をすればいいだけだよと。

 あくまでも意識の中心は赤ん坊に置き、作業に集中しないことが秘訣らしいが……かなり高度な技のような。


 ここで、勇者時代の経験を引っ張り出す。
(戦場でも目の前の敵に意識を集めつつ、全体を見通してたな。あんな感じか? となると、ばーさんは一流の戦士のように場を俯瞰して見る才を会得しているというわけか。凄いな)

 感心しきりの俺にばーさんは、難しいなら自分と子どもをひもで繋げておきなさいとアドバイスしてくれた。
 なるほど、たしかにそれならば一定以上離れることなく、いつでも目の届く場所にアスティを置いておくことができる。


 こうやって、子守のばーさんやカシアやローレといった人たちに支えられてアスティを大切に育てていく。

 そしてあくる日の夕方、狩りから帰ってきた俺をばーさんとアスティが出迎えてくれた。
 アスティがテトテトと歩いてきて、俺の足にしがみつく。
 そして、丸っこく愛らしい顔を上に向けて、くりくりな黄金のお目目で俺を見つめると――

「おーたん、おーたん」
「――っ!?」
「おーたん、おーたん」
「ま、まさか!? お父さんと呼んでいるのか!」
「おーたん、おーたん」

 俺はアスティを抱え上げて、優しく抱きしめる。
「そうだぞ、俺がお父さんだ! アスティ」
「おーたん、おーたん。きゃっきゃ」



――――酒場

「ってことが昨日あってな!!」


 ここは村に一つしかない酒場。
 横長のカウンター席があり、丸テーブルが乱雑に並ぶ。
 いつもなら仕事からまっすぐ帰るところだが、子守のばーさんから息抜きも必要だから今日は友人と少し時間を持てというアドバイスを貰い、酒場に立ち寄った。

 俺は丸テーブルに座り、カシアの夫であるジャレッドと、ローレの夫であるヒースと酒を酌み交わす。
 もっとも俺はジュースだが。家ではアスティが待っているので酒を飲んで帰るわけにはいかない。

 ジャレッドは妻のカシアよりも五歳年上の二十七歳。職業は狩人と剣の指導者。
 丸椅子が二脚必要なくらい筋骨隆々の大柄な人間族の男で、獅子のたてがみのように荒々しい赤色の髪を持ち、無精ひげが目立ち野性味溢れる。
 服装も彼らしさを表す黒のタンクトップ姿で、山のように盛り上がった浅黒の筋肉がはちきれんばかりにあらわとなっている。


 ヒースは妻のローレよりも二十歳ほど年上の魔族の男。魔族は人間の倍は生きるので、人間年齢だと二十歳のローレと変わらない。
 常に横長四角の眼鏡をかけていて、彼の仕事である医者らしい白衣を纏っている。

 色白のやせ型で身長は俺よりも頭半分くらい低いが、平均よりも高い。
 見た目とは違い意外に大食いの大酒のみで、ジャレッドと同じ大ジョッキに並々と酒を注いで、それがすでに三つも空になっている。
 山盛りにあったはずのつまみの皿も二皿が空白に……。


 この二人はカシアとローレを通して知り合い、今では村で最も気心の知れた男たちだ。
 俺はその彼らに昨日の感動を伝えている。
 

「お父さんと呼ばれた時の感動はたまらなかったぜ。俺ってこの子の親なんだなぁってのを力いっぱいに感じて。もちろん、その前から親なんだが、より一層強く感じてさ」

 この言葉にジャレッドとヒースが声を返してくる。
「がははは、その気持ちわかるぜ! 俺もアデルからおとさん、おとさん、と言われた時はこう、なんて言ったらいいんだ。尻がこそばゆいというか、体の中からぶるぶると盛り上がってくるもんがあったからな」
「僕もそうだよ。パァパ、パァパとフローラから呼ばれた時は思わず涙を流しそうになったし。この子を守ってやらないとと思ったもんだよ」


 俺たちは男親同士で、我が子から父と呼ばれた感動を語り合う。
 ジャレッドとヒースはさらにこう続ける。
「正直な話よ、アデルから『おとさん』と呼ばれるまではな~んか、ふわふわした感じでよ。自分が父親って感じがしなかったんだよなぁ」
「ええ、ええ、わかる。僕も『パァパ』と言われて初めて自覚を持った感じだし」
 

