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第二幕

第32話 なんでここにいるの?

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――――学院玄関前


 姉フィアに御挨拶をして、学院へ向かう。ルーレンは学院の掃除に。
 鞄を持ち、てくてくてくてく赤煉瓦の小道を歩くが、周りの生徒が俺に話しかけてくることはない。
 皆は皇族ブランシュを恐れているからだ。
 同時にこちらの出自が庶民ということもあり、貴族様は話しかけたくないというのもありそうだが。

 俺は行き交う学生に瞳を振る。
 基本、一人か友人をともない学院へ向かっている者ばかりだが、中にはメイドをともなっている者もいる。
 そのメイドたちには重そうな手荷物。
 ロッカーに入れ忘れたり、新たに何か必要な重い物がある際は、あのようにメイドの手を借りることができるようだ。


 メイドたちは無駄話をせずに静々と歩いているのだが、それを邪魔している奴がいた――皇族サイドレッドだ!

「おはよう、美しいお嬢さん。君の朝露のように輝く瞳に惹かれ、ついつい足を止めてしまったよ」
「そ、そ、そ、その、ありがとうございます」

 畏まるメイド。それを見て、気炎を上げるモブな三人の女生徒じょせいと
「なにあれ? メイドの分際でサイドレッド様からお声を掛けられるなんて」
「カナリー家のメイドでしょ。あるじの家格も低いくせに」
「フン、だからメイドの教育も満足にできてないんだ」

 この女生徒たちへ、サイドレッドは微笑みと共に手を振る。
「やぁ、お嬢さん方。おはよう」

「キャー、サイドレッド様が私に手を振ってくれた!!」
「は? は? は? 今のは私に振ったのよ!!」
「もう、二人とも~。サイドレッド様は私に挨拶をしてくれたんだよ~」
「「あ゛」」

 三人の女生徒のいがみ合いが始まった。
 さらに挨拶をされた三人へ、嫉妬の視線を向ける他の女生徒たち。

 これらの様子から、このサイドレッドという男は学院の女生徒たちに相当人気があるようだ。
 俺から見れば、あんな軽薄そうな軟派野郎のどこが良いかわからんが?
 ま、アレはイケメンで皇族。それに物腰が柔らかく男臭さを感じないところなんかが、貴族のご令嬢に人気なのかもな。
 それに何より、もし、見初められれば皇族の仲間入りだし。
 もっとも、アレは姉フィアの予約済みなんだが……。


 そのアレが俺に気づいて近づいてきた。
「やぁ、シオン。おはよう」
「ええ、おはようですわ、サイドレッド様……なんでここにいるの? またプリン?」
「いや、プリンじゃないよ。見回りだよ。私は治安を預かる者で、その権限は学院内にまで及ぶからね」

 治安権限は学院内まで――政治経済はゼルフォビラ。皇族は軍事と治安を握っており、この貴族富豪が通う学院内にまでその権限が及ぶ。
 わざわざ学院へ訪れているのは、皇族の力を有力者の子どもたちである学生たちへ見せつけるためだろう。
 いくらゼルフォビラが政治経済を抑えていようと、命を預かっているのは皇族である自分たちであると。

 つまり、彼は学院へ訪れることで、治安にかこつけた政治を行っているわけだが――少女たちに軟派な言葉を掛けていては台無しのような……。
 今も俺の前で肩を落として、頼りない言葉を漏らしてるし。
「それとだけど、何やら後半の言葉はすっごく冷たい感じがしたんだけど?」
「オホホ、気のせいですわ。緊張のあまり声が上擦ってしまっただけですわよ、おほほのほ」


 俺は扇子を広げて口元を隠し、テキトーに誤魔化す。
 すると、周りの女生徒たちが小声で俺の悪口を言い始めた。

「あれって、例の……?」
「うん、そう。なんで、サイドレッド様は庶民出の者にお声を?」
めかけの子でもゼルフォビラ家の人間で、婚約者フィアンセであらせられるフィア様の妹だからでしょ」
「あ~、やだやだ。権威をかさに着てサイドレッド様に取り入ろうなんて、みっともない」
「ってか、なんで扇子なんか持ってんの? 既婚者でもないのに?」
「さぁ、庶民の考えることなんてわかるわけないじゃん」


 散々の言われよう。
 この声に気づいていないのか、サイドレッドは俺に対して美辞麗句を交え、とても親し気に話しかけてくる。
「やはりと言うべきか、シオンの美しさには不思議な魅力があるね」
「はぁ……」
「儚さを醸し出す海のように美しい瞳。奥ゆかしさもまた儚さに広がりを持たせている」
「奥ゆかしい? それは以前のわたくしでは?」
「いやいや、今だって君は奥ゆかしいよ。その戸惑いを覚えるような様子なんか」
「たしかに戸惑っていますが、以前のそれとは全然違いますわよ」
「ふふふ、本当に君は不思議な魅力を纏っている……」


