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第9話 父として娘へ名を贈る

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 村長リンデンは鋭き言葉で斬り込んできた。

「勇者ジルドラン殿、少々お話をしましょうか?」
「――――っ!?」
「事情は分からぬが、妙なことに巻き込まれているようですな」


 一瞬、誤魔化しと言う言葉を形作ろうとしたが、こちらの心を射抜く鋭い視線を相手に無意味だと悟り、名を受け入れる。

「なるほど、気づいていたのか。どこかでお会いしたことが?」
「いや、直接はないな。ワシはちょうどお前さんが勇者として活躍し始めた頃に引退して、その後、たまに王宮に顔を出したときに見かけた程度じゃしの」

「王宮で? あなたは貴族、もしくは王族のご親類で?」
「いやいや、そんな大層な方々ではないぞ。ワシはスネートフォフンのコンダクターじゃった男じゃ」
「スネートフォフン!? 王国の諜報部隊!? そのトップであるコンダクター!?」


 スネートフォフン――王国に存在する秘密組織。主に諜報活動に勤しんでいるが、その詳しい活動内容は不明。

「俺も下っ端らしき人間を見かけたことがあるだけで、宰相アルダダスでさえ全容をつかめずにいる組織。そのトップが何故?」
「元トップじゃ」
「元でもあっても……道理でこの俺が簡単に背後を取られるわけだ。しかし、本当に何故……」

 ここで、この村の特殊な状況が頭をよぎる。
「もしや、この不可思議な村を監視するために……?」
「そりゃあ、下種の勘繰りじゃぞ。ワシがここにいる理由は……」
「理由は?」

「疲れたからじゃ」
「はい?」
「闇に身を隠し、影に生きて、絶望を食らう。そんな人生に疲れて、後進に全てを押し付けて逃げ出したのじゃよ」
「逃げ出した……」

「王国内では己の心を隠し、機を見計らい、病で伏せた振りをして死んだことにした。そうして、十年ほど前に誰の監視の目の届かぬここへやってきたわけじゃ」


「スネートフォフンのコンダクターともあろう方が、全てを? にわかには……」
「そうかのぅ。ならば、お前さんはどうなんじゃ?」
「え?」

「勇者ジルドラン。なぜ、中央から遠く離れ、ここにいる? 敵である魔族の赤子を助けようとしている?」
「そ、それは……」
「何かゆえがあり、居場所を失ったのではないか? それとも、ワシのように役割を演じることに疲れたのか?」


 両方だった……自分を中心に据えた場所は失われ、その場所を守るために政治の真似事をしていた自分に疲れ果てて、俺は勇者をやめることに抵抗することなく受け入れた。
「俺は……俺は……」


 リンデンにどう言葉を返していいのかわからず、言葉がうまく形を作ってくれない。
 その様子を見たリンデンが変わりに言葉を形作る。
「よいよい、何も言わずともよい」
「へ?」

「ここはいろいろと訳ありの者たちが住む場所じゃ。だから深く追求せん。まぁ、今回は勇者ジルドランとあって尋ねずにいられなかったが……お前さんの様子からして、腹に一物・二物を抱えているように見えんしの。だから、もう何も言わんでいい」

「そうか、配慮に感謝を。だが、他の者には――」
「もちろん、お前さんの正体など言わん。そうじゃろう、剣士ヤーロゥ殿」
「ははは、ありがとう。レナンセラの村長・リンデン殿」


「ふふふ、というわけで、他の連中の過去にも触れないようにしておくれ。親しくなれば、自ら話す者もおるじゃろうから、その時までは」
「親しく……そうなるまで、俺はここにいていいのか?」
「行く当てがないのじゃろう。魔族の赤ん坊を携えて、噂を頼りにここへ訪れるくらいじゃからな」
「まぁ、そうですが……」

「おっと、ワシとしたことが余計なこと。まったく、詮索はせんと言うたのにな。ここは記憶をすぐどっかにおいてしまう年寄りのボケということで勘弁してくれんかの?」
「あははは。ええ、俺も年の割には忘れっぽいので……」
「それはいかんのぅ。じーさんになる頃には、髪も記憶もなくなっておるかもしれんぞ」


 そう言って、リンデンは一部肌が露出した薄い頭をペチンと叩いた。
 その姿に俺は笑い声を漏らし、リンデンも笑う。


 と、ここで、先ほど出ていった青年が一人の人間族の女性を連れて戻って来た。
 年齢は俺よりも若く、二十代前半くらいだろうか?