 そう語るが、今の二人の言葉を、俺は奇妙に感じて首を傾げた。
「そうか? 呼ばれるまでもなく、俺たちはあの子たちの親だろう。自覚だってあるんじゃないか?」
「あるっちゃあるけど、実感がいまいちな」
「こう、お互いに親と子の確認が初めてできた、と言った感じだね」


 俺は二人の感覚をよく理解できずに再び首を傾げる。
 するとそこに、背後から二人の女性の声が届いてきた。

「あんたたちは腹を痛めてないからね」
「ええ、まったくそう。ポンとそこにいた感じだから自覚も実感もないんでしょう?」

 俺は後ろを振り向いて、彼女たちの名を呼ぶ。
「カシア、ローレ」
「仕事、お疲れさん、ヤーロゥ」
「ご苦労様です、ヤーロゥさん」

 彼女たちは俺に微笑みを渡して、その顔のままこめかみに血管を張り付けてジャレッドとヒースを睨みつけた。

「仕事が終わったら早く帰ってこいといつも言ってるよね?」
「診療所を留守にしないでと言ってるよねぇ?」

「あ、それは……」
「今日は、その、ヤーロゥに誘われて……」

 大の男二人が子犬のような瞳を向けて俺に助けを乞う。
 だが、誘ったのはたしかに俺だ。
 だから俺がカシアとローレに頭を下げる。


「すまない。嬉しいことがあって、それを他の誰かと共有したくて俺が二人を無理に誘ってしまったんだ」
「ああ、聞いてたよ。アスティがお父さんと呼んでくれたってね」
「ふふふ、おめでとう。ヤーロゥさん」

「あはは、ありがとう二人とも」

 彼女たちは優し気な微笑みを浮かべる。
 するとここがチャンスとばかりに、ジャレッドとヒースが言い訳の弾幕を張り始めたが、それは墓穴。


「そうなんだよ! ヤーロゥがどうしても話を聞いてくれっていうから。なぁ、ヒース!」
「そうそう、同じ父親として喜びを共有したいじゃないか! なぁ、ジャレッド!」

「話がなくてもあんたは飲みに行くでしょう……」
「そもそもお酒を飲む必要ある、ヒース?」

 ローレが俺の前にあるジュースの入ったグラスをスッと指さす。
「ヤーロゥさんはアスティちゃんのことを考えて、どんなに嬉しくてもお酒を控えてジュースにしてるんだよ。なのに、どうしてあなたは? それもお医者さんと言うお仕事なのに」

 続いて、カシアが両手を腰に当てて大きなため息をついた。
「はぁ~、今日は珍しくヤーロゥが誘ってくれたみたいだけど、いつもヤーロゥはまっすぐ家に帰ってアスティの相手をしてるんだよ、知ってるジャレッド?」
「ああ、まぁ」

「仕事が終わって疲れていても、家に帰るとアスティの世話や家事をこなしてるんだよ。だというのに、あんたは家のことを何にもしない」
「そ、そんなこと言ったって、仕事で疲れてるんだぜ、こっちは」
「私だって仕事してるんだよ。お店を回しながら傍らでアデルの面倒を見てんの!」
「うぐっ……」

 さらにローレが続く。
「私も学舎で子どもたちのお勉強を教えたり、魔法の指導をしながらフローラの面倒を見てるのよ。たしかにあなたは人様の命を預かる仕事をしてるから大変だろうけど、もう少しだけでいいから子育てに協力してほしいなぁ」
「えっと……はい」

 カシアとローレの声が重なる。
「あんたたちのさっき自覚がどうのこうの言っていたけど、その自覚の無さは子どもと過ごす時間の少なさのせいじゃないの?」
「ヤーロゥさんはどんなに忙しくてもアスティちゃんとの時間を作って大切にしてるからねぇ」

 ジャレッドとヒースは反論もなく黙り込んでしまった。
 カシアもローレもジャレッドとヒースと同じように仕事をして、子どもの面倒を見ている。
 さらには、俺が仕事から帰った後もアスティの面倒を見ているということもあり、もはや反論の余地もない。

 俺は心の中でジャレッドとヒースに詫びる。
(つい舞い上がって酒場なんかに連れ込んでしまった。すまん、二人とも)
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