 彼はここで一拍置き、優しげに微笑みつつも琥珀色の瞳に熱情を乗せる。

「君には、他の女性にはない魅力がある。そう、貴族や皇族では持ち得ない魅力が……」
 
 サイドレッドは今にも俺の手を取り、手の甲にキスでもしてきそうな雰囲気を見せてやがる。
 やはり、シオンに気があるのか? 仮にそうだとしても……ちらりと周りを見る――女生徒の嫉妬という名の怨嗟が広場に渦巻いている。

 先ほど声を掛けられていたメイドもそうだが、こいつは自分の立場を全くわかっちゃいない。
 人気のあるお前が身分の低い者や誰か特定の人物だけに優しく接するなり甘い言葉を掛けるなりすれば、掛けられた女がどんな目に遭うのか全く想像できていない。

 それに、元のシオンはいじめを受けてこの学院から逃げ出したんだぞ。
 どうして守ってやれなかった? いじめの主犯が実の妹だからか? シオン嫌いのフィアの不興を買いたくないからか?

 なんにせよ、女を守れない軟派野郎なんかに興味はない。
 とりあえず、一発ぶん殴って……さすがに無理か、相手は皇族だし。だから、無難に躱そうとしたところで、ブランシュの声が轟いた。



「兄様! 何をしてるの!?」
「ん? ブランシュか?」
「ブランシュかではありません! シオンのような下々に声をかけるなんて!」
「おいおい、シオンはいずれ君の姉妹になる相手だぞ。それを――」
「庶民出のめかけの子が姉妹! ご冗談を!」

「冗談も何も、フィアを妻に向かい入れれば、自然とそうなるだろう。まさか、フィアとの結婚に反対なのか?」
「フィア様は栄誉あるゼルフォビラ伯爵家の御息女。反対などあろうはずがありません! だからと言って、庶民出のめかけの子が同列など――――」
「いい加減にしないか、ブランシュ! 皇族だからと言って、他者を見下すような真似をしては駄目だ! その行為こそが不名誉だぞ!」
「いいえ、不名誉なんかじゃない! 明確な序列を示すことは大変重要なことよ、兄様!」


 これに対して、反論を重ねようとするサイドレッド。
 しかし、その声を抑え込むように、ブランシュは荒げた声を俺にぶつけた。

「シオン! いつまであなたはそこへいるの!? あなたのせいでこのようなことになっているんだからね! 早く、教室へ行きなさいよ!」

 これに俺は軽く頭を下げて、うのていで学院へ向かう。
 その後ろ姿を他の女生徒たちがあざけり笑う。

「ふふ、ざまぁ」
「調子に乗るから」
「クスクス、ブランシュ様からまたいじめられるんでしょうねぇ」


 彼女たちの声を聞いて、俺はほっと胸を撫で下ろす。
(ほっ、ブランシュがキレたおかげである意味助かったな。あのままサイドレッドが歯の浮くセリフを吐き続けていたら、余計な敵を生むことになった。しかしだ……)

 まだ言い合いを続けているブランシュ・サイドレッド兄妹へ小さく瞳を振る。
(サイドレッドは庶民に対する差別感はない。もしくはシオンに気があり、そういったことを気にしてない。ブランシュは庶民が気に食わない。だから、皇族である兄が俺に優しく接するのが許せない……ふむ、まだ足らないな)

 まだまだ、これらは表面上の情報でしかない。
 だから今は、目の前にあることをやろう……まず、ブランシュという女がどのようなものなのかを計る。



――教室

 机の中にネズミの死骸。
 尻尾を摘まみ、持ち上げる。
 教室内に響く悲鳴。
 
 窓からポイ――下から聞こえる悲鳴。

 ハンカチで手を拭いて着席。
 視界に入るのはブランシュの取り巻きの絶望感。
 顔には『そんな、あんなに苦労してネズミの死骸を用意したのに……』と書かれてあった。


 そうこうしているうちに兄妹喧嘩の終えたブランシュが教室へやってきた。
 取り巻きから報告を受ける。
 ブランシュはこちらを見て、目を大きく開いて驚いている様子。

 俺の対応は彼女たち貴族様から見れば大変びっくりすることだろうが、殺し屋のおっさんはネズミの死体くらいで驚きません。
 さすがにウージーなムーシーが湧いてたら嫌だがな。触れないってことないけど。ここだけの話、食べたことあるし。無菌の奴だけど。

 俺は机の中を拭いて、一時限目の用意をする。
(さて、一時限目は苦手な歴史かぁ。寝たいわ~。でも、二時限目は体育。頭を空っぽにして体を動かせそうで良いな)


――――ブランシュ

 取り巻きから顛末を聞いて、彼女は軽く親指の爪を噛んだ。
(なんなの? 記憶を失ったにしても、人が変わりすぎでしょ。どうすれば、シオンを学院から追い出せる? 生半可なことじゃ、今のシオンは動じそうにないし……)

 彼女はちらりと教室の隅に貼っていある時限表を見る。
(二時限目は体育。内容は護身術。力尽くは……でも、追い出すためには――もう、あなたが悪いんだからねシオン!)
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