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第二幕

第50話 夏の長期休暇

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 皇族ブランシュと姉フィアの後ろ盾。そして、皇族サイドレッドを操り人形とした。
 その人形にはつがいとなる人形を与える。
 名はアリシア。

 彼女には俺から事情を話した。
 もちろん、秘匿とすべき話は避けてだ。
 伝えたことは、フィアとの婚約を進めるが、彼女と結婚後、子どもが出来次第、アリシアを迎えるというもの。
 アリシアはめかけとして迎えられるわけだが、彼女はそれを快く受け入れた。

 元々、身分差があり、絶対に結ばれるはずのない二人。
 共に時間を過ごすことが、絶対に許されない二人。
 一度ひとたび、学院を離れれば、会話すら絶対に許されない二人。
 

 どんな形であり、その絶対たちが覆されたのだ。
 彼女には俺が尽力したていで伝えておいた。まぁ、サイドレッドが余計なことを吹き込むかもしれないが……と思っていたのだが、彼はこう吐露する。

「思い返せば、私に野心なんて全くない。彼女のそばにいられるという願いが叶えられただけで、十分に幸せなのかもしれないな……」と。

 完全に腑抜けきっているが、愛というものは余計な欲を呼び起こすもの。
 時が経てば、サイドレッドもアリシアも不満を持ち、重ね、やがてははっきりとした形で表すことになるだろうが、それはフィアの対応に任せよう。
 
 あいつならば、上手い具合に処理できるはずだ。アリシアだけはこちらでも目を掛けておくが。

 さて、後顧の憂いを断ち、夏の長期休暇が訪れて、学院を一時去るわけだが……ブランシュが鬱陶しい。

 
 港町ダルホルンの屋敷へ戻るために、学院前に馬車を付けたのだが、ブランシュが俺の両手を握って離さない。

「せっかく、友達になれたのに帰らなくてもいいじゃない! 一緒に皇都に行きましょうよ!」
「あのですね、そういうわけにはいかないでしょう。わたくしにもわたくしの事情があるわけですし、あなたにだって」
「ええ、皇都に戻ったら私の師である燎塵りょうじんの魔法使いグラオ様の下で修業が決定してしまったのよ! もう、学院に戻ってこれない! もう、シオンに会えない!! だから、一緒に皇都に行きましょう!!」

「も~、どうしてそうなるのですか? また会えますから。こちらも皇都は見てみたいので、なんとか時間を作って会いに行きますよ」
「ホントに! それはいつ? 何時何分何十秒!? アルガルノが何回まわったら!?」
「小等部の子ですか、あなたは? ほらほら、お供の方々が驚いているじゃありませんか」


 俺はブランシュの後方で控えていた取り巻き――栗毛の三つ編みの女と細長眼鏡をかけたそばかす女に顔を向ける。
 彼女たちはつい最近までいじめていたシオンに縋りついているブランシュの変わりように、思考がついていけない様子で固まっていた。
 ブランシュは彼女たちをちらりと見る。

「あの二人には私たちのことをうまく誤魔化しておくから」
「そうしてください。ですが、あちらのお二人を従者と従えるには、今のままでは少々心細いでしょう。ですから、しっかり鍛えてあげてくださいな」

 本音を言えば、無能そうなのでさっさと縁を切れと言いたいが、ブランシュは取り巻きを大事にしてそうなので、ここは余計な波風を立てず、強く言うのは避けておく。
 言葉を受け取ったブランシュは腑抜けていた表情をスッと変えて真面目なものにする。
「ええ、そうね。あの晩の出来事。あれについていけるくらいにしてあげないと、あの子たちが苦労するから」
「へ~」
「ん、なに?」
「フフ、なんでもありませんわ」

 どうやら、ブランシュは俺の想像以上にあの取り巻きを大事にしており、想像以上に先が見えているようだ。
 これなら心配ないだろう。

 俺は彼女が握り締めていた手から自身の手を引き抜く……引き抜く……ひきぬ……引き抜けない――!?

「いい加減、手をお離しになってくれません!?」
「だってぇ!!」
「フィアお姉様との別れの挨拶も残ってますのよ! だから!!」
「あああ~、もう~~」


 ブランシュはこの世の終わりでも覗いたかのような絶望を顔に表して、ようやく手を離した。
 俺は手の甲に残ったブランシュの手の痕を見つめつつ手を振る。
「いった、なんて力ですか」
「道化芝居は終わったの?」

 俺は声へ体を向ける。
 姉フィアが呆れた表情を隠さず、大きなため息をついていた。
「一応、姉として別れの挨拶をしに来てあげたのに、なに馬鹿やってるの?」
「まったくですわね。フィアお姉様は帰省なさりませんの?」
「冗談。あんな家、二度と戻るものですか」
「そう言えば、馬車で数日という距離でありながら、アズールの葬儀にも顔を出していませんでしたわね。戻るのは、それほどまでにお嫌ですか?」
「……少し、顔を貸しなさい」
 
