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第一幕

第三十話 殺気宿る剣の稽古

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――次の日・早朝


 ルーレンが昨日話していた運動着を用意してくれていた。
 上は白い厚手の服。見た目はトレーナー。
 下は若草色の厚手のドロワーズみたいなもの。
 そういや、明治から大正にかけて女学生たちは運動をする際に、ふわっとした長い丈のブルマーを着用していたらしいが、見た目はそれに近い。
 

 上はともかく、下は少し動きにくいが他に動きやすい服もないので、これで諦めるとしよう。
 そいつを着用して外へ。軽いストレッチを行い、ジョギングをすることにした。
 屋敷はとても大きいため外周を走れば結構な運動になる。
 しばらく走っていると、中庭の方から怒鳴り声のような声が聞こえてきた。
 声の主は……マギー?

 足を中庭に向けて、こっそり覗き込み、俺は驚きに言葉を跳ねた。
「――え!?」


「くそがぁぁあぁ!」
「この程度か? それでは百年経っても私の首は奪えないぞ」

 赤い軽装鎧を纏った戦士姿のマギーが大剣を手にして、セルガと相対していた。
 セルガもまた剣を手にしてマギーを睨みつけているが、服装は貴族服のままだ。

 様子からして剣の稽古のように見えたが、落ち着いた様子を見せるセルガに対し、マギーは体全身から殺気をほとばしらせる。

 あの剣気は訓練ではない。本物――マギーの殺気は本物だ!

 マギーは大剣を振るい、セルガの胴を薙ぎ払わんとする。
 それをセルガは剣で軽く受け流したかと思うと、一気に懐に詰め寄り、掌底でマギーの腹部を殴りつけた。
 吹き飛ばされ、中庭の芝生に転がるマギーだが、すぐに起き上がり、地面を蹴ってセルガへ左右同時の袈裟切りを行う。
 それは大剣使いとは思えぬ素早さ。

 しかし、切ったのはセルガの残影のみ。
 彼は背後に回り、マギーの首筋へ一閃。
 彼女は何とか前方へ飛び退き、事なきを得た。


 その後も二人は早朝の中庭に剣戟けんげき音を響かせ続ける。

 二人の様子を俺はこっそりと窺い続ける。冷や汗で全身を溺れさせながら。
「二人ともなんて使い手だ! 地球人の身体機能を軽く超えてんな。ルーレンからセルガは世界一の剣士だと聞いていたが、それにしたって……」


 マギーの動きは地球人の身体機能を遥かに超えており、野犬を追い払ったルーレンよりも優れていると見える。
 しかし、セルガはそれさえも歯牙に掛けぬほどの強さを誇る。
 その動きを辛うじて目で追いながら、シオンの身体のことを考える。

「なんとか目で追える……これはシオンの力。なるほど、こちらの世界の住人は地球人よりも強そうだ。だからと言って、シオンの体を鍛えてもセルガに追いつけるとは思えないな」


 マギーの荒々しくも素早い動き。
 それを舞いを踊るかのように躱し続けるセルガ。
 彼の動きを見つめ続け、俺は一つの選択肢を完全に消した。

(正面からは無理でも毒殺や爆殺ならと思ったが、あの隙の無さ。とても太刀打ちできない)
 まったくもって隙がなく、マギーを相手にしながらも全方位への警戒を緩めない。
 緩めない――つまり、俺がこっそり覗いていることにセルガは気づいている。

 彼はこちらを一度も見ることなく気配だけを飛ばしてきた。
 そして、敵ではないとわかると気配を残しつつマギーへ集中する。
 そのマギーへ俺は視線を集めた。

 彼女は殺気を交えた剣を何度も振るう。
 とてもあるじに対して行う所業ではない。
 瞳は怒りに満たされ、本気でセルガを殺そうとしている。
 一体どういうことだろうか?