 身長は高く、青いショートヘアに青い瞳。麻でできた足元までスッと伸びるオレンジ色のIラインのワンピースを来た女性。爛漫さを纏う雰囲気に八重歯がよく似合う。

 彼女は俺を見るとにこやかに笑う。
「久しぶりの新人さんだね。私はカシア」
「俺はヤーロゥだ」
「ふ~ん、うちの旦那と同じように剣を使うようだけど、ちょいと軟弱かな?」

「そうか、そこらの連中よりかは鍛えているつもりなんだがな」
「甘い甘い、もっと筋肉をつけないとモテないよ」
「それは人の好き好きのような……」
「でも~」

 顔をじっくりなめるように見られる。
「造りはいいね」
「それはありがとう」
「それで、ヤーロゥは赤ちゃんを連れてるんだって? その懐でぐっすり眠ってる子かな?」


 爛漫さを纏っていた彼女は打って変わって慈しみ溢れる母の表情を見せる。
「ふふ、かわいい子。女の子みたいね」
「よくわかるな」
「ふふふ、母親としての勘よ。あら、この耳は……魔族の赤ちゃんか。こりゃ、複雑な事情がありそうだけど……ま、聞かないでおいてあげるよ」
「わるいな」
「えっと、それでお乳に困ってるんだって?」
「ああ、その通りだ――あっ」


 赤ん坊がぐずり始めて、泣き始めた。
「ふぇ~ん」
「おっと、どうした? おしめか、ごはんか、それとも寂しいのか」
「おなかが空いているようだね」
「何故、見ただけでわかる?」


「ふふ、母親の勘」
「はは、そうだったな」
「ま、ちょうど今、この子と同じくらいの子がいるからなんとなくなんだけどね。息子が生まれたおかげで、お乳で胸が張って大変でさ。ほらっ」


 そう言って、膨らんだ胸を張るのだが、それになんと返せばいいのやら……。
 返答に困る俺をよそに、彼女は両手をこちらへ伸ばす。
「ほら、こっちへ」
「はい?」
「はい、じゃないでしょ? 私に抱かせてもらえないとお乳を飲ませてあげられないし」
「ああ、たしかに。だが……」

 いま会ったばかりの人間に、この子を預けて良いものか躊躇してしまう。
 その心をカシアは見透かして、とてもゆっくり、そして優しく言葉を渡す。


「ヤーロゥ、私はあんたの敵じゃない。同じ親として、小さな赤ちゃんを守りたいと思う仲間さ」
「同じ親?」
「そうだろ。あんたはこの子を必死に守ろうとしてここまで来た。そして守りたいから、大事にしたいから警戒してしまう。それは、あんたがこの子を大切にしたいと思っているから。それは同じ親として痛いほどわかる思い。そして、そんな思いを心に宿せるあんたはもう、この子の親なのさ」

「俺が、この子の……」
「さぁ、おなかを空かせている大切な子を抱かせてくれる?」


 カシアは再び両手を伸ばす。
 その手は、子を思う母の優しさを宿す手。
 だから、彼女へ赤ん坊を預ける。

 赤ん坊を抱いたカシアは身をよじろうとして、すぐに戻した。
 そして、俺の目の前で胸元の一部をはだけさせよとしたところで、先ほどの行動の意味を知る。

(俺の前で胸を見せるのが恥ずかしくて隠そうとしたが、俺に不安を与えまいと思いやめたのか。優しい女性だな)
 
 俺は言葉を発することなく、手だけを使い、後ろを振り向いてもかまわないという意思を見せた。
 彼女はそれに微笑みで応えて、後ろを向き、衣服の一部を動かして、懐に抱く赤ん坊に声を掛ける。
 すると、泣いていた赤ん坊はぴたりと泣き声を止めて、代わりに、んくんくと小さな音が広がり始めた。

 カシアは柔らかな青の瞳を赤ん坊に落として、俺に尋ねてくる。
「この子の名前は?」
「それが、預かったかたから尋ねることができなくて」
「それじゃ、名前がないの? だったら、ヤーロゥ。あんたがつけてあげなよ」
「俺が!? だけど――」
「あんたはこの子の親なんだ。だから、つけてあげなよ。とびっきりの良い名前をね」
「俺が……俺が名前を……この子に…………」

 
 突然、与えられたとんでもない使命。
 名前……その子の人生と共に歩み続ける大事な称号。
 なんてつければいい? 妙な名前をつけるわけにはいかない。

 この子は女の子。太陽のように輝く黄金の瞳を持ち、柔らかな黒が溶け込む赤色の髪を持つ。

「太陽……アスカ……」
「ん、決めたのかい?」
「いや、そういうわけじゃない。この子の黄金の瞳を見て、太陽を連想して故郷で信仰されている太陽と風の神アスカを思い出したんだ」
「珍しいねぇ。全神ノウンを信仰する人ばかりの中で、異端の神々を信仰する村なんて」

「変わった村だったんでね……黄金の太陽、赤と黒。そういえば、故郷では赤い花びらに黒が溶け込み、より一層の赤が映える花があった」
「その花の名前は?」

「花びらにし妖精安らう花・フィスティニア。フィスティニア、アスカ……アスティニア。いや、アスティがいいか。いや、でも……」
「名前はアスティニア。あだ名はアスティでどう?」
「なるほど! それはいい!!」
「じゃあ、この子に名前をプレゼントして」

 
 カシアはお乳を飲み終えた赤ん坊を優しく離して、俺にそっと手渡してくる。
 俺は赤ん坊を受け取り、懐に置いて両手で包み込んだ。
 そして、寝息を立てているこの子に名前をプレゼントする。

「アスティニア。それがお前の名前だ。アスティニア、今日から俺がお前の父親だ。よろしくな、アスティ!」
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