 そう言って、フィアは馬車の裏側に回った。
 俺は傍に控えていたルーレンにブランシュが近づかないように見張りを頼み、姉に招かれる。



――馬車の裏手

 少しでも声を大きく立てれば、会話は聞こえてしまうだろう。
 だから、フィアは極力小声で言葉を発する。

「アズールを手に掛けたのは、あなた?」
「まさか、そのようなことはしませんわよ」
「では、誰?」
「ザディラお兄様のミスでしょう」
「それはありえない。アズールの死には明確な意図があったはずだから」
「え?」

「シオン、本当にあなたじゃないのね?」
「ええ、違います。あのような行為はわたくしの信念とは違うものですから」
「あなたの信念って?」
「命を奪うということはしたくありませんの」

「フン、あの日、雛鳥を磨り潰すことも躊躇ためらわない様子を見せたあなたの姿からは空々しいわね」
「どうしても必要とあらば行うでしょう。ですが、極限までその選択肢は選びたくありませんのよ」
「どうして?」


 俺は口元で羽根扇を揺らし、目を細める。
「世界の数が減ってしまうからですわ」
「……言っている意味がわからない」
「アズールが生きていれば、アズールの助力を得るという世界が生まれます。ですが、命を奪えばその世界は永久に消えてしまう。だから、世界の数を減らしてしまうような行いはできるだけしたくないのですわよ」

 俺は殺し屋だ。だから、仕事となれば誰かの命を奪うことに躊躇ためらいはない。だが、俺個人としては命を奪うという行為は最終選択であり、その選択を選ばぬように全力で回避すべきだと思っている。
 それは別に、慈悲深いから優しいからなんていう、下らない感情のためではない。
 

 俺はこう考える。命を奪えば、奪った相手の力を利用することができなくなる。奪わなければ、俺に有用な選択肢が生まれる、と。
 もちろん、相手の力が脅威であり過ぎれば一概に言えないが……。

 この考え方は俺の生まれ持った性質ではなく、殺し屋時代に培った経験則によるもの。
 殺される人間の中にはまだまだ利用価値のある者たちがいた。
 だが、依頼主はそいつを恐れ、憎み、排除する。そして、そいつとうまくやれたかもしれない世界を消し去る。
 俺はそれを常々惜しいと思っていた。

 もっとも、依頼主からすれば、このような無駄なことにリソースを割くよりもさっさとぶっ殺して安心を得る方がよほど価値があるのだろうが……。

(ふふ、俺の考え方は小銭集めみたいなもんか。小銭のためにリスクを冒す。そりゃ、馬鹿馬鹿しい考え方だ。だが、二流な俺にとってはついつい小銭すら惜しいと考えちまう。それでも、その小銭たちは……強者の視線から零れ落ちた小銭ちからたち。だからこそ、俺のような地を這う人間には価値がある)


 フィアの視線もまた強者側にあるようで、俺にチクリと腐す。
「あなたの考え方はリスク管理が取れない愚かな価値観。捨てなさい」
「そうですわね。姉様ねえさまの指摘は正しい。ですが、お父様に対抗するにはこれしかないと思っています。強者で身を固めた絶対強者が鎮座する塔に手を掛けようとするならば、小銭をかき集めて塔を作るほかありません。それがたとえ、簡単に崩れてしまうものであってもね」

「まさかあなた! お兄様方どころか父様にまで立ち向かう気なの!?」
「うふふ、そうわよ」
「馬鹿よ、あなたは。勝てるわけが……そのような考え知られたら、あっという間に磨り潰されるわ」
「あら、お父様は楽しそうでしたわよ」
「話したの?」
「ええ、椅子を譲られるのではなく、奪いに来ることがとても新鮮だったようで」
「信じられない……」


 フィアはひたいに片手を当てて空を仰ぎ、気の抜けた笑いを漏らす
「ふふ、なるほど、常人の感覚だとついていけないというわけね」
「あんまりなお言葉。普通の人ですわよ」
「狂人は自分が狂っていることに気づかないものよ。気づかないついでに、あなたはどこまで気づいているの?」

 この言葉……ゼルフォビラ家を包む不可思議な気配についてか?
 こいつは何かを知っている。とても危険何かを――――なるほど、だから屋敷に戻りたくないわけか。
 俺にとってはまだ雲を掴むような状況だが、感じているとだけ伝える。

「ええ、多くの謎を感じています。特にお父様の行動には」
「そう……」
「フィアお姉様は何かご存じでいらして? 特にアズールの死に対して」


 彼女は先程こう言っていた。
―― アズールの死には明確な意図があったはずだから――
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