 彼女の動きを瞳で追いつつ、俺は思う。
(見事な動きだが、直線的すぎるな。あれじゃあ、セルガには届かない。もったいねぇなぁ)

 マギーの動きは素早く、とても強力な剣撃を産み出しているが、そこに牽制などなく、あまりにも単調。
 あれでは格上のセルガ相手にやいばが届くはずもない。
 

 三分ほど続いた殺し合いは、いや、マギーの一方的な殺意は空振りと終わり、喉奥から吐き捨てられた怒声共に終焉を迎える。


「クソッ! はぁはぁ」
「以前よりはマシになっているが、その程度では私を殺すなど不可能だな」
「はぁはぁはぁはぁ……うるせい……」

 
 呼吸も整わぬマギーを前に、セルガは息一つ乱れず腰の鞘に剣を戻す。
 そこを見計らい、俺は中庭に姿を現した。


「あら、お父様? 剣の稽古ですか?」
「ああ。お前は運動か?」
「ええ、少々体を鍛えようと思いまして」
「そうか」

 俺はセルガが飛ばしてきた気配に気づかなかった振りを見せる。
 セルガの方はマギーへ視線を投げて、彼女の息が上がり、こちらへ意識を向ける余裕のないことを確認してから俺に顔を向けた。


「夕食時に、何を言うつもりだったのだ?」

 彼の問い――それは一昨日おとといの夕食会で、香辛料を使用したレシピを考え、さらに料理をメインとした観光客の取り込みを提案した時のこと。

 これに対して、それだけでは足らぬと彼は言う。
 だから、俺はあることを付け足そうとして……やめた。それはこの場面。


――――初めての夕食・食堂にて(※第十三話より)

 ザディラはこうも言っていた。元よりダルホルンは人や物が集まっている港町だと。
 港町と言えば貿易。貿易に必要なものは港。その港をより活性化させれば……。


「でしたら……」

 ここで言葉を飲み込む。勇み足だと考えて。


――――
 セルガはこの続きを尋ねているのだが、その答えに悩む。
 何故なら、この問いに答えられるほどの情報がそろっていないからだ。
 しかし、数秒ほど悩んで答えてみることにした。
 彼の領主としての器を量るために。


「このダルホルンは港町。多くの人々が集まる貿易の町。そこでわたくしはダルホルンを、この海域のハブ港にしようと考えたのです」


 ハブ港=海上運送の中継地点のこと。
 これにより、この周辺海域の物流を一手に引き受けることができる。

 食事会の時は、これを声に出そうとして止めた。
 理由は、ダルホルンの港の規模がわからないこと。
 周辺地域の経済力や港の規模がわからないこと。
 また、海上輸送のリスク。治安や戦争・内戦など。


 口に出すにはあまりにも不確定要素が多い上に、香辛料の話からは逸れてしまう。
 だから、あの時は控えたのだ。
 問いの答えを聞いて、セルガは小さく呟く。

「ハブ港……なるほど、物流の支配か。周辺海域にはライバルらしいライバルもいないが、その油断により明日を失うかもな。安全保障も含め、今のうちに整備を行い、各地域、海域の頭を押さえておいた方がいいか」

 ハブ港の一言でその重要性と、経済的軍事的プレゼンスまで意識している。
 剣の腕も確かだが、領主としても確かのようだ……これは手強い。
 俺はさらに昨日答えなかった理由もまた伝えた。


 すると、セルガは……。
「通常は貿易の実態や地形・パワーバランスを把握してから考えつくものだが、何も知らぬ状況で、何故このようなアイデアが出たのかが謎だな」
「フフフ、実はあの場では追い込まれていまして、そこで突発的に生まれたアイデアですのよ」
「突発的……」

 彼は噛み締めるように言葉を繰り出すと、次に俺の心の中をまっすぐと見つめる鋭い瞳を見せた。
 それに対して、俺は平静を装う。

「どうされました?」
「……ふむ、シオン。昨日、外出したそうだが、何を企んでいる?」
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